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エスコンフィールドHOKKAIDO
エスコンフィールドHOKKAIDO
>>74の最後に記した親族の婚約顔合わせの儀を終え、翌日に当方の一家総出でその年(2023年)開業したばかりのエスコンフィールドへ行くことにした。顔合わせの主役、弟夫妻の要望である。
筆者といえば地元日ハムの勝敗をチェックして一喜一憂する程度の軽すぎるライトファン層に過ぎず、また混み合う場所も苦手なのでこういった機会でもなければまず行かないと思うのだが、これもまたいい経験と同行させてもらうことにした。
GW真っ只中で、訪れた日は試合は無かったが、それでも真新しい球場には目を引くものが沢山あった。しかし人出も大変多く、撮影はごくごく一部の場所のみに留めた。
※写真に写っている降雪のようなものは、当時使用していたカメラアプリのフィルター加工である。フィルター設定を変え忘れ、スマホの小さい画面では撮影中でも気づかなかった。実際には雪は降っておらず空ももう少し明るかったのでお断りを入れておく。
クルマで来場したため、誘導されるままに駐車。Fビレッジ内のA2辺りだと思われる。料金は1,000円だった。エントランスの階段までもそこそこ歩く。エスカレーターは設置されているが、階段の片側(駅方面側)のみなのは厳しい。逆側(駐車場奥側)にもあるといい。無理なく歩ける我々には難はないが、我々親世代の年寄りには辛そうだった。
写真は階段を登りきった3rd BASE GATE(現F NEOBANK GATE)前の広場から。ここは普段は試合日のみの入場口だが、この日はGWでイベントも行われていたためか無料開放されていた。
かなりの人出だ。FIGHTERSのロゴが眩しい。入場は手荷物検査があった。飲食物(缶・ペットボトル)持ち込みは不可で、持っていた人は没収されていた。
場内にウォーターサーバーはあるのだが、歩く先々にという訳ではなくそこそこ歩き回らなければ見つけられず、しかも見つけた時にはすでに水が切れていた。マイボトルに飲料を入れたものは持ち込みOKらしいが、そこを把握していなければ服薬が必要な持病のある人は詰むことになる。筆者の父のことである。自販機くらいはあると思っていたのだが、真面目にどこにも置かれていない。これはフードコートで高いお茶を買うことで切り抜けたが。
ちなみに場内はすべてキャッシュレス決済である。来た人各自で支払うとなると老齢の現金派は詰むことになる。筆者の両親のことである。結局筆者がまとめて決済した。
ダル!オオタニサン!Tower11の超有名な壁画。周りの人もここを通ると一斉にスマホを向けていた。
1F、上のダル大谷壁画の近辺からマウンド側。日によってはこの屋根がオープンする…この日は閉まっていたが現地の実物を見て開くところを想像すると凄いことだ。
「そらとしば」醸造所のガラス壁。よなよなエールは美味しいがクルマで来ていたので控える。2Fのルーフトップ席の方が眺めも良さそうだ。1Fをしばらく見て歩くが、足の悪い筆者の母が疲れを覚えてきた。人工股関節を入れていることもありあまり無理させたくなかったので、出来れば車椅子を貸してもらおうとしてゲートの受付に尋ねるもバイトスタッフだったのか答えを得られず、何処へ行ったら良いのか足の利く者でぐるぐる探し回り、インフォメーションセンターで貸出していることがわかってやっと借りることが出来た。
ゲートの側に車椅子が何台かあったため、それをすぐ貸してもらえるのかと思っただけに勝手がわからないとかなりキツい。空いている時ならすぐにスタッフを捕まえるなどで解決出来そうだが、混んでいる時ほど詳しいスタッフがどれだけいるのかわからず、逆に尋ねづらさがある。
母の車椅子を押しつつエレベーターを使い無事に2Fへ。一番通路側の最後列でもマウンドが近く見やすい。観覧席の傾斜も緩やかな感じだ。とはいえ野球場に来たのはこれが初めてなのだが。スポーツ以外のイベント含め札幌ドームにすらまともに行ったことがないのだ。
その通り、この日はイベントが行われていて、STV馴染みのアナウンサーやタレントが歌やトークを披露していた。昔よくSTVラジオを聴いていたので、あの人が来ているのかとちょっと注目した。ブギウギ専務の上杉さんも歌が上手い。
3Fまでひととおり回ったが、メインの飲食店は2Fの横丁エリアになるだろうか。どこも行列を作っており、適当に食べたいものに目星をつけて並び、待っている間にメニューを決めておく、ということにしなければいつまで経ってもありつけない。身内のお金を預かって人数分のオーダーをしようとした時に店員にキャッシュレスオンリーだと云われて気づく。並んだのがキャッシュレス使える自分で良かったと思う。観覧席に持ち込んで食べたが、膝の上に乗せつつこぼさないようにと気をつけてさっさと食べてしまったようだ。写真が残っていない。選手(誰かは覚えていなくてすまない)のコラボカツカレーだった記憶がある。まあまあ美味しかったがお値段も張るのでね…
他にもデザート類等、惹かれるお店やメニューはあったが、気軽に手を出せる値段ではない。それだけを食べたいならともかく、あれもこれもとなると厳しい。
弟夫妻はTower11の温泉とサウナに入るとのことで(試合日は入浴しながら観戦出来るらしい)、ここで筆者と両親はひと足早く帰宅することにした。
施設の広さなりに仕方ない面もあるが、歩き回らなければならない分老齢の両親にはやはり大分厳しそうだった。そもそもここに限らず都市部の込み入った場所すらもう面倒臭がってしまい、そのような場所自体もう行けることも無さそうだが。
個人的にはもう少し空いている時に再度見て回りたいかもしれない。駐車場やチケットの心配せず気まぐれにふらっと寄って、回れるくらいならいいのだが(移り気激しいので思い立った時に行けなければしばらく行かない確率が高い)。
ちなみにFビレッジ、ボールパーク、エスコンフィールドを混同してしまいがちだが、球場そのものは「エスコンフィールドHOKKAIDO」、周辺施設を含めたエリアが「北海道ボールパークFビレッジ」となるようだ。Fビレッジの名は地名にも登録されており、ボールパーク全エリアの住所が「北広島市Fビレッジ1番地」となっている。
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#文化施設
トーテムポールの丘(三階滝公園)
トーテムポールの丘(三階滝公園)
>>72三階滝公園を散策していた時に見つけた、エスニック調の木彫。2006年の記録である。
これは心惹かれる。鮭と鷲かな?
人の頭部みたいなのを持ってる??
この角度だとかっこいい。
上の鮭の像の横にも。絶妙な造形だ。
逆側の横にはこちら。狐と人っぽいな? 曲線的な丸みもあって優美にも感じる。
なんとこれらはトーテムポールの木彫のようだ。1989年、旧大滝村の時に姉妹提携したカナダのレイク・カウチン村(現在は町)との友好の印として、カナダ木材を輸入し、建設されたのがこのトーテムポール群とのこと。作られたポールは大滝区内の優徳友情公園と三階滝公園に設置されたとあるが、前者の友情公園は今も存在するものの詳細情報はネット上にはほぼ出てこない。三階滝駐車場の道路を挟んだ向かい側も公園地で丘になっており、そちらにも多くのポールが設置されているとのことなので立ち寄ってみた。

