No.59, No.58, No.57, No.56, No.55, No.54, No.53[7件]
櫻珈琲煎房柏丘本店(現・花論珈琲茶房真駒内柏丘店)
櫻珈琲煎房柏丘本店(現・花論珈琲茶房真駒内柏丘店)
2007年に真駒内方面を通りがかった時に、おしゃれな外観に惹かれて立ち寄った。
現在は、外観は大きく変わらないものの店名を変えて営業を続けている。
かなり年数も経過し、経営も変わり内観やメニューにも変更があると思われるので、当時の記録ということでご留意いただきたい。
シックで落ち着いた外観と、可愛らしい木の人形。
少し暗めの照明と、向かい側の窓から差す柔らかな自然光。壁の奥の席が秘密のスペース感があって興味深い。一人で訪れた時はここに座ってみたい。
さすがに内装が変わっていると思うので、叶わない夢なのだが。
各テーブルにはオレンジの灯り。窓際の席に通された。窓の外は林と谷になっており、下を真駒内川が流れる。
メニューは当時はコーヒーとケーキ系のデザートが数種。厳選的。ケーキセットを注文した。
ブルーベリーヨーグルトケーキ。下地がビスケット生地のタルト系ケーキだった。
ホワイトコーヒー。ミルクコーヒーにホワイトチョコレートとマシュマロをトッピング。私ごと、今でこそコーヒーはブラックで飲むが、当時は体調の関係であまりコーヒー系が飲めなかったため、このようなソフトな甘味ばかり注文していた。
そのくせ、カフェはこの頃から好きだったなと…こういうメニューもあったのは有り難かった。
今となってはめずらしくもないが、このようなおしゃれな手洗い場は当時の自分にとっては新鮮だった。下にペダルがあって、踏むと水が出る仕組み。銅製の受け皿が渋い。
当時はバルコニーがあり、外に出ることも出来た。ブランコに座らせてもらってゆったり。晴れていたので風も心地よかった。今はこのバルコニーが開放されているかは不明。
可愛らしい巣箱。この下の方に真駒内川がある。
翌2008年にも立ち寄らせてもらった。このときもケーキセットで、アップルパイを注文した。コーヒーはおそらくラテ系だったような。
おまけにこちらは2013年、同じ櫻珈琲でもこの柏丘本店ではなく、札幌市民ホール店のもの。現在は既に市民ホール(現・カナモトホール)からは撤退しているが、赤を基調とした看板サインと、変わらず落ち着いた雰囲気が居心地良かった。
キッシュも美味しかった。自分、この頃にはコーヒーを飲めるようになっていたらしい(笑)
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#飲食
旧赤間炭鉱ズリ山階段
旧赤間炭鉱ズリ山階段
「ズリ山」とは、掘り出した石炭を選別するときに出た屑石を堆積した山のことである。炭鉱施設や遺構近くに円錐状のこんもりとした山があれば、それはズリ山だった可能性が高い。ちなみに、九州地方の炭鉱では「ボタ山」と呼ばれている。
赤平の旧赤間炭鉱のズリ山は炭鉱遺産として保全されており、「日本一のズリ山階段」として777段の段数を誇る。階段は上りやすく整備され、頂上までほぼ一直線のルートだが、実際上ってみると中々きつい。筆者の場合は上りは休憩を入れて約30分ほどだったが、下りは下りでとにかく膝に来るので、時間に余裕を持って挑むのが良いだろう。
季節によって眺めは変わると思うが、苦労しただけの達成感はあるかと思う。
近年はヒグマの目撃情報のため立ち入り制限の時期もあったようだ。念の為クマ避け鈴等対策もした方が良いかもしれない。
2009年に登ろうと訪れたものの、美唄や歌志内など色々回ってここまで来た時には18時近くになってしまったため断念。2012年10月にようやく登ることが出来た。その記録になる。バックに見えるのが赤間の選炭工場跡。昼を越して夕方近かったためか逆光になってしまった。
