2024年9月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
インクラの滝
インクラの滝
2006年の探訪記録である。
その頃から、駐車場近くの展望台から滝までは崖崩れのため立入禁止だった。現在どうなっているかを調べてみると、滝の少し手前に第二展望台が新設され、元々ある展望台を第一展望台としてそちらまでは行けるようになったらしいが、第二展望台から先、滝壺までは変わらず立入禁止となっているようだ。
白老の国道36号線沿い、小さな神社の脇に掲げられている「インクラの滝入口まで10km」の看板は昔から気になる存在だった。
日本の滝100選に選ばれていたためか知名度はあったと思うが、肝心の滝の姿は知らなかったので、カメラを手にして色々巡り始めたこの機会に行ってみようと調べてみると、やはり先の台風の影響で滝周辺が崩落したため、近づくことは出来ない、となっていた。
それでも一か八か、看板通りに道なりに進み、別々川沿いに途中ダートになる細道を延々と走ると、ようやく駐車スペースと展望台に到着した。
この時は、他にクルマが停まっており、先客が展望台の先に入っていくのが見えたため行けることを確信したが、既に夕方になっていたので仕切り直しで後日、友人を誘って再訪した。
展望台からの眺望は、目を凝らせばうっすら滝の姿を確認出来る程度だったため、やはり近づけるものなら間近で見たかったのだ。
川辺りの踏み跡をひたすらトレースし、右手に急峻な崖が迫る中、岩を乗り越え軽くアスレチックばりに40分程で目の前に姿を現した滝は、大きな直瀑で迫力があった。遠巻きに展望台から見た方が、景色に溶け込む滝全体の姿がわかりやすくていいのかも知れないが。
当時は皆普通に立ち入っていたが、自己責任の上で観賞していたようだ。我々も同じ形になったが、岩盤が脆く徐々に地形が変わっていることもあり、古い写真になるがそれなりに貴重な記録になるのかも知れない。
2006年当時の展望台。今では滝近くにも作られたため、こちらは第一展望台になる。眺望は遥か向こうにうっすらと滝の白い筋が見える程度だった。この時は日が沈みかけていたため、一旦帰宅し再訪することにした。
インクラの滝は、別々川にあるため元々は「別々の滝」と呼ばれていた。かつて一帯が御料林だったため、木材を伐り出すインクライン(運搬用ケーブルカー)が設置されていたことから「インクラの滝」と呼ばれるようになった。
遊歩道と呼べるような歩道はほぼ付いておらず、途中落石越えや渡渉になるので、長靴がベストかと思う。この日も、家族連れなどポツポツと訪れる人がおり、適度に賑やかだったため怖さはさほど無かった。

川沿いに、道なき道を行く。
砂防ダムが現れるが、端に行くと越えられる。

分岐もあるが、どちらを選んでも合流すると思われる。この時は川に近い方を選んだ。
落石の大岩が目立ってくる。
投棄された古いリヤカーらしき残骸。
片側の崖が迫ってくる。凝灰岩質(火山灰)の地質らしく、下部が砂岩のようで脆そうだ。
歩いている目の前に、蔓状の絡まった枝が阻んでくるのでくぐり抜ける。

ほぼ渡渉になってきた。道も無いのでこの岩を上って進むと、
木々と藪の向こうに滝の姿を捉えた。
藪の間に見える赤いものは、先を歩いていた他の人の服の色。滝の落差は44mほどあるらしい。

