No.30, No.29, No.28, No.27, No.26, No.25, No.24[7件]
道の駅 なとわ・えさん
道の駅 なとわ・えさん
▼2009年5月
函館ドライブの際に、こちらで車中泊させてもらった。初訪である。
函館市街地からはかなり距離があり、しかもその翌日再び市街地へ戻るつもりだったため往復走らなければならなかったが、結局車内で寝るには道の駅が無難との結論になった。ちなみにこの時は友人と来ていたため、軽自動車の狭い車内で2人で寝ることに。
今思えば無茶なことをしているし、仲の良い間柄だったとはいえ申し訳ないことをした。体力も気力もまだ十二分にあったから堪えられたが、ある意味これこそ冒険だったかも知れない。無職の暇人に付き合ってくれた友人には今更ながら感謝である。
元は恵山町という町だったが、2004年に近隣の戸井町、椴法華村、南茅部町と共に函館市に編入された。
「なとわ」とは、道南方言で「あなたとわたし」という意味。


すぐ背後には海があり、波の音を聞きながら寝入った。早朝に軽く散歩し、施設開館前に出発したため静かな時を過ごした。
▼2012年7月
道の駅スタンプラリーを始めたため、再訪。シーズン中だったため、ツーリング客などもいて賑わっていた。施設の外壁の塗装が綺麗になっていた。
がごめ昆布ラーメン、ちょっと気になる。
施設の外階段を上ると展望台になっており、恵山を望むことが出来る。砂浜と静かな波打ち際、優しい海の風景。
▼2016年9月
知人らと近辺を探索するため、待ち合わせ場所がここだった。それぞれそれなりに遠方から、しかも日帰りだったため、まだこの頃は体力があった。意気投合するとノリと勢いで中々な無茶をしがちだが、それもまた楽しいと思える頃だった。時計をよく見てみると、もう少しで暮れるという時間なのがツッコミどころ満載だ。この後に探索をしたので、まあよく無事で帰ってこれたものだ。
2度目のスタンプラリーの最中だったので、ついでにスタンプも押した。
なにかしら名物っぽいものを食べてみようと、昆布ソフトを注文して皆でつついて食べた。塩っ気があってほのかに昆布味だが美味しかった。塩バニラほんのり昆布出汁味といったところか。
一人一つずつではないのは、行きがけにちょこちょこ食べて空腹ではなかったのと、やはり味がハズレだった場合の保険もあったが(笑)
オススメ出来る一品である。
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#飲食 #海 #道の駅
函館山から
函館山から
2009年に訪れた時の函館山からの夜景の写真を上げようとしたのだが、当時のコンデジでは画質に難があったためか処分してしまったようだ。
前ブログからインポートするまでもないクオリティなので、2019年に撮ったもののみ上げてみる。ちなみに夜景ではなく昼間の撮影だが、これはこれで良い景色だった。
また行く機会があれば、再度夜景撮影に挑戦してみたいと思う。
しかし2009年の時は5月だったが、強風と霧で中々厳しい見物だったのと、大勢の見物客の中で三脚を立てなければならないと思うと若干億劫である。昨今のインバウンドの状況だと尚更。もう少し落ち着いたら(落ち着くことがいいことなのかはわからないが)、周りの戦跡等に関しては未見なのでそれらも含めて足を運びたいとは思っている。
