No.78, No.77, No.76, No.75, No.74, No.73, No.72[7件]
頼城橋(廃橋)
頼城橋(廃橋)
西芦別と東頼城地区を結ぶ橋。初訪は2009年、地図を頼りに炭鉱町の名残を求めて、見つけたのがこの古い人道橋だった。もう住む人も少ないであろうかつての炭住区から、川の方へ下る道を歩くと辿り着く。
三井芦別炭鉱が、社有地だった西芦別と東頼城を繋ぐために1943年(昭和18)に架けた木造橋だったが、その後芦別川の氾濫のために2度流され、1967年(昭和42)に今の形に架け替えられた。戦時中は近辺に朝鮮人労務者の宿舎もあり、終戦直後に橋近くで乱闘が起こるなど時代の激変を見つめた橋でもあった。2022年頃には老朽化のため床板が剥がされ、現在では両岸の渡口が封鎖され廃橋となっている。
地区の人口が激減し、車両が通行出来ないこの橋の需要がほぼ無くなったということだろう。
炭鉱操業時や戦争、災害などの歴史の遺産が、またひとつ消えようとしている。
▼2009年7月

西芦別側の橋に近いエリアの炭住はおそらくこの時にはほぼ空き家だったと思われるが、菜園の手入れがされている場所もあった。
平成17年、2005年から車両通行止めということは、それ以前は車も通行出来たということだろうか。だとしたら、その頃から老朽化が懸念されていたということなのだろう。補修工事も視野に入れていたのだろうか。
夏場の草木でこんもりした遊歩道のような道を下っていく。
川向うの東頼城地区を望む。小雨の霧模様は物寂しさを際立たせる。
石が並ぶ法面。デザイン的に味わい深い。
消火栓や外灯がある。この辺りにも民家があったことの名残かもしれない。
川の増水注意の看板。「危ない!!」ではなく「危い!!」なのは、限られた文字スペースで効率的に危険を知らせるため、あるいは「な」の曲線的な描写に限界があるという理由もあるようだが、このような看板の場合は幼年・若年層にも向けてより直感的に注意を促す目的があるのだろう。
渡口に到着。車止めがある歩行者・自転車専用の橋だ。
幅は車がギリギリ通れる程度はあるが、床板の補強がかつては車両も通行出来たものなのかもしれない。
小雨だったが川の流れが速い。氾濫が度々起こったというのも納得してしまう。
欄干の錆も年月を思わせる。橋脚の形に合わせた退避スペースがある。
一番外側の木材の腐食が激しい。むやみに近づけない。
進んだ場所には橋脚をそのまま利用した待避所もある。
下を見ると、何やら大きなコンクリートの塊が水没している。形状的にこの待避所兼橋脚のようだ。新築されてから2度、うち昭和40年代に氾濫のため橋脚が流される事故があり、昭和42年に架け直されて今の形になったとある。撤去処分するにも費用がかかるためそのまま放置されたのだろう。
対岸、東頼城へ渡りきったところ。普通に歩いて渡る分には問題なかったが、川が増水しているせいか多少のスリルと不安感もあった。▼2016年7月
7年ほど経って傍を通りがかったため、国道の炭山川橋上から眺めてみた。中央が頼城橋である。初訪と同じく7月だったが、こんなに森林然とした場所に架かっていたのかと驚く。芦別川の姿がそもそも見えない。
▼2017年3月
翌年、まだ雪深い時期だった。連なる山の向こうに芦別岳、更に遥か向こうには200名山の一つ夕張岳がある。
中央左上が頼城橋だが、こうしてみると他にも小ぶりの橋や橋脚らしきものがいくつかある。手前の小川は芦別川の支流、炭山川である。
頼城橋。この頃既に通行止めのバリケードが設置されており、除雪もされていない状態だった。▼2017年4月
翌月、春めいてきた時期に再訪した。ひと月しか経っていないが雪は消えており、草花が芽吹いてきた。適度に暖かくまだ木々の見通しが良い最適の時期だった。石の法面が美しい。
初訪時に見た赤い消火栓。その手前に黒いのもあったとはわからなかった。北海道では消火栓の色は大別して黄色と赤があるが、赤いのは豪雪地で目立つようにとのことらしい。しかし黒いのはよくわからない。元々黄色かったのを黒く塗っているように見え、消火栓の看板も赤い方だけにあるので、黒いのは廃止の意味なのだろうか。
健在の危い看板。こちらも変わっていなさそうだ。
渡口に着いた。やはりあれから10年近く、傷みが激しいのがここからでもわかる。
近くで見るとかなりのものだ。寒暖の差と積雪もあり、劣化も速い。木材部分は自然に還っていくのだろう。
トラスの鉄筋部分が見えてしまっている。さすがにもうこれだけで渡る気分にはなれない。
木々が生い茂る前なので、川辺に降りることが出来た。ここから眺める橋も味わいがある。
下部のトラス部分に銘板があった。1967の年号がうっすら確認出来る。もっと遠景で撮ったのだが写真を見て初めて気づいた。わかっていればこちらをメインにズームで撮影していた。文字を確認したかったのだが残念である。

