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天使の聖母 トラピスチヌ修道院
天使の聖母 トラピスチヌ修道院2009年の記録である。
アーチ橋>>30を見た後に函館市街地へ。しかし観光できる施設やお店の開店には若干早い時間だったため、以前家族旅行で足を運んだことのあるこちらへ立ち寄った。
ちょうど開館の時間だったらしく、他にも観光客が多く少々賑やかだったが、修道女たちの生活の場でもあるため、奥の庭園では静粛を求められる。見学出来るのは修道院の前庭と建物の外観、資料館、売店のみで、当然ながら修道院の建物には立ち入れない。
しかし、綺麗に整えられた庭園と異国情緒にあふれた建物、神秘的な信仰の生活を想うと、心が洗われる気持ちになる。宗教施設というものは、その信者でなくとも何処か厳粛な気分になるものだ。
トラピスチヌ修道院は、日本初のカトリック観想女子修道院として、1898年(明治31)に設立された。観想修道院とは、修道院の中で祈り(観想)や労働の生活に徹する修道会の修道院で、これに対しては活動修道院もあり、そちらは祈りの生活に加え、教育・福祉等の分野で広く活動し宣教も行う修道会の修道院である。トラピスチヌの厳律シトー会は、観想修道会にあたるため、観想修道院となる。
近郊の北斗市には同じく厳律シトー会のトラピスト修道院があり、そちらは男子修道院である。
こちらの重厚な門は関係者の入口と思われる。一般の見学者の入口は通りに面した円形の門になる。
「厳律シトー会天使の聖母トラピスチヌ修道院」
天使の聖母トラピスチヌ修道院は、明治31(1898)年、フランスのウプシーにある修道院から8名の修道女が来たのが始まりである。キリスト教伝導のためには、修道院の精神的援助が必要であると、函館教区長ベルリオーズ司教が要請していたものであった。
草創期の修道女たちの生活は困難を極め、それを見かねたフランスから、引き揚げが伝えられるほどであった。
現在の建物は大部分が大正14(1925)年の火災後、昭和2(1927)年に再建されたものである。
函館市
門をくぐると現れる大天使聖ミカエルの像。
昔(30年くらい前)の家族旅行で訪れた時は、白ベースで色塗装を施されていた記憶がある。こちらとは別の像だったのかも知れないが。
ザビエルが薩摩藩主から宣教許可を得た日がちょうど聖ミカエルの祝日だったことから、聖ミカエルを日本の保護者として宣教に取り組んだのだそうだ。
慈しみの聖母マリア像。
多くの人が想う理想の慈母像なのかも知れない。
「ここから先は、静粛に」の看板。
団体ツアーなのか、行列を作っていた。
修道院受付の建物。
ルルドのマリアと、聖ベルナデッタの奇跡。
盆栽のような松の木に、和洋折衷の趣を感じる。
聖テレジアの像。抱いているのはバラで飾られた十字架。
ドーム型の丸みを帯びた建物は聖堂。その壁の像はジャンヌ・ダルク像。よく見ると剣と旗を持っている。
ジャンヌ・ダルクは修道女のシンボルなのだそうだ。
風見鶏のある聖堂の塔は鐘楼。祈りや仕事の時間に鳴らされ、学校のチャイムのような役割をしている。
修道女の生活は朝の起床が3時30分、就寝が19時45分。3回の食事と主に祈りと読書、労働で一日が構成される。実にストイックな生活だ。起床と就寝に関しては入院生活よりも厳しい…が睡眠時間が7時間は取れるので健康的ではある(夜更かし民の戯言)。
売店のマダレナケーキとクッキーは実際に修道女の方たちがこちらで作っているものだ。
トラピスト修道院のトラピストクッキーも有名だが、どちらも美味しい。
隣の市民の森の桜が八重咲きで、5月下旬で満開だった。
ポンポン状の八重桜が祝福してくれているようだ。手毬のようで可愛らしい。
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#花 #古建築
旧戸井線アーチ橋
旧戸井線アーチ橋旧戸井線は1936年(昭和11)に着工。当時、汐首岬砲台建設が計画されたため、物資や人員輸送を目的とした鉄道路線を敷くべく建設された。