階段までの道。薄暗いとちょっと不気味。現在だともう少し雰囲気が変わっているかもしれないが。
登り口。ここからスタート。
段差が揃っていて上りやすいが、勾配はそこそこ急なので100段を越えるともう息が切れてくる。段毎の柱には、全国から公募したプレートの名付け親の名前が記されている。
振り返って見たところ。秋口だったがまだ緑が茂って暖かかった。暑くも寒くもなく丁度良い時季だったかもしれない。
途中、いくつか休憩スペースがある。200段程上って休憩。ベンチがあるのは有り難い。
眺望と言うにはまだもう一息。夏場だと草木が生い茂って見えづらいかもしれない。屑石の人工山でも、年月が経つと自然の山に変わっていくようだ。
ポコポコと。ホコリタケか、シバフタケか…あらゆる所で見かけるキノコだ。
大分眺望らしくなってきた。
頂上が見えているような気がするがまだあと200段近くある。横に見えるパイプのようなものは、「あかびら火まつり」で灯される火文字である。炭鉱斜陽期に街の灯を消すまいと、京都の大文字焼きにヒントを得たものだそうだ。

もう少し、もう少し…
ラストスパート、あと70段。
頂上に到着!公園らしい広場になっている。ここからパノラマビューを堪能する。

かつての炭住らしき赤と青の屋根の住宅が見える。空知川のほとりのヤマの街というのがよくわかる。右側奥、彼方に見える白い線状のものは芦別大観音。
イルムケップ山方面を望む。駅前の直線道路は赤平中心部の特徴だと思う。
市役所方面。すぐ裏手に空知川が見える。
色づき始めた秋のヤマの街の眺望を堪能できた。畳む
#炭鉱 #公園 #山
旧赤間炭鉱 選炭工場跡
旧赤間炭鉱 選炭工場跡
赤間炭鉱は、明治〜大正期に稼働していた中小炭山を北炭が買収して開鉱した炭鉱になる。住友赤平炭鉱>>55と同年の1938年(昭和13)に開鉱し、鉱区的にも隣り合う形で操業した。その後歌志内の空知炭鉱へ集約され、赤間は北炭から分社化していたためここでは単に赤間炭鉱とする。
住友赤平の立坑施設からJR赤平駅方面へ進むと、ちょうど駅の裏手に当たる位置に「日本一のズリ山階段>>57」の看板を掲げた駐車場があり、左手に見えるコンクリート製の建造物がこの赤間炭鉱選炭工場の一部施設である。炭鉱施設は閉山後市の所有となり、ほとんどは解体撤去されたが、産業遺産としての価値が見直されるに当たって、今は炭鉱遺産として整備されているズリ山と共に残されている。
初訪は2009年、上の写真が当時のものである。
2012年にはズリ山を登るために再訪した。以下はその時のものである。
2009年には無かった(と記憶している)、フットパスコースの看板が新設されていた。現在もあるかは不明。⑯赤間鉱の選炭工場跡
「選炭工場」では、採掘現場から産出された石炭に混じる不純物を取り除き、品質別に選別する作業を行います。
赤間の選炭工場は、1941(昭和16)年に空知川にかかる赤間橋(現存していません。)とあわせて建設されました。この工場は、選炭工場と貨車への積込施設が別々に配置され、その間をベルトコンベアーで結合していたのが特色でした。
北炭赤間炭鉱が、1973(昭和48)年に閉山(全坑員を空知炭鉱(歌志内市)に集中化)となったため、選炭工場はその役目を終えました。
その後、1999(平成11)年に解体され、現在は原炭ポケット(掘り出した石炭を一時保管するための施設)の一部を残すのみとなりました。
地図・空中写真閲覧サービス 1968/05/08(昭43)・赤平よりほぼ中央が赤間炭鉱の施設、すぐ上に赤平駅、左下がズリ山になるが、大変興味深い。
選炭工場はこのベルトコンベアー2基の施設で、現在残っている原炭ポケットの一部はトロッコ線を挟んだすぐ下の小さい施設だろうか。この施設にも小さいコンベアーのようなものが見える。
