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フレペの滝(乙女の涙)
フレペの滝(乙女の涙)
>>64知床峠の展望台から羅臼へ向かおうとしたが、まだ時間に余裕があるのでウトロ方面に戻り、フレペの滝を見に行くことにした。
知床観光船>>61から見た、断崖を落ちる別名・乙女の涙を陸地から見ることにする。
知床峠と知床五湖〜岩尾別方面への分岐にある自然センターに駐車し、滝へ向かう遊歩道を散策する。
距離的には1km程度、往復2kmで見学時間を入れても1時間程度で戻ることが可能だ(冬期は別)。足元は少なくともスニーカー着用で。ほぼ平坦な道だが例外なくクマ等出没の危険性はあるため、ルールの確認と落ち着いた行動を心がけたい。詳しくは知床自然センターのサイト にて。
以下2006年の記録である。

周りは灌木などで見通しの良い景色が続く。彼方に灯台が見えるが、行けるのだろうか。
振り返って知床連山を眺めつつ。
フレペの滝展望台。この看板はここを含む知床八景と呼ばれる場所に立っていたが、今でもあるのだろうか。
展望台からの眺め。晴天の下では海の色が際立つ。
海上から見るのとはまた違った迫力、スケール感だ。
地形のため、見えるのは滝の上部のみだが、水量と勢いがある。羅臼岳の伏流水が、地中を通って流れ落ちる。何年かかって地表に出てくるのだろう。
深く切れ込んだ入江の海岸線。


カモメが行き交う断崖。すっかり住処である。
遊覧船か、小型船も行き交う。
こちらは、滝の落ちる真上あたり。足元の地中を滝の水が流れていると思うと、ちょっとワクワクする。
灯台が間近に見えてきた。
ナミキソウというらしい。遊歩道のあちこちに見られた。
宇登呂灯台への道。この道は残念ながら立入禁止となっており、灯台へ辿り着くことは出来なかった。
これは北海道ならではの風景かもしれない。
上の写真を見ると閑散としていそうだが、実際は結構人が多く、展望台は順番待ちだったり遊歩道の場所によっては行列が出来たりと、家族連れも多く賑わっていた。暑さと疲れでぐずっていた子供もいたが、雰囲気的には心細さもなく安心ではあった。適度な運動と、雄大な自然を満喫出来た。
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#花 #滝 #遊歩道 #灯台
小清水原生花園
小清水原生花園
2006年7月、知床方面へのドライブの途中に立ち寄った。
この時、自らの運転で道東方面に行くのは初めてだった。
既に記憶が曖昧なのだが、前日の晩22時頃に出発して温根湯の道の駅で就寝したのが午前3時、午前8時に再出発し途中で仮眠しようとこちらに寄ったようだ。
今ならばまとまった仮眠を取ることを考えてもう少し早めに家を出るなどの行動をするのだが…まあこういうトライアル・アンド・エラーを重ねて慣れていくものなのだなぁと過去を振り返りつつ実感している。
仮眠のために寄ったつもりが、夏の暑い午前中でエアコン必須だったが、アイドリングしっぱなしにするのも気が引け結局眠るのは程々にせっかくなので散策をしてみることにした。園内は現在とさほど変わりは無さそうだが、一応、2006年時の記録ということで。
線路を渡って入園したところで、ちょうど駅に一両列車が入ってきた。JR釧網本線の原生花園駅が目の前にある。
この駅はGW頃から10月頃までの季節営業なのだそうだ。小さく可愛らしい建物で、大草原の小さな「駅」の趣がある。偶然入ってきた列車と合わせておとぎの国の風景のよう。これを見れただけでももう感無量だ。