展望台の外壁に掲げられたレリーフ。「伊能忠敬北海道最初の測量地」こちらも目的の一つであった。伊能の測量事業は北海道(蝦夷地)から始まっている。第一次測量として箱館山を基点とし、ニシベツ(別海町辺り)まで実測した。
伊能ら測量隊が蝦夷地に渡る際、道南福島町吉岡の上陸地点から箱館までも測量を行っていることから、近年は最初の測量地は吉岡としており、新たに銅像が建てられたのでそちらも見に行きたい。
あの函館夜景の昼の姿。よく渡島半島の細い部分と間違われる地形である(笑)。
どつくと緑の島方面。山頂への車道も見える。
元町周辺。緑も相まってカラフルな街並み。
海岸の波打ち際の動きを見ると、地球の息吹を感じる。
元町の寺院や教会などのレトロな建物群。ジオラマのよう。
坂から道路が伸びてゆく様も興味深い。
右下に護国神社の鳥居があり、神社坂が伸びてゆく。先程歩いた場所>>27を俯瞰で見れるのは面白い。函館山は戦前は軍の要塞だったため、立ち入りや山に向かってカメラを向けたりスケッチすら禁止されていた歴史もあるが、山頂からこのように眺めることが出来る今の時代はなんと自由で有り難いことかと思う。逆に、そのような制限が自然保護の役割を果たしていたというのも考えさせられることではある。
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#碑
函館・元町方面と坂さんぽ
函館・元町方面と坂さんぽ
小樽、室蘭、そして函館など、坂の街に対する憧れがある。
生まれ育ちが平地の街だからというのもあるが、立体的に展開する街並みに人の活動や暮らしの息吹をより近く感じるような気がする。この斜面をよく拓いたな、という驚嘆もある。
しかしそんな感慨は、平地の少ない土地に産業が出来、そこに人が集まればそうせざるを得なかったという事情が土台にあって成立する。特にそう古くない時代に安住の地や新天地をもとめて流れ着いた人々の多い北国の歴史上、そのような性質が色濃い。
坂の街の暮らしの実際は、やはり行き来に大変骨が折れ、特にクルマを持たない世帯や高齢者、また冬期の積雪や凍結ともなれば危険を伴う。筆者の親戚が室蘭の坂の街住まいなのだが、以前そのようなことを漏らしていたのを聞いた。
憧れというものは所詮無いものねだりではあるのだが、それを承知でもやはり視界に立ちはだかったり、眼下に広がる街並みの景色には惹かれてしまう。
函館はその地形から港湾都市や要塞都市として開かれたが、そんな歴史要素が色濃い元町周辺は、傾斜を利用した景観が言うまでもなく美しい。
▼2009年5月
小さい写真は、おそらくコンデジの電池切れで苦し紛れにケータイ(当時はスマホではない)で撮影したものだろう(掲載は撮影順ではない)。
函館の街をちゃんと見て歩いたのはこれが最初だったが、電池切れになるまで歩き回ったということは楽しいものであったのだろう。自分ごとではあるのだが、とても何よりである。
元町公園から眺める旧函館区公会堂。バックに函館山。
公会堂のバルコニーから望む街と港。入館料必要。筆者は利用していないが貸衣装で撮影も出来る。内部も見学したが生憎写真が残っていない。
前日の夜に訪れていた。ライトアップがされており色合いも把握出来た。パステル調だが洋館らしい大胆な配色。最近補修されたらしく、この当時より色が濃い目になった感じがする。

