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スイーツから廃墟まで。北の国からお送りする日常ゆるゆる探検。2009年から始めた前ブログの記事を再編、移植しています


タグ「文化施設」を含む投稿6件]

旧住友赤平炭鉱 立坑櫓

旧住友赤平炭鉱 立坑櫓

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住友赤平炭鉱は1938年(昭和13)に開鉱、閉山は1994年(平成6)と、比較的近年まで稼働していた新しい炭鉱の部類である。
そのためか、炭鉱を象徴する立坑櫓の建物がほぼ操業当時の状態で残り、現在ではガイダンス施設も新設され、立坑ヤード内も施設の開館日は見学可能となっている。
日本遺産「炭鉄港 」の構成文化財として登録もされており、北海道産業遺産群の中でも有名なスポットだ。

筆者の初見は2009年で、その時既に立坑櫓の存在を知った上で訪れたが、外観だけでも実物を間近に見るとその大きさに圧倒された。操業時には「住友赤平立坑」のネオン文字が掲げられていたようだが、この時点では既に取り外されていた。
時間的に夕刻を過ぎていたため、まともに撮影出来ずにその場を後にしたが、有志が開催している「赤平TANtanまつり」で炭鉱関連の施設内見学が出来るということで、翌々年の2011年に再訪し、これまた内部の圧倒的な空間と操業当時の様子に思いを馳せつつ堪能させてもらった。


▼2011年10月

202503161420023-admin.jpg看板の背景写真に、掲げられていたネオン文字が確認できる。

202503161420021-admin.jpg見学時間まで余裕があったので、建物の周りを見てみる。
こちらは道路に面した一角で、見学参加者の集合場所だった。右側建物奥のシャッターから出入りした。

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202503161420024-admin.jpg脇の門からお邪魔して、櫓を正面から。左側は事務所棟。

202503161420025-admin.jpgぐるっと裏の方に回ってみる。

20250316142041-admin.jpg傍には殉職者の慰霊碑があった。

見学時間に集合場所へ向かうと、家族連れなども含めかなりの人が集まっていた。
当時から関心の高さが窺われた。

シャッターが開けられ、内部に入ると従業員の繰込所と思われる一室になり、そこでヘルメットを着用しガイドの説明を聞いた上で立坑ヤード内へ。
ガイドはこちらで働いていた元炭鉱マンの三上氏である。今日に至るまでガイドを務められている。立坑の仕組みやエピソードなど、軽妙かつ分かりやすく興味深い話を色々聞かせていただいた。

202503161420026-admin.jpg櫓の真下、立坑坑口へ下ろすゴンドラの柱部分。
櫓の上部に滑車(ヘッドシープ)があり、巻き上げ機でワイヤーケーブルを制御し昇降させる。

2025031614200210-admin.jpg柵の奥に昇降口があり、石炭を積んだ炭車を上げ下ろししていた。

2025031614200221-admin.jpg炭車。黄色い方はバケットが傾き石炭の積み替えが容易になった新型のもの。

202503161420029-admin.jpg石炭を運び出す炭車のレール。
そういえばこちらの原炭置き場や選炭場も近くにあったと思うのだがどの辺りだったのだろう。名残でもあるのだろうか。

202503161420027-admin.jpg一対の信号室の片方。

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202503161420028-admin.jpg天井が高く、壮大な空間となっている。

2025031614200222-admin.jpg人員を運ぶ立坑エレベーター、こちらは順番に箱に載せてもらい鉱員の気分を体感。
一つの箱に6人×3列で定員18人で載っていたらしく、これも実際に見学者18人ずつ乗り込んで再現。
なかなかの詰め込み状態で、毎秒約6m、最高深度約600mまで昇降していたという。
これが4段構造になっているため、最大定員72名まで一度に運べるものだった。

2025031614200223-admin.jpg斜坑で使われていた坑内人車の内部。鉱員の移動に使用されていた。
元々坑内にあるべきものだが、こちらに移して展示されている。体の大きな人だと膝が前方の仕切りにつっかえそうだ。

2025031614200226-admin.jpg信号室の内部。近代の炭鉱労働は機械技術的側面も強いことを教えてくれる。
(正面の映り込みは筆者)

