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樽前山2009 奥宮まで
樽前山2009 奥宮まで
古くからの苫小牧市民(千歳市民もか)に親しまれている山、樽前山。登山初心者でも登れる、軽登山レベルの山でもある。
筆者も過去には学校の行事で登ったり、また家族で訪れたこともある。年を経た今、集団や誰かと登ったということが嘘のようだ。岩登りや鎖場などの難所がない比較的楽に登れる山だが、個人的には他人とペースを合わせなければいけないことに難儀したり、家族に関しては、両親も老いた今思えばあの頃は皆体力があったなと、あれは本当にあったことなのだろうかとさえ感じてしまう。
樽前山の外観は、2つと無い特徴的な形状である。有史以来幾度も噴火を繰り返しており、火山活動は今日まで続く正真正銘の活火山だ。緩やかな台形状の上辺にもう一つ、コブのような隆起があり、これは溶岩ドームで「樽前山熔岩円頂丘」と名付けられ、北海道指定文化財の天然記念物に指定されている。明治期の噴火でこのドームが形成され、現在の形になったという。
1600年代(寛文期)の噴火では麓に沼地を作り、その内の一つが口無沼>>3といわれている。他の沼もこの時期に形成されたものかもしれない。
かつての山頂部分が陥没しているため、登り切った先はその縁に沿って円を描くように道が続く。これを外輪山という。外輪山の内側、中心部に溶岩ドームがあり、最頂部(1,041m)はこのドームの天辺ということになるが、火山活動のためドーム含む外輪山の内側は立入禁止となっている。外輪山の東側と西側、北側にピークが設けられており、それぞれ東山、西山、北山(932峰)となる。東山が最も高く、1,022mとなり、一般的に登頂といえばこの東山を目指すことが多い。
2009年、登山が初だという友人を連れて、久々に登ることとなった。
山頂に、樽前山神社の奥宮があると知り、それに興味を惹かれた。
元々山を神格化して祀った神社なので、ある意味その発祥の場所にもなる。普段人々が足を運ぶ場所は拝殿や本殿で、元々の本体(歴史的起源)は別の場所にあるという神社のあれこれを知って、妙に納得したものだ。山が御神体の場合は、その山に奥宮があることが多い。
7合目まではクルマで進むことが出来る。駐車場は大抵午前9時頃には満車になってしまう。この時は平日10時頃だったが、普通の区画に停められず、ヒュッテの横に縦列駐車する羽目になった。名所を訪れると必ず案内板を撮影してしまうが、大体数年後にはリニューアルされている。その変遷を見るのもまあ面白いのだが。こちらも近年足を運んだ時には変わっていた。
こちらも写真ベースでそれなりにわかりやすい図だったと思う。ちなみに7合目からの登山道と山頂ドーム部分、奥宮は苫小牧市の管轄、東山と西山は苫小牧と千歳の境界、北山は千歳市の管轄になるようだ。
ここで記帳。計画としては、見晴台経由で東山へ登ったあと、引き返し奥宮へ行き、同じ登山道を降りて戻って来るつもりでいた。東山くらいまでなら、1時間あれば登れるらしいが、運動不足だった我々にははてさて。
入山地点の階段。これを登り切ると見晴台になる。
あそこまで登るのだというのがわかりやすい。森林限界が見えて開けている。
隣接する風不死岳(ふっぷしだけ)の方向。登ったことはないがここより難易度が高いらしい。
見晴台から望む支笏湖。天気もよく素晴らしい眺め、だったのだが。
見晴台は広く開けており、丸太ベンチも幾つかあって休憩もできる。まだ先は長いのに、早速我々息が上がって苦しんでいる。