向こうはオホーツク海。
向こうは濤沸湖。湖畔には野生の馬もいるらしい。人の手が入った花壇とは違い、天然の植生地なので派手な華やかさはないが、よく見るとぽつぽつと咲いているのが見られる。
浜の方へ降りてみる。
白い花はマルバトウキ(丸葉当帰)。セリ科になる。最近話題になっている外来種バイカルハナウド(ジャイアント・ホグウィード)も同じくセリ科の植物。
オオハナウドやエゾニュウもセリ科で、花の付き方がどれも似ているため見分けが付きづらいが、それら在来種の背丈はそれほど高くはない。
セリ科の植物自体はどこでも見かけるものなので、過度に神経質にならず且つむやみに野草に触らないことも必要かと思う。
エゾカワラナデシコ(蝦夷河原撫子)。夏場でも足元を見て歩くと意外と鮮やかなのが咲いている。
これは、開花前のエゾノシシウドか…?(セリ科の同定に自信はない)浜辺で楽しむ人々の姿は叙情的でもある。



やはりハマナスの季節だ。
ヒロハクサフジ(広葉草藤)。
浜へ。素足で歩いてみたら、めちゃくちゃ熱くて慌ててミュールを履き直した。それにしても色々と旅行ドライブ素人だったな…今なら無難にスニーカー履く。怪我の危険性もあるので…
気温が涼しければ浜辺で素足は気持ちいいけどね…

この辺りの砂浜は鳴り砂らしい。歩いてみたもののあまり実感がなかったが。


駅の並びにあるインフォメーションセンターでお土産や軽食が販売されていたので、はまなすソフトなるものをいただいた。
割とよくあるご当地ソフト。薄ピンクっぽい色+ほんのりバラ系フレーバーのほぼバニラソフト。普通に食べられるものだったが今もあるのだろうか。
原生花園の見時は6〜7月だそうだ。
5月には植生を回復させるための「火入れ 」が行われているとのこと。
無料で立ち寄れるので、息抜きにも訪れてみてほしい。
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#公園 #花 #海 #鉄道
常盤台の林道
常盤台の林道
炭鉱メモリアル森林公園>>46の裏手に伸びる林道が気になり、辿ってみたというだけの記事である。
2009年のものだが、現在もさほど変わりない景色だろうと思う。
三菱美唄炭鉱のあった常盤台地区を含む東美唄には、かつて最盛期には3万人が暮らしていたという。裏手の道沿いにも、常盤台小学校や常盤台中学校があり、炭住などが密集していた。昭和30年代の空中写真でも確認できる。
その痕跡をもとめて道を辿ってみたが、結論としては草木が生い茂っていたこともあってか、全くと言っていいほど何も見つけられなかった。
もっと深入りすれば何かしら見つかるのかも知れないが、ドライブがメインでカジュアルに見て歩く程度の意識だったため、探索スキルはまだまだ未熟だった。
それでも当時は楽しくて、跡地を辿れただけでもそれなりに満足していたものだった。
原炭ポケットの辺りから伸びる道を進み、車止めのゲートをくぐって振り返ったところ。
クルマでも通れそうなダートをとりあえず歩いてみた。晴れていて日差しが強く、早速体力を消耗する。
当時は気づかなかったが、マップを見るとこの橋の左手側の下に、何か遺構のようなものがあるように見えるのだが…堰堤だろうか。
右手側にあった堰堤。今となっては珍しくもない砂防ダムなど、こんなものを発見しては興奮していた自分が可愛い。
水が流れるのを見て、しばし涼んだり。
昭和45年に作られた堰堤。炭鉱の閉山より2年ほど前のものだと思えば、これも歴史的建造物に感じる。道は延々と続きそうなので、一旦引き返し、駐車場の手前からクルマで入っていけそうなので辿り直すことにした。
先程の橋を越えて、走り続ける。遺構などの建物の痕跡はまったく見当たらず、森が続くだけである。
しばらく走ると、開けた場所に出て、ルピナスの群生が姿を現した。この周辺が、炭住区だったのかもしれない。
ルピナスは、ノボリフジとも呼ばれる園芸種で、炭鉱街の花とも言われる。炭住に住む人々は、よく庭に綺麗な花を植えていたという。一説に、炭鉱夫は地底の光のない場所で働いているため、生活の場所ではせめてと色とりどりの花を植えたという。ルピナスもその一つだった。繁殖力が強く、人がいなくなった場所にも殖え続け、炭鉱跡地の象徴的な花となった。
元々輸入種のため外来種になるのだろうが、そんなエピソードを聞くと、これも立派な遺産になるのかもしれない。
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#花 #廃 #炭鉱 #林道
炭鉱メモリアル森林公園(旧三菱美唄炭鉱跡)
炭鉱メモリアル森林公園(旧三菱美唄炭鉱跡)
炭鉱遺産に興味を持ち、初めて訪れた場所がこちらの炭鉱メモリアル森林公園である。
元々は三菱美唄炭鉱の跡地で、1対2基の立坑櫓と、それらを操作する開閉所、原炭ポケット、そして封鎖された通洞坑が残されている。これらは炭鉱閉山後に美唄市へ譲渡され、遺産として公園整備されて残っている。施設群は外観のみだが自由に訪れ見学することが出来る。
あくまで森林公園なので、季節によって見やすさは変わる。今まで春、夏、秋と探訪したが、原炭ポケットや坑口などは夏は草木に埋もれて全景を見れないこともある。そんな状態でも自然に還る廃墟美的な魅力があるが、遺産として見物するならやはり春か秋だろう。
▼2009年6月
初探訪。市街地からはかなり離れた山間部の森林地帯になる。空知地方の炭山は内陸部のため、閉山し街も消えれば元の深山に戻る。奥に見えるのは原炭ポケット。三井美唄二坑>>45のものに比べて形も異なれば規模も大きい。
横に目をやれば2つの赤い櫓が見える。芝刈りの跡が見られるので、最低限公園としての整備はされている。
当時は公園の案内図があった。こちらは現存しない看板だ。
ビルのような大きさの原炭ポケット。北海道に現存するものでは最大級のものだそうだ。この規模の建造物が草木に埋もれているのもまた圧巻ではある。


