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江戸期の北方探検家で歴史創作。絵・漫画・設定・調べ物などゆるゆるっとな。


2025年1月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

そろそろ、このカテゴリを始動させるべきかなと。関連本のレビュー的なものをいつかやりたいと思ってました。
小説などの創作作品から研究本まで、ぼちぼち上げていきます。


◆吉村昭『新装版 間宮林蔵』講談社 2011年(原版は1987年発行)

やはり最初に挙げるのはこちらでしょうか。小説ですが、資料に忠実に基づいた作品です。
2015年に初読し、これで江戸期の蝦夷地探検家に興味を持ち始めたのでした。

お前の歴史創作と北方探検家って何なのよ?と聞かれたら、とりあえずこれを読め!と叩きつけるでしょう。私自身がここから始まっていますので。
分かち合えたら僕と握手!合わなければごきげんよう!(やけっぱち)

予てから北海道の歴史に関心はあったため、その流れで『熊嵐』『赤い人』などいくつか読んでおり、吉村作品にハマりつつあったので他にも読みたくて『高熱隧道』(これは北海道の話ではないが)を書店で探したものの見当たらず、代わりに目に飛び込んできたのがこれでした。間宮って海峡の?樺太探険だっけ?時代はいつ(明治あたりだと思ってた)?なんなら間宮海峡の位置もよくわからない(宗谷海峡の別名だと思ってた)というくらい、それまでは本当に無知だった自分がもはや懐かしい…というか恥ずかしい(笑笑)
戦前の教育では偉人のカテゴリーに入っていたようですが、自分の年代ではすでに学校では習っていなかったので(教育方針や地域性もあるのかもしれない)、仕方ないといえば仕方ない。北海道とは関係ないかもしれないけど、お勉強として読んでおこうくらいの気持ちで手に取ったものです。

それが、予想に反して、とても面白かった。探検(冒険)モノだからというのもあるけれど、ロシアとの緊張、異民族の生活、世界情勢等、当時の時代背景からがっつりと、本当に勉強になった。人物の一代記なのである程度順を追っていてわかりやすく、この作家特有の淡々とした筆致が逆に場面や心情の人間臭い生々しさを描き出していて、思わず物語に没入してしまいました。巻頭に間宮の樺太図の写しがあるので、これを見ながら読み進めると距離感や位置がわかって良いです。北海道各地にも植林や測量などで関わっているためガッツリ縁はあります。

もちろん、樺太や北方領土の歴史はこれ以前にも以後にもあり、関わった人物もまだまだ多くいるので間宮の活躍がすべてではありません。


それにしても、間宮本人のアクの強さよ…!文化露寇のフヴォストフ事件に巻き込まれるところから物語が始まるのですが、周りが撤退を決める中、自分は交戦を主張したという証文を書けと上司に迫ったり(それ、あの時代でありなの!?)、樺太探検で同行した松田伝十郎に、もう一度海峡の見える場所まで連れて行けとせがんだり、ゴローニンとバチバチやり合ったり…上司や外国人にも堂々と立ち向かう姿は印象的(史実です)。ただそれらの言動も心情的には理解できるので、作家の表現の巧みさもあるのかもしれない。
ここでは全体的に間宮は人間臭くも真面目なキャラとして描かれているので、感情移入しやすくハマる要素はあるのだろう。
伊能忠敬とは師弟関係だったというのもこれで知って、すごく意外…!と驚いたり。

奉行所からの処分を待つ心情や、異民族からの襲撃、探検中の凍傷や野に分け入る描写は、もうそれだけでこちらも胃が痛むほど。特に野に入る場面の表現、「糠蚊の群れに包まれる」は、『赤い人』でも同じような表現があったと記憶しているけれど、これは実際にそういう経験をしなければ書けない表現なので、信用に値します。そう、ヤブ蚊には、襲われるのではなく、包まれるのです…(経験あり)