ここで十分眺めが良いので、引き返したくなるが、さすがにそれではあんまりである。
9月だったのでまだ暖かかったが、山では秋の兆しが窺える。
さあどんどんいっちゃおうねぇ〜…段差にバラつきがあるため、テンポよく足を運べないのが余計に疲労感を増す。
2025年に、修復整備のため登山道を閉鎖していたようだが、今はどうなっているだろう。
斜面の木々が、本当に斜めに生えている。斜めに撮ったわけではない。
こういう泡っぽいものがたまに草や枝に付いているのを見る。クモかホタルっぽい虫の住処だろうなと思っていたら、「アワフキムシ」というカメムシの仲間の幼虫で、泡状の排泄物で作られており、そこでしばらく身を隠して過ごしているらしい。他にはシマリスもいた。シャッターチャンスを与えてはくれなかったが。
休み休みのペースで歩みを進めるが、あとから登ってくる人々に次々と追い越される。
その方が楽ではあるのだが、友人の方がこの時点でギブアップしそうになっていて、筆者が先に行くよう促される。
以前は誰かと行くと、ほぼ筆者の方がそうなるパターンだったが、この時は逆の立場になってしまった。本当にそうして良いのか、かと言って相手の回復を待つのが良いのか、判断に迷ってしまった。
この時初めて、遅い人にペースを合わせることの苦労が解った気がした。遅ければ遅いほど良いわけではなく、ハイペースの人が相手の遅さに合わせるとこれまた疲れてしまうのだ。複数名で行くときは、ある程度同レベルのペースの人とでなければお互いつらい目に遭う。団体行動の場で、遅い人にも合わせてくれるガイドの人の体力とスキルには本当に頭が下がる思いだ。
友人には申し訳ないことをしたと思う。幸い登山道は一本道で迷いようがないので、ゆっくり登ってくるか、先程の見晴台まで戻って休むかを選択してもらって、筆者一人で登っていくことにした。
ここで山の天気の不安定さを思い知る。途中でガス(霧)がかかってきた。7合目では晴天だったが雲があったためか、そこまで登ってきているということかもしれないが。

試されているのだろうか…先を行っていた人が、頂上付近までいったものの「何も見えない」と言って引き返してきた。
霧雨も降ってきた。下の方は晴れているのだろうか。残してきた友人のことも心配だ。
若干冷え込んできたのもあり、登れても何も見えないのなら意味がないと、引き返して戻ることにした。
少し下ったその時。遠く向こうで友人が登ってきていた。正直かなり驚いた。
ここまで来れたなら、今更戻るというのは申し訳ない。追いついて来るのを待ち、少し休んで2人で山頂を目指し再出発した。寒さは登っていれば暑くなる。山の天気は変わりやすいが、これもまた少しは晴れてくれるだろうことを祈って。
それにしても、山の人々は温かい。
我々の様子を見て、頑張れと励ましてくれたり、折角なんだから行ってみたらと気遣ってくれたりと。
階段の場所が終わって軽石敷きの道になる。これらは火山灰である。楽そうに見えるがこれはこれで滑りやすく、一番気を使う箇所かもしれない。
元々はちゃんと階段状になっていたのかもしれないが、崩れやすい土壌でこうなってしまっているような気がする。この丸太に足をかけて登る人は、おそらく皆無だろう。
相変わらず休み休み。座れそうな岩に腰を下ろすとこんな草が。種類はわからないが、植物は大切に。最近では外来種も蔓延っているようなのだが。
登山道の脇にはタルマイソウ(イワブクロ)。ここ樽前山に多く生息しているためにこの名がついている。ホタルブクロに似ているが分類的には違う種なのだそうだ。
これはウラジロタデだろうか。少し晴れてきたかもしれない。