2025031614200225-admin.jpg椅子の座布団に働く人の血の通った部分が垣間見える。
玖保キリコのキャラクター懐かしすぎる…

2025031614200224-admin.jpg閉山当時のカレンダーが掛かったまま。時の経過を感じる。

2025031614200211-admin.jpg作業階段を上階へ。ケーブルを巻き取る動力滑車(ケーペプーリ)。
さすがに大きい。

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2025031614200214-admin.jpg巻上機。施工に携わった安川電機の銘がある。

2025031614200218-admin.jpg施設の傷みが少ないため、通電すれば今でも動かせるとのこと。

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2025031614200215-admin.jpg消火設備の記録板。こちらも閉山時まで記録され続けたもの。

2025031614200217-admin.jpg住友赤平は、大きな事故が少なく優秀な炭鉱だったといわれている。

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立坑の建設は1963年(昭和38)、それからこの時点で50年近く経過しているが、かなり堅牢に作られているのか目立った傷みもなく、今日まで残るものになっているのもまた凄いと思う。


▼2012年10月

翌2012年は、赤間炭鉱のズリ山に登った後にTANtanまつりに滑り込み、立坑櫓のライトアップ待ちで撮影したものである。
2011年時にもライトアップは見ているのだが、肝心のそちらの写真は写りが稚拙だったため、残っていない。

20250316234252-admin.jpg曇り気味だったが、日暮れの空の色が何とも言えない渋い色合いで良かった。

202503162342521-admin.jpg櫓部分のアップ。シルエットになるとクールで格好いい。

202503162342522-admin.jpg逆側から。ここの立坑施設はアングルが限られるため、地味に撮影が難しいかもしれない。

202503162342523-admin.jpg立坑前の事務所と道路。

このあとにライトアップ点灯、昨年に続き赤平名物のがんがん鍋(豚汁ベースのモツ鍋)をいただいた。


▼2013年10月

更に翌年も、まつりに合わせて訪れた。3年連続で同じ場所に行くというのは個人的には珍しいことだと思う。
この間にカメラも一眼に新調したこともあり、新たに撮影に行きたい思いもあった。

とはいえ拙いものではあるが、画像のみ淡々と上げていくことにする。

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202503170036321-admin.jpgこの時も、内部見学に参加し、再びケージ18人乗り体験をさせてもらった。
数百メートルの地下では太陽光がそもそも届かないので、ライトなしで目が慣れるということは決してない、というお話を改めて聞いて過酷な環境だったということを再確認。

でも、ネズミはちょろちょろと動き回っていたというのも聞き、ヒトと動物の能力の違いにも驚く。餌の調達は可能だったのだろうか。

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202503170036323-admin.jpgバケットが片方に傾斜し、石炭を移し替える様子の写真が展示されている。

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202503170036328-admin.jpg立坑の設計図。仕組みが簡易的にわかるようになっている。

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202503170036327-admin.jpgケーブルを通した天井の穴。

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2025031700363219-admin.jpgこの年もライトアップがあり、やっと撮れた一枚。
この夜は立坑の壁面を利用して、プロジェクターで炭鉱の歴史の映像を流しており、思わず見入ってしまった。

20250317022836-admin.jpgおまけに。この年は会場にもキャンドルが灯され、幻想的な雰囲気を醸し出していた。


▼2018年11月

しばらくご無沙汰だったが、2016年に立坑や関連施設が住石マテリアルズから赤平市に譲渡されたのを機に周辺整備が進み、2018年には炭鉱ガイダンス施設が新設されていた。
この年のTANtanまつりでは施設駐車場がイベント会場となり、屋台の出店や著名人ゲストが呼ばれて大変な賑わいだった。

筆者自身はこの年に入院・手術を経験したため、リハビリと称して久々に遠出をして来たのがこちらだった。そのため立坑見学は遠慮してガイダンス施設の見学と、軽く立坑の撮影だけに止めた。
人が多かったため、写真は厳選した。

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遺産保存への道筋を(初訪以前から動きはあったため途中からだが)辿っているようで、余所者の一見学者に過ぎないがとても感慨深くもある。

現在ではガイダンス施設の開館日に有料で立坑内部のガイド付き見学が可能になっている。とはいえガイド料も非常にお値打ち設定だと思うので、利用して損はないはずだ。
炭鉱や産業遺産に関心のある方にはぜひおすすめしたい。
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#炭鉱 #廃 #古建築 #碑 #イベント #文化施設

