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スイーツから廃墟まで。北の国からお送りする日常ゆるゆる探検。2009年から始めた前ブログの記事を再編、移植しています


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元町トーチカ

元町トーチカ

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トーチカとは、軍事施設の一つで、小型の要塞、掩体壕であり、語源はロシア語(точка)である。多くは、銃口を外に向けるために開けられた銃眼以外は壁に囲われ、兵士が内部に隠れ防御出来るコンクリート製の建造物となっている。

北海道では太平洋岸に点在し、現在も勇払や十勝、釧路、根室に残っているが、所有者が明確でなく事実上放置されたままにある。

太平洋戦争の末期、米軍は戦争の早期終結を目指すため、北海道を占領後に本州侵攻の拠点とする計画を立てていたが、気象条件によりこれらは実行されなかった。一方旧日本軍は、十勝や道東方面の防御を強化し、その沿岸にトーチカを多数配備した。

苫小牧にも勇払方面にかけて多数のトーチカが配備されたが、現在残っているのは3基程であり、緑ヶ丘公園、植苗、元町にそれぞれ現存する。しかし緑ヶ丘公園のものはほぼ埋没しており、かろうじてコンクリ製の遺構の一部が確認出来る程度である。

ここでは元町の浜近くに現存するものを取り上げる。この元町トーチカも以前のブログにコメントで情報を頂き、初めて戦跡の存在を知って2009年に訪れたものである。

202410210111491-admin.jpg住宅地から海へ向かう小道沿いに、カマボコ型の建造物が見える。

202410210111496-admin.jpgかなり古びたコンクリート製で、上部は風雨による侵食か削られている。

202410210111492-admin.jpg側面に出入り口と思われる板張りがあり、開閉は出来ず内部も確認は出来ない。

202410210111494-admin.jpg銃眼は海に向けて開けられているはずだが、その知識に乏しかったため撮り損ねてしまった。

202410210111495-admin.jpgすぐ隣には携帯電話の中継局がある。

202410210111497-admin.jpg遠く彼方には船影が見える。これがもし軍艦だったらと思うと、緊張が走る。
当時の兵士の姿に想いを馳せる。

202410210111493-admin.jpg直ぐ側の海沿いの遊歩道。ここで気軽に散歩が出来るということは幸せなことだと思う。

時の流れにより戦争を語り継ぐ人々は年々減る一方だが、せめて戦跡という形でも記憶を留めつつ、平和を祈りたい。
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#廃 #海 #遊歩道 #戦跡

道央,苫小牧

旧戸井線アーチ橋

旧戸井線アーチ橋

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旧戸井線は1936年(昭和11)に着工。当時、汐首岬砲台建設が計画されたため、物資や人員輸送を目的とした鉄道路線を敷くべく建設された。
1944年(昭和19)に全線開通を目指し、五稜郭から湯の川を経由し、戸井までの全長29.2kmが計画されていたが、戦局の悪化と資材不足により前年の1943年(昭和18)に工事を中断、戸井までの約3km区間を残し未成のままに終わった幻の路線である。

区間にはアーチ橋もいくつか建設され残されたが、戦時中の資材不足による粗悪な施工といわれ、加えて経年劣化により、近年解体の情報も出ていた。

2009年に恵山の道の駅>>29から函館市街地に向かう際に見たのが初である。道の駅の案内板に記されており、この頃からアーチ橋などの土木遺産に興味があったため、見てみようと注意しつつ走っていると右手に美しいアーチを捉えることが出来た。


▼2009年5月

20241002183914-admin.jpg瀬田来町の蓬内川に架かるアーチ橋。蓬内(よもぎない)橋という。
手前の斜面に作られた石段と鳥居など、立体的な集落の造形も魅力に映る。

202410021839143-admin.jpg橋を近くで見るため、石段を上る。神社の参道となっているようだ。

202410021839141-admin.jpg鳥居をくぐると間近に橋の姿が。橋をくぐった先に何があるのか、こういう集落の細道に興味をそそられる。
ちなみにここは参道のため、この先は瀬田来神社に繋がる。元禄時代の創建と伝えられる、小集落の歴史ある社だ。

202410021839142-admin.jpg戦時の鉄不足の中の施工だったので、鉄筋は使われず木筋や竹筋が用いられたと言われていた。詳細は後述する。
表面の劣化は見られるが、素人目にはまだまだ丈夫そうではある。

橋の上部がどうなっているかも気にはなったが、取り急ぎの見物のため上に出る道まで探せなかった。
ここはもともと蓬内川橋梁といい、撮影時は地区の生活路として橋上部は函館の市道となっていた。

202410021839144-admin.jpg瀬田来地区からしばらく進むと、汐首岬と灯台のすぐ近くに別の立派なアーチが現れた。汐首岬第一陸橋(汐首陸橋)といい、こちらは8連ある。
蓬内橋と同じく、1941年頃竣工のコンクリートアーチ橋である。造形が美しい。しかしここに限らないが、この時代の土木建造物は朝鮮人労働者の徴用やタコ部屋労働の産物であることが多いため、留意が必要だ。

こちらは特に道路橋などに転用されずにきているらしい。
直ぐ側には人家があるため、うろつくのは程々にしたがいつまでも見ていたい造形だった。


▼2012年7月

道の駅スタンプラリー時に、函館から恵山の道の駅へ向かう道すがら気になって寄ってみた。

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202410021839292-admin.jpg汐首陸橋は、夏場で木々がこんもりと茂っていたため、電線がなければ山中に眠る橋の様相だったが、変わらず立ち続けていた。3年前と比べて目立った傷みは見られない。

202410021839293-admin.jpg蓬内橋にも寄った。鳥居も変わらずそこにあった。

しかし、こちらの蓬内橋は、この翌年2013年に老朽化を理由に解体され、2014年に新しい橋に架け替えられた。
解体工事の際、竹筋が使用されていると言われていたコンクリート製の内部を調べたところ、補強のない無筋コンクリートだったことが判明し、強度は現在の基準を上回っていたという。
旧戸井線遺構「蓬内橋」、無筋コンクリ製だった(函館新聞2013/3/27)

これは大変興味深い。戦時中の建造物は材料が粗悪だと言われるが、その分を工法で補っていたのだろうか。

旧戸井線の路線跡は湯の川方面の市街地にもあり、緑園通りといい遊歩道やサイクリングロードに転用されているが、そちらに残っていた小型のアーチ橋も道路整備のため取り壊されているらしい。
いずれは汐首陸橋も取り壊される運命にありそうだ。

アーチが見られなくなるのは残念だが、生活の場が近くにあれば安全面には代えられないだろう。

戦前の歴史を物語る遺構が少しずつ、姿を消してゆく。
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#古建築 #橋梁 #廃 #戦跡

道南,函館