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道の駅 サンフラワー北竜
道の駅 サンフラワー北竜
初めて立ち寄った時のインパクトが強烈だった。
ひまわりの町の道の駅なので、そのようなお花畑的(揶揄ではない)な雰囲気を想像していたら、入口の門にまず圧倒される。
突如そびえ立つ中華テイストの双竜の門。なんのテーマパークかと訝りつつ門をくぐると、広い駐車場にオランダ風の大きな建物が現れる。ヒマワリ要素は道端に立つ外灯のオブジェと、建物の塔のマークにほんのりあるくらいである。いや、オランダといえば風車とひまわり畑、またゴッホのひまわりの絵が連想されるのでその世界観を表しているのか、と最近になって気づいた(多分)。
拙著同人誌の道の駅本 には、そこに気づかずにヒマワリ要素は無いと書いてしまった。認識不足だった。許されたし。

双頭の竜(東洋の竜だと思うので、龍の字が相応しいかも知れない)が向かい合う門はヒマワリのイメージにミスマッチにも思えるが、北「竜」町なのでまあそうなるだろうか。ただこの振り切ったインパクトのお陰で個性的な道の駅として忘れられない存在感がある。

冒頭の写真は2012年のもの。
オランダ風の建物には温泉、ホテル、レストランや売店があり、充実した施設である。
この時のスタンプは、ホテル棟の方で押印出来た。

しかしよく見るとこの門、西洋の城郭にも見える。


改装中の足場が組まれていたので肝心の外観はホテル棟以外は見れなかった。スタンプラリーで短期間で各地を回ると、こんな場面にも出くわすのはあるあるである。


売店ではひまわり油などの製品やお米など北竜産の商品、また黒千石大豆なども扱っている。
離れの24時間トイレも綺麗だったので、休憩に利用しやすい道の駅である。
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#飲食 #道の駅
十割そば 幸舟(休業)
十割そば 幸舟(休業)
2006年に訪問したお店である。あまりに以前なのだが、個人的に美味しかったので記事として残しておく。
ちなみに現在は休業のようだが、代替わりしつつも2023年頃までは営業していたらしい。
苫小牧西部の外れ、国道沿いの赤い洋風の建物に、大きく看板が掲げられて営業していた。
かつてこの建物は「レストハウスみよし」という白壁に赤屋根のドライブイン的なお店で、主に洋食を提供しており、長年続いていたお店だった。
三角屋根が2つ連なった2階建ての大きな建物は、郊外の長く続く国道のランドマークでもあったと思う。
閉店後しばらくして、建物はそのままに壁を全面赤く塗り替え、十割そばの看板を掲げて営業を始めたのは2004〜2005年頃だろうか。
そば屋といえば和風建築のイメージだが、洋食系レストランのままの形で、しかも色が真っ赤(臙脂っぽい和系の赤色だが)だったため、果たしてこの店は美味しいのか?と疑問を持ちつつも「十割」の文言に惹かれ、通勤でこの前を通るたびに気になっていた場所だった。
2006年になってたまたまこちら方面への用事があり、お店も客の入りが多いと聞いていたため、では期待出来るかと利用してみることにした。
写真は天ざるそばの、田舎そば(更科と選べた)。お蕎麦はボソボソ感が無く、コシがありつつもつるつると食べられ、天ぷらや別添のお塩、またおにぎりも美味しかった。そして食後に韃靼そば茶のサービスがとても嬉しかった。建物のインパクトに負けない、良いお店だった。ちなみにこの時は提供まで待たされたという記憶がない。
またここの蕎麦を食べたいと思ったことは幾度かあったが、なにせ郊外に位置するため、また自身の仕事も変わって滅多にそちら方面を通らなくなったのもあり、いつしか記憶の片隅に追いやられてしまった。
この記事を書くに当たって、今も営業しているかと調べると、どうやら休業中らしい。理由は不明だがストリートビューを見るとおそらく閉業寄りの休業ではないだろうか。
あれから20年近く経ち、またコロナ禍があったことを思えば不思議ではないのだが、もうあのお蕎麦が食べられないと思うと残念だ。
残っていた写真が比較的綺麗に美味しそうに撮れていたので、ここに記録しておくことにする。
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#飲食
苫小牧・ふるさと海岸
苫小牧・ふるさと海岸
>>9でふるさと海岸に触れたので調べてみると、こちらもウォーキングコースとして歩きやすくなっていることがわかったため、旧苫小牧川>>33と続けて散歩してみた。>>9は有明町近辺の海だったが、ふるさと海岸はそれより東側、港寄りの高砂・汐見町地区になる。
天気も、晴天とまで行かずとも風はなく波は穏やかで、ゆったりとした散歩が出来た。遠い記憶の荒い海の風景とは違い、しかし砂浜は残されて「遊べる海」となっていた。


