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二十間道路桜並木
二十間道路桜並木最初に訪れた時の失敗が妙に思い出深く、記憶に残り続けて馴染みの名所になる。ここは筆者にとってはそんな場所である。
かつての御料牧場の中央道路に、皇族が視察する際の行啓道路として桜を植樹したのがここの桜並木の始まりである。幅が二十間(1間約1.82m*20=約36m)あったことから二十間道路と呼ばれるようになった。桜はエゾヤマザクラが7割を占め、毎年4月下旬〜5月上旬の満開時には圧巻の桜の並木道となる。本州のソメイヨシノと比べるとヤマザクラは葉も目立ち、またここでは松の木と混在するため、緑とのコントラストを楽しむ形となる。そのため意外と撮影が難しいかもしれないが。
初訪は2007年、桜を目当てに名所に行ったことがないことに気づき、近郊の有名な場所はといえばと静内へクルマを走らせた。
静内と言ったが、この前年に静内町と三石町が合併して新ひだか町となっている。「静内二十間道路」「しずない桜まつり」の呼称が馴染み深いため、未だにこちらのことは静内と呼んでしまう。現在でも字名として呼ばれているため間違いではないのだが。
二十間道路エントランスのトイレ併設の駐車場に停め、そこで咲いていた桜を堪能しつつ、そのまま散歩がてらまつり会場まで行けるかと延々と歩き続け、ついには3km程でようやく会場に着き、結果往復7km程歩いてしまった。当然会場近くには道路脇に駐車スペースが設けられているため、特に歩く必要は無かったのだが、ウォーキング目当てでもなく、しかも足元はミュールという出で立ちの如何にも無鉄砲の無知無謀さであった。当然足は痛み、運動不足もあって体はガタガタ、若さ故(すでにさほど若くもなかったので年甲斐もなく)出来た無茶である。せめてスニーカーだったら問題無かっただろうが、当時は洒落っ気がまだ残っており「ヒールのない靴は靴ではない!」と内心豪語していたのである。
誰しもビギナーの時期はあるとはいえ、今思えば我ながら愚かしい。崩壊寸前の足を引きずり、そのあとレ・コードの湯に寄ってヒーヒー言いつつ湯に浸かり、露天風呂から馬を眺めたことも今や懐かしい。
そんな初の二十間道路は散々であったが、以降GWの予定が空く度に赴くようになった。近年は主に母のリクエストにより筆者がハンドルを握り連れて行くという、ほぼ毎年定番の花見スポットとなっている。
▼2007年5月
問題のミュールウォーキングとなった初訪時。
さくら名所100選の地。静内町だった当時のもの。
日本の道100選の一でもある。
エントランス駐車場からこれらの碑を見て、歩き始める。
馬産地のため、周りは厩舎や牧場になる。
桜越しに見える馬の姿がのどかだ(事故防止のため柵には近づかないこと)。
かなりの老木に見える。これでも咲き続ける生命力に感嘆する。
緑からピンクのグラデーションは、北国ならではかも知れない。
てくてくと歩きつつ、初めての景色なので夢中になる。
桜を間近でちゃんと見たのも初めてかも知れない。
色褪せた道100選の看板。ほとんどがクルマやバスで通り過ぎるため、歩く人はまず居ないと思われる。
遠目にはスカスカに見えても、密に咲いている木も結構ある。
まつり会場は人が多いので、こうやって歩くとゆっくり堪能出来た。
が、距離は長いのでウォーキングしたい方以外にはおすすめはしない。
▼2009年5月
この年は母が行きたがったので、連れて行った。
例年より開花が遅かったようで、まつりはGW明けから5月中旬まで開催されていたようだ。
案の定渋滞だったので、並び待ちで車窓から眺めていた並木。
数百m間隔でトイレが設置されていたが、エントランス駐車場の綺麗なトイレもあるため需要は謎だった。現在は板張りされ封鎖されている。
見事な枝振りの木もある。
道100選の看板が綺麗にリニューアルされていた。
▼2018年5月5日
その間何度か訪れた年もあったが、行き慣れるとさほど撮影はしなくなる。
この時には一眼で撮っていたため、例年よりも綺麗に撮りたかった。
ホワイトバランスやソフトフォーカスなど、設定を色々弄って撮影に専念した。