道路に面した階段の上、エントランス的な場所に大きな看板。これも木製だろうか(かなりの重量になりそうだ)。Googleのストリートビューだと見当たらないため、現在は撤去されているものと思われる。
トーテムポールは北米大陸の北西海岸部の先住民(カナダではファーストネーションズと呼ばれる)が作っていたもので、近年は各地で類似のものや独自のものが作られているが、発祥は先のアラスカ、カナダ、アメリカ北部のインディアン(この呼びは今では差別的とされているが、当人らの中には堂々と自称する人もいるそう)である。ポールは神仏像のような信仰の対象ではなく、部族それぞれの氏族にまつわる神話や伝説、生活の出来事などを人や動物の形に表現した「家紋」のようなもの、だという。一族の家系や精神史を表示する意味合いもあるのかもしれないが、現代日本に住む我々には完全に理解するのは難しそうだ。しかし、日本でも盆や正月等の年中行事や冠婚葬祭等何らかのイベントや式典を行うことを考えると通じるものはあるのかもしれない。刻まれた人や動物たちのデフォルメもどこか漫画的で、親しみやすい感じがする。
個人的なトーテムポールのイメージが、郊外の学校や昔の観光施設、アイヌコタンなどにも同様のものがあり、それらは彩色が施されていない木の地色という認識だったため、着色されているのが意外だったが実はこれが正式なものだとは、初めて知った。もしかすると自分が目にしたものも色落ちして古びたものだった可能性もあるが。
この公園内に立っているものは模倣やレプリカではなく本場の本物で、看板の説明には木材をカナダから輸入して作ったとあることから制作者もカナダから来訪したのだと思われるが、その辺りの詳しい説明が無かったのは残念だ。