途中に半円形のテラス状に張り出した広場(写真・遊歩道右側奥)が2ヶ所ほどある。ベンチ等も特に無い広場だが、見晴らし台のような感じだろうか。












地元にもかかわらず特に期待するものもなかった海が、知らない間に整っていて感慨深かった。そして新しい散歩コースを開拓することとなった。
以下はおまけ。



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#飲食 #公園 #海 #遊歩道 #花
茶房 菊泉
茶房 菊泉
函館元町にある古民家カフェである。
初訪は2009年、元町散歩>>27の締めくくり、帰路につく前に何か食べたいと、古き良き雰囲気の家屋に引き寄せられるように入店するとそこが茶房菊泉で、大当たりの素敵なお店だった。
入口には「大正10年築の酒問屋の別宅跡をほぼ昔のままの姿で喫茶店として利用しています」とある。旧酒問屋の主人とその家族の住居として建てられ、1990年(平成2)までは使用されていたが、函館市の伝統的建造物 に指定されたのをきっかけにリノベーションし、2005年から喫茶店として営業を始めたそうだ。
茶房菊泉
近年某アニメの聖地としても話題となっているが、2023年に一旦閉店し現在は運営者が変わってメニューも一新、当記事に掲載のものは提供されていない。内装も変化しているようなので留意いただきたい。当時のメニューは、前運営者が隣の店舗へ移転して提供しており、甘味や看板メニューのくじら汁もそちらで頂けるようにはなっているらしい。
個人的にはあの古民家の雰囲気でいただくお茶や甘味が好きだったので、少し残念ではあるのだが、本来の菊泉別邸の建物と雰囲気がこれからも残っていってほしいと思う。
▼2009年5月



いわゆる「おばあちゃん家に来たような懐かしさ」を感じる。そのような家の匂いは古い日本家屋に共通のものだが、なんの匂いなのだろうか。畳や木材、囲炉裏やストーブの火種、襖や着物の繊維質などが混合されたような独特の「昔」の匂い。








▼2019年5月
再訪が10年後とは、遠方だから仕方ないがかなり開いてしまったものだ。
元町に来たなら、やはりあの時のお店という感じで来てみた。ちょうどお茶休憩もしたかった。
この10年の間に、某アニメの舞台にもなったらしく、聖地巡りスポットとしてポスターが張られていたり、グッズも販売されていたりで目当てと思われる客の姿もあった。なんなら自分もその一人と思われていた可能性もある。

隣の青い建物は当時は別の喫茶店だったが、現在はそちらに元の菊泉の運営が移転し元(当記事写真)のメニューを提供している。ちなみにそちらの建物も函館市の伝統的建造物となっている。