退避部分。橋脚から浮いて設置されており、張り出し部分の床に鉄筋が入っていない。これは危険だった。
鉄骨に木材を並べて床が作られていたようだ。
放置された橋脚があった。
隣にももう1体、橋脚らしき構造物がある。これらは放棄されて50年ほど経つ。建造物としてはそれ以上だが。



後に調べてみると、今の橋に架け替えられる前の終戦時のことだが、この周辺で三井芦別炭鉱に徴用されていた朝鮮人労働者と中国人労働者の間で乱闘騒ぎが起こり、双方に各1名の死者を出していることがわかった。直接の原因は朝鮮人慰安所に中国人が入店したことだったが、先に徴用されていた朝鮮人と後になって徴用された中国人の間に給与や待遇による格差があり、日頃の鬱憤が溜まり爆発したと見られる。
戦局が悪化し、人員も不足していたため労働者確保で連合国軍捕虜も徴用したが、捕虜の待遇の悪化や、特に中国人に関しては労働以前に連行時の船中環境の劣悪さで命を落とす人が多かったといわれる。

どこからかキツネがやってきた。人の歴史や営みの傍らで変わらず命を繋いで生きている。野生動物に触れることはご法度なので、遠くで見守った。こちらに寄ってくることもなく、そのまま立ち去っていった。
西芦別側の炭住の隅、ちょうど橋へ向かう道の傍らには地蔵が立っている。
芦別川の氾濫時の犠牲者を弔うために立てられた。そのため川の方向を向いている。傍らに何故かもう一つ地蔵の頭部が置かれていたが、これは以前に像の頭部のみが盗難に遭ったため新しく修復されたものの、のちに頭部が発見されたものだそうだ。
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#廃 #炭鉱 #古建築 #河川 #橋梁
三池8トン有線電車
三池8トン有線電車
2009年、炭鉱の痕跡を探すべく、今度は芦別へ。
市立図書館の敷地に、炭鉱関係の電車が保存されているということで、立ち寄ってみた。
現在も変わらず保存されているが、塗装し直したらしくこの2009年当時よりも綺麗になっている。
前庭の隅に、ひっそりと保存されている電車と、この看板。昭和28(1953)年4月、福岡県の三井三池製作所で製作され、約30年間にわたり三井芦別炭鉱の坑内で働いてきました。 小型ながら、90馬力を有し炭車30両以上をけん引することができます。
石炭産業の最盛期には、三井芦別炭鉱で37台の同型列車が活躍していましたが、採掘区域の深部化に伴い、運搬の主力がバッテリー電車やベルトコンベヤーに移ったため、昭和57年には3台を残すのみとなりました。
平成4(1992)年9月、三井芦別炭鉱が閉山したため、芦別ではこの1台しか見られなくなりました。
平成8(1996)年5月
芦別市教育委員会
炭鉱の列車といえば、精炭された石炭を出荷するために積載したSL列車などが思いつくが、ここに保存されているのは掘り出したばかりの石炭を坑外へ運び出す坑内列車のことである。筆者は鉄道に明るくないのだが大まかに説明すると、斜坑内に架線し集電して動く有線電車で、都市部の路面電車と同様の仕組みとなる。
こちらはトロッコの頭部?だろうか。今はこの場所には現存していないようだ。その横には連結された茶色い炭車が見え、それに石炭が積まれ坑内を走っていた。蜘蛛の巣が張っていて、この当時はあまり注目もされていないようだった。
三井マークが付された有線電車。パンタグラフが取り付けられている、架空電車線(架線集電)方式の電車だ。高さは子供の背丈くらいか、小ぶりの電車だがこの大きさ(小ささ)で炭車30両以上をけん引出来たとは驚きだ。坑内を掘り進むにつれ深部化が進み、立坑掘削くらいになると運炭は無線化してバッテリー式機関車(バッテリーロコ)やベルトコンベアーに取って代わられるようになり、有線電車は姿を消した。
植え込みがすぐ隣にあり、枝が覆い隠す形になっていたため正面を撮ることは出来なかった。
こちらは坑員を運ぶ人車になる。1つの乗降口に付き4人乗り(2人座席が向かい合わせに配置されている)×3列で、1両に付き12人乗りになるのだろう。大の大人が向かい合わせに膝を突き合わせて乗ることを考えると、決して内部は広くない。雨天の上、蜘蛛の巣に警戒しつつ(とても苦手)だったのでじっくり見ることが出来ず、またこれ以降再訪はしていない。
近くを訪れることがあれば、再整備されたこの列車を間近でもう一度見てみたいと思う。
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#炭鉱 #鉄道
エスコンフィールドHOKKAIDO
エスコンフィールドHOKKAIDO
>>74の最後に記した親族の婚約顔合わせの儀を終え、翌日に当方の一家総出でその年(2023年)開業したばかりのエスコンフィールドへ行くことにした。顔合わせの主役、弟夫妻の要望である。
筆者といえば地元日ハムの勝敗をチェックして一喜一憂する程度の軽すぎるライトファン層に過ぎず、また混み合う場所も苦手なのでこういった機会でもなければまず行かないと思うのだが、これもまたいい経験と同行させてもらうことにした。
GW真っ只中で、訪れた日は試合は無かったが、それでも真新しい球場には目を引くものが沢山あった。しかし人出も大変多く、撮影はごくごく一部の場所のみに留めた。
※写真に写っている降雪のようなものは、当時使用していたカメラアプリのフィルター加工である。フィルター設定を変え忘れ、スマホの小さい画面では撮影中でも気づかなかった。実際には雪は降っておらず空ももう少し明るかったのでお断りを入れておく。
クルマで来場したため、誘導されるままに駐車。Fビレッジ内のA2辺りだと思われる。料金は1,000円だった。エントランスの階段までもそこそこ歩く。エスカレーターは設置されているが、階段の片側(駅方面側)のみなのは厳しい。逆側(駐車場奥側)にもあるといい。無理なく歩ける我々には難はないが、我々親世代の年寄りには辛そうだった。
写真は階段を登りきった3rd BASE GATE(現F NEOBANK GATE)前の広場から。ここは普段は試合日のみの入場口だが、この日はGWでイベントも行われていたためか無料開放されていた。
かなりの人出だ。FIGHTERSのロゴが眩しい。入場は手荷物検査があった。飲食物(缶・ペットボトル)持ち込みは不可で、持っていた人は没収されていた。
場内にウォーターサーバーはあるのだが、歩く先々にという訳ではなくそこそこ歩き回らなければ見つけられず、しかも見つけた時にはすでに水が切れていた。マイボトルに飲料を入れたものは持ち込みOKらしいが、そこを把握していなければ服薬が必要な持病のある人は詰むことになる。筆者の父のことである。自販機くらいはあると思っていたのだが、真面目にどこにも置かれていない。これはフードコートで高いお茶を買うことで切り抜けたが。