1944年(昭和19)に全線開通を目指し、五稜郭から湯の川を経由し、戸井までの全長29.2kmが計画されていたが、戦局の悪化と資材不足により前年の1943年(昭和18)に工事を中断、戸井までの約3km区間を残し未成のままに終わった幻の路線である。
区間にはアーチ橋もいくつか建設され残されたが、戦時中の資材不足による粗悪な施工といわれ、加えて経年劣化により、近年解体の情報も出ていた。
2009年に恵山の道の駅>>29から函館市街地に向かう際に見たのが初である。道の駅の案内板に記されており、この頃からアーチ橋などの土木遺産に興味があったため、見てみようと注意しつつ走っていると右手に美しいアーチを捉えることが出来た。
▼2009年5月
瀬田来町の蓬内川に架かるアーチ橋。蓬内(よもぎない)橋という。
手前の斜面に作られた石段と鳥居など、立体的な集落の造形も魅力に映る。
橋を近くで見るため、石段を上る。神社の参道となっているようだ。
鳥居をくぐると間近に橋の姿が。橋をくぐった先に何があるのか、こういう集落の細道に興味をそそられる。
ちなみにここは参道のため、この先は瀬田来神社に繋がる。元禄時代の創建と伝えられる、小集落の歴史ある社だ。
戦時の鉄不足の中の施工だったので、鉄筋は使われず木筋や竹筋が用いられたと言われていた。詳細は後述する。
表面の劣化は見られるが、素人目にはまだまだ丈夫そうではある。
橋の上部がどうなっているかも気にはなったが、取り急ぎの見物のため上に出る道まで探せなかった。
ここはもともと蓬内川橋梁といい、撮影時は地区の生活路として橋上部は函館の市道となっていた。
瀬田来地区からしばらく進むと、汐首岬と灯台のすぐ近くに別の立派なアーチが現れた。汐首岬第一陸橋(汐首陸橋)といい、こちらは8連ある。
蓬内橋と同じく、1941年頃竣工のコンクリートアーチ橋である。造形が美しい。しかしここに限らないが、この時代の土木建造物は朝鮮人労働者の徴用やタコ部屋労働の産物であることが多いため、留意が必要だ。
こちらは特に道路橋などに転用されずにきているらしい。
直ぐ側には人家があるため、うろつくのは程々にしたがいつまでも見ていたい造形だった。
▼2012年7月
道の駅スタンプラリー時に、函館から恵山の道の駅へ向かう道すがら気になって寄ってみた。
汐首陸橋は、夏場で木々がこんもりと茂っていたため、電線がなければ山中に眠る橋の様相だったが、変わらず立ち続けていた。3年前と比べて目立った傷みは見られない。
蓬内橋にも寄った。鳥居も変わらずそこにあった。
しかし、こちらの蓬内橋は、この翌年2013年に老朽化を理由に解体され、2014年に新しい橋に架け替えられた。
解体工事の際、竹筋が使用されていると言われていたコンクリート製の内部を調べたところ、補強のない無筋コンクリートだったことが判明し、強度は現在の基準を上回っていたという。
旧戸井線遺構「蓬内橋」、無筋コンクリ製だった(函館新聞2013/3/27)
これは大変興味深い。戦時中の建造物は材料が粗悪だと言われるが、その分を工法で補っていたのだろうか。
旧戸井線の路線跡は湯の川方面の市街地にもあり、緑園通りといい遊歩道やサイクリングロードに転用されているが、そちらに残っていた小型のアーチ橋も道路整備のため取り壊されているらしい。
いずれは汐首陸橋も取り壊される運命にありそうだ。
アーチが見られなくなるのは残念だが、生活の場が近くにあれば安全面には代えられないだろう。
戦前の歴史を物語る遺構が少しずつ、姿を消してゆく。
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#古建築 #橋梁 #廃 #戦跡
道の駅 なとわ・えさん
道の駅 なとわ・えさん▼2009年5月
函館ドライブの際に、こちらで車中泊させてもらった。初訪である。
函館市街地からはかなり距離があり、しかもその翌日再び市街地へ戻るつもりだったため往復走らなければならなかったが、結局車内で寝るには道の駅が無難との結論になった。ちなみにこの時は友人と来ていたため、軽自動車の狭い車内で2人で寝ることに。