機械のおかげが大きいが、上達はしたのだろうか。
▼2022年5月4日
この時はスマホだけにしている。
この頃の体調のせいか、一眼が重く感じられて、持ち歩くのが地味に苦痛な時期だった。
桜のトンネルの終点地点。まつり露店の終点地点でもある。
この先は農場になるため立入禁止。
露店の様子。新型コロナの影響で遠のいた客足も徐々に戻りつつある頃。
油そばだったか、食事用の席が少なく空きがなかったため、車内でいただく。
▼2024年5月1日
今年も訪れた。持っていた単焦点レンズを使いこなそうと、それ縛りで撮ってみた。
色合いがくっきりしている。彩度が強い。
今年は開花が早く、まつりもきっかりGW期間中の開催だった。最終日が5月3日。
桜並木どっとこむ の記録によると、ここ数年開花は早まっているようだ(まつりも開花に合わせて開催される)。
今年もクルマに持ち込みで。焼きおにぎり。
つぶ焼き(というかボイル)は実はここに来た時には必ず食べている。何故だか食べたくなる。
エントランス駐車場に立ち寄ってトイレタイム。
駐車場に隣接するのは、「桜舞馬公園(オウマイホースパーク)」。歴代の名馬が眠る墓地公園となっている。
そのような名前の公園だったとは、今年初めて知った。Oh!
競馬やお馬さん自体に詳しいわけではないのだが、やはりこういう場所は神妙になる。
単焦点の雰囲気が、気に入りつつある。
こうして見ると、撮影(方法)の変遷を見ているようで、我ながら興味深い。
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#花 #イベント #飲食 #公園
龍雲閣
龍雲閣二十間道路桜並木>>18の終点に位置する、御料牧場時代に建築された貴賓舎である。
御料馬を生産し、日露戦争にも軍馬として供出したこの牧場には、皇族などの高位高官が訪れることが多かったため、当時の韓国皇太子が臨場するのを機会に、前年の明治41年に客舎の建築に取り掛かった。翌年完成し、以後は歴代の皇族方や、近年では平成18年に現上皇・上皇后も臨場されている。
一部が二階建ての御殿造となっている。元々は楢の柾葺屋根だったそうだが、昭和47年に修復された際には後の耐久性も考慮して銅板葺としたらしい。
柾葺は北海道では開拓期の家屋によく見られ、エゾマツなどの針葉樹が使われていたが、手間もかかる上寒冷地では耐久性に乏しいため、昭和に入ってからはトタン葺に取って代わられ、今では滅多に見ることがない。薄くした木の皮を張り瓦のように葺いていく手法で、古い家屋の解体でトタン屋根を剥がすと、下に柾葺が現れることもしばしばあるようだ。
この龍雲閣は、桜まつりの期間のみ一般公開されている。見学料は無料。
訪れたのは2012年、この時は母を連れていたので共に見学したが、スタッフの方が建築の説明をし、柾葺の話になると母が反応し上のような会話を交わしていたのを思い出した。母は昭和20年代の戦後の生まれだが、当時はまだ柾葺が見られた時代だったようだ。
見学者の出入りが多く混雑していたため、内部の撮影は控えたが、1階部分には記念館的に食器類や馬具など生活の備品、旧式のカメラ等ゆかりの品、伊藤博文揮毫の書も展示されている。現在も有志により保存活動が進められている。
入れ代わり立ち代わり見学者が訪れる。靴を脱いで上がる。
※一部加工しています
2階廊下から。小さな社が見える。生馬神社といい、御料牧場の神社である。
御料牧場の旧事務所。牧場は現在、家畜改良センター新冠牧場となっている。大正9年築で昭和44年までは使用されていた。
こちらも屋根を一部改築しているらしいが、窓の造形はモダンで味わいがある。こちらの建物も保存活動の対象となっている。
木の廊下が美しいが、北の環境では木造建築は劣化も早く、保存が大変そうだ。
井戸だろうか。詳細は不明。
内部も見学出来る貴重な歴史的建造物である。老朽で見られなくなることも可能性としては有り得るため、花見と共にこちらも是非見られたし。
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#古建築