6月の北海道COMITIA21合わせに新刊を作ったのですが、ちょうどこのブログで小幌海岸>>31を出したので、小幌駅の探索レポとして発行すべく色々調べていましたら、最寄りの岩屋観音絡みで興味深いことが判明したのでここに記しておこうと思います。 小幌駅へは2015年に、国道脇から林道へ入り徒歩で訪れているのですが、途中降りる浜に小幌洞窟があり、その中に「岩屋観音」が祀られています。 上の写真がその小幌洞窟なのですが、鳥居も相まって凄い雰囲気です。こちらは今でも漁師の守り神として、毎年祭礼が行われています。 この岩屋観音、あの円空仏が祀られていることで有名です。こちらに祀られているのは「首なし観音」と呼ばれる(修復された)仏像になります。 入口の鳥居。岩壁の隙間に押しつぶされそうな場所に祀られています。神仏習合の祠になります。 内部は外から見るよりもそこそこ広く、その昔円空上人がここに籠もって仏像を彫ったのだとか。 両脇にあるのは仏像のレプリカで、本物の首なし観音はお堂の奥にあるのか普段は窺うことは出来ません。 と、ここまでは予てから知っていた事柄ですが、実はここで円空上人が彫って安置した仏像は首なし観音の他に4体あったらしく、その4体は北海道内の各地に送られ、今でも祀られている寺社がある、ということを知りました。 円空は1666年(寛文6)蝦夷地に渡り、渡島半島の数カ所で仏像を彫っては安置しています。洞爺湖の近く有珠山にも登り、下山後この小幌海岸に立ち寄り仏像を彫って安置しましたが、有珠山より奥(東側)へは進めなかったため、仏像の背中にはそれぞれ未踏の地名(祀るべく地、山)を彫り、計5体をその場に安置したといわれています。 時は下って1791年(寛政3)、民俗学者の菅江真澄が小幌洞窟で5体の円空仏を発見し、そのうち1体は朽ちていて背中の文字も判別出来なかったとあることから、これが逸話のクマに襲われた首なし観音と思われます。 更にその後、残り4体はその背銘通りにそれぞれの地に送られることになるのですが、それを命じ手配したのがあの松田伝十郎(当時は仁三郎)だったのです。松田がエトモ(室蘭)に勤務していた際>>29、小幌洞窟を巡検し発見した4体の円空仏の背銘を確認し(朽ちた仏像には言及していない)、その通りに各所へ送って安置するのがよいとの判断を下したようです。 4体はそれぞれ有珠奥の院(洞爺湖観音島)、タルマエ(苫小牧)、クスリ(釧路)、ユウバリ(夕張岳が見える?千歳方面)に送られ、有珠奥の院の仏像は現在は有珠善光寺に、タルマエは錦岡樽前山神社、クスリは釧路市厳島神社に今も安置されています。有珠善光寺の仏像は現在北海道の有形文化財に指定されていますが、それに至るまでには紆余曲折があり… (詳しくは拙新刊『徒歩で来た。小幌への道 』の後書きと年表に記しましたので、ご興味ある方はご覧いただけますと幸いです…) ここでも松田伝十郎の名を見るとは思いませんでした。小幌の洞窟はそれまではどちらかというと小幌駅とセットのイメージだったので(そのつもりで駅を訪れた)、別ルートで知っている歴史人物に繋がるという意外性が。しかし円空はそれより昔の人物で、後世の人々の信仰の対象でもあったことを思えばまあ、色々繋がるものなんでしょうね。円空仏を彫ったのもそれを各地に送ったのも(和人が信仰している)仏の教えを広めたいという思惑も当然あったのでしょうし。 今回大変興味深い新刊づくりとなりました。これからもそんな繋がりを沢山知ることになるのでしょう。 このために、何処にも扱いがなく入手を諦めていた松田の『北夷談』の現代語訳を、某所で発見し漸く手に入れることが出来たのも嬉しい出来事でした。 #松田伝十郎 #円空 いいね ありがとうございます! 2025.7.13(Sun) 19:20:29 メモ,旅
小幌駅へは2015年に、国道脇から林道へ入り徒歩で訪れているのですが、途中降りる浜に小幌洞窟があり、その中に「岩屋観音」が祀られています。
上の写真がその小幌洞窟なのですが、鳥居も相まって凄い雰囲気です。こちらは今でも漁師の守り神として、毎年祭礼が行われています。
両脇にあるのは仏像のレプリカで、本物の首なし観音はお堂の奥にあるのか普段は窺うことは出来ません。
と、ここまでは予てから知っていた事柄ですが、実はここで円空上人が彫って安置した仏像は首なし観音の他に4体あったらしく、その4体は北海道内の各地に送られ、今でも祀られている寺社がある、ということを知りました。
円空は1666年(寛文6)蝦夷地に渡り、渡島半島の数カ所で仏像を彫っては安置しています。洞爺湖の近く有珠山にも登り、下山後この小幌海岸に立ち寄り仏像を彫って安置しましたが、有珠山より奥(東側)へは進めなかったため、仏像の背中にはそれぞれ未踏の地名(祀るべく地、山)を彫り、計5体をその場に安置したといわれています。
時は下って1791年(寛政3)、民俗学者の菅江真澄が小幌洞窟で5体の円空仏を発見し、そのうち1体は朽ちていて背中の文字も判別出来なかったとあることから、これが逸話のクマに襲われた首なし観音と思われます。
更にその後、残り4体はその背銘通りにそれぞれの地に送られることになるのですが、それを命じ手配したのがあの松田伝十郎(当時は仁三郎)だったのです。松田がエトモ(室蘭)に勤務していた際>>29、小幌洞窟を巡検し発見した4体の円空仏の背銘を確認し(朽ちた仏像には言及していない)、その通りに各所へ送って安置するのがよいとの判断を下したようです。
4体はそれぞれ有珠奥の院(洞爺湖観音島)、タルマエ(苫小牧)、クスリ(釧路)、ユウバリ(夕張岳が見える?千歳方面)に送られ、有珠奥の院の仏像は現在は有珠善光寺に、タルマエは錦岡樽前山神社、クスリは釧路市厳島神社に今も安置されています。有珠善光寺の仏像は現在北海道の有形文化財に指定されていますが、それに至るまでには紆余曲折があり…
(詳しくは拙新刊『徒歩で来た。小幌への道 』の後書きと年表に記しましたので、ご興味ある方はご覧いただけますと幸いです…)
ここでも松田伝十郎の名を見るとは思いませんでした。小幌の洞窟はそれまではどちらかというと小幌駅とセットのイメージだったので(そのつもりで駅を訪れた)、別ルートで知っている歴史人物に繋がるという意外性が。しかし円空はそれより昔の人物で、後世の人々の信仰の対象でもあったことを思えばまあ、色々繋がるものなんでしょうね。円空仏を彫ったのもそれを各地に送ったのも(和人が信仰している)仏の教えを広めたいという思惑も当然あったのでしょうし。
今回大変興味深い新刊づくりとなりました。これからもそんな繋がりを沢山知ることになるのでしょう。
このために、何処にも扱いがなく入手を諦めていた松田の『北夷談』の現代語訳を、某所で発見し漸く手に入れることが出来たのも嬉しい出来事でした。
#松田伝十郎 #円空