くじら汁も気になったが、春の陽気の中歩き回ると暑くなるのでやっぱり冷たいものが欲しくなる。
ちゃぶ台の上のけん玉などのおもちゃも遊び心がある。
次訪れることがあった場合、古民家の菊泉の方と、元のメニューを提供してくれるお隣との2軒のハシゴは時間的にも金銭的にも正直辛いので、どちらを選ぶかは悩みどころだ。新メニューの、自分で焼くお団子セットも気になるのでまた菊泉を選びそうな気はするが。
好きだったお店を悩むことなく気楽に利用したいと思うのは、やはり今日においては贅沢なことなのだろうか…
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#飲食 #古建築
旧上歌会館(悲別ロマン座)
旧上歌会館(悲別ロマン座)「日本一人口の少ない市」といわれる歌志内市も、かつては炭鉱の町だった。
国道12号線から東側、赤平市へ抜ける途中の山間に点在する街並みがそれである。
国道を通るだけだとその市の存在に気づかず、通り過ぎてしまう位置関係だが、炭鉱跡に興味を持つと俄然、自分の中で存在感を放つ場所となった。
炭住の名残の住宅群と、チロル地方の建物を模した温泉施設と道の駅が代表的なランドマークとなるだろうか。それらを眺めつつ車を走らせると、赤平へ向かうトンネル手前の街の端に、特徴的な大きな切妻屋根の建物が姿を見せる。
「悲別ロマン座」の看板と、文字を掲げたその建物は、かつて「上歌会館」と呼ばれ、旧住友上歌志内砿の職員厚生施設であり劇場や映画館として使用された。1971年(昭和46)の炭鉱閉山後は放棄され、廃墟化していたが、1984年(昭和59)に放映されたTVドラマ『昨日、悲別で』の舞台として使用され、脚光を浴びた。それを機に有志が修復、保存活動を開始し、その後カフェやイベント会場として活用、近年では文化庁認定の日本遺産「炭鉄港」の構成文化財への追加を目指している(参考:時事ドットコム )とのこと。
初探訪は2009年、2013年までの間に数回訪れた。
当時はカフェとして営業されており、お願いすれば奥の映写室の映写機を見せてもらうことも出来た。
▼2009年6月
このようなレトロ感漂う看板を目にするだけでも気分は盛り上がった。
堂々たるスケール感がある。
「悲別(かなしべつ)」はドラマ中の架空の地名。北海道内の舞台は近辺の上砂川から歌志内、また旧空知炭砿などの協力を得て制作された。
筆者は当時まだ子供だったため、リアルタイムでは視聴していないが、最近になってとある縁で全話視聴することが出来た。
佳作なので多くの方に観てもらいたいのだが、稀にドラマチャンネルあたりで配信されることがある程度で、DVD化などはされていないのが残念だ。シナリオ本が古本として市場に出ていることはある。こちらは個人的に入手済み。
劇中でこの建物は「悲別ロマン座」と呼ばれ、里帰りした主人公が廃墟化した劇場を利用してタップダンスを披露したり、また映画館として使われた最後のパートはとても悲しく印象に残っている。
この「やってない」看板のなんと味わい深いことよ!
元々表側の建物と屋根続きに一つの建物だったが、廃墟化した際に客席部分が崩落して取り除いたということらしい。
今は野外ステージとして機能しているようだ。
▼2012年10月
どの角度から見ても、美しい形だ。
やっと、お邪魔が出来る。「やってない」の裏側が「やってる」になっているようだ。
ドラマの写真パネルが掲示されている。この時はなんとなく目をやったが、ドラマを観た今だととても貴重に思う。
自分も書かせてもらったので、ちゃっかり紛れている、はず。
昭和20年代から使われていたアークライト式で、とても貴重なものだろう。
今でも動かそうと思えば動くらしいが、引火しやすいため今ではなかなかフィルムを貸し出してもらえないとのこと。
当然ながら、オーダーをさせていただいた。今見てもリーズナブルな価格だった。
お味も美味しかった。感動してしまった。
近所の方も食事に訪れていて、賑やかだった。この辺では食事処が少ないため、いつも来ているという方も。他所から来た人間が珍しかったのか、話しかけられてそこから会話が弾むなど楽しい時を過ごさせていただいた。
ずっと歌志内住みの方が、炭鉱時代のこと、特にここに加藤登紀子がコンサートに来てくれたという話を活き活きと語ってくださったことは印象に残っている。当時の活気はこのような感じだったのかなと、タイムスリップしたような感覚を味わった。
外に出て、また建物の周りを観察させてもらった。こちらは主屋側の裏。映画館の頃の客席出入り口に当たると思われる。
▼2013年10月
この時は隣町の「赤平TANtanまつり」に訪れた際、途中で食事をしたく寄らせてもらった。
変わらす館長さんはお元気だった。
食事の方も美味しくいただいた。生クリームで描かれたロマン座、遊び心がにくい(笑)
これ以降はなかなか足を運べず、また悲しいことに放火(小火)や落書き等の被害もあり、コロナ禍を経てカフェも休業状態となってしまった。
館長さんからその後、赤平の駅前で食堂を営業しているとの知らせが入り、機会を見て訪れたいと考えてはいるが、現状の営業状況はわからない。
昨年、市や有志がロマン座の日本遺産登録を目指しているとのニュースを目にした。保存の意欲があるということに少し嬉しくなった。
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#炭鉱 #文化施設 #飲食 #古建築