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旧美唄市立栄小学校(アルテピアッツァ美唄)
旧美唄市立栄小学校(アルテピアッツァ美唄)アルテピアッツァ美唄は先に述べた通り>>43、廃校となった旧栄小学校校舎と体育館を再利用の形で開設された美術館である。
当記事では屋内のギャラリーやアートスペースと共に、旧校舎の建物としての視点でも見ていくが、2009年時点の撮影のため、建物や展示作品に変化があるかもしれないことをお断りしておく。
大まかに栄小学校の来歴を記す。
旧栄小学校の創立は1946年(昭和21)、盤の沢国民学校の開校に端を発し、翌々年には中学校を併置しのちに分離、別に小学校を設けて児童を分けたが、その後も人口増加に伴い児童数は増え続け、1959年(昭和34)には1,250名を数えた。主に三菱炭鉱従業員の師弟が多く通学していた。しかし程なく三菱の人員削減により児童数は激減し、炭鉱の閉山を経て1981年(昭和56)に閉校となった。
※拙著『北の炭山の骸』 「旧栄小学校」より抜粋。
おなじみの彫刻作品と、校舎遠景。
旧体育館棟。
体育館棟アートスペース入口前の作品。
体育館の窓から望む水の広場と木造校舎。
設置してあるストーブと、展示作品。静謐な空間が広がる。
大理石のユニークな作品群。創造も想像も無限大だ。
改築や増築した部分もあるかと思われるが、元々の造形を最大限に活用している。
螺旋階段を上がった先は、安田侃作品の展示風景写真のギャラリーや書籍、DVDが視聴できるスペースとなっている。
注目は、この天井だろう。円形を連ねたトラスと言って良いのか、とても特徴的な造りが目を引く。
炭鉱町の学校は、景気の良かった時代に建てられたというのもあり中々に洒落ていたり先進的・個性的な造りが多い。
格天井のようだ。
螺旋階段上から。こうして見てみるとさほど広くはなさそうだが、作品と対峙すると広い空間に取り残されているように感じる不思議。
旧校舎棟のギャラリーへ。
入口は外の螺旋階段を上った2階になる。
梁が剥き出しになった木造の空間に、絶妙なバランスで配置された彫刻が調和する。
窓から覗く水の広場。前記事では夏だったが、この時は秋に再訪している。
廊下にも展示されている作品。かつての校舎の雰囲気も保ちつつの配置がとても好感が持てる。
このパックンフラワーのような、植物の芽生えのような作品が妙に好きだ。秘めた生命力を感じる。
真っ直ぐに伸びる廊下はノスタルジー。薄れつつも残るセンターラインは学校だったことを物語る。
窓際にひっそりと佇むイトトンボ。冬の訪れから身を潜めているのだろうか。
筆者の学校時代は近隣には既に木造校舎は見られなかったため、レトロ感もあるが逆に新鮮でもあった。ここに数多くの児童が居たのだと思えば相当に賑やかだったのだろう。
そんな歴史を持ちながらも忘れ去られようとしていた場所が今や人々の憩いの場として再生の道を歩むのはとても理想的な形だと思う。
歴史的遺産として見学するのも面白いかもしれない。
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#古建築 #文化施設 #炭鉱
アルテピアッツァ美唄
アルテピアッツァ美唄アルテピアッツァ美唄は、美唄市と同市出身の国際的彫刻家である安田侃氏が創立した彫刻美術館である。廃校となった美唄市立栄小学校の体育館と校舎をアートスペースとして再生し、野外にも彫刻を展示している芸術公園となっている。
1991年から体育館の改修を始め、翌1992年にはアルテピアッツァ美唄としてオープン、のちに校舎の改修やギャラリーとしての整備等を経て、カフェスペースやワークスペースも設け、休日には多くの人が訪れる評価の高いスポットとなっている。2016年には正式名を「安田侃彫刻美術館 アルテピアッツァ美唄」として登録博物館(美術館)となった。
かつては炭鉱街の小学校だった、味わいのある木造校舎と体育館、広々とした芝生広場に調和の取れた彫刻、子供も楽しめる水場や森林の散策コース等、美しい景色の中思い思いに楽しめるこの施設は、駐車料金も入場料も無料であるため、気軽に立ち寄ることが出来るが、施設維持のための寄附を募っている。グッズの購入もしくはカフェ利用もおすすめだ。