道央,赤平

旧上歌会館(悲別ロマン座)

旧上歌会館(悲別ロマン座)

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「日本一人口の少ない市」といわれる歌志内市も、かつては炭鉱の町だった。
国道12号線から東側、赤平市へ抜ける途中の山間に点在する街並みがそれである。
国道を通るだけだとその市の存在に気づかず、通り過ぎてしまう位置関係だが、炭鉱跡に興味を持つと俄然、自分の中で存在感を放つ場所となった。

炭住の名残の住宅群と、チロル地方の建物を模した温泉施設と道の駅が代表的なランドマークとなるだろうか。それらを眺めつつ車を走らせると、赤平へ向かうトンネル手前の街の端に、特徴的な大きな切妻屋根の建物が姿を見せる。

「悲別ロマン座」の看板と、文字を掲げたその建物は、かつて「上歌会館」と呼ばれ、旧住友上歌志内砿の職員厚生施設であり劇場や映画館として使用された。1971年(昭和46)の炭鉱閉山後は放棄され、廃墟化していたが、1984年(昭和59)に放映されたTVドラマ『昨日、悲別で』の舞台として使用され、脚光を浴びた。それを機に有志が修復、保存活動を開始し、その後カフェやイベント会場として活用、近年では文化庁認定の日本遺産「炭鉄港」の構成文化財への追加を目指している(参考:時事ドットコム )とのこと。

初探訪は2009年、2013年までの間に数回訪れた。
当時はカフェとして営業されており、お願いすれば奥の映写室の映写機を見せてもらうことも出来た。


▼2009年6月

202503010039408-admin.jpg道路脇の看板。当時の道路地図にもこの名で記載されており、いつか立ち寄ってみたいと思っていた。
このようなレトロ感漂う看板を目にするだけでも気分は盛り上がった。

20250302145626-admin.jpgルピナスの群生が炭鉱町であったことを物語るかのようだ。

202503010039402-admin.jpg大胆にせり出した屋根。造形が見事だ。
堂々たるスケール感がある。

202503010039403-admin.jpg『昨日、悲別で』作者倉本聰の手による看板。
「悲別(かなしべつ)」はドラマ中の架空の地名。北海道内の舞台は近辺の上砂川から歌志内、また旧空知炭砿などの協力を得て制作された。

筆者は当時まだ子供だったため、リアルタイムでは視聴していないが、最近になってとある縁で全話視聴することが出来た。
佳作なので多くの方に観てもらいたいのだが、稀にドラマチャンネルあたりで配信されることがある程度で、DVD化などはされていないのが残念だ。シナリオ本が古本として市場に出ていることはある。こちらは個人的に入手済み。

劇中でこの建物は「悲別ロマン座」と呼ばれ、里帰りした主人公が廃墟化した劇場を利用してタップダンスを披露したり、また映画館として使われた最後のパートはとても悲しく印象に残っている。

202503010039404-admin.jpg初探訪は惜しくも休業日だったらしく、外観だけ見させてもらうに留まった。
この「やってない」看板のなんと味わい深いことよ!

202503010039405-admin.jpg窓際の可愛らしい手作りマスコット。

20250301003940-admin.jpg建物裏に回ると、他にもステージ状の建物が。
元々表側の建物と屋根続きに一つの建物だったが、廃墟化した際に客席部分が崩落して取り除いたということらしい。

今は野外ステージとして機能しているようだ。

202503010039401-admin.jpgペンケウタシナイ川に掛かる橋。この先は「ニングルの森」という散策路になるようで気になるのだが、夏場はちょっと行く気になれない…

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202503010039406-admin.jpg前庭には、炭鉱で使われていたであろうトロッコが展示されていた。


▼2012年10月

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2025030100402714-admin.jpg3年経ってのリベンジ。
どの角度から見ても、美しい形だ。

2025030100402713-admin.jpg「やってる」!
やっと、お邪魔が出来る。「やってない」の裏側が「やってる」になっているようだ。

202503010040279-admin.jpg勇気を出して扉を開けると、館長さんが気さくに挨拶して招き入れてくれた。
ドラマの写真パネルが掲示されている。この時はなんとなく目をやったが、ドラマを観た今だととても貴重に思う。

