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五稜郭公園
五稜郭公園言わずと知れた、北海道を代表する史跡及び観光地である。
函館には何度か訪れているものの、ここをちゃんと歩いたのは2009年が初めてだった。
もっとも、筆者は幕末という時代に正直あまり明るくなく、そちらも勉強せねばと思いつつ何故か大きく興味を惹かれること無く今日まで投げ出したままである。
ちゃんと知識と理解があれば本当の意味で楽しめる場所なのだろうが、先の通りなので無難に景色を楽しむ散策という程度の記録でご勘弁願いたい。
▼2009年5月
当然、高所から眺めなければその形状は掴めないので、まず五稜郭タワーに上って見る。
とはいえ、現在はGoogleMapで手軽に見れるようにはなったが。
タワーは子供の頃にも上った記憶があるのだが、現在のタワーは2006年に新築されているらしいので当時は旧タワーの方だったようだ。
築3年程度だけあって綺麗な建物だった。
この辺がギリギリ星型を把握できる感じだろうか。
中程の大きな倉庫のようなものは、2009年当時は箱館奉行所の復元工事を行っており、その囲いである。
展望室の土方歳三像。やはり載せたくなる佳き佇まいだ(笑)
箱館戦争の舞台だが、元々は幕府の北方警備および蝦夷地統治のために建築されたものである。
石組みが絶妙だ。
桜には遅かったが、藤棚は満開だった。
貸しボートがあったとは…!
外周を1周出来るらしいが中々の運動になりそうだ。
箱館奉行所の囲い。突如現れるビルのようなミスマッチな趣だが、翌年2010年に完成して囲いは取り払われた。
石に番号が振ってある。石組みの際、番号順でなければ綺麗に組めないのだろう。
かろうじてここだけ桜が咲いていた。遅咲きの木なのだろうか。
上りたくなる階段。当然上った。
明治以降は郭内外の建物は解体等で消失したが、ここ兵糧庫だけは残された。老朽化のため復元されている。
箱館戦争で実際に使われたとみられる大筒。左はブラッケリー砲、右がクルップ砲。
五稜郭の設計者、武田斐三郎の顕彰碑。
美しい五芒星の稜郭だが、蘭学を修めていたということで測量技術もこの頃は高度なものになっていたのだろう。
お顔の部分だけ光沢があるのは、撫でると頭が良くなるという謂れがあるからで、修学旅行生などももれなく触れていくからだそうで。
方形に剪定されたツツジと、円形に整った植え込みが可愛い。
▼2021年5月
上記から10年あまり経った。
この時の目的は個人的な調べ物のために函館市中央図書館を訪れたが、五稜郭がすぐ側なので散策をかねて立ち寄った。復元済みの箱館奉行所も見たかった。
渋めの趣な瓦葺きの屋敷と、太鼓櫓が特徴的。完成から10年経つが真新しさを保っている。
千鳥破風と鬼瓦がまぶしい。
入館料は500円だった。木の香りが濃い日本家屋。
襖を開け放った大広間は圧巻。掛け軸の座敷や詰め所に当時の役人の勤務を想像する。
歴史資料のパネル展示もある。役人の名簿に見覚えある人物の名前 を見つけたりと、個人的にも興味深かった。
残念なのは、太鼓櫓に上ることが出来なかったことだろうか。おそらく消防法の兼ね合いだろう。
太鼓の背後が梯子階段になるのだろうが、傾斜が厳しそうだ。
こうして見るとかなりの高さに感じる。高所恐怖症だとそもそも上れなさそう。
櫓上から港湾を見渡したり、時刻を知らせたりしたが、箱館戦争時には標的にされたりもしたらしい。
管理事務所棟と枝垂れ桜。
またもや満開の時期は外したが、ここの枝垂れは時期だった。
散ってしまった桜の木。
その代わり、行く先々に見事な松が見れた。樹齢150年はあるらしい。手入れはされているが見るからに歴史を感じる。
ぐるっと道なりに歩き、そのまま一周しようとしたら石垣工事のために通行止め。タワー方面に向かいたいので引き返すしかないが、あの石に振られた番号が役立つのかな、と思ったり。
満開の時期だと桜のトンネルになりそう。タイミングが難しいものだ。
お堀にはカモの姿もあった。
やっとタワー側へ出て、お昼にした。
「あじさい」でラーメンをと思ったが、店内階段で行列が出来ていたので隣の「ラッキーピエロ」にした。
やはりラッピは函館に来たら食べてしまう。
一周歩き倒すつもりだったが、なかなか広いのと通行止めもあって踏破出来なかった。
北海道史の大舞台となった場所だが、今では観光客も地元民も訪れる歴史と憩いの場所になっている。
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#公園 #花 #碑 #古建築 #飲食
