函館・元町方面と坂さんぽ 函館・元町方面と坂さんぽ小樽、室蘭、そして函館など、坂の街に対する憧れがある。生まれ育ちが平地の街だからというのもあるが、立体的に展開する街並みに人の活動や暮らしの息吹をより近く感じるような気がする。この斜面をよく拓いたな、という驚嘆もある。しかしそんな感慨は、平地の少ない土地に産業が出来、そこに人が集まればそうせざるを得なかったという事情が土台にあって成立する。特にそう古くない時代に安住の地や新天地をもとめて流れ着いた人々の多い北国の歴史上、そのような性質が色濃い。続きを読む坂の街の暮らしの実際は、やはり行き来に大変骨が折れ、特にクルマを持たない世帯や高齢者、また冬期の積雪や凍結ともなれば危険を伴う。筆者の親戚が室蘭の坂の街住まいなのだが、以前そのようなことを漏らしていたのを聞いた。憧れというものは所詮無いものねだりではあるのだが、それを承知でもやはり視界に立ちはだかったり、眼下に広がる街並みの景色には惹かれてしまう。函館はその地形から港湾都市や要塞都市として開かれたが、そんな歴史要素が色濃い元町周辺は、傾斜を利用した景観が言うまでもなく美しい。▼2009年5月小さい写真は、おそらくコンデジの電池切れで苦し紛れにケータイ(当時はスマホではない)で撮影したものだろう(掲載は撮影順ではない)。函館の街をちゃんと見て歩いたのはこれが最初だったが、電池切れになるまで歩き回ったということは楽しいものであったのだろう。自分ごとではあるのだが、とても何よりである。元町公園から眺める旧函館区公会堂。バックに函館山。公会堂のバルコニーから望む街と港。入館料必要。筆者は利用していないが貸衣装で撮影も出来る。内部も見学したが生憎写真が残っていない。前日の夜に訪れていた。ライトアップがされており色合いも把握出来た。パステル調だが洋館らしい大胆な配色。最近補修されたらしく、この当時より色が濃い目になった感じがする。明治40年の大火で区民の集会所も焼失したため、地元の豪商相馬氏が大金を寄付し、1910年(明治43)に建てられた。豪奢で装飾のディテールも細かい。このすぐそばに旧相馬家住宅も残されている。基坂は元町公園正面から延びる坂。里数を測るための里程元標が立ったことからこの名がついた。ここから東に進み、坂を見ていく。「チャチャ」はアイヌ語で老爺の意味。おじいさんのように体を曲げて登るような急坂からついた名。左側に見えるのは聖ヨハネ教会。日本最古のコンクリート電柱。四角柱(四角錐?)の珍しい電柱。1923年(大正12)建築。おなじみハセスト。やきとり弁当は有名だけど、クルマで来てしまうと食べるための駐車場所に悩むのでなかなか手を出せない。新島襄の銅像。ここから小舟を漕ぎ出してアメリカの商船に乗り込み、密出国に成功しのちに同志社大学の創始者となった。鎖国の時代に外の世界に関心を持って飛び出した偉人は多い。旧函館どつく。この赤白のクレーンは「ゴライアスクレーン」といい、この翌月に撤去されてしまったらしい。▼2019年5月市立函館博物館で見たかった展示が開催されていたため訪れた。ちなみに展示は『描かれたアイヌ』。和人の手により描かれてきたアイヌ民族を主題にした絵画作品の展示であった。せっかくここまで来たので、久々に街歩きと決め込んだ。初めて訪れた函館公園。「こどものくに」の日本最古の観覧車は小ぶりで可愛いかった。とても懐かしさを感じる遊園地で、多くの子供連れで賑わっていた。護国神社坂。背後に神社と大鳥居がある。二十間坂。この先に五島軒本店、更に行くと左手側に最古のコンクリート電柱がある。市電通り。企業の建物だが、素敵なレトロ感。もう一つの目的は、北方民族資料館だった。旧日本銀行函館支店の建物を利用した北方民族関連の展示施設だが見応えは凄い。児玉コレクションには思うところはあるが…蝦夷錦の実物が見れたのは個人的に嬉しかった。写真はロビーで歓迎してくれるコロポックル。元町公園横の坂。元町周辺にとって函館山はランドマークである。洒落たカラフルさが目に楽しい家屋。函館の坂でもっとも有名であろう場所。八幡坂の天辺から。「チャーミーグリーン」と言って分かってくれる方も少なくなってきただろうか。海の見える坂の風景は、やはりなんとも言えない風情がある。畳む#公園 #古建築 #文化施設 いいね ありがとうございます! 2024.9.27(Fri) 01:33:14 道南,函館
函館・元町方面と坂さんぽ