「カフェアルテ」ではドリンクと軽食を提供しており、窓から眺める景色も品良く素敵だ。そんな景色を前に静かにゆったり出来るコーヒータイムは格別だろう。
安田侃彫刻美術館 アルテピアッツァ美唄
▼2009年6月
芝生広場に佇む木造校舎。最盛期では1,000人以上の児童が在籍していた。
端の一角は幼稚園として使われていた。小学校と併設されていた幼稚園は、小学校閉校後もそのまま運営されていたようだが、2020年に閉園している。
離れにある体育館棟。手前の彫刻と同型のものはJR札幌駅にも設置されている。
とてもシンプルな造形なのだが、見慣れると他の場所で出会っても不思議と氏の作品だとわかる。
丘の上の『天翔』という作品。
巣箱のような時計。
大理石の白が眩しい水の広場。
森の中を散策出来る小道もある。
ルート上に作品が点在しているので、探しながら歩くのも楽しい。
自然観察をしながら森林浴も。
このような枕木の階段がところどころに。ちょっとした探索気分も味わえる。
自然も豊かな素敵な美術館だ。
▼2013年2月
冬季のアルテピアッツァ。
雪原にぽつんと佇む木造校舎も独特の味わいがある。
冬も訪れる人がそれなりにあるようで、彫刻へのアプローチも出来上がっている。
体育館と、彫刻が点在しているのが見渡せる。
校舎や体育館のギャラリーは冬季でも見学出来る。
冬空の下、夕日を浴びる彫刻が何かを語りかけてくれそうな感じがする。
どの季節に訪れても、素敵な景色を見せてくれるのだろう。
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体育館棟、校舎棟内部へ
#公園 #古建築 #文化施設 #花
函館・元町方面と坂さんぽ
函館・元町方面と坂さんぽ小樽、室蘭、そして函館など、坂の街に対する憧れがある。
生まれ育ちが平地の街だからというのもあるが、立体的に展開する街並みに人の活動や暮らしの息吹をより近く感じるような気がする。この斜面をよく拓いたな、という驚嘆もある。
しかしそんな感慨は、平地の少ない土地に産業が出来、そこに人が集まればそうせざるを得なかったという事情が土台にあって成立する。特にそう古くない時代に安住の地や新天地をもとめて流れ着いた人々の多い北国の歴史上、そのような性質が色濃い。
坂の街の暮らしの実際は、やはり行き来に大変骨が折れ、特にクルマを持たない世帯や高齢者、また冬期の積雪や凍結ともなれば危険を伴う。筆者の親戚が室蘭の坂の街住まいなのだが、以前そのようなことを漏らしていたのを聞いた。
憧れというものは所詮無いものねだりではあるのだが、それを承知でもやはり視界に立ちはだかったり、眼下に広がる街並みの景色には惹かれてしまう。
函館はその地形から港湾都市や要塞都市として開かれたが、そんな歴史要素が色濃い元町周辺は、傾斜を利用した景観が言うまでもなく美しい。
▼2009年5月
小さい写真は、おそらくコンデジの電池切れで苦し紛れにケータイ(当時はスマホではない)で撮影したものだろう(掲載は撮影順ではない)。
函館の街をちゃんと見て歩いたのはこれが最初だったが、電池切れになるまで歩き回ったということは楽しいものであったのだろう。自分ごとではあるのだが、とても何よりである。
元町公園から眺める旧函館区公会堂。バックに函館山。
公会堂のバルコニーから望む街と港。
入館料必要。筆者は利用していないが貸衣装で撮影も出来る。内部も見学したが生憎写真が残っていない。
前日の夜に訪れていた。ライトアップがされており色合いも把握出来た。
パステル調だが洋館らしい大胆な配色。最近補修されたらしく、この当時より色が濃い目になった感じがする。
明治40年の大火で区民の集会所も焼失したため、地元の豪商相馬氏が大金を寄付し、1910年(明治43)に建てられた。
豪奢で装飾のディテールも細かい。このすぐそばに旧相馬家住宅も残されている。
基坂は元町公園正面から延びる坂。里数を測るための里程元標が立ったことからこの名がついた。
ここから東に進み、坂を見ていく。
「チャチャ」はアイヌ語で老爺の意味。おじいさんのように体を曲げて登るような急坂からついた名。