振り返って見る。道が断崖で切れているように見える。友人はこれを怖いと言っていた。高所恐怖症だと登山も難しいのかもしれない(筆者もそんなに強くはない)。
道から下の低い方を見る。霧か雲の境目がはっきりしている。緩やかな傾斜だが、踏み外したらと思うと怖い。
シラタマノキ。よく見る可愛らしい低木。白いのは実で、花は下向きに赤い釣鐘状のものが咲くらしい。
やっと、山頂(外輪山)に着いた。ここまで登れればあとは大体平地なのだが…
奥の景色がホワイトアウトしていて見えない。7合目からは1,250m歩いたらしい。平地なら楽勝でも上りだとこんなに苦しい。
右側はおそらく東山と書いていたのだと思うが、あまりにも視界が悪いので、東山は断念することにした。
西山方面へ向かい、奥宮一本に絞る。
外輪山の内側寄りに立入禁止のローブが張られている。家族で登ったのは30年程前になるが、その際に外輪山の内側(火口原)にも足跡を残した記憶がある。立ち入りが規制されていなかった当時でも火山性ガスの発生があり、ドームに近づく気にもなれなかったが、草も生えない黒土や赤土が広がり、硫黄臭も強くこの世とは思えない景色が広がっていた。
登山者が積んだケルンが幾つもあったのも印象的だったが、そんな景色では賽の河原のようにも思えた。我ら家族も記念にと小ぶりのものを積んでみたのだが、これが賽の河原ならばどんな意味があったのか。何らかの象徴のようにも思えてしまうほどの景色だった。
当時の写真は残念ながら無いが、ずっと印象に残っている。
西山方面へ続く道。
先程の分岐からは10分程歩くらしい。歩く度に霧が濃くなる。またまた不安になってきたその時…

やっと…!鳥居にカラス…まるで神の使いだ。
こんな高所まで来ることがあるのか…不思議な光景。
更に不思議だったのは、ここに来たらピタッと風も霧も晴れ、心持ち暖かくなってきたのだ。パワースポット、普段は興味もさほどないのだが…
何らかの理屈があるのだろうか。いやここは神様がいるということにするべきなのだろう。
この形になったのは昭和27年。ちょっとした古建築になりそうだ。
あまり撮るべきでもないのだが、どんな造りか気になった。お賽銭を納め、お参りさせてもらった。
他に来る人もいなかったので、少しここで休憩し、不思議と温かなこの場所で暖をとることに。
今回の大方の目的を果たすことが出来、友人もなんとか無事に登ってこれてよかった。これは途中会った人達と、山の神に感謝。
西山へはまだ距離があるため、今回はここまでにして下山する。外輪山の内側、溶岩ドームの方は相変わらず濃霧に埋もれていた。
地面が緑色っぽいのは、植物が一面に繁茂しているのかもしれない。しばらく人が入り込んでいないからだろうか。
先程の崖のように見える場所にある、大岩。昔から変わらずある。座り心地がいいわけでもないが、個人的に休憩地点にさせてもらっている。
こんな軽石の火山灰ばかりなので、滑る。下りは気を遣うが、必ず一度は転けているような…
途中でうっすら見える苫小牧の街。街から見えるあの山に、今来ています感。
風不死岳も山頂付近は雲の中。ここまで下りたら晴れてきたので、上と下で天候が違っていたのだろう。完璧な晴れ、快晴でもなければパーフェクトな登山は難しい。
スギゴケか。美しい苔だ。キノコが紛れているのも味わい深い。
陽の光がまばゆい。無事戻ってこれてホッとした。見晴台まで戻り、ここで遅いお昼にした。ただのおにぎりだったのだが、これが疲労した体にものすごく美味しかった。
夏場だと虫が寄ってきそうだが、その前に食べきった。満足!