明治40年の大火で区民の集会所も焼失したため、地元の豪商相馬氏が大金を寄付し、1910年(明治43)に建てられた。豪奢で装飾のディテールも細かい。このすぐそばに旧相馬家住宅も残されている。
基坂は元町公園正面から延びる坂。里数を測るための里程元標が立ったことからこの名がついた。ここから東に進み、坂を見ていく。


「チャチャ」はアイヌ語で老爺の意味。おじいさんのように体を曲げて登るような急坂からついた名。左側に見えるのは聖ヨハネ教会。

日本最古のコンクリート電柱。四角柱(四角錐?)の珍しい電柱。1923年(大正12)建築。

おなじみハセスト。やきとり弁当は有名だけど、クルマで来てしまうと食べるための駐車場所に悩むのでなかなか手を出せない。
新島襄の銅像。ここから小舟を漕ぎ出してアメリカの商船に乗り込み、密出国に成功しのちに同志社大学の創始者となった。
鎖国の時代に外の世界に関心を持って飛び出した偉人は多い。
旧函館どつく。この赤白のクレーンは「ゴライアスクレーン」といい、この翌月に撤去されてしまったらしい。
▼2019年5月
市立函館博物館で見たかった展示が開催されていたため訪れた。ちなみに展示は『描かれたアイヌ』。和人の手により描かれてきたアイヌ民族を主題にした絵画作品の展示であった。せっかくここまで来たので、久々に街歩きと決め込んだ。
初めて訪れた函館公園。「こどものくに」の日本最古の観覧車は小ぶりで可愛いかった。とても懐かしさを感じる遊園地で、多くの子供連れで賑わっていた。
護国神社坂。背後に神社と大鳥居がある。
二十間坂。この先に五島軒本店、更に行くと左手側に最古のコンクリート電柱がある。
市電通り。企業の建物だが、素敵なレトロ感。
もう一つの目的は、北方民族資料館だった。旧日本銀行函館支店の建物を利用した北方民族関連の展示施設だが見応えは凄い。児玉コレクションには思うところはあるが…
蝦夷錦の実物が見れたのは個人的に嬉しかった。写真はロビーで歓迎してくれるコロポックル。
元町公園横の坂。元町周辺にとって函館山はランドマークである。
洒落たカラフルさが目に楽しい家屋。
函館の坂でもっとも有名であろう場所。八幡坂の天辺から。「チャーミーグリーン」と言って分かってくれる方も少なくなってきただろうか。
海の見える坂の風景は、やはりなんとも言えない風情がある。
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#公園 #古建築 #文化施設
五稜郭公園
五稜郭公園
言わずと知れた、北海道を代表する史跡及び観光地である。
函館には何度か訪れているものの、ここをちゃんと歩いたのは2009年が初めてだった。
もっとも、筆者は幕末という時代に正直あまり明るくなく、そちらも勉強せねばと思いつつ何故か大きく興味を惹かれること無く今日まで投げ出したままである。
ちゃんと知識と理解があれば本当の意味で楽しめる場所なのだろうが、先の通りなので無難に景色を楽しむ散策という程度の記録でご勘弁願いたい。
▼2009年5月
当然、高所から眺めなければその形状は掴めないので、まず五稜郭タワーに上って見る。
とはいえ、現在はGoogleMapで手軽に見れるようにはなったが。
タワーは子供の頃にも上った記憶があるのだが、現在のタワーは2006年に新築されているらしいので当時は旧タワーの方だったようだ。
築3年程度だけあって綺麗な建物だった。
この辺がギリギリ星型を把握できる感じだろうか。中程の大きな倉庫のようなものは、2009年当時は箱館奉行所の復元工事を行っており、その囲いである。
展望室の土方歳三像。やはり載せたくなる佳き佇まいだ(笑)
箱館戦争の舞台だが、元々は幕府の北方警備および蝦夷地統治のために建築されたものである。
石組みが絶妙だ。

桜には遅かったが、藤棚は満開だった。
貸しボートがあったとは…!外周を1周出来るらしいが中々の運動になりそうだ。
箱館奉行所の囲い。突如現れるビルのようなミスマッチな趣だが、翌年2010年に完成して囲いは取り払われた。
石に番号が振ってある。石組みの際、番号順でなければ綺麗に組めないのだろう。
かろうじてここだけ桜が咲いていた。遅咲きの木なのだろうか。
上りたくなる階段。当然上った。
明治以降は郭内外の建物は解体等で消失したが、ここ兵糧庫だけは残された。老朽化のため復元されている。
箱館戦争で実際に使われたとみられる大筒。左はブラッケリー砲、右がクルップ砲。
五稜郭の設計者、武田斐三郎の顕彰碑。美しい五芒星の稜郭だが、蘭学を修めていたということで測量技術もこの頃は高度なものになっていたのだろう。
お顔の部分だけ光沢があるのは、撫でると頭が良くなるという謂れがあるからで、修学旅行生などももれなく触れていくからだそうで。
方形に剪定されたツツジと、円形に整った植え込みが可愛い。▼2021年5月
上記から10年あまり経った。
この時の目的は個人的な調べ物のために函館市中央図書館を訪れたが、五稜郭がすぐ側なので散策をかねて立ち寄った。復元済みの箱館奉行所も見たかった。
渋めの趣な瓦葺きの屋敷と、太鼓櫓が特徴的。完成から10年経つが真新しさを保っている。
千鳥破風と鬼瓦がまぶしい。
入館料は500円だった。木の香りが濃い日本家屋。襖を開け放った大広間は圧巻。掛け軸の座敷や詰め所に当時の役人の勤務を想像する。
歴史資料のパネル展示もある。役人の名簿に見覚えある人物の名前 を見つけたりと、個人的にも興味深かった。
残念なのは、太鼓櫓に上ることが出来なかったことだろうか。おそらく消防法の兼ね合いだろう。太鼓の背後が梯子階段になるのだろうが、傾斜が厳しそうだ。
こうして見るとかなりの高さに感じる。高所恐怖症だとそもそも上れなさそう。櫓上から港湾を見渡したり、時刻を知らせたりしたが、箱館戦争時には標的にされたりもしたらしい。
管理事務所棟と枝垂れ桜。
またもや満開の時期は外したが、ここの枝垂れは時期だった。
散ってしまった桜の木。

その代わり、行く先々に見事な松が見れた。樹齢150年はあるらしい。手入れはされているが見るからに歴史を感じる。
ぐるっと道なりに歩き、そのまま一周しようとしたら石垣工事のために通行止め。タワー方面に向かいたいので引き返すしかないが、あの石に振られた番号が役立つのかな、と思ったり。
満開の時期だと桜のトンネルになりそう。タイミングが難しいものだ。

