龍雲閣 龍雲閣 二十間道路桜並木>>18の終点に位置する、御料牧場時代に建築された貴賓舎である。 御料馬を生産し、日露戦争にも軍馬として供出したこの牧場には、皇族などの高位高官が訪れることが多かったため、当時の韓国皇太子が臨場するのを機会に、前年の明治41年に客舎の建築に取り掛かった。翌年完成し、以後は歴代の皇族方や、近年では平成18年に現上皇・上皇后も臨場されている。 続きを読む一部が二階建ての御殿造となっている。元々は楢の柾葺屋根だったそうだが、昭和47年に修復された際には後の耐久性も考慮して銅板葺としたらしい。 柾葺は北海道では開拓期の家屋によく見られ、エゾマツなどの針葉樹が使われていたが、手間もかかる上寒冷地では耐久性に乏しいため、昭和に入ってからはトタン葺に取って代わられ、今では滅多に見ることがない。薄くした木の皮を張り瓦のように葺いていく手法で、古い家屋の解体でトタン屋根を剥がすと、下に柾葺が現れることもしばしばあるようだ。 この龍雲閣は、桜まつりの期間のみ一般公開されている。見学料は無料。 訪れたのは2012年、この時は母を連れていたので共に見学したが、スタッフの方が建築の説明をし、柾葺の話になると母が反応し上のような会話を交わしていたのを思い出した。母は昭和20年代の戦後の生まれだが、当時はまだ柾葺が見られた時代だったようだ。 見学者の出入りが多く混雑していたため、内部の撮影は控えたが、1階部分には記念館的に食器類や馬具など生活の備品、旧式のカメラ等ゆかりの品、伊藤博文揮毫の書も展示されている。現在も有志により保存活動が進められている。 入れ代わり立ち代わり見学者が訪れる。靴を脱いで上がる。 ※一部加工しています 2階廊下から。小さな社が見える。生馬神社といい、御料牧場の神社である。 御料牧場の旧事務所。牧場は現在、家畜改良センター新冠牧場となっている。大正9年築で昭和44年までは使用されていた。 こちらも屋根を一部改築しているらしいが、窓の造形はモダンで味わいがある。こちらの建物も保存活動の対象となっている。 木の廊下が美しいが、北の環境では木造建築は劣化も早く、保存が大変そうだ。 井戸だろうか。詳細は不明。 内部も見学出来る貴重な歴史的建造物である。老朽で見られなくなることも可能性としては有り得るため、花見と共にこちらも是非見られたし。 畳む #古建築 いいね ありがとうございます! 2024.9.14(Sat) 00:28:39 道央,新ひだか
龍雲閣
龍雲閣二十間道路桜並木>>18の終点に位置する、御料牧場時代に建築された貴賓舎である。
御料馬を生産し、日露戦争にも軍馬として供出したこの牧場には、皇族などの高位高官が訪れることが多かったため、当時の韓国皇太子が臨場するのを機会に、前年の明治41年に客舎の建築に取り掛かった。翌年完成し、以後は歴代の皇族方や、近年では平成18年に現上皇・上皇后も臨場されている。
一部が二階建ての御殿造となっている。元々は楢の柾葺屋根だったそうだが、昭和47年に修復された際には後の耐久性も考慮して銅板葺としたらしい。
柾葺は北海道では開拓期の家屋によく見られ、エゾマツなどの針葉樹が使われていたが、手間もかかる上寒冷地では耐久性に乏しいため、昭和に入ってからはトタン葺に取って代わられ、今では滅多に見ることがない。薄くした木の皮を張り瓦のように葺いていく手法で、古い家屋の解体でトタン屋根を剥がすと、下に柾葺が現れることもしばしばあるようだ。
この龍雲閣は、桜まつりの期間のみ一般公開されている。見学料は無料。
訪れたのは2012年、この時は母を連れていたので共に見学したが、スタッフの方が建築の説明をし、柾葺の話になると母が反応し上のような会話を交わしていたのを思い出した。母は昭和20年代の戦後の生まれだが、当時はまだ柾葺が見られた時代だったようだ。
見学者の出入りが多く混雑していたため、内部の撮影は控えたが、1階部分には記念館的に食器類や馬具など生活の備品、旧式のカメラ等ゆかりの品、伊藤博文揮毫の書も展示されている。現在も有志により保存活動が進められている。
※一部加工しています
こちらも屋根を一部改築しているらしいが、窓の造形はモダンで味わいがある。こちらの建物も保存活動の対象となっている。
内部も見学出来る貴重な歴史的建造物である。老朽で見られなくなることも可能性としては有り得るため、花見と共にこちらも是非見られたし。
畳む
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