旧上歌会館(悲別ロマン座) 旧上歌会館(悲別ロマン座) 「日本一人口の少ない市」といわれる歌志内市も、かつては炭鉱の町だった。 国道12号線から東側、赤平市へ抜ける途中の山間に点在する街並みがそれである。 国道を通るだけだとその市の存在に気づかず、通り過ぎてしまう位置関係だが、炭鉱跡に興味を持つと俄然、自分の中で存在感を放つ場所となった。 炭住の名残の住宅群と、チロル地方の建物を模した温泉施設と道の駅が代表的なランドマークとなるだろうか。それらを眺めつつ車を走らせると、赤平へ向かうトンネル手前の街の端に、特徴的な大きな切妻屋根の建物が姿を見せる。 続きを読む「悲別ロマン座」の看板と、文字を掲げたその建物は、かつて「上歌会館」と呼ばれ、旧住友上歌志内砿の職員厚生施設であり劇場や映画館として使用された。1971年(昭和46)の炭鉱閉山後は放棄され、廃墟化していたが、1984年(昭和59)に放映されたTVドラマ『昨日、悲別で』の舞台として使用され、脚光を浴びた。それを機に有志が修復、保存活動を開始し、その後カフェやイベント会場として活用、近年では文化庁認定の日本遺産「炭鉄港」の構成文化財への追加を目指している(参考:時事ドットコム )とのこと。 ※追記2025.8.4:「日本遺産「炭鉄港」の認定継続 文化庁 歌志内「悲別ロマン座」を追加(北海道新聞 2025.7.31) 」 初探訪は2009年、2013年までの間に数回訪れた。 当時はカフェとして営業されており、お願いすれば奥の映写室の映写機を見せてもらうことも出来た。 ▼2009年6月 道路脇の看板。当時の道路地図にもこの名で記載されており、いつか立ち寄ってみたいと思っていた。 このようなレトロ感漂う看板を目にするだけでも気分は盛り上がった。 ルピナスの群生が炭鉱町であったことを物語るかのようだ。 大胆にせり出した屋根。造形が見事だ。 堂々たるスケール感がある。 『昨日、悲別で』作者倉本聰の手による看板。 「悲別(かなしべつ)」はドラマ中の架空の地名。北海道内の舞台は近辺の上砂川から歌志内、また旧空知炭砿などの協力を得て制作された。 筆者は当時まだ子供だったため、リアルタイムでは視聴していないが、最近になってとある縁で全話視聴することが出来た。 佳作なので多くの方に観てもらいたいのだが、稀にドラマチャンネルあたりで配信されることがある程度で、DVD化などはされていないのが残念だ。シナリオ本が古本として市場に出ていることはある。こちらは個人的に入手済み。 劇中でこの建物は「悲別ロマン座」と呼ばれ、里帰りした主人公が廃墟化した劇場を利用してタップダンスを披露したり、また映画館として使われた最後のパートはとても悲しく印象に残っている。 初探訪は惜しくも休業日だったらしく、外観だけ見させてもらうに留まった。 この「やってない」看板のなんと味わい深いことよ! 窓際の可愛らしい手作りマスコット。 建物裏に回ると、他にもステージ状の建物が。 元々表側の建物と屋根続きに一つの建物だったが、廃墟化した際に客席部分が崩落して取り除いたということらしい。 今は野外ステージとして機能しているようだ。 ペンケウタシナイ川に掛かる橋。この先は「ニングルの森」という散策路になるようで気になるのだが、夏場はちょっと行く気になれない… 前庭には、炭鉱で使われていたであろうトロッコが展示されていた。 ▼2012年10月 3年経ってのリベンジ。 どの角度から見ても、美しい形だ。 「やってる」! やっと、お邪魔が出来る。「やってない」の裏側が「やってる」になっているようだ。 勇気を出して扉を開けると、館長さんが気さくに挨拶して招き入れてくれた。 ドラマの写真パネルが掲示されている。この時はなんとなく目をやったが、ドラマを観た今だととても貴重に思う。 ここを訪れた人々の感想が絵馬のようにびっしりと貼られている。 