お堀にはカモの姿もあった。
やっとタワー側へ出て、お昼にした。「あじさい」でラーメンをと思ったが、店内階段で行列が出来ていたので隣の「ラッキーピエロ」にした。
やはりラッピは函館に来たら食べてしまう。
一周歩き倒すつもりだったが、なかなか広いのと通行止めもあって踏破出来なかった。
北海道史の大舞台となった場所だが、今では観光客も地元民も訪れる歴史と憩いの場所になっている。
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#公園 #花 #碑 #古建築 #飲食
カフェ&ダイニング アンジェラ
カフェ&ダイニング アンジェラ
こちらのお店も苫小牧では老舗になりつつある。個人的なことだが高校卒業後くらいの頃(ここも記憶が曖昧だ)にオープンし、互いに社会人に成りたての友人らとよく利用していたカフェだ。
カフェとはいえ、イタリアンやライス付きのメニューなども取り揃えてあるダイニングレストランでもある。パフェやワッフル等のデザートもあり、どれを注文しても外れなく美味しかった。外装はレンガ壁で、内装も広く席数も多めの、おしゃれな、いわゆる女子会に合う雰囲気だ。
この近辺に以前暮らしていたことがあるのだが、その時は入口横の数段下りた窓際のカウンター席(写真上)で景色を眺めつつ書き物をしながらお茶をさせてもらっていたこともある。一人でも利用しやすいのはありがたい。
以前は夜0時近くまで営業し、お酒のメニューもあったように記憶しているが、今は夕方には閉店してしまうようだ。
最近経営者も変わったようで、メニューにも若干変化はあるが内装などは大きく変化はないようだ。
Cafe & Dining Angera
パフェを食べられるお店が近年はぐっと減ったように感じる。食べたい時に探してもチェーン店の他には意外と見つからないため、こちらのお店は貴重かも知れない。出来れば夜も営業していただきたいが、コロナ禍もあったため仕方のない部分もあるだろうか。
数年前、夜に営業していた頃に訪れた時のもの。
かなり以前に友人と訪れた時、友人が注文していたチーズチキンカツが突然食べたくなったので、まだメニューにあるかと足を運んだ。あの時と変わらず注文出来て、美味しくいただくことが出来た。一人だったため、お気に入りの窓際カウンター席に座ろうとすると、寒いですからとすぐ後ろのテーブル席を案内して下さり、親切にしていただいた。
この時は冬だった。
また、久々にパフェをいただきに訪れたい。
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#飲食
ジョイランド樽前跡③ シロクマ舎編
ジョイランド樽前跡③ シロクマ舎編ジョイランド樽前跡② コテージ群編より

ジョイランドの見どころは、もう一つ、この白熊牧場だった。
開園の1979年にオープンし、登別クマ牧場と並ぶようなシロクマ(ホッキョクグマ)の繁殖基地にすべく、オープン時は30頭飼育されていたようだ。しかし、1985年には飼育数4頭となっており、他へ移動や輸出の可能性もあるが、他動物の大量死もあったことから気候や環境が合わず命を落とした個体もいたものと思われる。
白熊牧場跡は、レストラン跡や駐車場跡からは離れた位置にひっそりと残されていた。以前は営業当時の様子が窺えるシロクマの畜舎棟も残っていたようだが、2019年4月の探訪時には既に建物は無く、どうやら解体されてしまったようだ。火災による延焼は免れているが、焼けたレストランや温泉棟の解体後にこちらもあえなく解体となったらしい。残っていたのは、畜舎の壁、アオコにまみれた人工池と擁壁、コンクリート製の岩山くらいであった。
奥の方に長く伸びた施設だったようだ。
壁と岩山。
壊しにくい部位のみ残して全て解体した感じになっていた。

当時の面影はかろうじて、池と擁壁だけが残してくれている。
シロクマの遊び場だったのかも知れない。
池はさすがにもう少し水位があったと思われる。
アオコの中に、浮き玉らしきものが浮かんでいた。クマの玩具だったのではないだろうか。
ところどころに岩山を設けてそれなりに自然の造形を表していたのだろう。
しかし、ここに30頭は厳しそうだ…