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2025030100402710-admin.jpgここを訪れた人々の感想が絵馬のようにびっしりと貼られている。
自分も書かせてもらったので、ちゃっかり紛れている、はず。

20250301004027-admin.jpg訪れた理由など色々お話したら、奥の映写室を案内してくれて、当時の映写機を見せてくださった。
昭和20年代から使われていたアークライト式で、とても貴重なものだろう。

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202503010040272-admin.jpgここに石炭を入れて、熱して動かしていたらしい。
今でも動かそうと思えば動くらしいが、引火しやすいため今ではなかなかフィルムを貸し出してもらえないとのこと。

202503010040277-admin.jpgこの時は、館内で写真展が開催されていて、よく見ると当時の知り合いの方で世間は狭いと驚きつつ拝見した記憶。
当然ながら、オーダーをさせていただいた。今見てもリーズナブルな価格だった。

202503010040275-admin.jpgカフェラテを注文したら、なんとデザートまで付いてきた。メニューをよく見ると、「お菓子付き!」とある。

202503010040276-admin.jpgスポンジケーキに、アイスのデザート。ドリンクとこれで340円は破格である。
お味も美味しかった。感動してしまった。

近所の方も食事に訪れていて、賑やかだった。この辺では食事処が少ないため、いつも来ているという方も。他所から来た人間が珍しかったのか、話しかけられてそこから会話が弾むなど楽しい時を過ごさせていただいた。

ずっと歌志内住みの方が、炭鉱時代のこと、特にここに加藤登紀子がコンサートに来てくれたという話を活き活きと語ってくださったことは印象に残っている。当時の活気はこのような感じだったのかなと、タイムスリップしたような感覚を味わった。

2025030100402718-admin.jpgしばらく談笑してから辞した。
外に出て、また建物の周りを観察させてもらった。こちらは主屋側の裏。映画館の頃の客席出入り口に当たると思われる。

2025030100402716-admin.jpg上歌会館から悲別ロマン座になるまでの軌跡。

2025030100402717-admin.jpg椅子とテーブルが配置されていた。前後でイベントがあったのだろうか。


▼2013年10月

この時は隣町の「赤平TANtanまつり」に訪れた際、途中で食事をしたく寄らせてもらった。
変わらす館長さんはお元気だった。

202503010040551-admin.jpgロマンザのオムカレーをいただいた。もしかしたら特別メニューだったのかも。
食事の方も美味しくいただいた。生クリームで描かれたロマン座、遊び心がにくい(笑)

20250301004055-admin.jpgコーヒーは、ヘーゼルナッツフレーバーをチョイスしたように記憶している。

202503010040552-admin.jpgこの時は、元々ここにあったピアノの試し演奏などが行われていたようだ。年代物なので調律が難しいなどと会話が聞こえていた。


これ以降はなかなか足を運べず、また悲しいことに放火(小火)や落書き等の被害もあり、コロナ禍を経てカフェも休業状態となってしまった。
館長さんからその後、赤平の駅前で食堂を営業しているとの知らせが入り、機会を見て訪れたいと考えてはいるが、現状の営業状況はわからない。

昨年、市や有志がロマン座の日本遺産登録を目指しているとのニュースを目にした。保存の意欲があるということに少し嬉しくなった。
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#炭鉱 #文化施設 #飲食 #古建築

道央,歌志内

旧我路映劇 映写室跡

旧我路映劇 映写室跡

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美唄市に我路という地区があり、ここも炭鉱街だった。全盛期には所狭しと炭住や商店、娯楽施設等が立ち並び、大変賑やかな街並みが形成されていた。炭鉱も閉山し鉄道も廃線となり、今や多くの建物は消え廃屋も目立ち、住まわれている家屋も点在する程度になっている。

かつての駅前周辺には映画館や料亭、また近年まで営業していた焼き鳥屋や郵便局もあった。それらも閉業し、更に寂寥感が増してしまった。

この駅前通りに、上のような廃址が存在している。家屋でもなく、工場のような大掛かりな施設でもない。
ここにはかつて「我路映劇」という映画館があり、その映写室だと言われる。館自体(客席など)は木造建築だったようだが、そちらは撤去か倒壊かで消失している。何故映写室のみ残っているのかというと、フィルムは可燃性で当時の映写機だと火事になることが多かったため、映写室だけは耐火性のあるコンクリート製になっていたからだそうだ。

