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ジョイランド樽前跡①
ジョイランド樽前跡①
1975年に開園したレジャー施設で、当初は温泉施設として開業したが、翌々年には貸別荘(コテージ)などを増設、更に1979年には「北海道野生動物公園」を開園し、ライオン、トラ、シロクマ等の猛獣系をはじめ鳥類などの野生動物を展示し、アトラクションの遊具も設置された一大遊園地として周辺地域の脚光を浴びた。開園直後の年間入場者数は70万人と、入場に交通渋滞も起こるほどだったようだ。
しかし動物公園は開園当初からトラブルに見舞われ、動物受け入れの難航、檻が未完成での見切り開園など、安全面での批判も多かった。
1981年には越冬中の暖房不足によるライオンの大量死が起き、檻の狭さなど劣悪な飼育環境も問題となって評判を落とし、以後の入場者数は減少の一途を辿った。施設を増設したり、ボンゴなどの珍しい動物も導入することで再起を図ったが、1985年には電気料金の未納によるカニクイザルの大量死にも見舞われ、道からの処分や立入検査を受け休業となり、1987年に経営企業が倒産した。動物園としては8年程度の営業だった。
当時新聞広告で大々的に宣伝していたというのはよく覚えている。シロクマの横顔のマーク、有名歌手のショーイベント、そして珍獣ボンゴのお披露目等々…ボンゴの姿はシルエットにされていて、子供心にも「勿体ぶってるなぁ」という印象だったが、このような壮絶な舞台裏があったことは近年になってから知った。筆者自身はTBS樽前ハイランド>>3の方は訪れた記憶はあるが、こちらのジョイランドを訪れた記憶は無い。位置が共に苫小牧西部なので、何ならハイランドの別称とさえ思っていたくらいだ。
ずっと後になり、跡地が心霊スポットとして聞こえてきた時に、他サイトで現地の写真を色々と見たが、記憶を呼び起こさせるものは特に無かった。新聞広告で見たシロクママークと「北海道野性動物公園」の文字ロゴにのみ懐かしさを感じた。両親に聞いても名前は聞いたことある程度の反応だったので、個人的には地元であるにも関わらず未訪で終わったスポットだ。
それでも廃墟化しつつも残っているということで興味はあったため、2008年に初訪してみた。この数年前には不審火に見舞われ、残されていた建物がほぼ全焼し遺跡然となっており、かつての雰囲気を味わうには物足りなくなっていたのが悔やまれる。
※施設の来歴はWikipediaや個人サイト様のコンテンツ(ジョイランドレポート )を参考にさせていただきました。
▼2008年11月
成吉思汗(ジンギスカン)コーナーと美容健康センターの看板。元は一つの看板だったようだが真ん中は破損してしまったようだ。元々温泉施設として開業しているため、温浴コーナーが美容健康センターとなっていたのではないだろうか。
メインのモニュメント、シロクマ像。台座にジョイランドのシロクママークが見える。
レストラン棟のレンガ壁。こちらもこの遺跡を代表するモニュメントとなってしまった。成吉思汗コーナーはここだった模様。謎の落書き「SKATE PARK」。廃墟化してからはサバゲーの舞台としても使われていたようだ。
建物はレンガ壁を残し、全て燃えてしまった。木造だったと思われる床部分は黒く煤けてしまっている。
レストラン屋内の支柱の土台。
雄々しく立つシロクマ像が哀愁を漂わせる。
ミニサファリとして、野生動物が放し飼いにされており、バスで見物するエリアもあったようだ。小屋のペイントがわずかにそれを物語る。
昭和のデパートなどに見られたアラベスク柄の床。火事の影響かボロボロになっている。
ボイラーなどの浴場施設になるのだろうか。
浴場跡らしい。
タイル張りは比較的綺麗に残っている。
時計は生活や活動の証。廃墟に残されたものは悲哀を感じさせる。紅葉との対比が美しくも物悲しい。
▼2009年5月
この時はたまたま市内某所を通りがかった時に見つけた、当時の看板である。
詳しい場所は失念したため、現存するかは不明。
※追記(2024.09.22):GoogleMap上で場所は判明したが、2011年の写真では倒壊し残骸状態となっており、最新2022年では支柱のみ残されている。
すっかり色褪せたシロクママークの案内板。文字部分は既に判読が難しい。
帰路側にはお礼の挨拶が。▼2019年4月
初訪から10年以上経ち、ふと思い出したため再訪してみた。
ちょうど春先でタイミングも良かったのと、初訪時には見つけられなかったシロクマ舎探索と、コテージ群をじっくり見たかったため、3度に分けて探訪した。
駐車場跡。
踏み跡を辿ると、前回は見られなかった2棟の建物が見えてきた。
管理事務所が、ここにあったのだ。建物らしい建物が残っていたとは…
さすがに内部はボロボロなのだが、電灯や事務所的な生活用品が散乱しつつも残っていた。外部から投棄されたものもあるかもしれないが。
もう一方は動物園に関する看板などが残され、倉庫のような雰囲気だった。
右側に動物の骨のようなものが見られるが、外から他の動物が咥えてきたものかもしれない。営業時に亡くなった動物は、敷地内に埋葬されたとも聞いているが…