立坑櫓の横にある開閉所の建物。電気系統を制御、操作する場所だったが、設備は撤去され内部は空の状態である。普段は立ち入ることは出来ない。
すぐ横に設置してある看板。
炭鉱現役時の写真が掲載されている。原炭ポケット、三菱のスリーダイヤの建物、当時の炭鉱駅だった常盤台駅など。右写真にはかろうじて立坑櫓らしき姿も見える。張り巡らされたベルトコンベアの建物など、この山間部がこんなに開けていたのかと只々驚く。
立坑櫓から道なりに奥へ進むと、コンクリ製の物体が木々の間から覗く。
2連の坑口「通洞坑」である。左側には三菱のスリーダイヤが掲げられている。▼2011年6月
何故かまた6月に来ていたらしい。
立坑はそれぞれ上風坑、下風坑と呼ばれていた。人員の出入りと排気は上風坑から行われていたらしい。入気は下風坑からか。櫓は操業当時は緑色だったようだが、新築当時は赤色だったため元の色に戻し塗り替えたらしい。森の中では不自然なほどだが、それくらいの色でなければこの場所の存在をアピール出来ないかもしれない。


原炭ポケットは、以前よりも更に緑に埋もれているように感じた。▼2019年5月
春に来たのは初めてだ。晴れていたこともあって青い空に櫓の朱が映える。見通しも良い。
市で建てられた新しい看板。実は2011年時点で既に掲げられていた。写真も交えてわかりやすくなっている。
原炭ポケットの足元が見えている。石垣のようなものもあったとは知らなかった。
公園内には桜の木もあったのだ。咲いているのを見て初めて知った。
写真下に上部分しか写っていないが、立坑櫓のふもとには安田侃作品の黒い『妙夢』(札幌駅にある白い彫刻と同型)が設置されており、より公園らしくなっていた。