駐車場に戻ると大きなハシブトガラスが。意外とこの辺には多いのだろうか。よもや、奥宮にいたカラスではあるまいな…
並の人で通常は1時間、コースにも依るが東山往復なら2時間あれば十分だそうだが、戻ってきたのは15時、我々は5時間もかけてしまった。初心者レベルとは。
それでもこれをいい機会に、体力づくりをしようと誓うことになるのだった。今振り返ると効果の程はなんとも言えないが。
樽前登山は、その後も幾度か行っているので、また順を追って更新していくつもりだ。
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#花 #鳥類 #山 #神社
王子製紙苫小牧工場周辺さんぽ(旧道側)
王子製紙苫小牧工場周辺さんぽ(旧道側)
普段はクルマ移動の人間なのだが、ここ数年春から秋にかけては休日に意識して歩くことにしている。とはいえ、目的地で折り返す往復は嫌気が差すため、往路はバスで、復路はウォーキングよろしく徒歩で帰って来るというパターンが多いが。
最近は夏が酷暑のため無理せず、気が向いた時のみなのだが…
2023年と2024年の5月に、昔から馴染み深いランドマークだった王子製紙の工場近くを散歩した。
徒歩でなければなかなか味わえない景色だと思う。
▼2023年5月
まずは腹ごしらえ。コメダ珈琲店が地元に来た時は嬉しくてかなりの頻度で利用していた。当時は夜遅くまで営業しており程よく居心地も良く、積読本を消化したい目的もあった。コロナ禍を境に営業時間が短縮されてしまい、滅多に足を運べなくなったのと、ここのメニューのボリュームを完食出来る自信が最近はめっきり無くなってしまったというのもあり。
この時はピザトーストを久々にガッツリ食べたい強い意志が湧いたため足を運び、帰り道は歩こうと考えた。
西若葉門横から見える赤煉瓦の建物。変電所で大正期の建築らしい。そういえば三笠の幌内炭鉱の変電所も煉瓦造りで同時期の建築だったな、と思い出す。この建物は、小学生の頃に写生会でほぼこの位置にクラス全員陣取って、描いたことがある。懐かしい。炭鉱のことはまあまあ縁があったので結構調べて勉強したが、地元のこちらのことは意外と知らない。身内や親戚、友人など周りに製紙業関係者が居れば身近に感じられたのかもしれないが、不思議と誰一人として繋がりがあるという人に会ったことがない。住んでいた地区の違いか、身内の職業など特に話す必要がないといわれればそうなのだが。
余談だが、かなり以前に短期間ここの構内への配送の仕事をしていたことがある。工場など、関係者以外立入禁止という場所へ入る仕事は、ここに限らず妙な高揚感と独特のアウェー感がある。
踏切を渡って線路沿いを歩く。踏切の手前の線路沿いは旧道と呼ばれていた。国道が整備される前のメイン通りだったと聞く。
紅白の巨大煙突。そして(写真には無いが)樽前山は、予てより市を象徴する風景である。
送木水路。線路の下を潜って構内へ伸びる。紙の元となるパルプの原料の材木はこの水路に投入され、工場内へと流され運ばれる。水路を遡った道路を挟んだ向かい(北側)は木場町といい、その名の通り材木の保管場所となる。昔は材木を運ぶのも人力で、苫小牧銘菓「よいとまけ」の名はその労働の際の掛け声が由来である。
JR北海道苫小牧運転所。
JR苫小牧駅の構内にある「苫小牧構内神社」。一般人・乗客は立ち入れず、駅北口の自転車置き場越しに、社殿の背面を見ることが出来る。正面は駅の改札を抜けホームからズームで見るしかないと思われる。
JR駅構内にある道内唯一の神社「苫小牧構内神社」の社殿が、十月二十二日の例大祭までに改修されることになった。苫小牧駅の線路脇にある高さ約二メートルの小社殿で、道内最大の貨物駅だった半世紀前 、作業中の事故が相次ぎ、安全祈願のため一九六三年に建立されたが、老朽化が進んでいた。 神社は敷地面積約三十平方メートルで、一般の乗客は入れない。高さ約五十センチのコンクリートの土台の上に、約一・五メートルの社殿が立つ。木材の腐食が激しくなってきたため、JR北海道が改修を決めた。 同社などによると、一九五〇年代の苫小牧駅には王子製紙苫小牧工場で加工する丸太が道内各地から運ばれてきた。青函連絡船で届いた生活必需物資を旭川や日高など方面別に振り分ける役割も担い、駅職員は現 在の十六倍の約四百人もいた。 しかし、連結・切り離し作業を急いだ職員が貨車にはねられる事故が多発。毎年のように死者が出たため、旧国鉄が神社を建てた。以後毎年、「鉄道の日」の十月十四日前後に例大祭が行われる。少なくともJR誕生の八 七年以降、死亡事故は起きていないという。