自分も書かせてもらったので、ちゃっかり紛れている、はず。 訪れた理由など色々お話したら、奥の映写室を案内してくれて、当時の映写機を見せてくださった。 昭和20年代から使われていたアークライト式で、とても貴重なものだろう。 ここに石炭を入れて、熱して動かしていたらしい。 今でも動かそうと思えば動くらしいが、引火しやすいため今ではなかなかフィルムを貸し出してもらえないとのこと。 この時は、館内で写真展が開催されていて、よく見ると当時の知り合いの方で世間は狭いと驚きつつ拝見した記憶。 当然ながら、オーダーをさせていただいた。今見てもリーズナブルな価格だった。 カフェラテを注文したら、なんとデザートまで付いてきた。メニューをよく見ると、「お菓子付き!」とある。 スポンジケーキに、アイスのデザート。ドリンクとこれで340円は破格である。 お味も美味しかった。感動してしまった。 近所の方も食事に訪れていて、賑やかだった。この辺では食事処が少ないため、いつも来ているという方も。他所から来た人間が珍しかったのか、話しかけられてそこから会話が弾むなど楽しい時を過ごさせていただいた。 ずっと歌志内住みの方が、炭鉱時代のこと、特にここに加藤登紀子がコンサートに来てくれたという話を活き活きと語ってくださったことは印象に残っている。当時の活気はこのような感じだったのかなと、タイムスリップしたような感覚を味わった。 しばらく談笑してから辞した。 外に出て、また建物の周りを観察させてもらった。こちらは主屋側の裏。映画館の頃の客席出入り口に当たると思われる。 上歌会館から悲別ロマン座になるまでの軌跡。 椅子とテーブルが配置されていた。前後でイベントがあったのだろうか。 ▼2013年10月 この時は隣町の「赤平TANtanまつり」に訪れた際、途中で食事をしたく寄らせてもらった。 変わらす館長さんはお元気だった。 ロマンザのオムカレーをいただいた。もしかしたら特別メニューだったのかも。 食事の方も美味しくいただいた。生クリームで描かれたロマン座、遊び心がにくい(笑) コーヒーは、ヘーゼルナッツフレーバーをチョイスしたように記憶している。 この時は、元々ここにあったピアノの試し演奏などが行われていたようだ。年代物なので調律が難しいなどと会話が聞こえていた。 これ以降はなかなか足を運べず、また悲しいことに放火(小火)や落書き等の被害もあり、コロナ禍を経てカフェも休業状態となってしまった。 館長さんからその後、赤平の駅前で食堂を営業しているとの知らせが入り、機会を見て訪れたいと考えてはいるが、現状の営業状況はわからない。 昨年、市や有志がロマン座の日本遺産登録を目指しているとのニュースを目にした。保存の意欲があるということに少し嬉しくなった。 畳む #炭鉱 #文化施設 #飲食 #古建築 いいね ありがとうございます! 2025.3.1(Sat) 01:51:04 道央,歌志内
旧上歌会館(悲別ロマン座)
旧上歌会館(悲別ロマン座)「日本一人口の少ない市」といわれる歌志内市も、かつては炭鉱の町だった。
国道12号線から東側、赤平市へ抜ける途中の山間に点在する街並みがそれである。
国道を通るだけだとその市の存在に気づかず、通り過ぎてしまう位置関係だが、炭鉱跡に興味を持つと俄然、自分の中で存在感を放つ場所となった。
炭住の名残の住宅群と、チロル地方の建物を模した温泉施設と道の駅が代表的なランドマークとなるだろうか。それらを眺めつつ車を走らせると、赤平へ向かうトンネル手前の街の端に、特徴的な大きな切妻屋根の建物が姿を見せる。