ちなみに場内はすべてキャッシュレス決済である。来た人各自で支払うとなると老齢の現金派は詰むことになる。筆者の両親のことである。結局筆者がまとめて決済した。
ダル!オオタニサン!Tower11の超有名な壁画。周りの人もここを通ると一斉にスマホを向けていた。
1F、上のダル大谷壁画の近辺からマウンド側。日によってはこの屋根がオープンする…この日は閉まっていたが現地の実物を見て開くところを想像すると凄いことだ。
「そらとしば」醸造所のガラス壁。よなよなエールは美味しいがクルマで来ていたので控える。2Fのルーフトップ席の方が眺めも良さそうだ。1Fをしばらく見て歩くが、足の悪い筆者の母が疲れを覚えてきた。人工股関節を入れていることもありあまり無理させたくなかったので、出来れば車椅子を貸してもらおうとしてゲートの受付に尋ねるもバイトスタッフだったのか答えを得られず、何処へ行ったら良いのか足の利く者でぐるぐる探し回り、インフォメーションセンターで貸出していることがわかってやっと借りることが出来た。
ゲートの側に車椅子が何台かあったため、それをすぐ貸してもらえるのかと思っただけに勝手がわからないとかなりキツい。空いている時ならすぐにスタッフを捕まえるなどで解決出来そうだが、混んでいる時ほど詳しいスタッフがどれだけいるのかわからず、逆に尋ねづらさがある。
母の車椅子を押しつつエレベーターを使い無事に2Fへ。一番通路側の最後列でもマウンドが近く見やすい。観覧席の傾斜も緩やかな感じだ。とはいえ野球場に来たのはこれが初めてなのだが。スポーツ以外のイベント含め札幌ドームにすらまともに行ったことがないのだ。
その通り、この日はイベントが行われていて、STV馴染みのアナウンサーやタレントが歌やトークを披露していた。昔よくSTVラジオを聴いていたので、あの人が来ているのかとちょっと注目した。ブギウギ専務の上杉さんも歌が上手い。
3Fまでひととおり回ったが、メインの飲食店は2Fの横丁エリアになるだろうか。どこも行列を作っており、適当に食べたいものに目星をつけて並び、待っている間にメニューを決めておく、ということにしなければいつまで経ってもありつけない。身内のお金を預かって人数分のオーダーをしようとした時に店員にキャッシュレスオンリーだと云われて気づく。並んだのがキャッシュレス使える自分で良かったと思う。観覧席に持ち込んで食べたが、膝の上に乗せつつこぼさないようにと気をつけてさっさと食べてしまったようだ。写真が残っていない。選手(誰かは覚えていなくてすまない)のコラボカツカレーだった記憶がある。まあまあ美味しかったがお値段も張るのでね…
他にもデザート類等、惹かれるお店やメニューはあったが、気軽に手を出せる値段ではない。それだけを食べたいならともかく、あれもこれもとなると厳しい。
弟夫妻はTower11の温泉とサウナに入るとのことで(試合日は入浴しながら観戦出来るらしい)、ここで筆者と両親はひと足早く帰宅することにした。
施設の広さなりに仕方ない面もあるが、歩き回らなければならない分老齢の両親にはやはり大分厳しそうだった。そもそもここに限らず都市部の込み入った場所すらもう面倒臭がってしまい、そのような場所自体もう行けることも無さそうだが。
個人的にはもう少し空いている時に再度見て回りたいかもしれない。駐車場やチケットの心配せず気まぐれにふらっと寄って、回れるくらいならいいのだが(移り気激しいので思い立った時に行けなければしばらく行かない確率が高い)。
ちなみにFビレッジ、ボールパーク、エスコンフィールドを混同してしまいがちだが、球場そのものは「エスコンフィールドHOKKAIDO」、周辺施設を含めたエリアが「北海道ボールパークFビレッジ」となるようだ。Fビレッジの名は地名にも登録されており、ボールパーク全エリアの住所が「北広島市Fビレッジ1番地」となっている。
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#文化施設
日本料理 こぶし
日本料理 こぶし
2023年にランチで来訪。苫小牧のグランドホテルニュー王子内にある日本料理店で、身内がこの年に結婚するため両家の顔合わせ場所の予約のため赴き、ついでに食事をした。
地元の名産、樽前湧水豚のとんかつ定食も気になったが、13時近かったためか既に品切れになっていた。それ目当てなら早い時間に席の予約をした方がいいのか、もしかするといつでも提供できるわけではないのかもしれない。
ランチメニューで、彩り豊かな「華かご膳」に惹かれ、そちらをいただくことにした。
公式からメニューをクリックすると楽天ぐるなびのサイトに飛ぶが、そちらによると華かご膳は個室でのメニューで予約制になっている。2023年では普通に通された席で予約無しで注文できた。
かご膳の他にご飯、お新香、お茶を出してくれた。天ぷらとお刺身、茶碗蒸しもいただける。小鉢に少しずつ、色々食べられるタイプの料理は、少食じみて来たくせに欲張りな自分には有り難い。
かご膳はこちらに限らず、ちょっとおしゃれな小料理屋などで見かけるが、ランチでもちょっと贅沢したいときには足を運んでも良さそうだ。後日、顔合わせでは中規模くらいの個室で季節の会席料理をいただいたが、そちらも美味しく見事だった。
両家互いに初対面の中ではさすがに料理の撮影は控えたため、載せられないのが残念だ。
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#飲食
トーテムポールの丘(三階滝公園)
トーテムポールの丘(三階滝公園)
>>72三階滝公園を散策していた時に見つけた、エスニック調の木彫。2006年の記録である。
これは心惹かれる。鮭と鷲かな?
人の頭部みたいなのを持ってる??
この角度だとかっこいい。
上の鮭の像の横にも。絶妙な造形だ。
逆側の横にはこちら。狐と人っぽいな? 曲線的な丸みもあって優美にも感じる。
なんとこれらはトーテムポールの木彫のようだ。1989年、旧大滝村の時に姉妹提携したカナダのレイク・カウチン村(現在は町)との友好の印として、カナダ木材を輸入し、建設されたのがこのトーテムポール群とのこと。作られたポールは大滝区内の優徳友情公園と三階滝公園に設置されたとあるが、前者の友情公園は今も存在するものの詳細情報はネット上にはほぼ出てこない。三階滝駐車場の道路を挟んだ向かい側も公園地で丘になっており、そちらにも多くのポールが設置されているとのことなので立ち寄ってみた。