下部は漏斗型になっていたようだ。
原炭をコンベアーで揚げ入れて貯炭し、漏斗から積んで選炭過程へという流れだろうか。昔の写真と照らし合わせると、なんとなくどう使用されていたかが(正確に判明せずとも)わかるような感じで面白い。
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#廃 #炭鉱
旧住友赤平炭鉱 立坑櫓
旧住友赤平炭鉱 立坑櫓
住友赤平炭鉱は1938年(昭和13)に開鉱、閉山は1994年(平成6)と、比較的近年まで稼働していた新しい炭鉱の部類である。
そのためか、炭鉱を象徴する立坑櫓の建物がほぼ操業当時の状態で残り、現在ではガイダンス施設も新設され、立坑ヤード内も施設の開館日は見学可能となっている。
日本遺産「炭鉄港 」の構成文化財として登録もされており、北海道産業遺産群の中でも有名なスポットだ。
筆者の初見は2009年で、その時既に立坑櫓の存在を知った上で訪れたが、外観だけでも実物を間近に見るとその大きさに圧倒された。操業時には「住友赤平立坑」のネオン文字が掲げられていたようだが、この時点では既に取り外されていた。
時間的に夕刻を過ぎていたため、まともに撮影出来ずにその場を後にしたが、有志が開催している「赤平TANtanまつり」で炭鉱関連の施設内見学が出来るということで、翌々年の2011年に再訪し、これまた内部の圧倒的な空間と操業当時の様子に思いを馳せつつ堪能させてもらった。
▼2011年10月
看板の背景写真に、掲げられていたネオン文字が確認できる。
見学時間まで余裕があったので、建物の周りを見てみる。こちらは道路に面した一角で、見学参加者の集合場所だった。右側建物奥のシャッターから出入りした。

脇の門からお邪魔して、櫓を正面から。左側は事務所棟。
ぐるっと裏の方に回ってみる。
傍には殉職者の慰霊碑があった。見学時間に集合場所へ向かうと、家族連れなども含めかなりの人が集まっていた。
当時から関心の高さが窺われた。
シャッターが開けられ、内部に入ると従業員の繰込所と思われる一室になり、そこでヘルメットを着用しガイドの説明を聞いた上で立坑ヤード内へ。
ガイドはこちらで働いていた元炭鉱マンの三上氏である。今日に至るまでガイドを務められている。立坑の仕組みやエピソードなど、軽妙かつ分かりやすく興味深い話を色々聞かせていただいた。
櫓の真下、立坑坑口へ下ろすゴンドラの柱部分。櫓の上部に滑車(ヘッドシープ)があり、巻き上げ機でワイヤーケーブルを制御し昇降させる。
柵の奥に昇降口があり、石炭を積んだ炭車を上げ下ろししていた。
炭車。黄色い方はバケットが傾き石炭の積み替えが容易になった新型のもの。
石炭を運び出す炭車のレール。そういえばこちらの原炭置き場や選炭場も近くにあったと思うのだがどの辺りだったのだろう。名残でもあるのだろうか。
一対の信号室の片方。
天井が高く、壮大な空間となっている。
人員を運ぶ立坑エレベーター、こちらは順番に箱に載せてもらい鉱員の気分を体感。一つの箱に6人×3列で定員18人で載っていたらしく、これも実際に見学者18人ずつ乗り込んで再現。
なかなかの詰め込み状態で、毎秒約6m、最高深度約600mまで昇降していたという。
これが4段構造になっているため、最大定員72名まで一度に運べるものだった。
斜坑で使われていた坑内人車の内部。鉱員の移動に使用されていた。元々坑内にあるべきものだが、こちらに移して展示されている。体の大きな人だと膝が前方の仕切りにつっかえそうだ。
信号室の内部。近代の炭鉱労働は機械技術的側面も強いことを教えてくれる。(正面の映り込みは筆者)
椅子の座布団に働く人の血の通った部分が垣間見える。玖保キリコのキャラクター懐かしすぎる…