春の日差しを浴びて気高く立ち続ける。滑車(ヘッドシーブ)部分もよく見える。
こぶしの花も咲いていた。意外と花の名所なのかも知れない。
通洞坑も全体がはっきりと見えた。三菱マークも健在だ。畳む
#公園 #花 #廃 #古建築 #炭鉱
樽前山2009 奥宮まで
樽前山2009 奥宮まで古くからの苫小牧市民(千歳市民もか)に親しまれている山、樽前山。登山初心者でも登れる、軽登山レベルの山でもある。
筆者も過去には学校の行事で登ったり、また家族で訪れたこともある。年を経た今、集団や誰かと登ったということが嘘のようだ。岩登りや鎖場などの難所がない比較的楽に登れる山だが、個人的には他人とペースを合わせなければいけないことに難儀したり、家族に関しては、両親も老いた今思えばあの頃は皆体力があったなと、あれは本当にあったことなのだろうかとさえ感じてしまう。
樽前山の外観は、2つと無い特徴的な形状である。有史以来幾度も噴火を繰り返しており、火山活動は今日まで続く正真正銘の活火山だ。緩やかな台形状の上辺にもう一つ、コブのような隆起があり、これは溶岩ドームで「樽前山熔岩円頂丘」と名付けられ、北海道指定文化財の天然記念物に指定されている。明治期の噴火でこのドームが形成され、現在の形になったという。
1600年代(寛文期)の噴火では麓に沼地を作り、その内の一つが口無沼>>3といわれている。他の沼もこの時期に形成されたものかもしれない。
かつての山頂部分が陥没しているため、登り切った先はその縁に沿って円を描くように道が続く。これを外輪山という。外輪山の内側、中心部に溶岩ドームがあり、最頂部(1,041m)はこのドームの天辺ということになるが、火山活動のためドーム含む外輪山の内側は立入禁止となっている。外輪山の東側と西側、北側にピークが設けられており、それぞれ東山、西山、北山(932峰)となる。東山が最も高く、1,022mとなり、一般的に登頂といえばこの東山を目指すことが多い。
2009年、登山が初だという友人を連れて、久々に登ることとなった。
山頂に、樽前山神社の奥宮があると知り、それに興味を惹かれた。
元々山を神格化して祀った神社なので、ある意味その発祥の場所にもなる。普段人々が足を運ぶ場所は拝殿や本殿で、元々の本体(歴史的起源)は別の場所にあるという神社のあれこれを知って、妙に納得したものだ。山が御神体の場合は、その山に奥宮があることが多い。
名所を訪れると必ず案内板を撮影してしまうが、大体数年後にはリニューアルされている。その変遷を見るのもまあ面白いのだが。こちらも近年足を運んだ時には変わっていた。
ちなみに7合目からの登山道と山頂ドーム部分、奥宮は苫小牧市の管轄、東山と西山は苫小牧と千歳の境界、北山は千歳市の管轄になるようだ。
東山くらいまでなら、1時間あれば登れるらしいが、運動不足だった我々にははてさて。
まだ先は長いのに、早速我々息が上がって苦しんでいる。
ここで十分眺めが良いので、引き返したくなるが、さすがにそれではあんまりである。
段差にバラつきがあるため、テンポよく足を運べないのが余計に疲労感を増す。
2025年に、修復整備のため登山道を閉鎖していたようだが、今はどうなっているだろう。
他にはシマリスもいた。シャッターチャンスを与えてはくれなかったが。
休み休みのペースで歩みを進めるが、あとから登ってくる人々に次々と追い越される。
その方が楽ではあるのだが、友人の方がこの時点でギブアップしそうになっていて、筆者が先に行くよう促される。
以前は誰かと行くと、ほぼ筆者の方がそうなるパターンだったが、この時は逆の立場になってしまった。本当にそうして良いのか、かと言って相手の回復を待つのが良いのか、判断に迷ってしまった。
この時初めて、遅い人にペースを合わせることの苦労が解った気がした。遅ければ遅いほど良いわけではなく、ハイペースの人が相手の遅さに合わせるとこれまた疲れてしまうのだ。複数名で行くときは、ある程度同レベルのペースの人とでなければお互いつらい目に遭う。団体行動の場で、遅い人にも合わせてくれるガイドの人の体力とスキルには本当に頭が下がる思いだ。
