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江戸期の北方探検家で歴史創作。絵・漫画・設定・調べ物などゆるゆるっとな。


2024年11月の投稿5件]

2024年11月22日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

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「いい夫婦の日」ということで。
この2人を夫婦としていいのか不明だけど、出すにはいいタイミングかなと。
まみりんとアシメノコさんです。

描いたのは一昨年くらい?だけど、割と真剣に描きたかったものですね。
吉村小説を最初に読んで、後書きで交際相手のアイヌ女性の言い伝えがあったとあり(執筆当時は、信ぴょう性に欠けるので作品中には採用しなかったとある)、次に探検家髙橋大輔氏の著作を読んだのですがその辺りが詳しく書かれていたので俄然興味を惹かれました。

松浦武四郎の記録には、和人とアイヌ間の権力の不均衡や酷使、性的トラブルなど厳しい状況が記されているので、対等に親交、交際などがあったのだろうかとは思うのですが、上の2人のことを記したのもまた彼であり…しかしそこには糾弾も非難もなく非公開という形でひそやかに関係者には語り継がれたようなのを窺うと、哀しくも美しい関係性だったのかもしれないなと思ったりしています。

「蝦夷地の測量が出来たのは彼女の尽力あってのことなので、後々まで語り継いで欲しい」と、間宮が晩年に故郷の縁の人に話していたという言い伝えもある、らしい。

#間宮林蔵 #アイヌ

イラスト

2024年11月17日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

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>>13で一緒に載せようと思ったものの、絵の所在がわからなくて出せなかったもの。
後日発見し、最近液タブを導入したので試し描きで清書(?)してみました。元絵は鉛筆ラフ描きだったので。

嘘…わたしの年収…(以下略)


概ね描き心地には満足しています。ああこんな感じの筆致だよなあとも思う。
カラー絵も描きたいな!れきそうは色々描きたい絵もあるのだけど、残すことを前提に気合い入れるんじゃなくて思い立ったら気軽に描きたいというのがあり。慣らすためにもこっちで描いていこうと思ってます。

慣れたら他の原稿もデジ移行しようかな。ちょっと楽しみ。

#間宮林蔵 #村上島之允

イラスト

2024年11月10日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

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ほんわか師弟。このお二人は実際には一緒に測量の旅へ出たことは無い(はずな)のですが、それだけに描きたくなるのですよ。相親しむこと師父の如し。いくつかの小説作品では、表向きそんな様子でも裏では腹の探り合いみたいな仄暗い関係性のように描かれていたりするので、当方としては言葉通り仲のいい師弟を見たくて。

イノー先生に書いてもらった『贈間宮倫宗序』、せっかく書いてもらったのにイノー宅に置いて蝦夷地測量に行っちゃったらしいけど、お手紙持っていくと何処かで絶対無くしちゃうから(蝦夷の探検はハードだ)、贈られた言葉を有り難くかみしめて出立したんだよ。僕はそう思ってる!

#間宮林蔵 #伊能忠敬

イラスト

2024年11月7日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

タグの人物名、あだ名だとぱっと見分かりづらいので、実名にしました。
検索避けも意識していたんですが、そもそもRSS公開しているのであんまり意味ないんですよね…笑
ここは、推し人物の小ネタとか妄想を垂れ流す程度の場所であります。そんな真面目じゃないです。

タグを直していたらやっぱり変換でつまづくのがシマ先生。「允」の字が「じょう」で出てくれない(音読み「イン」で出る)。辞書登録するべきかなと思いつつ、「丞」の字を使っている資料もあるので、これはどうしましょうね。
意味的には両方共、"たすける"的なものなので、どちらも間違いではないのだろうし、武士の名乗りとして多い字だけど、便宜上統一はしておきたいので、多くの小説や資料で用いられている「允」を当方では使うことにします。

村上島之允(しまのじょう)は、私の中では「表記ゆれ大王」の異名を持っています。先のように島之丞と表記するものもあり。
昔当時なら旧字の「嶋之丞」もあったように記憶している(嶋の方が当時は正なのでしょうが)。あと「志摩之丞」とか。
伊勢の神職の出身で、そちらの方の別名が秦檍丸(はたのあわきまる)というのですが、この表記も読みもまあ、資料により統一しない。表記は他に「檍麿」「檍磨呂」「檍麻呂」、読みも他に「あわきまろ」「あわぎまろ」「あおきまる」「あおきまろ」など。
島之允も「しまのすけ」とか、また第三者が村上檍丸と呼んでいる資料もあったりで、何通りあるねん!と突っ込みたくなる(笑)
とはいえ、彼の著作絵図の自筆署名には「檍丸」と表記されているので、そちらが正規なのだろうと。

昔の人、他人の名前の表記や読みが意外とアバウトなので、こういう現象が起こりがちなのかな。
幼名や諱とか、また通称とかフリーダムに幾つも持っていたりコロコロ変えたりもあっただろうしな…聞き取りや発音の揺れも影響したのかもしれない。

「檍」は日本書紀に「あわ(は)き」と読む植物(神木?)として登場するらしく、どんな木なのか詳細は不明らしい。園芸種のアオキとも異なるそう。これは神職の出らしい命名だなと思います。

#村上島之允

メモ

2024年11月6日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

今年のNHK大河『光る君へ』で、道長がまひろ(紫式部)に扇を贈る場面があり、そこには幼き日に出会った2人の姿が描かれていたという、あのシーンはグッと来たわけなのですが。
最近、源氏物語を読み返したら、親しい者同士で扇を交換したり〜という趣旨の記述が出てきて、ああこの時代はそんな雅な習慣があったのだなーとか、これがあの脚本に活かされているのかなとか、ドラマと照らし合わせても中々興味深かった。
初めて読んだのは小学生の頃(児童向けの日本の古典シリーズで)だったので、流石に完全理解出来るほどおませではなかったな…

ところで間宮の蝦夷地測量の頃、彼と交際(婚姻?)していたアシメノコというアイヌ女性の存在が伝えられているのですが、2人の間に生まれた子供を祖先とする家系の家紋(イトッパもしくはシロシと呼ぶ)が、アイヌの他家にはない扇形のものが伝えられているといわれ、これは間宮がいつも持っていた扇子をモチーフにしたということらしい。扇はアイヌの道具ではなく、和人のものであるため、その系統に和人の存在があったことの証とも言えるのだとか。

『旭川市史小話』(昭和38年発行)に扇形のイトッパのことが記され、近年では秋葉實氏(故人)により松浦武四郎の記録も精査されてその辺りの輪郭が描かれつつあるようで。アイヌ側の伝承と間宮の故郷の伝承、そして松浦の断片的な記録をつなぎ合わせると、信憑性があることなのではと言われています。

結納とか結婚式では扇子はおなじみだけど、やはりそういうことなのでしょうかね。アイヌ式の婚礼なら扇子は関係ないはずだけど。
もしや間宮が平安時代のノリでアシメノコさんに贈っていたのだとしたら、意外と風流でキザな事をやってるな?と、なんだか光源氏と被って見えて感心したり面白みがあったり、まあこれは妄想になりますね…

この辺りのプライベートエピソード、わたし、気になります!(元ネタはミリしら)

メモ