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江戸期の北方探検家で歴史創作。絵・漫画・設定・調べ物などゆるゆるっとな。


No.26

◆人物叢書『最上徳内』(新装版) 島谷良吉 吉川弘文館 平成元年(原版は昭和52年発行)

人物にスポットを当てて知りたい場合はやはり人物叢書シリーズが良いのでしょうね。
徳内さん関連を復習して再読したので、上げておきます。

初読からは大分経つのですが、吉村昭の『間宮林蔵』>>22では、気難しい大先輩のように書かれていたものの、かなりの北方のエキスパートでもあったということなら是非知っておきたい人物だと思い、こちらを手に取りました。同時期に読んでいたみなもと太郎『風雲児たち』でも最上徳内がクローズアップされており業績は大まかに把握していたこともあって、本書も研究書でも結構面白くて一気に読了した記憶があります。

先日年表を作りながら再読したのですが、著者の熱意が感じられる筆致で、研究書としては血が通っておりまた興味深く読みました。著者は徳内さんの妻おふでさん側の島谷家の縁者の方らしく(そもそも徳内とおふではそれぞれ祖父・曽祖父が兄弟という親戚関係)、それ故の敬愛の念も感じられます。

本文内容の徳内の業績については、このブログでも度々記したので割愛します。

一つこれはえぐいなと思ったのが、遠山景晋に付いて蝦夷地巡見した際に江差の神社に松前章広が奉納した「降福孔夷」の額を「降福紅夷」と読み(くずし字だったためそうとも読めた)、松前藩がロシア側に傾いていると解釈して問題視した件は思わず「国家安康かよ!」と叫びたくなりました(笑)。遠山は、それは詩経の一句だからこじつけは良くないと諌めたものの、結果俎上に上がってこれが松前上地(蝦夷地全域の幕府直轄)の決め手になったというのは、中々の策士振りだなあと。
松前藩のアイヌに対する差配や対露警備もろくになってなかったため、常に上地の機会を幕府側に窺われていたということなのでしょうが。ここに清い人情家というばかりではない徳内の姿が垣間見られてそこも興味深くもあります。それならシーボルトに地図を渡した件も本心はわからないわけで…

この精力的な行動を見ていると、本当は樺太の北部にも行きたかったんだろうな、なんなら島か半島かも自分が見極めたかったんだろうなと思ったりします。間宮などの若手にちょっと嫉妬する黒徳内さんもいたのかもとか。それはそれでなんだか人間臭くていいな。

#最上徳内

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