階段を上ったところにある鮮やかな像。ポールというより像の造形だ。躍動感がある。
黒・赤・青・黄とカラフルだ。そして大きい。単焦点のコンデジでは収まりきらなかった(もっと離れよう)。
左側は鮭、右はシャチのように見えるがはたして…?
一番上の動物は、その氏族の由来になるという。
歯が出ているので、げっ歯類っぽいな…ネズミかリスか
シャケをカジカジしている像。個人的なお気に入り。
持っているだけではなく、とてもカジカジしている…
下の人みたいなのは、何を表しているのだろう。
意味がわかると凄く面白そうなのだけど…
キツネかな? 内股がなんだか可愛い。
子供を抱いている? 上の動物(鳥?)から守っているとかかな。
絶妙なバランス。横から見ると下のは動物の頭?それぞれ表情に独特な愛嬌がある。説明するようなものではないのかもしれないが、どんな動物でどういった意味があるのか、解説が欲しいところだ。
マップに最近の写真が投稿されているのを見ると、これらのポールも大分年季が入って色落ちしつつあるものも増えているようだ。それはそれで味わい深いが思えばこの訪問から20年、設置されてからだと30年以上経つのだ。トーテムポールは修復や新調するものではなく、建てたらあとは朽ちようが倒れようが自然に任せるものらしい。この丘のポール群もそのようにして自然に還っていくのかもしれない。
滝見の際に散策しつつ異文化に触れてみるのも、面白いと思う。
※以下のサイトを参考にさせていただきました。
・FIRSTNATIONS /カナダインディアンの文化
・なぜ作られたのか? アメリカ先住民の謎多き「トーテムポール」の世界 (サライ)
上のサイトによると「はずかしめのポール」というものもあるらしくウワーッ!となった。これはキビシイね!
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#公園 #文化施設
旧住友赤平炭鉱 立坑櫓
旧住友赤平炭鉱 立坑櫓
住友赤平炭鉱は1938年(昭和13)に開鉱、閉山は1994年(平成6)と、比較的近年まで稼働していた新しい炭鉱の部類である。
そのためか、炭鉱を象徴する立坑櫓の建物がほぼ操業当時の状態で残り、現在ではガイダンス施設も新設され、立坑ヤード内も施設の開館日は見学可能となっている。
日本遺産「炭鉄港 」の構成文化財として登録もされており、北海道産業遺産群の中でも有名なスポットだ。
筆者の初見は2009年で、その時既に立坑櫓の存在を知った上で訪れたが、外観だけでも実物を間近に見るとその大きさに圧倒された。操業時には「住友赤平立坑」のネオン文字が掲げられていたようだが、この時点では既に取り外されていた。
時間的に夕刻を過ぎていたため、まともに撮影出来ずにその場を後にしたが、有志が開催している「赤平TANtanまつり」で炭鉱関連の施設内見学が出来るということで、翌々年の2011年に再訪し、これまた内部の圧倒的な空間と操業当時の様子に思いを馳せつつ堪能させてもらった。
▼2011年10月
看板の背景写真に、掲げられていたネオン文字が確認できる。
見学時間まで余裕があったので、建物の周りを見てみる。こちらは道路に面した一角で、見学参加者の集合場所だった。右側建物奥のシャッターから出入りした。