今思えば無茶なことをしているし、仲の良い間柄だったとはいえ申し訳ないことをした。体力も気力もまだ十二分にあったから堪えられたが、ある意味これこそ冒険だったかも知れない。無職の暇人に付き合ってくれた友人には今更ながら感謝である。
元は恵山町という町だったが、2004年に近隣の戸井町、椴法華村、南茅部町と共に函館市に編入された。
「なとわ」とは、道南方言で「あなたとわたし」という意味。
すぐ背後には海があり、波の音を聞きながら寝入った。
早朝に軽く散歩し、施設開館前に出発したため静かな時を過ごした。
▼2012年7月
道の駅スタンプラリーを始めたため、再訪。
シーズン中だったため、ツーリング客などもいて賑わっていた。施設の外壁の塗装が綺麗になっていた。
がごめ昆布ラーメン、ちょっと気になる。
施設の外階段を上ると展望台になっており、恵山を望むことが出来る。
砂浜と静かな波打ち際、優しい海の風景。
▼2016年9月
知人らと近辺を探索するため、待ち合わせ場所がここだった。それぞれそれなりに遠方から、しかも日帰りだったため、まだこの頃は体力があった。意気投合するとノリと勢いで中々な無茶をしがちだが、それもまた楽しいと思える頃だった。
時計をよく見てみると、もう少しで暮れるという時間なのがツッコミどころ満載だ。この後に探索をしたので、まあよく無事で帰ってこれたものだ。
2度目のスタンプラリーの最中だったので、ついでにスタンプも押した。
なにかしら名物っぽいものを食べてみようと、昆布ソフトを注文して皆でつついて食べた。
塩っ気があってほのかに昆布味だが美味しかった。塩バニラほんのり昆布出汁味といったところか。
一人一つずつではないのは、行きがけにちょこちょこ食べて空腹ではなかったのと、やはり味がハズレだった場合の保険もあったが(笑)
オススメ出来る一品である。
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#飲食 #海 #道の駅
函館山から
函館山から2009年に訪れた時の函館山からの夜景の写真を上げようとしたのだが、当時のコンデジでは画質に難があったためか処分してしまったようだ。
前ブログからインポートするまでもないクオリティなので、2019年に撮ったもののみ上げてみる。ちなみに夜景ではなく昼間の撮影だが、これはこれで良い景色だった。
また行く機会があれば、再度夜景撮影に挑戦してみたいと思う。
しかし2009年の時は5月だったが、強風と霧で中々厳しい見物だったのと、大勢の見物客の中で三脚を立てなければならないと思うと若干億劫である。昨今のインバウンドの状況だと尚更。もう少し落ち着いたら(落ち着くことがいいことなのかはわからないが)、周りの戦跡等に関しては未見なのでそれらも含めて足を運びたいとは思っている。
展望台の外壁に掲げられたレリーフ。
「伊能忠敬北海道最初の測量地」こちらも目的の一つであった。伊能の測量事業は北海道(蝦夷地)から始まっている。第一次測量として箱館山を基点とし、ニシベツ(別海町辺り)まで実測した。
伊能ら測量隊が蝦夷地に渡る際、道南福島町吉岡の上陸地点から箱館までも測量を行っていることから、近年は最初の測量地は吉岡としており、新たに銅像が建てられたのでそちらも見に行きたい。
あの函館夜景の昼の姿。よく渡島半島の細い部分と間違われる地形である(笑)。
どつくと緑の島方面。山頂への車道も見える。
元町周辺。緑も相まってカラフルな街並み。
海岸の波打ち際の動きを見ると、地球の息吹を感じる。
元町の寺院や教会などのレトロな建物群。ジオラマのよう。
坂から道路が伸びてゆく様も興味深い。
右下に護国神社の鳥居があり、神社坂が伸びてゆく。先程歩いた場所>>27を俯瞰で見れるのは面白い。
函館山は戦前は軍の要塞だったため、立ち入りや山に向かってカメラを向けたりスケッチすら禁止されていた歴史もあるが、山頂からこのように眺めることが出来る今の時代はなんと自由で有り難いことかと思う。逆に、そのような制限が自然保護の役割を果たしていたというのも考えさせられることではある。
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#碑
茶房 菊泉
茶房 菊泉函館元町にある古民家カフェである。