道路に面した階段の上、エントランス的な場所に大きな看板。これも木製だろうか(かなりの重量になりそうだ)。Googleのストリートビューだと見当たらないため、現在は撤去されているものと思われる。
トーテムポールは北米大陸の北西海岸部の先住民(カナダではファーストネーションズと呼ばれる)が作っていたもので、近年は各地で類似のものや独自のものが作られているが、発祥は先のアラスカ、カナダ、アメリカ北部のインディアン(この呼びは今では差別的とされているが、当人らの中には堂々と自称する人もいるそう)である。ポールは神仏像のような信仰の対象ではなく、部族それぞれの氏族にまつわる神話や伝説、生活の出来事などを人や動物の形に表現した「家紋」のようなもの、だという。一族の家系や精神史を表示する意味合いもあるのかもしれないが、現代日本に住む我々には完全に理解するのは難しそうだ。しかし、日本でも盆や正月等の年中行事や冠婚葬祭等何らかのイベントや式典を行うことを考えると通じるものはあるのかもしれない。刻まれた人や動物たちのデフォルメもどこか漫画的で、親しみやすい感じがする。
個人的なトーテムポールのイメージが、郊外の学校や昔の観光施設、アイヌコタンなどにも同様のものがあり、それらは彩色が施されていない木の地色という認識だったため、着色されているのが意外だったが実はこれが正式なものだとは、初めて知った。もしかすると自分が目にしたものも色落ちして古びたものだった可能性もあるが。
この公園内に立っているものは模倣やレプリカではなく本場の本物で、看板の説明には木材をカナダから輸入して作ったとあることから制作者もカナダから来訪したのだと思われるが、その辺りの詳しい説明が無かったのは残念だ。