脇の門からお邪魔して、櫓を正面から。左側は事務所棟。
ぐるっと裏の方に回ってみる。
傍には殉職者の慰霊碑があった。見学時間に集合場所へ向かうと、家族連れなども含めかなりの人が集まっていた。
当時から関心の高さが窺われた。
シャッターが開けられ、内部に入ると従業員の繰込所と思われる一室になり、そこでヘルメットを着用しガイドの説明を聞いた上で立坑ヤード内へ。
ガイドはこちらで働いていた元炭鉱マンの三上氏である。今日に至るまでガイドを務められている。立坑の仕組みやエピソードなど、軽妙かつ分かりやすく興味深い話を色々聞かせていただいた。
櫓の真下、立坑坑口へ下ろすゴンドラの柱部分。櫓の上部に滑車(ヘッドシープ)があり、巻き上げ機でワイヤーケーブルを制御し昇降させる。
柵の奥に昇降口があり、石炭を積んだ炭車を上げ下ろししていた。
炭車。黄色い方はバケットが傾き石炭の積み替えが容易になった新型のもの。
石炭を運び出す炭車のレール。そういえばこちらの原炭置き場や選炭場も近くにあったと思うのだがどの辺りだったのだろう。名残でもあるのだろうか。
一対の信号室の片方。
天井が高く、壮大な空間となっている。
人員を運ぶ立坑エレベーター、こちらは順番に箱に載せてもらい鉱員の気分を体感。一つの箱に6人×3列で定員18人で載っていたらしく、これも実際に見学者18人ずつ乗り込んで再現。
なかなかの詰め込み状態で、毎秒約6m、最高深度約600mまで昇降していたという。
これが4段構造になっているため、最大定員72名まで一度に運べるものだった。
斜坑で使われていた坑内人車の内部。鉱員の移動に使用されていた。元々坑内にあるべきものだが、こちらに移して展示されている。体の大きな人だと膝が前方の仕切りにつっかえそうだ。
信号室の内部。近代の炭鉱労働は機械技術的側面も強いことを教えてくれる。(正面の映り込みは筆者)
椅子の座布団に働く人の血の通った部分が垣間見える。玖保キリコのキャラクター懐かしすぎる…
閉山当時のカレンダーが掛かったまま。時の経過を感じる。
作業階段を上階へ。ケーブルを巻き取る動力滑車(ケーペプーリ)。さすがに大きい。

巻上機。施工に携わった安川電機の銘がある。
施設の傷みが少ないため、通電すれば今でも動かせるとのこと。
消火設備の記録板。こちらも閉山時まで記録され続けたもの。
住友赤平は、大きな事故が少なく優秀な炭鉱だったといわれている。
立坑の建設は1963年(昭和38)、それからこの時点で50年近く経過しているが、かなり堅牢に作られているのか目立った傷みもなく、今日まで残るものになっているのもまた凄いと思う。
▼2012年10月
翌2012年は、赤間炭鉱のズリ山に登った後にTANtanまつりに滑り込み、立坑櫓のライトアップ待ちで撮影したものである。
2011年時にもライトアップは見ているのだが、肝心のそちらの写真は写りが稚拙だったため、残っていない。
曇り気味だったが、日暮れの空の色が何とも言えない渋い色合いで良かった。
櫓部分のアップ。シルエットになるとクールで格好いい。
逆側から。ここの立坑施設はアングルが限られるため、地味に撮影が難しいかもしれない。
立坑前の事務所と道路。このあとにライトアップ点灯、昨年に続き赤平名物のがんがん鍋(豚汁ベースのモツ鍋)をいただいた。
▼2013年10月
更に翌年も、まつりに合わせて訪れた。3年連続で同じ場所に行くというのは個人的には珍しいことだと思う。
この間にカメラも一眼に新調したこともあり、新たに撮影に行きたい思いもあった。
とはいえ拙いものではあるが、画像のみ淡々と上げていくことにする。


この時も、内部見学に参加し、再びケージ18人乗り体験をさせてもらった。数百メートルの地下では太陽光がそもそも届かないので、ライトなしで目が慣れるということは決してない、というお話を改めて聞いて過酷な環境だったということを再確認。
でも、ネズミはちょろちょろと動き回っていたというのも聞き、ヒトと動物の能力の違いにも驚く。餌の調達は可能だったのだろうか。






バケットが片方に傾斜し、石炭を移し替える様子の写真が展示されている。



立坑の設計図。仕組みが簡易的にわかるようになっている。
ケーブルを通した天井の穴。
この年もライトアップがあり、やっと撮れた一枚。この夜は立坑の壁面を利用して、プロジェクターで炭鉱の歴史の映像を流しており、思わず見入ってしまった。
おまけに。この年は会場にもキャンドルが灯され、幻想的な雰囲気を醸し出していた。▼2018年11月
しばらくご無沙汰だったが、2016年に立坑や関連施設が住石マテリアルズから赤平市に譲渡されたのを機に周辺整備が進み、2018年には炭鉱ガイダンス施設が新設されていた。
この年のTANtanまつりでは施設駐車場がイベント会場となり、屋台の出店や著名人ゲストが呼ばれて大変な賑わいだった。
筆者自身はこの年に入院・手術を経験したため、リハビリと称して久々に遠出をして来たのがこちらだった。そのため立坑見学は遠慮してガイダンス施設の見学と、軽く立坑の撮影だけに止めた。
人が多かったため、写真は厳選した。



