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スイーツから廃墟まで。北の国からお送りする日常ゆるゆる探検。2009年から始めた前ブログの記事を再編、移植しています


No.42

御前水の湧水

御前水の湧水

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鹿肉缶詰製造所跡>>41から更に東へ50m程行くと、明治天皇行幸の際に供したと言われる湧水がある。
こちらも2009年に訪れたものである。

明治天皇行幸記念碑(御前水)の由緒

 所在地 苫小牧市字美沢
 所有者 苫小牧市

 この史跡は明治14年9月3日 明治天皇行幸の際、御小休された箇所で往時、千歳、勇払の境をなす丘陵の道路に沿し湧水あり、良水なるをもって御膳に供され、尓後”御前水”と呼称されている。御巡幸当時は附近住民も開拓入地日浅く土着の基礎も不安定のため移転、離村する者後を絶たず聖跡も荒廃の一途を辿っていたが昭和4年6月、町費をもって記念碑を建て史跡として永遠に保護することとなった。碑文は北海道帝国大学総長男爵佐藤昌介博士の筆になる。

 昭和47年8月1日
 苫小牧市教育委員会

こちらの看板もリニューアルされ、現存しない。

新しい看板の方には、明治天皇行幸の行程が記されており興味深い。

開拓使10ヵ年計画が明治15年に終了するに伴い、ときの開拓使長官黒田清隆が明治天皇に視察を陳情し、北海道への行幸が行われた。
明治14年8月30日に小樽へ上陸、幌内鉄道で札幌へ向かい、開拓使庁(現・道庁)や農学校(現・北海道大学)を視察し、9月2日に千歳で一泊のち美々の缶詰製造所で休止、その際にここの井戸水が御膳に供されたとのこと。
その後はウトナイ、一本松、矢代町(旧樽前山神社があった)、宮前町で休止されたのち夕方には白老に発たれている。

これらは苫小牧市のホームページにも記載されている。
明治天皇行幸跡

202410220106161-admin.jpg昭和に入ってから建てられた碑。
行幸から日が経って明治17年に缶詰工場が廃止されてからは人の流出も激しかっただろうと思われ、顧みられることもなかったのかもしれない。

もっとも、建立当時は皇民化教育が活発だった時代ということもあり、皇室顕彰の一環として縁のあった地を保存する向きになったのだろうと思う。

202410220106162-admin.jpg元々は井戸だったという。地面から滲み出すように水が湛えられている。

202410220106163-admin.jpg水草も繁茂している。
透明度のある綺麗な水だが、現在は飲料水としては適さない水質らしく、飲用禁止の注意書きがある。

202410220106164-admin.jpg道路脇にぽつんと水場がある様は少し不思議な感じがするが、ここに人の営みがあった証でもある。
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#碑 #湧水

道央,苫小牧