「悲別ロマン座」の看板と、文字を掲げたその建物は、かつて「上歌会館」と呼ばれ、旧住友上歌志内砿の職員厚生施設であり劇場や映画館として使用された。1971年(昭和46)の炭鉱閉山後は放棄され、廃墟化していたが、1984年(昭和59)に放映されたTVドラマ『昨日、悲別で』の舞台として使用され、脚光を浴びた。それを機に有志が修復、保存活動を開始し、その後カフェやイベント会場として活用、近年では文化庁認定の日本遺産「炭鉄港」の構成文化財への追加を目指している(参考:時事ドットコム )とのこと。
※追記2025.8.4:「日本遺産「炭鉄港」の認定継続 文化庁 歌志内「悲別ロマン座」を追加(北海道新聞 2025.7.31) 」
初探訪は2009年、2013年までの間に数回訪れた。
当時はカフェとして営業されており、お願いすれば奥の映写室の映写機を見せてもらうことも出来た。
▼2009年6月
このようなレトロ感漂う看板を目にするだけでも気分は盛り上がった。
堂々たるスケール感がある。
「悲別(かなしべつ)」はドラマ中の架空の地名。北海道内の舞台は近辺の上砂川から歌志内、また旧空知炭砿などの協力を得て制作された。
筆者は当時まだ子供だったため、リアルタイムでは視聴していないが、最近になってとある縁で全話視聴することが出来た。
佳作なので多くの方に観てもらいたいのだが、稀にドラマチャンネルあたりで配信されることがある程度で、DVD化などはされていないのが残念だ。シナリオ本が古本として市場に出ていることはある。こちらは個人的に入手済み。
劇中でこの建物は「悲別ロマン座」と呼ばれ、里帰りした主人公が廃墟化した劇場を利用してタップダンスを披露したり、また映画館として使われた最後のパートはとても悲しく印象に残っている。
この「やってない」看板のなんと味わい深いことよ!
元々表側の建物と屋根続きに一つの建物だったが、廃墟化した際に客席部分が崩落して取り除いたということらしい。
今は野外ステージとして機能しているようだ。
▼2012年10月
どの角度から見ても、美しい形だ。
やっと、お邪魔が出来る。「やってない」の裏側が「やってる」になっているようだ。
ドラマの写真パネルが掲示されている。この時はなんとなく目をやったが、ドラマを観た今だととても貴重に思う。
自分も書かせてもらったので、ちゃっかり紛れている、はず。
昭和20年代から使われていたアークライト式で、とても貴重なものだろう。
今でも動かそうと思えば動くらしいが、引火しやすいため今ではなかなかフィルムを貸し出してもらえないとのこと。
当然ながら、オーダーをさせていただいた。今見てもリーズナブルな価格だった。
お味も美味しかった。感動してしまった。
近所の方も食事に訪れていて、賑やかだった。この辺では食事処が少ないため、いつも来ているという方も。他所から来た人間が珍しかったのか、話しかけられてそこから会話が弾むなど楽しい時を過ごさせていただいた。
ずっと歌志内住みの方が、炭鉱時代のこと、特にここに加藤登紀子がコンサートに来てくれたという話を活き活きと語ってくださったことは印象に残っている。当時の活気はこのような感じだったのかなと、タイムスリップしたような感覚を味わった。
外に出て、また建物の周りを観察させてもらった。こちらは主屋側の裏。映画館の頃の客席出入り口に当たると思われる。
▼2013年10月
この時は隣町の「赤平TANtanまつり」に訪れた際、途中で食事をしたく寄らせてもらった。
変わらす館長さんはお元気だった。
食事の方も美味しくいただいた。生クリームで描かれたロマン座、遊び心がにくい(笑)
これ以降はなかなか足を運べず、また悲しいことに放火(小火)や落書き等の被害もあり、コロナ禍を経てカフェも休業状態となってしまった。
館長さんからその後、赤平の駅前で食堂を営業しているとの知らせが入り、機会を見て訪れたいと考えてはいるが、現状の営業状況はわからない。
昨年、市や有志がロマン座の日本遺産登録を目指しているとのニュースを目にした。保存の意欲があるということに少し嬉しくなった。
畳む
#炭鉱 #文化施設 #飲食 #古建築