左側に見えるのは聖ヨハネ教会。
日本最古のコンクリート電柱。
四角柱(四角錐?)の珍しい電柱。1923年(大正12)建築。
おなじみハセスト。
やきとり弁当は有名だけど、クルマで来てしまうと食べるための駐車場所に悩むのでなかなか手を出せない。
新島襄の銅像。
ここから小舟を漕ぎ出してアメリカの商船に乗り込み、密出国に成功しのちに同志社大学の創始者となった。
鎖国の時代に外の世界に関心を持って飛び出した偉人は多い。
旧函館どつく。
この赤白のクレーンは「ゴライアスクレーン」といい、この翌月に撤去されてしまったらしい。
▼2019年5月
市立函館博物館で見たかった展示が開催されていたため訪れた。ちなみに展示は『描かれたアイヌ』。和人の手により描かれてきたアイヌ民族を主題にした絵画作品の展示であった。
せっかくここまで来たので、久々に街歩きと決め込んだ。
初めて訪れた函館公園。「こどものくに」の日本最古の観覧車は小ぶりで可愛いかった。とても懐かしさを感じる遊園地で、多くの子供連れで賑わっていた。
護国神社坂。背後に神社と大鳥居がある。
二十間坂。この先に五島軒本店、更に行くと左手側に最古のコンクリート電柱がある。
市電通り。企業の建物だが、素敵なレトロ感。
もう一つの目的は、北方民族資料館だった。
旧日本銀行函館支店の建物を利用した北方民族関連の展示施設だが見応えは凄い。児玉コレクションには思うところはあるが…
蝦夷錦の実物が見れたのは個人的に嬉しかった。写真はロビーで歓迎してくれるコロポックル。
元町公園横の坂。元町周辺にとって函館山はランドマークである。
洒落たカラフルさが目に楽しい家屋。
函館の坂でもっとも有名であろう場所。八幡坂の天辺から。
「チャーミーグリーン」と言って分かってくれる方も少なくなってきただろうか。
海の見える坂の風景は、やはりなんとも言えない風情がある。
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#公園 #古建築 #文化施設
旧我路映劇 映写室跡
旧我路映劇 映写室跡美唄市に我路という地区があり、ここも炭鉱街だった。全盛期には所狭しと炭住や商店、娯楽施設等が立ち並び、大変賑やかな街並みが形成されていた。炭鉱も閉山し鉄道も廃線となり、今や多くの建物は消え廃屋も目立ち、住まわれている家屋も点在する程度になっている。
かつての駅前周辺には映画館や料亭、また近年まで営業していた焼き鳥屋や郵便局もあった。それらも閉業し、更に寂寥感が増してしまった。
この駅前通りに、上のような廃址が存在している。家屋でもなく、工場のような大掛かりな施設でもない。
ここにはかつて「我路映劇」という映画館があり、その映写室だと言われる。館自体(客席など)は木造建築だったようだが、そちらは撤去か倒壊かで消失している。何故映写室のみ残っているのかというと、フィルムは可燃性で当時の映写機だと火事になることが多かったため、映写室だけは耐火性のあるコンクリート製になっていたからだそうだ。
我路地区には、3軒程の映画館があったらしく、その内の1軒がこの我路映劇であった。
消えた映画館の記憶 美唄市の項 によると、
テアトル我路劇場/我路映劇/我路映画劇場 と館名の変遷があり
開館は1957年(昭和32)、300名程を収容できる映画館だったようだ。
映画館は炭鉱街では代表的な娯楽施設だったのである。
ツタが見事なまでに覆っている。下部はピンク色で特徴的な廃址だ。
漫画『宇宙家族カールビンソン』にも登場している我路映劇。
作者のあさりよしとお氏がここ我路の出身である(生まれは上砂川町)。
多分冬場の方が形を捉えやすいだろう。これらは2009年の撮影である。
隣にあった家屋は(映画館とは無関係)、今ではかなり倒壊してしまったようだ
昭和34年の我路の市街図。下が北側。
我路映劇(赤)、我路駅と我路郵便局(ピンク)が見える。今の状況を見ると、これだけの店舗や家屋が並んでいたとは驚きだ。
地図上ではこの頃から我路映劇と呼ばれていたようだ。
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#廃 #炭鉱 #文化施設