エントランスの時計柱も健在だった。
レンガ壁と煙突も立ち続けている。
「SKATE PARK」の落書きは雨風のせいか消えていた。
藪に佇むシロクマ像。
台座がだいぶ傷んできた。張り子状で作られていたようだ。近辺の企業の道沿いにも似たヒグマの像があるらしく、この像を移設して塗り替えられたものだという情報もあるが、真偽は如何に。

サファリペイントの小屋はまだ色褪せも少ない様子。
魚眼で。焼け跡はまだ色濃い。
樽前山を横に望む。営業時はそれなりに風光明媚なテーマパークだったのだろう。
煙突はレンガ壁の裏手(写真2つ上)と、奥のこの建物と2つある。
内壁のペイントに、当時の賑わいを見る。
入場券と、のりもの券の綴り。入場券は小人500円だった。ちなみに開業当時で大人は1,000円だった。今だと1,600〜1,700円位になるだろうか。

浴槽は、タイルは健在だが形が壊れつつあった。
少し離れた場所にあったトイレの便槽跡。
ゴーカートコース近くの看板。サビが酷く、何が書かれてあったかも判別出来ない。
幅は意外と広い。タイヤは今でも綺麗に整列しコースの所在を示している。
ここを含め周辺の山中は不法投棄も多いようで、立入禁止箇所も増え年々アクセスしづらくなっているようだ。
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ジョイランド樽前跡② コテージ群編へ続く
ジョイランド樽前跡③ シロクマ舎編へ
#廃
とある廃屋
とある廃屋
以前から、かれこれ20年以上経つが、気になっている廃屋がある。
初めて見た時は、まだ屋根もありちゃんと家の形をしていたが、撮影当時の2006年時点では既に屋根は落ちていた。外壁は丈夫なのか、家だったのだろうと判る程度の外観である。
玄関ドア、ポーチの外灯がかなりの古さを感じさせる。
家の真ん中あたりを貫く煙突。昭和の家屋の仕様だ。社宅のようにも感じる。
現役当時は壁も綺麗に塗られていたのだろうが、風雨に晒されてかつての面影は無いだろう。
側面部分にはこの家のものだったのか不明だが、廃棄物様のものが積まれていた。小窓や勝手口らしきものがあり、部屋はいくつかあったのだろう。
窓にも板張りされているが、意味を成さない程に崩壊している。
隙間から失礼してみるが…
内部は崩壊と経年のためか、生活感は全く失われていた。障子や内部ドアを除き、家具など残置物はほぼ無いだろうと思われる。
今の状態をストリートビューで見てみると、廃棄物は無くなっていたが玄関ドアは更に朽ち、外灯も落ち、窓部分は板張りごと無くなり内部が丸見えになっている。煙突は一本、まだ立ち続けている。さすがに取り壊されていると思ったのだが。
過去の写真が数パターン見ることが出来、建物が劣化していく過程がわかるのだが、どこから種が運ばれたものか、玄関先と窓の奥の屋内にマーガレットらしき花が群生しているのを見つけた。
自然界における人の世の無常を、PCモニタから感じ取る今日この頃である。
※一部画像を加工しています
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#廃
苫小牧西部の沼
苫小牧西部の沼
苫小牧の地名はアイヌ語の「トー・マコマ・ナイ(沼・後ろ・川)」「トー・マコマイ(沼の・マコマイ川(旧苫小牧川>>33か))」等諸説あるが、いずれも沼にちなんだと思われるとおり、市街地の周辺には有名無名の沼地が点在する。ちなみに西部地区にはかつて佐羽内沼があり、市民の憩いの場でもあったが、苫小牧川の治水工事のため埋め立てられた。現在は山手町の宅地になっている。
2008年頃は地元周辺を様々ドライブしていた。ちょうど自分自身の仕事などに不安を抱えており、そんなストレスをかき消すかのごとくインターネットで様々な情報を得ることが楽しかった時期でもあった。その頃に出会った個人運営のサイトはどれも刺激的で面白く、新鮮だった。特に北海道内、地元の周辺を探検して情報を綴っているサイトには大いに興味を引かれた。
しかし今ではそれらのサイトの多くは既に閲覧不可(または更新停止)となっている。
苫小牧の沼に関しては、無難に行けそうな西側の4ヶ所ほどに足を運ぶことが出来、写真も残っていたのでここに載せておく。
※錦大沼は別のエントリーで紹介予定。
▼2008年9月 口無沼
当時口無沼へは、支笏湖通と呼ばれる国道276号から、丸山遠見への入口看板がある分岐へ入るルートが最も知られていた。
この時もそのルートで辿り着いたが、現在は丸山遠見も望楼には立ち入れないためか、いつ通っても入口分岐はゲートが閉じられているので車で辿り着くのは今では難しくなってしまった。
二輪もしくは歩いて行けないこともなさそうだが、国道から3km程になるのと何よりクマの出没が怖い。
支笏湖通以外にも沼へ繋がる林道はあるが、どこも入口ゲートは閉じられているようだ。