我路地区には、3軒程の映画館があったらしく、その内の1軒がこの我路映劇であった。
消えた映画館の記憶 美唄市の項 によると、
テアトル我路劇場/我路映劇/我路映画劇場 と館名の変遷があり
開館は1957年(昭和32)、300名程を収容できる映画館だったようだ。

映画館は炭鉱街では代表的な娯楽施設だったのである。

202410300227111-admin.jpgツタが見事なまでに覆っている。下部はピンク色で特徴的な廃址だ。

202410300227113-admin.jpg漫画『宇宙家族カールビンソン』にも登場している我路映劇。
作者のあさりよしとお氏がここ我路の出身である(生まれは上砂川町)。

202410300227112-admin.jpg多分冬場の方が形を捉えやすいだろう。これらは2009年の撮影である。
隣にあった家屋は(映画館とは無関係)、今ではかなり倒壊してしまったようだ

20241030123955-admin.jpg昭和34年の我路の市街図。下が北側。
我路映劇(赤)、我路駅と我路郵便局(ピンク)が見える。今の状況を見ると、これだけの店舗や家屋が並んでいたとは驚きだ。
地図上ではこの頃から我路映劇と呼ばれていたようだ。
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#廃 #炭鉱 #文化施設

道央,美唄

旧美唄市立栄小学校(アルテピアッツァ美唄)

旧美唄市立栄小学校(アルテピアッツァ美唄)

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アルテピアッツァ美唄は先に述べた通り>>43、廃校となった旧栄小学校校舎と体育館を再利用の形で開設された美術館である。
当記事では屋内のギャラリーやアートスペースと共に、旧校舎の建物としての視点でも見ていくが、2009年時点の撮影のため、建物や展示作品に変化があるかもしれないことをお断りしておく。

大まかに栄小学校の来歴を記す。
旧栄小学校の創立は1946年(昭和21)、盤の沢国民学校の開校に端を発し、翌々年には中学校を併置しのちに分離、別に小学校を設けて児童を分けたが、その後も人口増加に伴い児童数は増え続け、1959年(昭和34)には1,250名を数えた。主に三菱炭鉱従業員の師弟が多く通学していた。しかし程なく三菱の人員削減により児童数は激減し、炭鉱の閉山を経て1981年(昭和56)に閉校となった。
※拙著『北の炭山の骸』 「旧栄小学校」より抜粋。

20241025233258-admin.jpgおなじみの彫刻作品と、校舎遠景。

202410252332581-admin.jpg旧体育館棟。

2024102523325810-admin.jpg体育館棟アートスペース入口前の作品。

202410252332582-admin.jpg体育館の窓から望む水の広場と木造校舎。

202410252332583-admin.jpg設置してあるストーブと、展示作品。静謐な空間が広がる。

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202410252332585-admin.jpg大理石のユニークな作品群。創造も想像も無限大だ。

202410252332587-admin.jpg改築や増築した部分もあるかと思われるが、元々の造形を最大限に活用している。
螺旋階段を上がった先は、安田侃作品の展示風景写真のギャラリーや書籍、DVDが視聴できるスペースとなっている。

202410252332588-admin.jpg注目は、この天井だろう。円形を連ねたトラスと言って良いのか、とても特徴的な造りが目を引く。
炭鉱町の学校は、景気の良かった時代に建てられたというのもあり中々に洒落ていたり先進的・個性的な造りが多い。

202410252332586-admin.jpg格天井のようだ。

202410252332589-admin.jpg螺旋階段上から。こうして見てみるとさほど広くはなさそうだが、作品と対峙すると広い空間に取り残されているように感じる不思議。

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2024102523325811-admin.jpg旧校舎棟のギャラリーへ。
入口は外の螺旋階段を上った2階になる。

2024102523325813-admin.jpg梁が剥き出しになった木造の空間に、絶妙なバランスで配置された彫刻が調和する。

2024102523325814-admin.jpg窓から覗く水の広場。前記事では夏だったが、この時は秋に再訪している。

20241025233325-admin.jpg廊下にも展示されている作品。かつての校舎の雰囲気も保ちつつの配置がとても好感が持てる。
このパックンフラワーのような、植物の芽生えのような作品が妙に好きだ。秘めた生命力を感じる。