(「駅見守り45年 老朽化で社殿改修へ JR苫小牧「構内神社」」 2008年9月7日 北海道新聞) ※中川木材産業株式会社 木材、木工ニュースアーカイブより
この構内神社を最近知り、散歩の途中で探してみようと通ってみたら案外近くにあり、今まで気づかなかったのが不思議なくらいだった。
地元の人ほど地元を知らないとは、自分に限ればまったく当たっていると思う。
▼2024年5月
この時もコメダ珈琲店に行き、近くのホームセンターに寄ってからのスタート。そのホームセンターに隣接する形で、この空き地と説明板があった。
説明の写真のとおり、この狭く細長い区画は校地の一部で、現在のホームセンターと隣のスーパーなどの区画が全体の跡地になるだろう。実は筆者の母校の隣の校区になり、聞き馴染みはかなりあった。もっとも、青臭い縄張り意識なのか屈折した地域愛がそうさせるのか、田舎の中学生などは近隣の学校の生徒とはいがみ合うものでもあったため、よほどのことが無い限りは他所の校舎を訪れることも無かったのだが。
それでも、都市部で自分が知っている学校が廃校になるとは思わず、このような碑(昔は石碑が多かったが)を見ると寂寞の思いもある。
構内の変電所の赤煉瓦はずっと健在だ。いつまで残ってくれるだろうか。



息づく工場と、代謝を繰り返す自分と街の景色を眺めつつ、帰途についた。
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#工場 #飲食 #古建築 #碑 #鉄道 #神社
樽前さんぽ 2009
樽前さんぽ 2009樽前山の麓には、字名で樽前という地区がある。苫小牧西端の郊外の主に農業地帯の集落である。
山側の奥には樽前ガロー>>2や観音沼、タネト沼など>>3もあり、自然の宝庫でもあるが、人家に近い場所を訪れたことはあまりなかった。
2009年にアート系の展示がこの地区で催されていたため、興味があり訪れてみた。
作業小屋をリノベーションしたギャラリーで、落ち着いた空間に絵画や写真、造形などの作品が展示されていたが、撮影は作家により対応が異なるようだったため、控えた。普段は人も少ない静かな地区だが、この時は入れ替わり立ち替わり観覧客が訪れ、賑わっていた。
現在はNPO法人として活動しているクリエイター集団、樽前arty+ (当時は樽前arty)の造形作家藤沢レオ氏のアトリエが会場となっていた(上の写真は2009年のもので、アトリエ看板は現存していない。現在は事務所が離れにあるようだ)。
この周辺の屋外にも、造形やインスタレーションなどの展示があり、散歩がてら観覧させてもらった。屋外展示も作品の撮影は控えたため、ここでは展示エリアの樽前小学校周辺の風景を掲載する。樽前地区(一部)の散策記事として見てもらえたらと思う。
※一部、景色の中に作品と推測されるものもある。以前のものではあるがもし問題があるなら一報いただきたい。
近年は校舎も新しくなったようだ。
こちらの樽前の神社に関してはざっと調べても詳細が出てこない。苫小牧では大正期に「コイノボリ大火」があったため、詳細の歴史的資料が焼失したために不明なことが多々あるらしい。そのためそれぞれの樽前山神社の関係性はわからない。
この鳥居の奥も展示コースになっていた。
謎のキノコ類。ニカワタケに似ているがキノコの同定は難しいので深入りは避ける。
もしかしたらアートの一環だったのかもしれないが。
ちなみに王子とは王子製紙工場>>69のことだが、時折SNSなどで王子専用道路がネタにされる度にああ、普通はそう思うよなと地元民は再認識することになる。
今眺めていて気付いたが、方位マークを表したものだったのだろうか。もしくはたまたまそう見えるだけだろうか。イガは地面に固定されていないようだったので、これもアートだったとしたなら、あまり人の来ない郊外ならではのものだと思う。
この手のアートは、観覧者の行動も試されているようにも感じる。
足を運ぶ観覧客は皆落ち着いたちゃんとした方達だったのだ。でなければ、あっという間に散らされているだろう。
この頃は筆者も絵を描いたりと、アートに興味があり色々な催しに足を運んだが、次第に自分の根幹とは異質に感じて今ではほぼ関心の外になってしまった。
様々な行動をするに従った結果、自分と縁遠くなれば、そのようなものだとも思う。
ただ誰しも表現することはいつの時代も自由であって欲しいと願っている。
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#イベント #神社