No.51, No.50, No.49, No.48, No.[4件]
旧沼東小学校跡
旧沼東小学校跡円形校舎は、昭和30年代に全国的に流行し、狭い土地に多くの生徒児童を収容出来るという、省スペース化が見込める様式として取り入れられた。
当時斬新なデザインの上、建築コストを抑えることも出来たと言われるが、教室は概ね切り分けたバウムクーヘンのような形となり、机の配置が難しく、また方角によっては採光しづらいという問題もあったという。これらのような現実的な欠点もあってかその後は廃れ、スタンダードな方形校舎が多くを占めるようになった。
美唄市立沼東小学校は、開校は明治期だが、1959年(昭和34)に現在の場所にめがね校舎として新築された。この時点で1,570名の児童数を抱えるマンモス校であった。1965年(昭和40)に三菱美唄炭鉱が分社化し、1972年(昭和47)に閉山。翌年にも租鉱炭鉱が閉山し、人口の流出が相次ぎ1974年(昭和49)に閉校となった。
炭鉱町としての美唄を知ったきっかけが、この小学校跡だった。
この小学校跡に関しては、あまり褒められたことではないのだが、かなり以前に心霊スポットとして知った。しかし、円形の校舎というのがあまりに珍しく感じられ、むしろ興味は建物そのものに向いた。かつての炭鉱町の小学校ということで、場所も自力で大体の位置を探し当て、いつかはと機会を伺った。2009年前後に炭鉱跡に興味が湧き、始めに足を運んだのが美唄だったためこの際是非にと立ち寄った。
しかしその時は夏場で、藪の中をクルマで進み、川の対岸、木々の間にうっすら見える校舎を視界に捉えただけで撤退した。探索初心者ゆえ、徒歩という概念が抜け落ちており、随分無茶をしたものだ。現在はクルマでは入ることは出来ず、また公にも立入禁止となっている(そもそも立入を認める廃墟が存在するのだろうか)。
夏以外の季節であればと、その年の秋に再訪した。それから、冬、春と訪れるごとに、違う顔を見せてくれた。
▼2009年11月
まず出迎えたのが、骨組みだけになった体育館である。
こちらは以前に、不審火で焼けたと言われており、鉄筋のトラスや剥がれかけのトタンに焼けた跡が見受けられる。
そして念願の円形校舎。多面柱形の校舎は本来は2棟あり、連絡通路で繋がっていた(シャッター部分)。
上空からはメガネのように見えたため、「めがね校舎」と呼ばれていたという。
閉校後に1棟が取り壊され、もう1棟のみが残された。理由は不明である。
いつからそこにあるのか、こちらも有名な草ヒロ。
1階部分は、水没しかけている。基礎の地盤が沈んでいるのだろうか。
綺麗な白壁だが、この頃は落書きが多かった。
これを見れた時は感激してしまった。
外部の陽光を取り込んだ天井のトップライト。
▼2013年〜2017年冬
川岸に石組みが2基並んでいたが、これは校門の門柱だそうだ。
綿の実が出来ていた。
そういえば、段数をちゃんと数えたことはない。
右側に見えるのは手洗い場だったようだが、タバコの燃えがらが積み上がっているのは、心霊界隈で線香代わりに供えるそうだが。火事の元になりかねないので、控えて欲しいのだが…
教室の辺りはモノクロの世界になっていた。
浸水していた1階部分はスケートリンクのように結氷していた。
中央の螺旋階段部分。壁ではなく柵なのは採光を考慮もしているのだろう。
この自然の造形に驚く。
薄氷が迫り出してクレープ状になっている。
こういうの、誰がつけるのだろう?