協力を仰ぎ(報酬は一応あっただろうが)、同行したアイヌの人々の労苦、異域の生活や風俗、交易の生き生き(殺伐と?)した姿も一読に値します。

シーボルトとは面識がなかった前提で書かれていますが、後の研究では会っていたことが判明しているため、このあたりはあくまで創作として見る必要はあるでしょう。

白状すれば、自分も、読み始めた時は幕府の役職(時代劇なども詳しくないので聞き慣れなかった)や時代背景などの理解が難しく、10ページくらい読んで1ヶ月程放置していたのですが(汗)、気を取り直して続きを読み出すと、樺太行きあたりから俄然面白くなってスラスラ読み進め、後半は暗雲が立ち込める展開に切なくなりつつも一気に読了しました。気がついたら相当この間宮に入れ込んでいて、しばらくは関連の本や情報を漁りまくっていたりと、まあハマりました。あれから10年経つんですね…

もうこれってドラクエでは?江戸後期ロールプレイングの世界を堪能出来る1冊です(多分)。

#間宮林蔵

関連本

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あけましておめでとうございます。
明けてしまいましたね、最近の1年はあっという間に感じます。
こちら歴創ブログでのご挨拶になりますが、今年もよろしくお願いいたします。
年表作りを継続していて、参考本の誤字や間違いの多さにキーキー言いながらの年越しでした。嫌な年越しだな…

年賀状は既に出していないのでSNS向けにはと思いつつ、こんな状況なので今年は年賀絵もろくに描いていないのですが、過去に描いたものをこの機会にアップします。
2021年のものですね…今のこちらのトップバナーの絵になります。雰囲気よいですね(自画自賛)。
火鉢囲んで師弟が一同に会している画なんて創作でしかお目にかかれません(そもそも年代も違う)。その通りエゾの冬はこれでは凌げませんが…松前の人たちはあくまで和人の生活様式にこだわった?ようだけど、よくやってこれたな…

右側の、犬の毛皮持ってる人は八九郎さんのつもりだったのですが、なんか怪しい毛皮商人っぽくて笑えます。
極寒の地で身につける毛皮は、冬眠動物であるクマよりイヌの方がいい(撥水効果がある)という話もよく聞きますね、私は吉村昭の『間宮林蔵』で初めて知り、ほほう!となったものです。原典あったら紐解いてみたいな。

松前藩士の今井八九郎(間宮の弟子)には、樺太調査の時に子グマを2頭ほど連れて湯たんぽ代わりに懐に入れて就寝し、子グマが成長してしまったときには〆てその毛皮を身につけたとかいうワイルドなエピソードが残っています。

前の年代(蝦夷地第一次幕領期)の警備では、津軽藩や会津藩で多数の死者を出していることもあり、寒冷地での駐留はそれだけ大変な任務だったのだと思います。

ゆるりとした冬を過ごせた時が彼らにもあったらいいなぁ。

#間宮林蔵 #伊能忠敬 #村上島之允 #アイヌ #村上貞助 #今井八九郎

イラスト

2024年12月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

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日常の忙しさにかまけていたら、もうクリスマス当日になっていましたね…!
それまでには上げようと思っていた、トナカイとまみりんです。
2019年のクリスマス絵として旧Twitterにも上げた過去絵ですが、北方の歴史にハマってからやたら描くことが増えたトナカイさん。
>>5でも描いていますわね…

トナカイという獣の存在を日本に初めて伝えたのが、間宮ということらしい。
(「トナカイ」はアイヌ語、発音的には「トゥナッカイ」だとか)
それ以前にも目にしている日本人はいたのかもしれないけど(松前藩や幕吏など相当数の人がカラフトを巡検しているので)、書物で著して知らせたのは彼が初めてということですね。

尚、彼は冬にトナカイの生息地(ウィルタ民族の居住地)には行っていません。絵は妄想です(笑)

