2024年9月の投稿[17件]
2024年9月29日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
2024年9月27日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
函館・元町方面と坂さんぽ
函館・元町方面と坂さんぽ
小樽、室蘭、そして函館など、坂の街に対する憧れがある。
生まれ育ちが平地の街だからというのもあるが、立体的に展開する街並みに人の活動や暮らしの息吹をより近く感じるような気がする。この斜面をよく拓いたな、という驚嘆もある。
しかしそんな感慨は、平地の少ない土地に産業が出来、そこに人が集まればそうせざるを得なかったという事情が土台にあって成立する。特にそう古くない時代に安住の地や新天地をもとめて流れ着いた人々の多い北国の歴史上、そのような性質が色濃い。
坂の街の暮らしの実際は、やはり行き来に大変骨が折れ、特にクルマを持たない世帯や高齢者、また冬期の積雪や凍結ともなれば危険を伴う。筆者の親戚が室蘭の坂の街住まいなのだが、以前そのようなことを漏らしていたのを聞いた。
憧れというものは所詮無いものねだりではあるのだが、それを承知でもやはり視界に立ちはだかったり、眼下に広がる街並みの景色には惹かれてしまう。
函館はその地形から港湾都市や要塞都市として開かれたが、そんな歴史要素が色濃い元町周辺は、傾斜を利用した景観が言うまでもなく美しい。
▼2009年5月
小さい写真は、おそらくコンデジの電池切れで苦し紛れにケータイ(当時はスマホではない)で撮影したものだろう(掲載は撮影順ではない)。
函館の街をちゃんと見て歩いたのはこれが最初だったが、電池切れになるまで歩き回ったということは楽しいものであったのだろう。自分ごとではあるのだが、とても何よりである。


入館料必要。筆者は利用していないが貸衣装で撮影も出来る。内部も見学したが生憎写真が残っていない。

パステル調だが洋館らしい大胆な配色。最近補修されたらしく、この当時より色が濃い目になった感じがする。


豪奢で装飾のディテールも細かい。このすぐそばに旧相馬家住宅も残されている。

ここから東に進み、坂を見ていく。



左側に見えるのは聖ヨハネ教会。


四角柱(四角錐?)の珍しい電柱。1923年(大正12)建築。


やきとり弁当は有名だけど、クルマで来てしまうと食べるための駐車場所に悩むのでなかなか手を出せない。

ここから小舟を漕ぎ出してアメリカの商船に乗り込み、密出国に成功しのちに同志社大学の創始者となった。
鎖国の時代に外の世界に関心を持って飛び出した偉人は多い。

この赤白のクレーンは「ゴライアスクレーン」といい、この翌月に撤去されてしまったらしい。
▼2019年5月

せっかくここまで来たので、久々に街歩きと決め込んだ。






旧日本銀行函館支店の建物を利用した北方民族関連の展示施設だが見応えは凄い。児玉コレクションには思うところはあるが…
蝦夷錦の実物が見れたのは個人的に嬉しかった。写真はロビーで歓迎してくれるコロポックル。



「チャーミーグリーン」と言って分かってくれる方も少なくなってきただろうか。
海の見える坂の風景は、やはりなんとも言えない風情がある。
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#公園 #古建築 #文化施設
2024年9月26日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
五稜郭公園
五稜郭公園
言わずと知れた、北海道を代表する史跡及び観光地である。
函館には何度か訪れているものの、ここをちゃんと歩いたのは2009年が初めてだった。
もっとも、筆者は幕末という時代に正直あまり明るくなく、そちらも勉強せねばと思いつつ何故か大きく興味を惹かれること無く今日まで投げ出したままである。
ちゃんと知識と理解があれば本当の意味で楽しめる場所なのだろうが、先の通りなので無難に景色を楽しむ散策という程度の記録でご勘弁願いたい。
▼2009年5月
当然、高所から眺めなければその形状は掴めないので、まず五稜郭タワーに上って見る。
とはいえ、現在はGoogleMapで手軽に見れるようにはなったが。
タワーは子供の頃にも上った記憶があるのだが、現在のタワーは2006年に新築されているらしいので当時は旧タワーの方だったようだ。
築3年程度だけあって綺麗な建物だった。

中程の大きな倉庫のようなものは、2009年当時は箱館奉行所の復元工事を行っており、その囲いである。








外周を1周出来るらしいが中々の運動になりそうだ。








美しい五芒星の稜郭だが、蘭学を修めていたということで測量技術もこの頃は高度なものになっていたのだろう。
お顔の部分だけ光沢があるのは、撫でると頭が良くなるという謂れがあるからで、修学旅行生などももれなく触れていくからだそうで。

▼2021年5月
上記から10年あまり経った。
この時の目的は個人的な調べ物のために函館市中央図書館を訪れたが、五稜郭がすぐ側なので散策をかねて立ち寄った。復元済みの箱館奉行所も見たかった。



襖を開け放った大広間は圧巻。掛け軸の座敷や詰め所に当時の役人の勤務を想像する。
歴史資料のパネル展示もある。役人の名簿に見覚えある人物の名前 を見つけたりと、個人的にも興味深かった。