真っ直ぐに落ちる、見事な滝だ。
右側の絶壁の岩。顔のようにも見える。モアイか、ラシュモア山か…
滝壺周辺は落石だらけだったため、直下までは進まずここまでにした。

現在の滝の姿とはさほど変わりはないようだが、崩落の危険はこの先も続くと思われるので、大きく変わる時もやってくるかも知れない。
昔行きたかった場所が今は行けなかったり、消滅や変化した場所も多々あるため、記録することの重要性を強く思う。
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#滝 #河川
2024年8月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
苫小牧・緑ヶ丘公園
苫小牧・緑ヶ丘公園
かつて緑ヶ丘公園といえば、こちらのエリアのことを指していたと思う。
>>6で記したとおり、個人的には子供の頃はこちらの方が馴染みがあり、ジャンボ滑り台があることで有名だった。
当時、クルマや自転車だと支笏湖通からのアクセスが一般的だったが、高台に位置するため特に自転車だと往路の上り道がキツかった。小学生の頃の行事や、または友人数名で、バスや自転車で何度か訪れたが、自転車の時は途中で降りて息を切らして押して上った記憶がある。
子供という生き物は時にイレギュラーな行動を取るもので、そのまま道路を行けばいいものを、ショートカットのつもりで道を逸れ森林の中を突っ切って自転車を押しながら上ったことも覚えている。大人の感覚だとさほどの傾斜は無いはずだが、まだ小柄な子供の低い視界だと、少しよろけるとそのまま下まで落ちるのではないかと感じられ必死で自転車のハンドルを握りつつ、そんな中、手に止まった蚊を追い払えずに吸血されながらやっとの思いで上がりきったことも鮮明に思い出す。今振り返れば冷や冷やモノ、いやそもそも家から数km離れた場所まで子供たちだけでよく行ったものだが、そんな冒険を経て大人になったことは意義のあることなのだろうと思っている。
そしてジャンボ滑り台も、天気の良い日だと熱せられて尻や脚が焦げそうになったりなど、中々リスキーなシロモノだったが、皆で一斉に滑って笑い合ったりと楽しかった思い出ばかりが残っている。その滑り台も今は撤去されて類似のものに替わったようだが、金太郎の池の方にも長いローラー滑り台が出来たり、またこちらには展望台が新設されたりと変わらぬ賑わいを見せている。
成人してからはこちら側の公園はすっかりご無沙汰だったが、展望台が出来てしばらく経った2006年にやっと再訪した。
▼2006年5月・展望台からの景色
展望台前広場の噴水池。
内部の螺旋階段。
昔と比べてすっかり様変わりして綺麗になった。
本幸町にあった市立病院の新病棟。当時はまだ新築中だった。
こちらは2009年の移転済み病院。
病院の庭。以前の本幸の旧病院に通院していたこともあったが(ちなみに筆者が誕生した病院でもあった)、病棟が古くて薄暗く、怖いくらいの味わいがあった。新病棟には庭もあり、当然ながらとても綺麗で明るい。
これらの景色も、今では既に建て替えや取り壊しなどで現存しない建物もあり、徐々に変わっていっている。


展望台は1998年に建てられた。人の往来が多く外観の写真が撮れていないので、指定管理者運営のホームページ をご参考に。
直線的な外観が自然の景観にアンマッチだという批判も当時あったように記憶しているが、今となっては無料で利用出来、21時まで開放しており夜景も堪能出来るとはこれはこれで悪くない施設だと感じる。
▼2013年5月・桜
こちら側でも桜が見られるということで、足を運んだが、5月も下旬だったため一足遅かったように思う。
苫小牧では街路樹や宅地の公園など、例年5月中旬くらいまでは見られることが多いため油断していた。もっとも、緑ヶ丘公園の桜と言えば金太郎の池側の桜並木>>6のことを指すのかも知れないが。
こぶしの花が咲いていた。
密度は疎らになっていた。
花びらがそこかしこに。
葉桜になりつつある。

新しめの遊歩道が公園内様々に伸びている。歩いたことのない場所もありそうだ。
奥の方にも咲いているのが見える。
振り返って見ていると、色々な道がある。改めて散策に行きたくなる。