函館・元町方面と坂さんぽ小樽、室蘭、そして函館など、坂の街に対する憧れがある。
生まれ育ちが平地の街だからというのもあるが、立体的に展開する街並みに人の活動や暮らしの息吹をより近く感じるような気がする。この斜面をよく拓いたな、という驚嘆もある。
しかしそんな感慨は、平地の少ない土地に産業が出来、そこに人が集まればそうせざるを得なかったという事情が土台にあって成立する。特にそう古くない時代に安住の地や新天地をもとめて流れ着いた人々の多い北国の歴史上、そのような性質が色濃い。
坂の街の暮らしの実際は、やはり行き来に大変骨が折れ、特にクルマを持たない世帯や高齢者、また冬期の積雪や凍結ともなれば危険を伴う。筆者の親戚が室蘭の坂の街住まいなのだが、以前そのようなことを漏らしていたのを聞いた。
憧れというものは所詮無いものねだりではあるのだが、それを承知でもやはり視界に立ちはだかったり、眼下に広がる街並みの景色には惹かれてしまう。
函館はその地形から港湾都市や要塞都市として開かれたが、そんな歴史要素が色濃い元町周辺は、傾斜を利用した景観が言うまでもなく美しい。
▼2009年5月
小さい写真は、おそらくコンデジの電池切れで苦し紛れにケータイ(当時はスマホではない)で撮影したものだろう(掲載は撮影順ではない)。
函館の街をちゃんと見て歩いたのはこれが最初だったが、電池切れになるまで歩き回ったということは楽しいものであったのだろう。自分ごとではあるのだが、とても何よりである。
元町公園から眺める旧函館区公会堂。バックに函館山。
公会堂のバルコニーから望む街と港。
入館料必要。筆者は利用していないが貸衣装で撮影も出来る。内部も見学したが生憎写真が残っていない。
前日の夜に訪れていた。ライトアップがされており色合いも把握出来た。
パステル調だが洋館らしい大胆な配色。最近補修されたらしく、この当時より色が濃い目になった感じがする。
明治40年の大火で区民の集会所も焼失したため、地元の豪商相馬氏が大金を寄付し、1910年(明治43)に建てられた。
豪奢で装飾のディテールも細かい。このすぐそばに旧相馬家住宅も残されている。
基坂は元町公園正面から延びる坂。里数を測るための里程元標が立ったことからこの名がついた。
ここから東に進み、坂を見ていく。
「チャチャ」はアイヌ語で老爺の意味。おじいさんのように体を曲げて登るような急坂からついた名。
左側に見えるのは聖ヨハネ教会。
日本最古のコンクリート電柱。
四角柱(四角錐?)の珍しい電柱。1923年(大正12)建築。
おなじみハセスト。
やきとり弁当は有名だけど、クルマで来てしまうと食べるための駐車場所に悩むのでなかなか手を出せない。
新島襄の銅像。
ここから小舟を漕ぎ出してアメリカの商船に乗り込み、密出国に成功しのちに同志社大学の創始者となった。
鎖国の時代に外の世界に関心を持って飛び出した偉人は多い。
旧函館どつく。
この赤白のクレーンは「ゴライアスクレーン」といい、この翌月に撤去されてしまったらしい。
▼2019年5月
市立函館博物館で見たかった展示が開催されていたため訪れた。ちなみに展示は『描かれたアイヌ』。和人の手により描かれてきたアイヌ民族を主題にした絵画作品の展示であった。
せっかくここまで来たので、久々に街歩きと決め込んだ。
初めて訪れた函館公園。「こどものくに」の日本最古の観覧車は小ぶりで可愛いかった。とても懐かしさを感じる遊園地で、多くの子供連れで賑わっていた。
護国神社坂。背後に神社と大鳥居がある。
二十間坂。この先に五島軒本店、更に行くと左手側に最古のコンクリート電柱がある。
市電通り。企業の建物だが、素敵なレトロ感。
もう一つの目的は、北方民族資料館だった。
旧日本銀行函館支店の建物を利用した北方民族関連の展示施設だが見応えは凄い。児玉コレクションには思うところはあるが…
蝦夷錦の実物が見れたのは個人的に嬉しかった。写真はロビーで歓迎してくれるコロポックル。
元町公園横の坂。元町周辺にとって函館山はランドマークである。
洒落たカラフルさが目に楽しい家屋。
函館の坂でもっとも有名であろう場所。八幡坂の天辺から。
「チャーミーグリーン」と言って分かってくれる方も少なくなってきただろうか。
海の見える坂の風景は、やはりなんとも言えない風情がある。
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#公園 #古建築 #文化施設