心霊現象とは、恐怖感が妄想を膨らませ、そして幻覚を引き起こすのかも知れない(霊感無し人間の戯言である)。
校舎と体育館の位置関係。
雪深い地域だが、こんな中でも元気に登校していたのだろう。
雪化粧はまた違う表情である。
これが中央の螺旋階段。見事な造形だと思う。
冬は屋上が積雪のため、陽光が届かず消灯状態だ。
連絡通路への接続部分。2階のみシャッターが半開きで明るい。
一面結氷。もはや大理石のようだ。
アイスバブルはここでも見られる。自然の湖沼で見られるものに比べれば透明度は劣るかも知れないが。
▼2019年5月
この間、市やボランティアで校舎内の落書きを消す活動が行われていたらしく、だいぶ綺麗になったと感じる。
なんだか只乗りさせてもらっているようで、申し訳なく思う(そもそも立ち入るべきではないのだが)。
春の訪問は初めてだ。陽気が心地よい。
円形の建物なら、魚眼レンズを使用すると面白いのではと思った。
浸水がちょっと怖いくらいだが、初めて来た時から高止まりしていように感じる。
扇形の教室は、どのように撮ればそれらしく見えるのだろうか…
黒板が、窓際と廊下側の2面に設置されている。明るく見やすい方を選び机を配置したのだろう。
広角で教室の配置がわかる。3階(最上階)はやはり晴れだと明るい。
光の乱反射が美しい。
追い求めていた理想の光。
特に関係者でもないのだが、改めて、ここへの思い入れが深いことに気づいた。
今後は滅多に行くことはないと思うが…
階段に虹彩が落ちていた。
再利用などがなされなかったのは立地的な問題もあるのだろうが、廃校遺産としてこのままでも末永く残ることを願う。
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#廃 #古建築 #炭鉱
旧我路映劇 映写室跡
旧我路映劇 映写室跡美唄市に我路という地区があり、ここも炭鉱街だった。全盛期には所狭しと炭住や商店、娯楽施設等が立ち並び、大変賑やかな街並みが形成されていた。炭鉱も閉山し鉄道も廃線となり、今や多くの建物は消え廃屋も目立ち、住まわれている家屋も点在する程度になっている。
かつての駅前周辺には映画館や料亭、また近年まで営業していた焼き鳥屋や郵便局もあった。それらも閉業し、更に寂寥感が増してしまった。
この駅前通りに、上のような廃址が存在している。家屋でもなく、工場のような大掛かりな施設でもない。
ここにはかつて「我路映劇」という映画館があり、その映写室だと言われる。館自体(客席など)は木造建築だったようだが、そちらは撤去か倒壊かで消失している。何故映写室のみ残っているのかというと、フィルムは可燃性で当時の映写機だと火事になることが多かったため、映写室だけは耐火性のあるコンクリート製になっていたからだそうだ。
我路地区には、3軒程の映画館があったらしく、その内の1軒がこの我路映劇であった。
消えた映画館の記憶 美唄市の項 によると、
テアトル我路劇場/我路映劇/我路映画劇場 と館名の変遷があり
開館は1957年(昭和32)、300名程を収容できる映画館だったようだ。
映画館は炭鉱街では代表的な娯楽施設だったのである。
ツタが見事なまでに覆っている。下部はピンク色で特徴的な廃址だ。
漫画『宇宙家族カールビンソン』にも登場している我路映劇。
作者のあさりよしとお氏がここ我路の出身である(生まれは上砂川町)。
多分冬場の方が形を捉えやすいだろう。これらは2009年の撮影である。
隣にあった家屋は(映画館とは無関係)、今ではかなり倒壊してしまったようだ
昭和34年の我路の市街図。下が北側。
我路映劇(赤)、我路駅と我路郵便局(ピンク)が見える。今の状況を見ると、これだけの店舗や家屋が並んでいたとは驚きだ。
地図上ではこの頃から我路映劇と呼ばれていたようだ。
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#廃 #炭鉱 #文化施設
東美唄の橋
東美唄の橋炭鉱メモリアル公園>>46へ向かう道すがら、左手にぽつぽつと現れる橋が気になったので、その先を探索してみたくなった。
本線から分かれる脇道や林道が気になってしまう性のため、こちらも例外なく興味が湧く。
美唄川を渡ったその先にも炭住区があったということで、痕跡探しである。
▼2009年6月
公園駐車場入口近くの橋。下部をトラス補強してあるが、片方の欄干は落ちてしまっている。
この状態なので、さすがに進むのは躊躇する。
初夏の穏やかな川の景色。
しばらく下った場所にも橋がある。
欄干がコンクリート製で味わいのある形だが、手前は崩壊しかけている。
▼2009年11月
秋になれば状況も変わるだろうと再訪したところ、こちらの橋の先が行けそうだったため、進んでみることにした。
当然クルマが通れる状態ではないので、徒歩で探索。
苔が絨毯になっている。この時期の苔も美しい。
橋の先の藪をしばらく進むと、堰堤に。
放水が小川を作って流れていく。
この辺りは清水台という地区だったようだ。
この岩は自然物なのか人工物なのか。
おそらく道だったものが岩壁(擁壁)に沿って続いているように見える。
少々高所に上ってきているみたいだ。
メモリアル公園の遺構が見渡せる。櫓とポケットの位置関係がわかるが炭鉱跡だということもわかりやすい。
自然の造形美。
住居跡ではないだろうが、ブロック的な物の破片やパイプのような残骸が残されていた。
苔むしている様子は相当の年月の経過を思わせる。
炭住はまだ奥の方にあったようだが、閉山時に既に撤去されていたことは分かっていたため、ここまでにした。
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#廃 #炭鉱 #河川 #橋梁
更新一時休止のお知らせ
更新一時休止のお知らせ前ブログ『ゆるたん。』の記事を最古からさかのぼって(整理で消した記事もあるため厳密ではない)再編して更新しておりますが、ちょうどキリの良いところで50本の記事をアップしたので、ここで一旦お休みしようと思います。
当然ネタはまだまだあるのですが、大量の写真の選別や調べ直しも意外に手間がかかり、また本業も繁忙期に入り、次の同人活動などやりたいことも他にあるため、さすがにマルチタスクは出来ないと悟りました(苦笑)。
休止は今年いっぱいを目処に、年明けの状況を見て調整しつつ、再開したいと思います。
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今後、歴史創作 の方も更新していきますので、ご興味ありましたらお付き合いの程よろしくお願いいたします。