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旧苫小牧川遊歩道
旧苫小牧川遊歩道苫小牧の沼>>3や海>>9の記事を書く過程で調べ物をしていたら、そういえば旧苫小牧川が遊歩道になっていたことを思い出し、またそこからふるさと海岸に出られることも判明したため、先日ウォーキングがてら行ってみた。
王子製紙の南西、三条通の旧三条橋(廃川となったので既に橋の体ではないが)から、ふるさと海岸へ出る吐水口近辺までの全長1kmをまず歩いてみた。
このコースはかつての苫小牧川で、王子製紙の排水先だった。子供の頃、国道を通る際に橋から川の様子が見れたが、当然水質は良くなく、物心ついた頃にはすでに枯れ川になっていた。しばらくすると整地された上、石畳や外灯が取り付けられ、遊歩道に変わっていた。
このような遊歩道に興味があるため、いつか歩いてみたいとは思っていた。
旧三条橋から入り、少し進んだところ。右側の車道と並行して伸びている。
蛇行しているのはかつての川の形に忠実に整地したからだろうか。
民家が近くで種が飛ばされるのだろうか、アサガオが道端におはようございます。
橋近くでは石畳が敷かれている。高低差が川の跡らしくなってきた。
橋の下をくぐる。橋は苫小牧橋で、国道36号線(235号と重複)である。
ここを子供の頃クルマに乗せられて通る度に、川に目をやっていた。
くぐって振り返る。内部の天井には電灯が点り、大きなクモが巣を張っていた。
こういう交差する階段など、立体的な道にグッと来る。右側へ横断するためだけの通路なのだが。
真っ直ぐ石畳を進む。
石畳が切れ、未舗装路へ。
終点まであと少し。
この辺が終点になる。ここまで来ると遊歩道というより踏み跡のようだが、ベンチが設置されており、終点近くに集中して洋燈風の外灯もある。
行き当たりは海へ注ぐ吐水口だが、工場用水を浄化の上、暗渠を設けて流しているのだろうか。あるいは高砂町の浄水場の排水なのかも知れない。
苫小牧川(かつて有珠川と呼ばれていた場所)も、40年程前までは汚染が酷いヘドロ川で、小学生の頃、橋の上から見えた投棄された自転車やリヤカーのようなガラクタが黄土色に変色して何年も同じ場所にあったのを強烈に覚えているが、いつしか河川工事ですっかり綺麗に整地され、水質もかなり改善された。
街も変わっていくが、環境も良い方向に変わっていくのは喜ばしいことだ。
ふるさと海岸>>34へ出てみる。
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#橋梁 #遊歩道 #廃
旧戸井線アーチ橋
旧戸井線アーチ橋旧戸井線は1936年(昭和11)に着工。当時、汐首岬砲台建設が計画されたため、物資や人員輸送を目的とした鉄道路線を敷くべく建設された。
1944年(昭和19)に全線開通を目指し、五稜郭から湯の川を経由し、戸井までの全長29.2kmが計画されていたが、戦局の悪化と資材不足により前年の1943年(昭和18)に工事を中断、戸井までの約3km区間を残し未成のままに終わった幻の路線である。
区間にはアーチ橋もいくつか建設され残されたが、戦時中の資材不足による粗悪な施工といわれ、加えて経年劣化により、近年解体の情報も出ていた。
2009年に恵山の道の駅>>29から函館市街地に向かう際に見たのが初である。道の駅の案内板に記されており、この頃からアーチ橋などの土木遺産に興味があったため、見てみようと注意しつつ走っていると右手に美しいアーチを捉えることが出来た。
▼2009年5月
瀬田来町の蓬内川に架かるアーチ橋。蓬内(よもぎない)橋という。
手前の斜面に作られた石段と鳥居など、立体的な集落の造形も魅力に映る。
橋を近くで見るため、石段を上る。神社の参道となっているようだ。
鳥居をくぐると間近に橋の姿が。橋をくぐった先に何があるのか、こういう集落の細道に興味をそそられる。
ちなみにここは参道のため、この先は瀬田来神社に繋がる。元禄時代の創建と伝えられる、小集落の歴史ある社だ。
戦時の鉄不足の中の施工だったので、鉄筋は使われず木筋や竹筋が用いられたと言われていた。詳細は後述する。
