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江戸期の北方探検家で歴史創作。絵・漫画・設定・調べ物などゆるゆるっとな。


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以前五稜郭公園の箱館奉行所に行った時、資料展示コーナーに歴代の箱館奉行の年表に『函府人名録』が展示(写真・部分)されていて、何の気無く眺めていたら、見覚えのある名前がぽつぽつあって、思わず撮影してしまった。有料の施設のため、撮った写真は自分用としてここには挙げずにおく。

○箱館奉行
・堀織部正
・村垣淡路守(村垣定行は御庭番家で有名な間宮の上司。人名録は安政4年頃なので範正に代替わりしている)

○組頭勤方
・安間純之進

○調役
・向山栄五郎(松浦武四郎と共に樺太・宗谷を調査し現地で亡くなった向山源太夫の養子)

○調役並
・間宮鉄次郎(間宮林蔵の士分を継いだ養子)

○調役下役元締
・梨本弥五郎(神威岬の女人禁制を撤廃させた)

など、これまで北方関連の本を読んできた中で馴染みのある人名が見られて興奮してしまった。
これらは奉行所に所属する役人で、明治以前の北海道史でも重要な位置にある人物だと思う。

あと、調役に「村上愛助」と、調役下役に「最上徳三郎」という名も見えるのだけど、村上貞助や最上徳内の縁者だろうか。
名前が似ているのと、蝦夷地絡みなもので、可能性はありそうだが確証が持てない。

村上愛助は実際箱館奉行の役人として名前が出てくる書物は沢山あるが、続柄についての情報はざっと調べた限り出てこない。

最上徳内の子孫に熊三郎という人物がおり、安政の年代に調役下役だったらしく、のち樺太の探索を行い調役並に昇格して名前を先人と同じく「徳内」と名乗った。元は徳三郎といったのかまたは誤字かも知れないが、同一人物の可能性はある。(参考:北海道史人名字彙 下)

ともあれ、あの人物達の次世代の人達も活躍していた形跡を思わぬ場所で目に出来て、胸を熱くした。

メモ

そういえば吉村小説を読み終えてまずやったのはGoogleMapでサハリンの地図を写真で確認したことですね。北部って本当に湿地帯で無数の沼地があるのですが、間宮の描いた地図にもちゃんと多数の沼地が描かれていて、それは現地の人の話も確認しているのだろうけど、高所に登った感じで(現地周辺に山のような高所は存在しないらしい)俯瞰で描かれているのは地味にすごいことなのではと思ったり。Map見てちゃんと現在でもその沼地が変わらずにあるというのが確認できて、感動してしまった。

サハリンを取材した相原氏も著作で、彼には鳥の目が備わっているというようなことが書かれていたと記憶しているけど、測量術を身に付けた人が体得できる能力なのだろうか。距離感覚に優れていないと出来ないことだよなと思う。

メモ

年明けくらいから吉村昭の『間宮林蔵』を読み返そうと途中まで来て、年表化しつつ読み進めたいと思い直して幾星霜。ぼちぼちやりたいな…
とはいえ史実に忠実とはいえ小説なので、人物叢書とかも参考にしつつやることになるかな。何故か島之允先生が登場したところで思い立った。蝦夷地御用掛雇とか役職もムズカシイね!会社とかもそうだけど役職とか組織図とか苦手過ぎ。幕府だともうさっぱりですわ…まあ下っ端だったということだけはわかる。
それにしても吉村間宮を初めて読んだ時のあの興奮やワクワク感は、二度目以降はもう味わえないのだろうなと思うと少し寂しい。また違う感想や知見が得られるのかな…だといいな…

メモ