見物客用のトイレだろうか。
魚眼で全体を捉える。
頭数が少なければ快適だったかも知れないが、牧場とするにはどうだったろう。畜舎の具体的な広さも今となってはわからないが。
畜舎より手前の岩山。

ほぼ更地に近い状態だったので生々しさはさほど感じられなかったが、来歴を知ると、生き物で商売をすることの難しさと業の深さを感じずにはいられない。当時はまだ比較的動物に対する福祉の概念や生命倫理が緩かったとはいえ。
当時、此処で犠牲になった動物たちの碑もあると聞き、探してみた。
これでこちらの探索は締めにしようと思った。
シロクマ舎から遠くない場所、駐車場跡の片隅に鎮座する獣魂碑。裏側には平成3年の建立と、当時の経営会社の名が記されていた。驚くことに、色褪せていない真新しい造花が献花されていた。お参りが時折あるのだろうか。
造花の陰から、一匹のクモが姿を見せた。生命は、姿を変えつつ継承するのだろうか。年月は流れ、世代も変わればここに動物園があったことも人々の記憶から忘れ去られるのかも知れないが。同じ轍を踏むことの無いよう、心霊云々関係なしにどういったことが起こったのかは知っておくべきだろう。
せめて動物たちの眠りが安らかであることを祈りたい。
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ジョイランド樽前跡①
ジョイランド樽前跡② コテージ群編
#廃
旧戸井線アーチ橋
旧戸井線アーチ橋旧戸井線は1936年(昭和11)に着工。当時、汐首岬砲台建設が計画されたため、物資や人員輸送を目的とした鉄道路線を敷くべく建設された。
1944年(昭和19)に全線開通を目指し、五稜郭から湯の川を経由し、戸井までの全長29.2kmが計画されていたが、戦局の悪化と資材不足により前年の1943年(昭和18)に工事を中断、戸井までの約3km区間を残し未成のままに終わった幻の路線である。
区間にはアーチ橋もいくつか建設され残されたが、戦時中の資材不足による粗悪な施工といわれ、加えて経年劣化により、近年解体の情報も出ていた。
2009年に恵山の道の駅>>29から函館市街地に向かう際に見たのが初である。道の駅の案内板に記されており、この頃からアーチ橋などの土木遺産に興味があったため、見てみようと注意しつつ走っていると右手に美しいアーチを捉えることが出来た。
▼2009年5月
手前の斜面に作られた石段と鳥居など、立体的な集落の造形も魅力に映る。
ちなみにここは参道のため、この先は瀬田来神社に繋がる。元禄時代の創建と伝えられる、小集落の歴史ある社だ。
表面の劣化は見られるが、素人目にはまだまだ丈夫そうではある。
橋の上部がどうなっているかも気にはなったが、取り急ぎの見物のため上に出る道まで探せなかった。
ここはもともと蓬内川橋梁といい、撮影時は地区の生活路として橋上部は函館の市道となっていた。
蓬内橋と同じく、1941年頃竣工のコンクリートアーチ橋である。造形が美しい。しかしここに限らないが、この時代の土木建造物は朝鮮人労働者の徴用やタコ部屋労働の産物であることが多いため、留意が必要だ。
こちらは特に道路橋などに転用されずにきているらしい。
直ぐ側には人家があるため、うろつくのは程々にしたがいつまでも見ていたい造形だった。
▼2012年7月
道の駅スタンプラリー時に、函館から恵山の道の駅へ向かう道すがら気になって寄ってみた。
しかし、こちらの蓬内橋は、この翌年2013年に老朽化を理由に解体され、2014年に新しい橋に架け替えられた。
解体工事の際、竹筋が使用されていると言われていたコンクリート製の内部を調べたところ、補強のない無筋コンクリートだったことが判明し、強度は現在の基準を上回っていたという。
旧戸井線遺構「蓬内橋」、無筋コンクリ製だった(函館新聞2013/3/27)
これは大変興味深い。戦時中の建造物は材料が粗悪だと言われるが、その分を工法で補っていたのだろうか。
旧戸井線の路線跡は湯の川方面の市街地にもあり、緑園通りといい遊歩道やサイクリングロードに転用されているが、そちらに残っていた小型のアーチ橋も道路整備のため取り壊されているらしい。
いずれは汐首陸橋も取り壊される運命にありそうだ。
アーチが見られなくなるのは残念だが、生活の場が近くにあれば安全面には代えられないだろう。
戦前の歴史を物語る遺構が少しずつ、姿を消してゆく。
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#古建築 #橋梁 #廃 #戦跡 #鉄道