函館・元町方面と坂さんぽ
函館・元町方面と坂さんぽ小樽、室蘭、そして函館など、坂の街に対する憧れがある。
生まれ育ちが平地の街だからというのもあるが、立体的に展開する街並みに人の活動や暮らしの息吹をより近く感じるような気がする。この斜面をよく拓いたな、という驚嘆もある。
しかしそんな感慨は、平地の少ない土地に産業が出来、そこに人が集まればそうせざるを得なかったという事情が土台にあって成立する。特にそう古くない時代に安住の地や新天地をもとめて流れ着いた人々の多い北国の歴史上、そのような性質が色濃い。
坂の街の暮らしの実際は、やはり行き来に大変骨が折れ、特にクルマを持たない世帯や高齢者、また冬期の積雪や凍結ともなれば危険を伴う。筆者の親戚が室蘭の坂の街住まいなのだが、以前そのようなことを漏らしていたのを聞いた。
憧れというものは所詮無いものねだりではあるのだが、それを承知でもやはり視界に立ちはだかったり、眼下に広がる街並みの景色には惹かれてしまう。
函館はその地形から港湾都市や要塞都市として開かれたが、そんな歴史要素が色濃い元町周辺は、傾斜を利用した景観が言うまでもなく美しい。
▼2009年5月
小さい写真は、おそらくコンデジの電池切れで苦し紛れにケータイ(当時はスマホではない)で撮影したものだろう(掲載は撮影順ではない)。
函館の街をちゃんと見て歩いたのはこれが最初だったが、電池切れになるまで歩き回ったということは楽しいものであったのだろう。自分ごとではあるのだが、とても何よりである。
元町公園から眺める旧函館区公会堂。バックに函館山。
公会堂のバルコニーから望む街と港。
入館料必要。筆者は利用していないが貸衣装で撮影も出来る。内部も見学したが生憎写真が残っていない。
前日の夜に訪れていた。ライトアップがされており色合いも把握出来た。
パステル調だが洋館らしい大胆な配色。最近補修されたらしく、この当時より色が濃い目になった感じがする。
明治40年の大火で区民の集会所も焼失したため、地元の豪商相馬氏が大金を寄付し、1910年(明治43)に建てられた。
豪奢で装飾のディテールも細かい。このすぐそばに旧相馬家住宅も残されている。
基坂は元町公園正面から延びる坂。里数を測るための里程元標が立ったことからこの名がついた。
ここから東に進み、坂を見ていく。
「チャチャ」はアイヌ語で老爺の意味。おじいさんのように体を曲げて登るような急坂からついた名。
左側に見えるのは聖ヨハネ教会。
日本最古のコンクリート電柱。
四角柱(四角錐?)の珍しい電柱。1923年(大正12)建築。
おなじみハセスト。
やきとり弁当は有名だけど、クルマで来てしまうと食べるための駐車場所に悩むのでなかなか手を出せない。
新島襄の銅像。
ここから小舟を漕ぎ出してアメリカの商船に乗り込み、密出国に成功しのちに同志社大学の創始者となった。
鎖国の時代に外の世界に関心を持って飛び出した偉人は多い。
旧函館どつく。
この赤白のクレーンは「ゴライアスクレーン」といい、この翌月に撤去されてしまったらしい。
▼2019年5月
市立函館博物館で見たかった展示が開催されていたため訪れた。ちなみに展示は『描かれたアイヌ』。和人の手により描かれてきたアイヌ民族を主題にした絵画作品の展示であった。
せっかくここまで来たので、久々に街歩きと決め込んだ。
初めて訪れた函館公園。「こどものくに」の日本最古の観覧車は小ぶりで可愛いかった。とても懐かしさを感じる遊園地で、多くの子供連れで賑わっていた。
護国神社坂。背後に神社と大鳥居がある。
二十間坂。この先に五島軒本店、更に行くと左手側に最古のコンクリート電柱がある。
市電通り。企業の建物だが、素敵なレトロ感。
もう一つの目的は、北方民族資料館だった。
旧日本銀行函館支店の建物を利用した北方民族関連の展示施設だが見応えは凄い。児玉コレクションには思うところはあるが…
蝦夷錦の実物が見れたのは個人的に嬉しかった。写真はロビーで歓迎してくれるコロポックル。
元町公園横の坂。元町周辺にとって函館山はランドマークである。
洒落たカラフルさが目に楽しい家屋。
函館の坂でもっとも有名であろう場所。八幡坂の天辺から。
「チャーミーグリーン」と言って分かってくれる方も少なくなってきただろうか。
海の見える坂の風景は、やはりなんとも言えない風情がある。
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#公園 #古建築 #文化施設