初訪は2009年、元町散歩>>27の締めくくり、帰路につく前に何か食べたいと、古き良き雰囲気の家屋に引き寄せられるように入店するとそこが茶房菊泉で、大当たりの素敵なお店だった。
入口には「大正10年築の酒問屋の別宅跡をほぼ昔のままの姿で喫茶店として利用しています」とある。旧酒問屋の主人とその家族の住居として建てられ、1990年(平成2)までは使用されていたが、函館市の伝統的建造物 に指定されたのをきっかけにリノベーションし、2005年から喫茶店として営業を始めたそうだ。
茶房菊泉
近年某アニメの聖地としても話題となっているが、2023年に一旦閉店し現在は運営者が変わってメニューも一新、当記事に掲載のものは提供されていない。内装も変化しているようなので留意いただきたい。当時のメニューは、前運営者が隣の店舗へ移転して提供しており、甘味や看板メニューのくじら汁もそちらで頂けるようにはなっているらしい。
個人的にはあの古民家の雰囲気でいただくお茶や甘味が好きだったので、少し残念ではあるのだが、本来の菊泉別邸の建物と雰囲気がこれからも残っていってほしいと思う。
▼2009年5月
初探訪。昔の茶屋のような趣もある、古民家カフェ。
続き間の和風建築。襖を開け放った大広間にちゃぶ台の座敷席を設けてある。色とりどりの座布団と、吊り雛飾りが可愛らしい。
中心部に囲炉裏が切られている。ぶら下がる鉄瓶、奥の船箪笥様の家具が味わい深い。
いわゆる「おばあちゃん家に来たような懐かしさ」を感じる。そのような家の匂いは古い日本家屋に共通のものだが、なんの匂いなのだろうか。畳や木材、囲炉裏やストーブの火種、襖や着物の繊維質などが混合されたような独特の「昔」の匂い。
火鉢とアンティークなプレイヤーなど、目に映るものすべてが素敵だ。
奥の窓際テーブル席に案内してもらった。
天井取り付けの笠付電灯。模様が良い…
やはり甘味をいただきたいと、お抹茶のデザートセット。
黒ごまアイスとあんみつ、スイートポテトの盛り合わせで、結構満たされた記憶。白玉団子はとうふ白玉。
友人が注文した、季節のパフェ。5月だったので、桜モチーフのパフェらしい。
フルーツたっぷりと、白玉で模られた桜が可愛い。アイスは同じくごまアイス。こちらも美味しそうで目移りしそう。
窓からの景色。坂の街の眺めに、牡丹のような大輪の花がアクセントになっている。
▼2019年5月
再訪が10年後とは、遠方だから仕方ないがかなり開いてしまったものだ。
元町に来たなら、やはりあの時のお店という感じで来てみた。ちょうどお茶休憩もしたかった。
この10年の間に、某アニメの舞台にもなったらしく、聖地巡りスポットとしてポスターが張られていたり、グッズも販売されていたりで目当てと思われる客の姿もあった。なんなら自分もその一人と思われていた可能性もある。
外観は変わらず味わいがある。松に隠れてしまったが、切妻の上部に酒問屋時代の酒樽の看板が掲げられている。
隣の青い建物は当時は別の喫茶店だったが、現在はそちらに元の菊泉の運営が移転し元(当記事写真)のメニューを提供している。ちなみにそちらの建物も函館市の伝統的建造物となっている。
調度品が素敵だ。木彫りの熊もあった。
囲炉裏や火鉢だけでは北の冬は厳しそうだが、こういうものに情緒を感じる自分はやはり日本人なのだなと思わされる。
デザートセットのお抹茶と、やっぱり前回と同じものを注文してしまった。スイートポテトは別の器の出来立て感が良かった。
くじら汁も気になったが、春の陽気の中歩き回ると暑くなるのでやっぱり冷たいものが欲しくなる。
ちゃぶ台の上のけん玉などのおもちゃも遊び心がある。
次訪れることがあった場合、古民家の菊泉の方と、元のメニューを提供してくれるお隣との2軒のハシゴは時間的にも金銭的にも正直辛いので、どちらを選ぶかは悩みどころだ。新メニューの、自分で焼くお団子セットも気になるのでまた菊泉を選びそうな気はするが。
好きだったお店を悩むことなく気楽に利用したいと思うのは、やはり今日においては贅沢なことなのだろうか…
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#飲食 #古建築