閉山当時のカレンダーが掛かったまま。時の経過を感じる。
作業階段を上階へ。ケーブルを巻き取る動力滑車(ケーペプーリ)。さすがに大きい。

巻上機。施工に携わった安川電機の銘がある。
施設の傷みが少ないため、通電すれば今でも動かせるとのこと。
消火設備の記録板。こちらも閉山時まで記録され続けたもの。
住友赤平は、大きな事故が少なく優秀な炭鉱だったといわれている。
立坑の建設は1963年(昭和38)、それからこの時点で50年近く経過しているが、かなり堅牢に作られているのか目立った傷みもなく、今日まで残るものになっているのもまた凄いと思う。
▼2012年10月
翌2012年は、赤間炭鉱のズリ山に登った後にTANtanまつりに滑り込み、立坑櫓のライトアップ待ちで撮影したものである。
2011年時にもライトアップは見ているのだが、肝心のそちらの写真は写りが稚拙だったため、残っていない。
曇り気味だったが、日暮れの空の色が何とも言えない渋い色合いで良かった。
櫓部分のアップ。シルエットになるとクールで格好いい。
逆側から。ここの立坑施設はアングルが限られるため、地味に撮影が難しいかもしれない。
立坑前の事務所と道路。このあとにライトアップ点灯、昨年に続き赤平名物のがんがん鍋(豚汁ベースのモツ鍋)をいただいた。
▼2013年10月
更に翌年も、まつりに合わせて訪れた。3年連続で同じ場所に行くというのは個人的には珍しいことだと思う。
この間にカメラも一眼に新調したこともあり、新たに撮影に行きたい思いもあった。
とはいえ拙いものではあるが、画像のみ淡々と上げていくことにする。


この時も、内部見学に参加し、再びケージ18人乗り体験をさせてもらった。数百メートルの地下では太陽光がそもそも届かないので、ライトなしで目が慣れるということは決してない、というお話を改めて聞いて過酷な環境だったということを再確認。
でも、ネズミはちょろちょろと動き回っていたというのも聞き、ヒトと動物の能力の違いにも驚く。餌の調達は可能だったのだろうか。






バケットが片方に傾斜し、石炭を移し替える様子の写真が展示されている。



立坑の設計図。仕組みが簡易的にわかるようになっている。
ケーブルを通した天井の穴。
この年もライトアップがあり、やっと撮れた一枚。この夜は立坑の壁面を利用して、プロジェクターで炭鉱の歴史の映像を流しており、思わず見入ってしまった。
おまけに。この年は会場にもキャンドルが灯され、幻想的な雰囲気を醸し出していた。▼2018年11月
しばらくご無沙汰だったが、2016年に立坑や関連施設が住石マテリアルズから赤平市に譲渡されたのを機に周辺整備が進み、2018年には炭鉱ガイダンス施設が新設されていた。
この年のTANtanまつりでは施設駐車場がイベント会場となり、屋台の出店や著名人ゲストが呼ばれて大変な賑わいだった。
筆者自身はこの年に入院・手術を経験したため、リハビリと称して久々に遠出をして来たのがこちらだった。そのため立坑見学は遠慮してガイダンス施設の見学と、軽く立坑の撮影だけに止めた。
人が多かったため、写真は厳選した。



遺産保存への道筋を(初訪以前から動きはあったため途中からだが)辿っているようで、余所者の一見学者に過ぎないがとても感慨深くもある。
現在ではガイダンス施設の開館日に有料で立坑内部のガイド付き見学が可能になっている。とはいえガイド料も非常にお値打ち設定だと思うので、利用して損はないはずだ。
炭鉱や産業遺産に関心のある方にはぜひおすすめしたい。
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#炭鉱 #古建築 #碑 #イベント #文化施設
上歌地区史跡広場
上歌地区史跡広場