おそらくエゾヤマザクラなのだろうが、正式名称がオオヤマザクラなのだそうだ。大ぶりの葉の中にひょっこり咲いているのを見つけると、宝探しをしているようで面白さもある。
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#公園 #花
とある廃屋
とある廃屋
以前から、かれこれ20年以上経つが、気になっている廃屋がある。
初めて見た時は、まだ屋根もありちゃんと家の形をしていたが、撮影当時の2006年時点では既に屋根は落ちていた。外壁は丈夫なのか、家だったのだろうと判る程度の外観である。
玄関ドア、ポーチの外灯がかなりの古さを感じさせる。
家の真ん中あたりを貫く煙突。昭和の家屋の仕様だ。社宅のようにも感じる。
現役当時は壁も綺麗に塗られていたのだろうが、風雨に晒されてかつての面影は無いだろう。
側面部分にはこの家のものだったのか不明だが、廃棄物様のものが積まれていた。小窓や勝手口らしきものがあり、部屋はいくつかあったのだろう。
窓にも板張りされているが、意味を成さない程に崩壊している。
隙間から失礼してみるが…
内部は崩壊と経年のためか、生活感は全く失われていた。障子や内部ドアを除き、家具など残置物はほぼ無いだろうと思われる。
今の状態をストリートビューで見てみると、廃棄物は無くなっていたが玄関ドアは更に朽ち、外灯も落ち、窓部分は板張りごと無くなり内部が丸見えになっている。煙突は一本、まだ立ち続けている。さすがに取り壊されていると思ったのだが。
過去の写真が数パターン見ることが出来、建物が劣化していく過程がわかるのだが、どこから種が運ばれたものか、玄関先と窓の奥の屋内にマーガレットらしき花が群生しているのを見つけた。
自然界における人の世の無常を、PCモニタから感じ取る今日この頃である。
※一部画像を加工しています
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#廃
苫小牧・有明の海
苫小牧・有明の海
以下、2006年4月に撮影したものである。
この年、苫小牧沖で大型船が座礁し、その船がまだ沖に居るとのことで、野次馬根性を起こして見に行ったことがあった。
これらはその時の写真だったらしい。以前の当ブログにそう書いてあり、もう20年近くも経てばそんなエピソードは忘却の彼方である。
記録することでかろうじて思い出すことが出来ているのは、不幸中の幸いかもしれない。
その事故は、苫小牧港管理組合の2006年のニュース に記録がある。
○ 外航船人工リーフで座礁
3月29日午前4時ころ、苫小牧沖で沖待ちをしていた貨物船が、強風を受け市内元町付近で人工リーフに乗り上げ座礁しました。
※人工リーフ=自然石などを使った人工的な暗礁・離岸提など。
おそらくこのことだろうと思われる。
先日も港でフェリーが座礁したり、過去にはイルカが打ち上げられたりなど、度々苫小牧の海ではなにかしら発生している。
元々、周辺の海は浜から遠くない場所で突然深くなるそうで、海水浴には向かないと言われている。
また、真偽の程は不明だが、港を造成してから波が荒くなったという話もあり、いずれにしても以前から遊泳は出来ない海だ。
海のある町で生まれ育った身分なのに、海に対する憧れが強い。
以前キャンプで行った、潮干狩りなど水遊びが出来る海や、夏の積丹のような美しい青い海が自分の中の手前勝手な理想なのだろうと思う。
撮影時からさらに以前に、なんの気まぐれか、母と一緒に同じこの浜に来たことがある。
当時は砂浜で、漂着ゴミや流木などが溢れていたが、波打ち際で足のみ浸したり、浜辺の大きな石が簡単に波に攫われていくのを見て自然の力に感心したりと、地元の浜でもそれなりに楽しんだこともあった。当時と同じ場所に久方ぶりに来た形になる。
砂浜はなだらかな消波ブロックで固められ、綺麗に舗装された遊歩道が整備されていた。流木らしきものは点在するが、ゴミは無くなっていた。すっかり変わった景色に驚かされた。
平成になってから、傾斜を緩やかにする護岸工事が入り、近辺の沖に人工リーフを設置したり(これが先の座礁の原因にもなっているようだが)と、荒天時の波や騒音を和らげたりという効果が期待されているらしい。
国土交通省北海道開発局 室蘭開発建設部 海岸保全施設の整備
砂浜が無くなったのは残念だが、波の穏やかな時は波打ち際まで下りられるようなので、より安全に海と地域の人との共存を目指しているといったところだろうか。

ちょうど中心に見えるのが座礁船。
この橋は、Googleの航空写真を見るに今は無さそうだ。写真だと看板の字が読めず、何のためのものかはよくわからなかった。
途中まで橋を下りてみたが、そのまま海に出る作りになっていた。
近年、ふるさと海岸>>34やキラキラ公園も整備されたことで今までの苫小牧の海とは違う姿が見られそうだが、静かな場所の方が性に合っているためなかなか足を運べずにいる。
※写真のサイズが小さいものは、最初に使っていたamebloの仕様でアップ可能なサイズが限られていたためにリサイズしたものです。
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#海
高丘第二霊園
高丘第二霊園支笏湖通と呼ばれる国道276号沿いに、霊園が2ヶ所あるのだが、高丘森林公園>>7に隣接するのが第一霊園、その更に奥、支笏湖方面側に位置するのが第二霊園である。どちらも苫小牧市民の墓地だ。
2009年の写真になる。この時はドライブがてら訪れているのだが、なぜまた墓地にというと、山手町方面の王子山(昔は坊主山とも呼ばれていた)奥にあるミネラルウォーター工場が遠望出来るのだと、その時同行していた友人が話していて、それならと会話の成り行きで立ち寄った、ということだった。
苫小牧の飲用水は日本国内でもトップクラスの美味しさを誇るといわれる。この当時は王子サーモンの「支笏の秘水」として、王子製紙が所有している苫小牧川の水源池に工場を構え、生産されていた。2016年には生産を終了、現在はその工場も撤去されてしまったようだ。
ちなみに現在のご当地ミネラルウォーターは、「とまチョップ水 」として、幌内川と勇払川から取水して生産し市の上下水道部が販売しているということだ。取水地が苫小牧川ではないのは、水源池が王子製紙の社有地のために別の川から取水しているということなのだろう。
訪れたのは第二霊園の方で、肝心の工場はというと、見落としたのか位置の問題だったのか見ることは出来なかったが、霊園はベンチや東屋などの公園スペースも整備されておりお参りついでに散策したりくつろげる場所になっていた。頭大仏で有名な真駒内の滝野霊園など、最近の霊園は「見せる」場所にもなってきているようで、墓地やお墓の意義も変わりつつある昨今の時流なのだろう。
南側に王子製紙工場の煙突が遠望出来る。この煙突は長年苫小牧に住む者にとっては代表的なランドマークなのだ。
霊園にも春が来ていた。
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#公園 #花