遺産保存への道筋を(初訪以前から動きはあったため途中からだが)辿っているようで、余所者の一見学者に過ぎないがとても感慨深くもある。
現在ではガイダンス施設の開館日に有料で立坑内部のガイド付き見学が可能になっている。とはいえガイド料も非常にお値打ち設定だと思うので、利用して損はないはずだ。
炭鉱や産業遺産に関心のある方にはぜひおすすめしたい。
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#炭鉱 #古建築 #碑 #イベント #文化施設
旧上歌会館(悲別ロマン座)
旧上歌会館(悲別ロマン座)
「日本一人口の少ない市」といわれる歌志内市も、かつては炭鉱の町だった。
国道12号線から東側、赤平市へ抜ける途中の山間に点在する街並みがそれである。
国道を通るだけだとその市の存在に気づかず、通り過ぎてしまう位置関係だが、炭鉱跡に興味を持つと俄然、自分の中で存在感を放つ場所となった。
炭住の名残の住宅群と、チロル地方の建物を模した温泉施設と道の駅が代表的なランドマークとなるだろうか。それらを眺めつつ車を走らせると、赤平へ向かうトンネル手前の街の端に、特徴的な大きな切妻屋根の建物が姿を見せる。
「悲別ロマン座」の看板と、文字を掲げたその建物は、かつて「上歌会館」と呼ばれ、旧住友上歌志内砿の職員厚生施設であり劇場や映画館として使用された。1971年(昭和46)の炭鉱閉山後は放棄され、廃墟化していたが、1984年(昭和59)に放映されたTVドラマ『昨日、悲別で』の舞台として使用され、脚光を浴びた。それを機に有志が修復、保存活動を開始し、その後カフェやイベント会場として活用、近年では文化庁認定の日本遺産「炭鉄港」の構成文化財への追加を目指している(参考:時事ドットコム )とのこと。
※追記2025.8.4:「日本遺産「炭鉄港」の認定継続 文化庁 歌志内「悲別ロマン座」を追加(北海道新聞 2025.7.31) 」
初探訪は2009年、2013年までの間に数回訪れた。
当時はカフェとして営業されており、お願いすれば奥の映写室の映写機を見せてもらうことも出来た。
▼2009年6月
道路脇の看板。当時の道路地図にもこの名で記載されており、いつか立ち寄ってみたいと思っていた。このようなレトロ感漂う看板を目にするだけでも気分は盛り上がった。
ルピナスの群生が炭鉱町であったことを物語るかのようだ。
大胆にせり出した屋根。造形が見事だ。堂々たるスケール感がある。
『昨日、悲別で』作者倉本聰の手による看板。「悲別(かなしべつ)」はドラマ中の架空の地名。北海道内の舞台は近辺の上砂川から歌志内、また旧空知炭砿などの協力を得て制作された。
筆者は当時まだ子供だったため、リアルタイムでは視聴していないが、最近になってとある縁で全話視聴することが出来た。
佳作なので多くの方に観てもらいたいのだが、稀にドラマチャンネルあたりで配信されることがある程度で、DVD化などはされていないのが残念だ。シナリオ本が古本として市場に出ていることはある。こちらは個人的に入手済み。
劇中でこの建物は「悲別ロマン座」と呼ばれ、里帰りした主人公が廃墟化した劇場を利用してタップダンスを披露したり、また映画館として使われた最後のパートはとても悲しく印象に残っている。
初探訪は惜しくも休業日だったらしく、外観だけ見させてもらうに留まった。この「やってない」看板のなんと味わい深いことよ!
窓際の可愛らしい手作りマスコット。
建物裏に回ると、他にもステージ状の建物が。元々表側の建物と屋根続きに一つの建物だったが、廃墟化した際に客席部分が崩落して取り除いたということらしい。
今は野外ステージとして機能しているようだ。
ペンケウタシナイ川に掛かる橋。この先は「ニングルの森」という散策路になるようで気になるのだが、夏場はちょっと行く気になれない…
前庭には、炭鉱で使われていたであろうトロッコが展示されていた。▼2012年10月


3年経ってのリベンジ。どの角度から見ても、美しい形だ。
「やってる」!やっと、お邪魔が出来る。「やってない」の裏側が「やってる」になっているようだ。
勇気を出して扉を開けると、館長さんが気さくに挨拶して招き入れてくれた。ドラマの写真パネルが掲示されている。この時はなんとなく目をやったが、ドラマを観た今だととても貴重に思う。

ここを訪れた人々の感想が絵馬のようにびっしりと貼られている。自分も書かせてもらったので、ちゃっかり紛れている、はず。
訪れた理由など色々お話したら、奥の映写室を案内してくれて、当時の映写機を見せてくださった。昭和20年代から使われていたアークライト式で、とても貴重なものだろう。