上歌地区は新歌志内トンネルの上部に位置するが、空き家の目立つ炭住区の外れに、いくつかの碑が集まっている場所がある。上歌地区史跡広場と呼ばれ、ここ上歌地区にまつわる碑を一箇所に集約した場所だが、上歌志内炭砿の東斜坑の閉塞坑口も同じ場所に残っている。
2009年に探訪したものなので、現在は多少変わっているものがあるかもしれない。Googleマップで確認すると、坑口付近の藪具合が気になるが。
地主神の碑、大山祇神社の碑(「昭和13年5月、上歌志内礦救護隊員一同」とある)、馬頭観世音、狛犬各一対、灯籠一対。
「住友石炭上歌志内砿東斜坑口跡」看板と坑口の碑。坑口は碑のすぐ隣にある。
「移設までの経過」碑上歌志内地区における開鉱は、明治二十八(一八九五)年である。以来昭和二十八(一九五三)年の住友赤平炭鉱との合併まで掘り続けられた。この間石狩石炭、坂炭鉱、住友坂炭砿、住友鉱業歌志内砿業所上歌志内砿などと名称をかえている。二度の災害(大正末期・昭和初期、ともに七十数名殉職)をはじめ様々なできごとがあり、石碑が建立された。山神社周辺に散在していた石碑は、それらのできごとを物語っているのである。この度、住友赤平炭鉱がこの地区からの撤退を決め、土地を北海道に返却することになった。地元の町内会有志と歴史資料収集保存会は石碑の散逸を惜しみ、一ヶ所に集めて保存し後世に伝えることにした。本日その完成式典を挙行したのである。なお、そのための諸経費は住友赤平炭鉱を初めとする市内の有志と、地元の町内会有志などから醵出された。
昭和六十二(一九八七)年十月十日 歌志内歴史資料収集保存会 巌堂謹書
炭山や鉱山では大山祇神を祀っていることが多いが、人知を超える危険も伴う坑内労働では必然的に信仰の対象になった。
この地区の炭鉱関係者にとっては、弔いと祈りの場所でもあるのかもしれない。
坑口はガス抜きの管を通して封鎖されている。炭鉱の場合、閉山の際は坑口をすべて密閉しなければ閉山とみなされず、閉山交付金支払いの対象とならなかったため、炭鉱跡では開いたままの坑口を見かけることは稀である。
「旧住友石炭上歌・赤平通洞坑入口」碑昭和三十年代住友赤平・上歌砿と合併に依り、通勤・通院・買物に約四百段の階段を裸電球の光だけで降りて坑内電車で赤平鉱まで通う帰りも又大変な背の重荷を感じて黙々と歩いた仲間達で旧住友社員上歌現住者にて設立記念とする。
上歌在住協賛者氏名(以下略)
立活皆真ナリ
平成二十年八月十一日 建立
上歌砿関係者は、赤平鉱に合併後は赤平まで通勤や用足しに赴いていたようで、この元斜坑の坑内電車を利用して移動していたらしい。地下まで昇降するのは大変だっただろうし、そんな身の上を分かち合う仲間内の結束も強いものだったのだろう。
このような碑をよく読んでみると、その土地の来歴や人々の生活がわかることも多く、大変興味深い。
あと、ここでは碑文の「砿」「鉱」の字がきちんと分けられていて(社名などの正式名称に則っている)、すごくきちんと作られていると思う。
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#廃 #炭鉱 #碑
旧住友赤平炭鉱排気立て坑櫓(解体済)
旧住友赤平炭鉱排気立て坑櫓(解体済)
悲別ロマン座>>52前庭から道路の向こうに見える筒型の建造物。炭鉱関連のもので、旧住友赤平炭鉱の排気立坑の櫓である。炭鉱には坑内の空気を循環させるため、外からの新鮮な空気を入れる入気と、内部のガス混じりの空気を排出する排気の坑口があった。こちらは排気坑のものだが、元々は同じ住友の上歌志内炭砿の第一立坑で、昭和初期の住友坂(ばん)炭砿時代に建てられた第一立坑が始まりのようだ。
