室蘭市本輪西の「伊能橋」。伊能忠敬が蝦夷地測量の時、この本輪西川を渡ったことから名付けられたそうです。室蘭市史に記載されている伝承だそうですが、測量ルートや元々の橋の位置、橋の名称の歴史など近年の研究により、疑わしいとの話も上がっているようで。研究が進んでいることの証なのでしょうね。古くからの街の片隅の風景は味わいがある。川と桜の風景は個人的に大好物です。掲示されている案内板。文字が見えづらいのは反射ではなく、何故か本当に消えていた。訪問は2019年。落書きなのか、色褪せなのか…Googleマップで確認すると、2023年時点では修復されているようですが。 その昔、伊能忠敬がここを渡ったので命名されたといわれている。 五十歳をすぎてから日本全国を測量して歩いた伊能忠敬は蝦夷地の測量のため簡単な測量機械を持って助手など五人とともに江戸を出発した。 寛政十二年(一八OO)六月、室蘭に到着し、陸地の測量を行いながら東へ向かうこととなり、このとき小学校の沢道を通り、現神社下の道を八丁平へ向うため、本輪西川を渡ったとされている。 室蘭市余談ですが、「小学校の沢道を通り」とあるのは、本輪西川沿いにあった旧本輪西小学校のことでしょうか。明治の時代の開校ですが2016年に閉校となり、今はソーラーパネルが立ち並ぶ土地となっています。2014年にドライブで近辺に立ち寄った時には、まだ現役の校舎を確認していたのですが、それから程なくして閉校の話を聞いたので、寂しさと共に時代の流れを感じます。すぐそばのバス停。由来の信憑性はともかく、史跡的な名前のバス停はなかなかグッと来ます…#伊能忠敬 いいね ありがとうございます! 2025.2.28(Fri) 01:17:03 旅
伊能忠敬が蝦夷地測量の時、この本輪西川を渡ったことから名付けられたそうです。
室蘭市史に記載されている伝承だそうですが、測量ルートや元々の橋の位置、橋の名称の歴史など近年の研究により、疑わしいとの話も上がっているようで。研究が進んでいることの証なのでしょうね。
訪問は2019年。落書きなのか、色褪せなのか…
Googleマップで確認すると、2023年時点では修復されているようですが。
余談ですが、「小学校の沢道を通り」とあるのは、本輪西川沿いにあった旧本輪西小学校のことでしょうか。明治の時代の開校ですが2016年に閉校となり、今はソーラーパネルが立ち並ぶ土地となっています。
2014年にドライブで近辺に立ち寄った時には、まだ現役の校舎を確認していたのですが、それから程なくして閉校の話を聞いたので、寂しさと共に時代の流れを感じます。
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