#間宮林蔵

イラスト

人物年表を自分なりに作りたいとずっと考えていて、やっと着手しているのですが、これはあくまで自分用として、公開するつもりはないのであしからず。

自分がピックアップしたい人物の中から、年長者順に作っています。
参考本にもよるのでしょうが、イノー先生は割とサクッと出来て、今徳内さんに着手しているのですが、めちゃくちゃ分量というか質量が多い!
これはかいつまんでしか知らない事が多くて、日本や世界の情勢も含めて全体の流れを把握したくてたくさん書き込むことになっているからなのですが、そうなると要約するよりも本の(年表部分の)記述をそのまま丸写しした方がむしろ早いというか、理解しやすいなと考えた結果、結構とんでもないことになりそうで…いや、イノー先生にも膨大な測量日記があるので、その記述ごとに記入してしまうとまーもっと泥沼なのでしょうな。

それにしても徳内さんの活動は振り返ってみるとあらためて凄い。『風雲児たち』も読んで、北方の探索者にこんなすごい人がいたのかと関心させられたけど、実績を文章で追うと更に感じられて今圧倒されています。幾度も蝦夷地に渡海して、更にクナシリ、エトロフ、ウルップまで足を延ばしてロシア人と交流、現地民やアイヌ、また上司からの信頼も厚く(近藤重蔵とのやり取りもとても興味深い)、書物も幾つも著していて、出世も順調、おまけに投獄されていた時に奥さんが心配してはるばる野辺地(青森)から江戸まで幼子を背負って追いかけていく…って……なんですかこの全米(全日)が泣くエピソードは!
しかし為政者の方向性によって振り回されたり、昨日是としていた行動が今日には否となって罪に問われてしまうというのは、当時の不安定な情勢もあいまって、いや大変な時代だなぁと。

参考にしているのは吉川弘文館の人物叢書なのですが、これ、年表の記述も時々著者の主観的表現になっていて面白いです。「またも」とか「勇姿」とか。縁者の方が書かれているというのもあってか、本当に敬愛する人物伝を書いているという熱意が伝わってくる。



以前も炭鉱跡の本作り(『北の炭山の骸』 )のために年表を作っていたのですが、もう二度と作るか!というくらいだったにもかかわらず、結局また同様のことをしてますね…今回は自宅に蔵書しているもので作るので、まだ楽な方かもしれませんが。

ちなみに炭鉱関係年表はこんな感じで作ってました(一部)。

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#最上徳内

雑談

>>17 イノー先生の刀描くの難しかったなー、反りの表現が出来なかったなーと思うも、蝦夷地測量当時って士分に取り立てられる前なので大小は差していないはずだし、あの手の御用旗もまだ掲げていなかったのではないかと思うので、これはあくまでイメージ画として見ていただきたく。

伊能忠敬の差していた刀は竹光というのは有名ですよね。金属が帯びる磁気によって羅針が狂う危険性を考慮してのことらしいですが、実際狂うかどうかはともかく、かなり細心の注意を払っていたことが伺えます。このこだわりの賜物があの大日本沿海輿地全図だったのだなと思うと、職人気質でもあったのかもなと。

間宮林蔵の方は肖像画にはっきりと大小差している姿が描かれているけど、やはり師匠にならって竹光だったのかどうか。北方謙三『林蔵の貌』では上記の伊能のエピソードを元にしてか、竹光だという設定になっている(そして肖像画のあの測量用の鎖を武器にして戦うという凄い場面が描かれる)。

間宮自身は農民の出だし大小持つのはある意味憧れだったのではないかと。フヴォストフ事件では率先して交戦を主張したり、晩年の甲冑コレクター振りを見ると、自分の役割に真面目だしそこそこ勇ましいことが好きそうだし、竹光だといざというとき戦えないだろう!と叱られそう(笑)

蝦夷地測量時にはシベチャリ川(今の静内川)をさかのぼって探索中に、舟が転覆して荷物と刀を流されてしまい、荷物は取り戻したものの刀は行方不明になってしまったという逸話も残されているようで。同行のアイヌ達にも探させたものの、結局取り返せず相当落ち込んでいたという話が残っている(松浦武四郎の記録より)。
大事なものを無くして落ち込むまみりん、その哀愁の姿が見えるようだ…竹光だったらそんなに落ち込む必要はないと思うので、刀は真剣だったに一票。

静内川に散った間宮の刀、時代を超えて何処かで見つかったら面白いのだが。ロマンですね。

#伊能忠敬 #間宮林蔵

メモ