友人には申し訳ないことをしたと思う。幸い登山道は一本道で迷いようがないので、ゆっくり登ってくるか、先程の見晴台まで戻って休むかを選択してもらって、筆者一人で登っていくことにした。
途中でガス(霧)がかかってきた。7合目では晴天だったが雲があったためか、そこまで登ってきているということかもしれないが。
先を行っていた人が、頂上付近までいったものの「何も見えない」と言って引き返してきた。
霧雨も降ってきた。下の方は晴れているのだろうか。残してきた友人のことも心配だ。
若干冷え込んできたのもあり、登れても何も見えないのなら意味がないと、引き返して戻ることにした。
遠く向こうで友人が登ってきていた。正直かなり驚いた。
ここまで来れたなら、今更戻るというのは申し訳ない。追いついて来るのを待ち、少し休んで2人で山頂を目指し再出発した。寒さは登っていれば暑くなる。山の天気は変わりやすいが、これもまた少しは晴れてくれるだろうことを祈って。
それにしても、山の人々は温かい。
我々の様子を見て、頑張れと励ましてくれたり、折角なんだから行ってみたらと気遣ってくれたりと。
楽そうに見えるがこれはこれで滑りやすく、一番気を使う箇所かもしれない。
最近では外来種も蔓延っているようなのだが。
ホタルブクロに似ているが分類的には違う種なのだそうだ。
少し晴れてきたかもしれない。
友人はこれを怖いと言っていた。高所恐怖症だと登山も難しいのかもしれない(筆者もそんなに強くはない)。
緩やかな傾斜だが、踏み外したらと思うと怖い。
ここまで登れればあとは大体平地なのだが…
7合目からは1,250m歩いたらしい。平地なら楽勝でも上りだとこんなに苦しい。
右側はおそらく東山と書いていたのだと思うが、あまりにも視界が悪いので、東山は断念することにした。
西山方面へ向かい、奥宮一本に絞る。
家族で登ったのは30年程前になるが、その際に外輪山の内側(火口原)にも足跡を残した記憶がある。立ち入りが規制されていなかった当時でも火山性ガスの発生があり、ドームに近づく気にもなれなかったが、草も生えない黒土や赤土が広がり、硫黄臭も強くこの世とは思えない景色が広がっていた。
登山者が積んだケルンが幾つもあったのも印象的だったが、そんな景色では賽の河原のようにも思えた。我ら家族も記念にと小ぶりのものを積んでみたのだが、これが賽の河原ならばどんな意味があったのか。何らかの象徴のようにも思えてしまうほどの景色だった。
当時の写真は残念ながら無いが、ずっと印象に残っている。
またまた不安になってきたその時…
鳥居にカラス…まるで神の使いだ。
こんな高所まで来ることがあるのか…不思議な光景。
パワースポット、普段は興味もさほどないのだが…
何らかの理屈があるのだろうか。いやここは神様がいるということにするべきなのだろう。
お賽銭を納め、お参りさせてもらった。
他に来る人もいなかったので、少しここで休憩し、不思議と温かなこの場所で暖をとることに。
今回の大方の目的を果たすことが出来、友人もなんとか無事に登ってこれてよかった。これは途中会った人達と、山の神に感謝。
外輪山の内側、溶岩ドームの方は相変わらず濃霧に埋もれていた。
地面が緑色っぽいのは、植物が一面に繁茂しているのかもしれない。しばらく人が入り込んでいないからだろうか。
座り心地がいいわけでもないが、個人的に休憩地点にさせてもらっている。
完璧な晴れ、快晴でもなければパーフェクトな登山は難しい。
見晴台まで戻り、ここで遅いお昼にした。ただのおにぎりだったのだが、これが疲労した体にものすごく美味しかった。
夏場だと虫が寄ってきそうだが、その前に食べきった。満足!
よもや、奥宮にいたカラスではあるまいな…
並の人で通常は1時間、コースにも依るが東山往復なら2時間あれば十分だそうだが、戻ってきたのは15時、我々は5時間もかけてしまった。初心者レベルとは。
それでもこれをいい機会に、体力づくりをしようと誓うことになるのだった。今振り返ると効果の程はなんとも言えないが。
樽前登山は、その後も幾度か行っているので、また順を追って更新していくつもりだ。
畳む
#花 #鳥類 #山 #神社