階段を上ったところにある鮮やかな像。ポールというより像の造形だ。躍動感がある。
黒・赤・青・黄とカラフルだ。そして大きい。単焦点のコンデジでは収まりきらなかった(もっと離れよう)。
左側は鮭、右はシャチのように見えるがはたして…?
一番上の動物は、その氏族の由来になるという。
歯が出ているので、げっ歯類っぽいな…ネズミかリスか
シャケをカジカジしている像。個人的なお気に入り。
持っているだけではなく、とてもカジカジしている…
下の人みたいなのは、何を表しているのだろう。
意味がわかると凄く面白そうなのだけど…
キツネかな? 内股がなんだか可愛い。
子供を抱いている? 上の動物(鳥?)から守っているとかかな。
絶妙なバランス。横から見ると下のは動物の頭?それぞれ表情に独特な愛嬌がある。説明するようなものではないのかもしれないが、どんな動物でどういった意味があるのか、解説が欲しいところだ。
マップに最近の写真が投稿されているのを見ると、これらのポールも大分年季が入って色落ちしつつあるものも増えているようだ。それはそれで味わい深いが思えばこの訪問から20年、設置されてからだと30年以上経つのだ。トーテムポールは修復や新調するものではなく、建てたらあとは朽ちようが倒れようが自然に任せるものらしい。この丘のポール群もそのようにして自然に還っていくのかもしれない。
滝見の際に散策しつつ異文化に触れてみるのも、面白いと思う。
※以下のサイトを参考にさせていただきました。
・FIRSTNATIONS /カナダインディアンの文化
・なぜ作られたのか? アメリカ先住民の謎多き「トーテムポール」の世界 (サライ)
上のサイトによると「はずかしめのポール」というものもあるらしくウワーッ!となった。これはキビシイね!
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#公園 #文化施設
三階滝公園と甘露法水
三階滝公園と甘露法水
伊達市大滝区(旧大滝村)にある定番の観光地、三階滝。観光バスも立ち寄る有名どころで、特にアウトドアの準備を要せず気軽に散策路の橋の上から見ることの出来る滝である。落差10m程度と小規模だが、すぐ近くで見られるため人気のスポットだ。
滝の形は特徴的で、三段形状の滝は各地にあれど、写真などで滝の姿を見れば大体この三階滝とわかるような形だと思う。
筆者にとっては近郊のスポットのため以前から馴染みの深い場所だが、ちゃんと撮影したのは2006年が初めてだった。
当時は画素数の荒い携帯電話のカメラ(写メなどとも呼ばれていたが、これは登録商標である)も使用していたが、コンデジも持ち始めたのがこの時期だったため、何処でも目にした景色をすべて写真に収めたいくらい外出や撮影に夢中だった。従来のフィルムカメラだと現像に出さなければならなかったが、その必要がないデジタルカメラはやはり画期的で魅力的だったのだ。
▼2006年9月