ここに石炭を入れて、熱して動かしていたらしい。今でも動かそうと思えば動くらしいが、引火しやすいため今ではなかなかフィルムを貸し出してもらえないとのこと。
この時は、館内で写真展が開催されていて、よく見ると当時の知り合いの方で世間は狭いと驚きつつ拝見した記憶。当然ながら、オーダーをさせていただいた。今見てもリーズナブルな価格だった。
カフェラテを注文したら、なんとデザートまで付いてきた。メニューをよく見ると、「お菓子付き!」とある。
スポンジケーキに、アイスのデザート。ドリンクとこれで340円は破格である。お味も美味しかった。感動してしまった。
近所の方も食事に訪れていて、賑やかだった。この辺では食事処が少ないため、いつも来ているという方も。他所から来た人間が珍しかったのか、話しかけられてそこから会話が弾むなど楽しい時を過ごさせていただいた。
ずっと歌志内住みの方が、炭鉱時代のこと、特にここに加藤登紀子がコンサートに来てくれたという話を活き活きと語ってくださったことは印象に残っている。当時の活気はこのような感じだったのかなと、タイムスリップしたような感覚を味わった。
しばらく談笑してから辞した。外に出て、また建物の周りを観察させてもらった。こちらは主屋側の裏。映画館の頃の客席出入り口に当たると思われる。
上歌会館から悲別ロマン座になるまでの軌跡。
椅子とテーブルが配置されていた。前後でイベントがあったのだろうか。▼2013年10月
この時は隣町の「赤平TANtanまつり」に訪れた際、途中で食事をしたく寄らせてもらった。
変わらす館長さんはお元気だった。
ロマンザのオムカレーをいただいた。もしかしたら特別メニューだったのかも。食事の方も美味しくいただいた。生クリームで描かれたロマン座、遊び心がにくい(笑)
コーヒーは、ヘーゼルナッツフレーバーをチョイスしたように記憶している。
この時は、元々ここにあったピアノの試し演奏などが行われていたようだ。年代物なので調律が難しいなどと会話が聞こえていた。これ以降はなかなか足を運べず、また悲しいことに放火(小火)や落書き等の被害もあり、コロナ禍を経てカフェも休業状態となってしまった。
館長さんからその後、赤平の駅前で食堂を営業しているとの知らせが入り、機会を見て訪れたいと考えてはいるが、現状の営業状況はわからない。
昨年、市や有志がロマン座の日本遺産登録を目指しているとのニュースを目にした。保存の意欲があるということに少し嬉しくなった。
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#炭鉱 #文化施設 #飲食 #古建築
旧落合会館(栄町映画劇場)
旧落合会館(栄町映画劇場)旧東明駅舎>>82やアルテピアッツァ美唄>>43>>44からほど遠くない場所に、若干派手目な色合いの建物がある。
こちらも、炭鉱時代の映画館だった場所である。
通称「落合会館」といい、落合町にあるためそう呼ばれていたようだ。
このアングルしか撮っていないため分かりづらいが、奥行きがそこそこあり、定員800人を収容できたといわれている(※後述参照)。
2009年に撮影したが、この当時から民間企業の所有となっており、現在も敷地内は立入禁止となっている。
外観のみ拝見させてもらった。
外壁も色褪せているため全体像がどうだったのか、いつ頃描かれたものかは不明だが、昭和の景気の良かった時代なら割と自由度も高く、飛び抜けたものも多かったのかもしれない。
この旧落合会館は、消えた映画館の記憶 美唄市の項 によると、栄町映画劇場/栄町会館 とあるのがそれと思われる。
開館が1960年頃で、1961年の名簿では三菱鉱業の経営だったらしく、定員は500とある。上で800人と書いたが、これも筆者が探訪当時に伝え聞いていた情報で、今となっては出所が何処だったかはわからない。当時参考にさせてもらったサイトの多くは閉鎖となり、確認のしようがない。口伝からだとしたなら尾鰭もつきそうなのでまあ、あるある案件だろう。
閉館は1965年頃とあり、この頃にはあの我路映劇>>49に経営が移っている。この年(昭和40)は三菱美唄炭鉱が三菱鉱業から分社して美唄炭礦株式会社の経営に変わった年である。炭鉱の衰退と共に閉館となり、4〜5年程度の営業だったようだ。
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#炭鉱 #廃 #古建築 #文化施設