202410252333251-admin.jpg真っ直ぐに伸びる廊下はノスタルジー。薄れつつも残るセンターラインは学校だったことを物語る。

202410252333252-admin.jpg窓際にひっそりと佇むイトトンボ。冬の訪れから身を潜めているのだろうか。

筆者の学校時代は近隣には既に木造校舎は見られなかったため、レトロ感もあるが逆に新鮮でもあった。ここに数多くの児童が居たのだと思えば相当に賑やかだったのだろう。
そんな歴史を持ちながらも忘れ去られようとしていた場所が今や人々の憩いの場として再生の道を歩むのはとても理想的な形だと思う。
歴史的遺産として見学するのも面白いかもしれない。
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#古建築 #文化施設 #炭鉱

道央,美唄

アルテピアッツァ美唄

アルテピアッツァ美唄

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アルテピアッツァ美唄は、美唄市と同市出身の国際的彫刻家である安田侃氏が創立した彫刻美術館である。廃校となった美唄市立栄小学校の体育館と校舎をアートスペースとして再生し、野外にも彫刻を展示している芸術公園となっている。

1991年から体育館の改修を始め、翌1992年にはアルテピアッツァ美唄としてオープン、のちに校舎の改修やギャラリーとしての整備等を経て、カフェスペースやワークスペースも設け、休日には多くの人が訪れる評価の高いスポットとなっている。2016年には正式名を「安田侃彫刻美術館 アルテピアッツァ美唄」として登録博物館(美術館)となった。

かつては炭鉱街の小学校だった、味わいのある木造校舎と体育館、広々とした芝生広場に調和の取れた彫刻、子供も楽しめる水場や森林の散策コース等、美しい景色の中思い思いに楽しめるこの施設は、駐車料金も入場料も無料であるため、気軽に立ち寄ることが出来るが、施設維持のための寄附を募っている。グッズの購入もしくはカフェ利用もおすすめだ。
「カフェアルテ」ではドリンクと軽食を提供しており、窓から眺める景色も品良く素敵だ。そんな景色を前に静かにゆったり出来るコーヒータイムは格別だろう。

安田侃彫刻美術館 アルテピアッツァ美唄


▼2009年6月

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2024102400533112-admin.jpg芝生広場に佇む木造校舎。最盛期では1,000人以上の児童が在籍していた。

2024102400533113-admin.jpg端の一角は幼稚園として使われていた。小学校と併設されていた幼稚園は、小学校閉校後もそのまま運営されていたようだが、2020年に閉園している。

2024102400533111-admin.jpg離れにある体育館棟。手前の彫刻と同型のものはJR札幌駅にも設置されている。

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202410240208241-admin.jpgとてもシンプルな造形なのだが、見慣れると他の場所で出会っても不思議と氏の作品だとわかる。

2024102400533110-admin.jpg丘の上の『天翔』という作品。

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202410240053318-admin.jpg巣箱のような時計。

202410240053317-admin.jpg大理石の白が眩しい水の広場。

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202410240208242-admin.jpg森の中を散策出来る小道もある。

202410240208243-admin.jpgルート上に作品が点在しているので、探しながら歩くのも楽しい。

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202410240053313-admin.jpg自然観察をしながら森林浴も。

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2024102400533114-admin.jpgこのような枕木の階段がところどころに。ちょっとした探索気分も味わえる。

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20241024005331-admin.jpg自然も豊かな素敵な美術館だ。


▼2013年2月

20241024010756-admin.jpg冬季のアルテピアッツァ。
雪原にぽつんと佇む木造校舎も独特の味わいがある。

202410240107561-admin.jpg冬も訪れる人がそれなりにあるようで、彫刻へのアプローチも出来上がっている。

202410240107564-admin.jpg体育館と、彫刻が点在しているのが見渡せる。

202410240107563-admin.jpg校舎や体育館のギャラリーは冬季でも見学出来る。

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202410240107568-admin.jpg冬空の下、夕日を浴びる彫刻が何かを語りかけてくれそうな感じがする。

202410240107569-admin.jpgどの季節に訪れても、素敵な景色を見せてくれるのだろう。
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体育館棟、校舎棟内部へ

#公園 #古建築 #文化施設 #花

道央,美唄