三階滝公園。滝はよく知っているが公園部分をじっくり見たことがなかったため、大きな池や水路、散策路も整備されていたのは初めて知った。覚えていなかったというべきか。
池の水は水路を経て、三階滝川へ注ぐ。川の名が滝の名由来とは、なんとも珍妙な感じがする。地名も元は徳舜瞥(とくしゅんべつ)村だったが、三階滝があることから大滝村と改称したのだとか。この川を下れば滝になるが、駐車場側へ戻って展望スペースとなっている橋の方へ進む。

こちらが三階滝。橋から見えるのは2段目までで、3段目は橋の陰になり見えづらい。二股に分かれたりと流れが特徴的。水量も多く飛沫も浴びれる勢いだ。


紅葉の季節だととても美しいのだろう。
橋を渡りきっても道は続くが、こちらは旧道の名残だ。昔は橋も車で渡れて、国道まで繋がっていたらしい。この当時には既に駐車場から奥は車両通行止めで、歩行者専用道路となっていた。
旧道を少し歩いてみたら、滝より下流の流れを望める場所があったが…
路肩が崩れており、道の先はバリケードで塞がれていた。徒歩でも危なそうなので引き返す。
途中にあった「甘露法水」の湧水場。ご利益もありそうだが人が多く、待機列を作っていたためこの時は横目に通り過ぎた。


橋の上から、下流側。
橋の下は、ゴツゴツとした岩の渓流となっている。それなりに高さもあって険しい地形だ。観光地整備がなければ、それなりに秘境だったのではないだろうか。
▼2008年4月
近くを通りがかったため寄ってみたが、午前9時頃だったのとまだオフシーズンだったのか、他に人の姿は無かった。これが滝見の橋。駐車場側に向かって、滝は左側になる。
時期的に草木が邪魔しなかったからか、フレームにまとまった形で撮れた。川上から、3段目まで綺麗に収まっているのではないだろうか。
春先とはいえ、まだ寒々しい雰囲気だった。これから新緑の季節を迎える。▼2013年8月
別の場所に行った帰りに見た虹。こんな綺麗なアーチは滅多に見ない。外側にもうっすら副虹が見える。くっきり見える方は主虹というらしい。
近くまで来たので、寄ってみた。とはいっても夕方17時を回っていたのと、雨模様だったためかまたもや他に人がいない。駐車場も空っぽだった。観光シーズンの夏場で有名どころでも、時間帯と天候でこんなに違うのか…
展望スペースを独り占め。
この頃にはデジタル一眼を入手していたため、絞り調整でこんな写真も撮れた(流水の表現)。
色んな場所で持て囃されているマイナスイオン。結局科学的根拠はあったのだろうか。普通に、水飛沫を浴びると納涼的に気持ちがいい、で良いと思うのだ…