表面の劣化は見られるが、素人目にはまだまだ丈夫そうではある。
橋の上部がどうなっているかも気にはなったが、取り急ぎの見物のため上に出る道まで探せなかった。
ここはもともと蓬内川橋梁といい、撮影時は地区の生活路として橋上部は函館の市道となっていた。
瀬田来地区からしばらく進むと、汐首岬と灯台のすぐ近くに別の立派なアーチが現れた。汐首岬第一陸橋(汐首陸橋)といい、こちらは8連ある。
蓬内橋と同じく、1941年頃竣工のコンクリートアーチ橋である。造形が美しい。しかしここに限らないが、この時代の土木建造物は朝鮮人労働者の徴用やタコ部屋労働の産物であることが多いため、留意が必要だ。
こちらは特に道路橋などに転用されずにきているらしい。
直ぐ側には人家があるため、うろつくのは程々にしたがいつまでも見ていたい造形だった。
▼2012年7月
道の駅スタンプラリー時に、函館から恵山の道の駅へ向かう道すがら気になって寄ってみた。
汐首陸橋は、夏場で木々がこんもりと茂っていたため、電線がなければ山中に眠る橋の様相だったが、変わらず立ち続けていた。3年前と比べて目立った傷みは見られない。
蓬内橋にも寄った。鳥居も変わらずそこにあった。
しかし、こちらの蓬内橋は、この翌年2013年に老朽化を理由に解体され、2014年に新しい橋に架け替えられた。
解体工事の際、竹筋が使用されていると言われていたコンクリート製の内部を調べたところ、補強のない無筋コンクリートだったことが判明し、強度は現在の基準を上回っていたという。
旧戸井線遺構「蓬内橋」、無筋コンクリ製だった(函館新聞2013/3/27)
これは大変興味深い。戦時中の建造物は材料が粗悪だと言われるが、その分を工法で補っていたのだろうか。
旧戸井線の路線跡は湯の川方面の市街地にもあり、緑園通りといい遊歩道やサイクリングロードに転用されているが、そちらに残っていた小型のアーチ橋も道路整備のため取り壊されているらしい。
いずれは汐首陸橋も取り壊される運命にありそうだ。
アーチが見られなくなるのは残念だが、生活の場が近くにあれば安全面には代えられないだろう。
戦前の歴史を物語る遺構が少しずつ、姿を消してゆく。
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#古建築 #橋梁 #廃 #戦跡
東美唄の橋
東美唄の橋炭鉱メモリアル公園>>46へ向かう道すがら、左手にぽつぽつと現れる橋が気になったので、その先を探索してみたくなった。
本線から分かれる脇道や林道が気になってしまう性のため、こちらも例外なく興味が湧く。
美唄川を渡ったその先にも炭住区があったということで、痕跡探しである。
▼2009年6月
公園駐車場入口近くの橋。下部をトラス補強してあるが、片方の欄干は落ちてしまっている。
この状態なので、さすがに進むのは躊躇する。
初夏の穏やかな川の景色。
しばらく下った場所にも橋がある。
欄干がコンクリート製で味わいのある形だが、手前は崩壊しかけている。
▼2009年11月
秋になれば状況も変わるだろうと再訪したところ、こちらの橋の先が行けそうだったため、進んでみることにした。
当然クルマが通れる状態ではないので、徒歩で探索。
苔が絨毯になっている。この時期の苔も美しい。
橋の先の藪をしばらく進むと、堰堤に。
放水が小川を作って流れていく。
この辺りは清水台という地区だったようだ。
この岩は自然物なのか人工物なのか。
おそらく道だったものが岩壁(擁壁)に沿って続いているように見える。
少々高所に上ってきているみたいだ。
メモリアル公園の遺構が見渡せる。櫓とポケットの位置関係がわかるが炭鉱跡だということもわかりやすい。
自然の造形美。
住居跡ではないだろうが、ブロック的な物の破片やパイプのような残骸が残されていた。
苔むしている様子は相当の年月の経過を思わせる。
炭住はまだ奥の方にあったようだが、閉山時に既に撤去されていたことは分かっていたため、ここまでにした。
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#廃 #炭鉱 #河川 #橋梁