上歌志内炭砿は1895年(明治28)に開鉱し、石狩石炭株式会社が経営したが1917年(大正6)に坂市太郎の坂炭砿株式会社に経営が移り、のち住友との共同経営となり、近隣の歌志内炭鉱と新歌志内炭鉱も住友が買収することになる。
1953年(昭和28)に住友上歌志内炭砿は合理化のため、隣町鉱区の住友赤平炭鉱に吸収統合された。ちなみにこの年は、奇しくも先の上歌会館(後の悲別ロマン座)が開館した年でもあるが、会館の管理は住友歌志内炭鉱が引き継ぎ、1971年(昭和41)の閉山まで使用された。
第一立坑時代は石炭や人員を運ぶ用途として使われたが、1987年(昭和62)には赤平の排気立坑として転換されることとなった。筒状で覆われているのは排気効率を上げるためであり、転換後のものである。1994年(平成6)の住友赤平炭鉱閉山まで使用された。
2009年、ロマン座を訪れた時に撮影。当時は様々な場所を巡っていたので時間の都合でここからの撮影だけに留め、また今度また今度と思っているうちに2016年、惜しくも解体されてしまった。近くまで分け入って見学しなかったことが悔やまれる。ロマン座にはその後も幾度か訪れていた上、立坑周辺は立ち入り制限も特に設けられていなかったはずなので、勿体ないことをしたと思っている。
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#廃 #炭鉱
小清水原生花園
小清水原生花園2006年7月、知床方面へのドライブの途中に立ち寄った。
この時、自らの運転で道東方面に行くのは初めてだった。
既に記憶が曖昧なのだが、前日の晩22時頃に出発して温根湯の道の駅で就寝したのが午前3時、午前8時に再出発し途中で仮眠しようとこちらに寄ったようだ。
今ならばまとまった仮眠を取ることを考えてもう少し早めに家を出るなどの行動をするのだが…まあこういうトライアル・アンド・エラーを重ねて慣れていくものなのだなぁと過去を振り返りつつ実感している。
仮眠のために寄ったつもりが、夏の暑い午前中でエアコン必須だったが、アイドリングしっぱなしにするのも気が引け結局眠るのは程々にせっかくなので散策をしてみることにした。園内は現在とさほど変わりは無さそうだが、一応、2006年時の記録ということで。
JR釧網本線の原生花園駅が目の前にある。
小さく可愛らしい建物で、大草原の小さな「駅」の趣がある。偶然入ってきた列車と合わせておとぎの国の風景のよう。これを見れただけでももう感無量だ。
人の手が入った花壇とは違い、天然の植生地なので派手な華やかさはないが、よく見るとぽつぽつと咲いているのが見られる。
最近話題になっている外来種バイカルハナウド(ジャイアント・ホグウィード)も同じくセリ科の植物。
オオハナウドやエゾニュウもセリ科で、花の付き方がどれも似ているため見分けが付きづらいが、それら在来種の背丈はそれほど高くはない。
セリ科の植物自体はどこでも見かけるものなので、過度に神経質にならず且つむやみに野草に触らないことも必要かと思う。
浜辺で楽しむ人々の姿は叙情的でもある。
それにしても色々と旅行ドライブ素人だったな…今なら無難にスニーカー履く。怪我の危険性もあるので…
気温が涼しければ浜辺で素足は気持ちいいけどね…
駅の並びにあるインフォメーションセンターでお土産や軽食が販売されていたので、はまなすソフトなるものをいただいた。
割とよくあるご当地ソフト。薄ピンクっぽい色+ほんのりバラ系フレーバーのほぼバニラソフト。普通に食べられるものだったが今もあるのだろうか。
原生花園の見時は6〜7月だそうだ。
5月には植生を回復させるための「火入れ 」が行われているとのこと。
無料で立ち寄れるので、息抜きにも訪れてみてほしい。
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#公園 #花 #海 #鉄道