無人の甘露法水。いつも水汲みの人で賑わっていたがこの時はそれすらも無かった。ので、この機会にちょこっといただいてみるが、冷たくてまろやかさがあった。このまろやかさが甘味を感じさせるのだろうか。「三八〇米余の金脈から流出し」とある。昭和13年、三階滝に徳竜金山が操業開始しているが、甘露法水のこの洞窟は形状からして金山の坑道だったのだろう。
現在、飲用する場合は煮沸するようにとの注意看板がある。エキノコックス症などのリスクは北海道民なら承知の上、自己責任で汲んでいるとは思うが、オーバーツーリズムの問題もあるこんにち仕方のないことなのかもしれない。実際煮沸するとなるとその場で飲みたい人はもちろん、大量に汲む場合も手間が余分にかかるのでここまで来る意味は薄れそうだ。
その場で飲むなら浄水器も役立つらしいが、よほどの湧水マニアでもない限り、それだけの手間と費用をかけるかどうか。




夕闇も押し迫ってきた。この時間帯はやはり山間部では"逢魔が時"だ。そろそろここを離れよう。

燃える夕闇の色。恐ろしくも美しい。畳む
#公園 #滝 #河川 #湧水 #鉱山
旧炭山川橋梁とディーゼル機関車
旧炭山川橋梁とディーゼル機関車西芦別からR452を南下すると、右手に橋梁上の機関車が見えてくる。物珍しさに注目してしまうが、こちらも炭鉱遺産の一つである。
旧三井芦別鉄道の鉄橋、炭山川橋梁と、炭鉱の操業当時に実際に走っていたディーゼル機関車と石炭貨車である。
この橋梁は国の登録有形文化財に登録されており、「炭鉄港」の構成文化財として指定もされている(橋上の機関車と貨車は除く)。
▼2009年7月
現地には特に説明看板もなく、当時は地元または炭鉱関係の人が知っている程度だったかもしれない。
逆側の道道115は通行止めで立ち入ることが出来なかったが、現在は見学場所が整備されているのでそちらから見学するのが一般的だと思う。
▼2016年7月
しかしこの日は晴れだったため、緑の山に映える機関車の姿を捉えることが出来た。
ちなみにこの地点、国道の炭山川橋から逆の方向を見ると頼城橋>>77を望むことが出来る。
▼2017年3月
石炭貨車も見えたが一両自体が小さい。これを何両も連結してこの橋を渡っていたのだと思うと、今にも動き出しそうなリアル感もある。
旧三井芦別鉄道は三井芦別炭鉱の開坑と同時に着工し、1940年(昭和15)に開業した炭鉱の専用鉄道である。終戦前年の国からの緊急増産令により、頼城に第2坑を開坑させるため路線を延長したが、完成は1945年(昭和20)の終戦後となった。芦別駅〜頼城町までの全線全長9km程度の炭鉱鉄道だった。4年後には旅客輸送も開始、ディーゼル機関車の導入は1964年(昭和39)になる。1989年(平成元)の鉄道廃止まで地域の交通も担った。
廃止後は橋梁と機関車は市に寄贈、2009年(平成21)には橋梁が国の登録有形文化財に登録されている。
2019年(令和元)、文化庁の日本遺産「炭鉄港」の構成文化財に指定された。
現在は道道沿いに展望広場が整備されている。冬期は完全通行止めとなり、広場にも行けないようなので注意されたい。
また、橋上からの見学の場合は、橋の手前に新たに設けられた駐車帯を利用してほしいとのこと(橋上での駐停車は避けるべし)。
「旧三井芦別鉄道炭山川橋梁」展望広場までの道道の通行について(星の降る里あしべつ)
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#炭鉱 #古建築 #橋梁 #鉄道