桟橋がある静かな佇まいの沼だった。流入出する川が無いことから、口無沼と呼ばれる(実際には北側の湧水から流れ込んでいるらしい)。
▼2008年10月 マッカ沼
樽前SAと、オートリゾートArtenの間に位置する沼だが、夏場は道路から沼の姿を確認するのが困難なのではないか。地図で見ると、沼の一部が苫小牧の市章の形になっている。昭和の頃に観光開発の手が入っていたが、頓挫したようだ。
探訪当時は秋だったので少しの藪漕ぎで見ることが出来たが、家電が投棄され、水面に藻が繁茂し水質も濁って見えてお世辞にも綺麗とは言い難かった。

向こう岸の紅葉は美しかっただけに、残念。
市章の部分。釣り堀になる予定だったようだ。▼2009年1月 観音沼
2009年の樽前ガロー>>2の帰りに、よく分からず道沿いの看板が気になって立ち寄ったら、へら鮒の釣り場となっている沼が見えた。
ここは近くに観音寺があることから、観音沼(または地蔵沼)と呼ばれている。

冬なのであいにく釣り客の姿も無かったが、暖かい季節も良い景色の行楽地になるのだろう。▼2009年4月 タネト沼
こちらは春先に訪れたが、笹薮が深く探索ビギナーとしてはそれなりに苦労した。
よくよく思えば、ここはかつてのレジャー施設、TBS樽前ハイランドの跡地なのである。以前もハイランド跡地に行けないかと調べていたが、入口の柵の向こうは管理されており防犯設備もあるということで、無茶はしていなかった。それだけのリスクを冒してまでも見るべきものはなさそうだったというのもあるが。
そもそも柵の向こうにはゴルフ場の施設もあるので(元々は同じくTBS系が開業している)、ガードが固いのは当然といえば当然なのだが。
藪漕ぎの末に眼前に現れた広大な沼に、子供の頃に見たピンクフラミンゴの群れを重ね合わせた。そして沼のほとりに巡らされた舗装路は、ゴーカートコースだ。樽前ハイランドは、タネト沼とその周辺に施設を展開させていたのである。
※追記(2024.09.16):空中写真閲覧サービスの1975年のタネト沼周辺を見ると、タネト沼の南側に遊園地があり、ワカサギ沼の方に施設を展開していた様子が見られる。フラミンゴの居た沼は、ワカサギ沼の方ではないかとも思われるので、念のため記しておく。
沼目当てが、予てより行きたかった場所に無意識に辿り着いていたという、個人的に印象深い探索だった。

この道なき道を進んだ。笹以外の枯れ草の道は比較的歩きやすかったが。
こちらにも柵が巡らされていたが、ゴルフ場との境界だったのかも知れない。
この建物がランドマークだったが、今でもあるのだろうか。
見えてきた。
沼の南岸の道。ここで大きなオスジカに遭遇して驚いたのを覚えている。
樽前山をバックに、とても美しい沼の景色が広がっていた。TBS系列の企業が展開していた施設らしく、TVCMで沼に躍るフラミンゴの映像が度々流されていたのを覚えている。

ゴーカートコースの舗装路。沼が目的だったので深追いしなかったが、これを辿るとアーチの遺構も見られたらしいので今思えばもう少し欲張ればよかったかも知れない。畳む
#湖沼 #廃
ジョイランド樽前跡② コテージ群編
ジョイランド樽前跡② コテージ群編ジョイランド樽前跡①より
レストラン棟や浴場から東側奥に、コテージの廃屋群がある。こちらはジョイランドでも開業当初に建築されていたものだ。
貸別荘の開設は1977年とされているが、1975年の空中写真では既にコテージらしき建物が点在していることから、オープン当初から計画され建築されていたことが窺える。山の斜面に沿って造成され、大小様々な家屋が建てられた。街灯も所々に立てられ、それぞれの家屋に行き来できる通路も作られていたのだろう。上部の大きなコテージからの眺めは、当時の整備されていたであろう環境ならばそれなりに良かったのではないだろうか。
但し、大きな家屋は別荘に相応しい木造の小綺麗な作りに対して、他の点在する中小の家は屋根も壁もトタン張りの、当時としては普通の家屋といった印象である。貸し別荘だとこんなものかも知れないが、当時の外観や、どのくらいの需要があったのかは気になるところである。
ここに来る間に、動物の死骸の頭部に出合ってしまい変な声が出た。写真もあるが出すのは控える。
玄関まで近づくのが、見た目より一苦労なのである。
元からこの状態だったのか、基礎が上がっている。地盤が下がってきているのだろう。
家から家へと駆け回って体力が限界に達しそうだったので、道路の方に降りることにする。
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ジョイランド樽前跡③ シロクマ舎編へ続く
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#廃