「ゆるたん。」ブログの方で以前の樽前登山 を記事化するにあたって、軽く樽前山のことをおさらい(地元の山なので調査というよりは)しようとWikipediaを見ていたら、アイヌ語由来で秦檍丸の『東蝦夷地屏風』が出てきておお?となったのでメモっておきます。思わぬところで出てきた島之允先生。 とはいえこの東蝦夷地屏風の実物、実は以前見ているんですよね…2019年に北海道博物館で催されていた、「アイヌ語地名と北海道」で展示されていました。 趣味ドンピシャな展示だったもので、伊能図から近藤重蔵、今井八九郎などの地図や山田秀三の調査資料等々、それはそれは佳い展示でした。前期後期共に足を運んだくらいにはハマりまして。その中に秦の例の屏風も展示されており、これは北海道特に道南〜道東に馴染みのある方には興味深いものだと思います。 しかし観客の視線は主に伊能図の方に集まり、私は秦の屏風の方に熱視線を注いでいたという。いや伊能図も綺麗で良かったですよ。しかしこの屏風は実質秦の最後の大仕事の一つで、没年の前年に完成させたものらしく。49歳で亡くなったというのもなんだか胸に迫るのです。 それほどまでに観ていたにもかかわらず、地元の周辺の山々の部分は見落としたのか、別件のWikipediaで再発見のような形になってしまったのは、記憶力の衰退かな… インターネットは偉大ですね、検索するとすぐ出てきて、しかも全6曲8隻が拡大付きで見られるなんて。 東蝦夷地屏風 (函館市中央図書館デジタル資料館) 4隻目の2曲目にある「ヲフイノボリ」というのが、現在の樽前山に相当するらしいです。形が普通の山ですが、今のような陥没した形になったのは明治期なので、なるほどと思いましたね。元の形を見れたみたいで感慨深い。というか、普通の山の形だったので認識出来なかったのでは…? ただ、その上に恵庭岳らしき名の山もあるので、気づけよと。その間に支笏湖があるはずですが、この角度からだと山の間に隠れて見えないことになるのですかね。これも原因としてありそう。 「燃える山」という意味のアイヌ語らしく、ヲフイノボリ→オフィヌプリ(ohuy-nupuri)→ウフィヌプリ(uhuy-nupuri/こちらが一般的) なのだとか。 絵図が描かれたこの頃から、変わらず火山活動があったということなのでしょう。 それにしても、気になる人物が地元や馴染みの地を記録していたことに勝手に親近感を抱いてしまいます。 そして、シマ先生の画も良いですね…番屋や会所、温泉まで描き込んである。同じく『陸奥州駅路図』でもそうですが現在のような観光地としてというよりは、宿場としての重要なポイントだったから?なのかな…見ていて面白い。 #村上島之允 いいね ありがとうございます! 2026.1.20(Tue) 03:23:40 メモ
「ゆるたん。」ブログの方で以前の樽前登山 を記事化するにあたって、軽く樽前山のことをおさらい(地元の山なので調査というよりは)しようとWikipediaを見ていたら、アイヌ語由来で秦檍丸の『東蝦夷地屏風』が出てきておお?となったのでメモっておきます。思わぬところで出てきた島之允先生。
とはいえこの東蝦夷地屏風の実物、実は以前見ているんですよね…2019年に北海道博物館で催されていた、「アイヌ語地名と北海道」で展示されていました。
趣味ドンピシャな展示だったもので、伊能図から近藤重蔵、今井八九郎などの地図や山田秀三の調査資料等々、それはそれは佳い展示でした。前期後期共に足を運んだくらいにはハマりまして。その中に秦の例の屏風も展示されており、これは北海道特に道南〜道東に馴染みのある方には興味深いものだと思います。
しかし観客の視線は主に伊能図の方に集まり、私は秦の屏風の方に熱視線を注いでいたという。いや伊能図も綺麗で良かったですよ。しかしこの屏風は実質秦の最後の大仕事の一つで、没年の前年に完成させたものらしく。49歳で亡くなったというのもなんだか胸に迫るのです。
それほどまでに観ていたにもかかわらず、地元の周辺の山々の部分は見落としたのか、別件のWikipediaで再発見のような形になってしまったのは、記憶力の衰退かな…
インターネットは偉大ですね、検索するとすぐ出てきて、しかも全6曲8隻が拡大付きで見られるなんて。
東蝦夷地屏風 (函館市中央図書館デジタル資料館)
4隻目の2曲目にある「ヲフイノボリ」というのが、現在の樽前山に相当するらしいです。形が普通の山ですが、今のような陥没した形になったのは明治期なので、なるほどと思いましたね。元の形を見れたみたいで感慨深い。というか、普通の山の形だったので認識出来なかったのでは…?
ただ、その上に恵庭岳らしき名の山もあるので、気づけよと。その間に支笏湖があるはずですが、この角度からだと山の間に隠れて見えないことになるのですかね。これも原因としてありそう。
「燃える山」という意味のアイヌ語らしく、ヲフイノボリ→オフィヌプリ(ohuy-nupuri)→ウフィヌプリ(uhuy-nupuri/こちらが一般的) なのだとか。
絵図が描かれたこの頃から、変わらず火山活動があったということなのでしょう。
それにしても、気になる人物が地元や馴染みの地を記録していたことに勝手に親近感を抱いてしまいます。
そして、シマ先生の画も良いですね…番屋や会所、温泉まで描き込んである。同じく『陸奥州駅路図』でもそうですが現在のような観光地としてというよりは、宿場としての重要なポイントだったから?なのかな…見ていて面白い。
#村上島之允