太鼓の背後が梯子階段になるのだろうが、傾斜が厳しそうだ。

櫓上から港湾を見渡したり、時刻を知らせたりしたが、箱館戦争時には標的にされたりもしたらしい。













「あじさい」でラーメンをと思ったが、店内階段で行列が出来ていたので隣の「ラッキーピエロ」にした。
やはりラッピは函館に来たら食べてしまう。
一周歩き倒すつもりだったが、なかなか広いのと通行止めもあって踏破出来なかった。
北海道史の大舞台となった場所だが、今では観光客も地元民も訪れる歴史と憩いの場所になっている。
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#公園 #花 #碑 #古建築 #飲食
2024年9月22日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
カフェ&ダイニング アンジェラ
カフェ&ダイニング アンジェラ
こちらのお店も苫小牧では老舗になりつつある。個人的なことだが高校卒業後くらいの頃(ここも記憶が曖昧だ)にオープンし、互いに社会人に成りたての友人らとよく利用していたカフェだ。
カフェとはいえ、イタリアンやライス付きのメニューなども取り揃えてあるダイニングレストランでもある。パフェやワッフル等のデザートもあり、どれを注文しても外れなく美味しかった。外装はレンガ壁で、内装も広く席数も多めの、おしゃれな、いわゆる女子会に合う雰囲気だ。
この近辺に以前暮らしていたことがあるのだが、その時は入口横の数段下りた窓際のカウンター席(写真上)で景色を眺めつつ書き物をしながらお茶をさせてもらっていたこともある。一人でも利用しやすいのはありがたい。
以前は夜0時近くまで営業し、お酒のメニューもあったように記憶しているが、今は夕方には閉店してしまうようだ。
最近経営者も変わったようで、メニューにも若干変化はあるが内装などは大きく変化はないようだ。
Cafe & Dining Angera
パフェを食べられるお店が近年はぐっと減ったように感じる。食べたい時に探してもチェーン店の他には意外と見つからないため、こちらのお店は貴重かも知れない。出来れば夜も営業していただきたいが、コロナ禍もあったため仕方のない部分もあるだろうか。
数年前、夜に営業していた頃に訪れた時のもの。

一人だったため、お気に入りの窓際カウンター席に座ろうとすると、寒いですからとすぐ後ろのテーブル席を案内して下さり、親切にしていただいた。
この時は冬だった。
また、久々にパフェをいただきに訪れたい。
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#飲食
2024年9月21日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
ジョイランド樽前跡③ シロクマ舎編
ジョイランド樽前跡③ シロクマ舎編ジョイランド樽前跡② コテージ群編より

ジョイランドの見どころは、もう一つ、この白熊牧場だった。
開園の1979年にオープンし、登別クマ牧場と並ぶようなシロクマ(ホッキョクグマ)の繁殖基地にすべく、オープン時は30頭飼育されていたようだ。しかし、1985年には飼育数4頭となっており、他へ移動や輸出の可能性もあるが、他動物の大量死もあったことから気候や環境が合わず命を落とした個体もいたものと思われる。
白熊牧場跡は、レストラン跡や駐車場跡からは離れた位置にひっそりと残されていた。以前は営業当時の様子が窺えるシロクマの畜舎棟も残っていたようだが、2019年4月の探訪時には既に建物は無く、どうやら解体されてしまったようだ。火災による延焼は免れているが、焼けたレストランや温泉棟の解体後にこちらもあえなく解体となったらしい。残っていたのは、畜舎の壁、アオコにまみれた人工池と擁壁、コンクリート製の岩山くらいであった。





















ほぼ更地に近い状態だったので生々しさはさほど感じられなかったが、来歴を知ると、生き物で商売をすることの難しさと業の深さを感じずにはいられない。当時はまだ比較的動物に対する福祉の概念や生命倫理が緩かったとはいえ。
当時、此処で犠牲になった動物たちの碑もあると聞き、探してみた。
これでこちらの探索は締めにしようと思った。

驚くことに、色褪せていない真新しい造花が献花されていた。お参りが時折あるのだろうか。

年月は流れ、世代も変わればここに動物園があったことも人々の記憶から忘れ去られるのかも知れないが。同じ轍を踏むことの無いよう、心霊云々関係なしにどういったことが起こったのかは知っておくべきだろう。
せめて動物たちの眠りが安らかであることを祈りたい。
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ジョイランド樽前跡①
ジョイランド樽前跡② コテージ群編
#廃
函館山から
函館山から2009年に訪れた時の函館山からの夜景の写真を上げようとしたのだが、当時のコンデジでは画質に難があったためか処分してしまったようだ。
前ブログからインポートするまでもないクオリティなので、2019年に撮ったもののみ上げてみる。ちなみに夜景ではなく昼間の撮影だが、これはこれで良い景色だった。
また行く機会があれば、再度夜景撮影に挑戦してみたいと思う。
しかし2009年の時は5月だったが、強風と霧で中々厳しい見物だったのと、大勢の見物客の中で三脚を立てなければならないと思うと若干億劫である。昨今のインバウンドの状況だと尚更。もう少し落ち着いたら(落ち着くことがいいことなのかはわからないが)、周りの戦跡等に関しては未見なのでそれらも含めて足を運びたいとは思っている。
「伊能忠敬北海道最初の測量地」こちらも目的の一つであった。伊能の測量事業は北海道(蝦夷地)から始まっている。第一次測量として箱館山を基点とし、ニシベツ(別海町辺り)まで実測した。
伊能ら測量隊が蝦夷地に渡る際、道南福島町吉岡の上陸地点から箱館までも測量を行っていることから、近年は最初の測量地は吉岡としており、新たに銅像が建てられたのでそちらも見に行きたい。
函館山は戦前は軍の要塞だったため、立ち入りや山に向かってカメラを向けたりスケッチすら禁止されていた歴史もあるが、山頂からこのように眺めることが出来る今の時代はなんと自由で有り難いことかと思う。逆に、そのような制限が自然保護の役割を果たしていたというのも考えさせられることではある。
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#碑