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道道919と鉄の街の眺望
道道919と鉄の街の眺望
トッカリショ>>87から、道道919号中央東線(観光道路)を辿ってみた。
初訪の2009年時点では、何処まで延びているのか不明のままだったので、ギリギリ離合出来る程度の細道がクネクネと続き、スリリングな冒険のような心持ちで辿った。交通量は決して多くはないが、国道に下りるよりもこちらを抜けた方が早いのか、たまに結構なスピードで向かってくるクルマもありこれには冷や冷やさせられた。
それでも時折木々が開けた場所から見渡せる街の景色に圧倒されたり、坂の街ならではの立体的な眺望と工場の風景が大変印象的な絶景ポイントでもあった。
幼少時に慣れ親しんでいた街のすぐそばにこのような道があったとは、只々驚きつつクルマを走らせた。
▼2009年8月
崖上の稜線に沿って走る道のため、かなり入り組む形でカーブが多い。御前水町、大沢町、みゆき町、輪西町の上方を走る形になり、それぞれの地区へ下りる横道もいくつかある。これは大沢町へ下りる分岐だが、この観光道路の最頂部になるようだ。
右側の長屋のような建物は、今ではすっかり倒壊してしまったようだ。
以下、この分岐点から眺める景色になる。ここが最も良い眺望のポイントになるらしい。
日鉄工場群。製鉄業の街は戦争需要で栄えたが、戦後は落ち込み、地区により寂れた場所もある。昔ながらの味わいのあった建物も撤去されたり倒壊したりと、近年特に変化が著しいが、近代の歴史の趣もまだまだ感じられる街だ。
白鳥大橋も望める。この立体感よ。
製鉄系の工場群なので、鉄分要素は抜群だ。渋みがあって圧巻。
国道と新道。クジラ半島を望む。これらの景色がパノラマ状態で見渡せる。
これより先に行くと、木々の中、ポツポツと道沿いに民家が現れるようになる。
やがてイタンキ浜近く、潮見公園のあたりまで下ると、左手に長大な古い建物が見えた。
病院か、学校か…? 気になって建物の近くまでお邪魔してみると、それは母の母校、室蘭市立鶴ヶ崎中学校だった。
ここまで入ってきてしまって良かったんだろうか…しかし、母も同乗していたものの、ここに来るまで気づかなかったとは。
母曰く、かつての通学路と別の道から来たのと、こんなに古びているとは思わず、別の何かの施設かと思った、らしい。
言ってはなんだが、確かに、道路からだと廃病院…っぽく見えて、ちょっと不気味ではあったのだが。
不気味なのにわざわざ近づいてみる我らも我ら、似たもの親子なのか…
母が通っていたのは昭和40年頃、その頃は旧校舎で外観も違っていたらしく、無理もないだろう。
L字型の校舎だが、横に長く、近くでは全景が撮れない。
L字の向こう側。教室数がやけに多い。母の時代だと1学年に10クラス以上はあったということから、その頃に改築したマンモス校の名残なのだろう。この時は既に空き教室も多かったのではないだろうか。
この鶴ヶ崎中学校は、その後、2011年に市立東中学校と統合し市立翔陽中学校となり、閉校している。現在は取り壊され、更地になってしまった。
そんな母の思い出話しに花が咲き、では小学校の方もなどとちょっと寄り道してみたが、そちらは学校そのものは健在だったものの校舎が変わっていたりグラウンドが移動していたりとまったく見る影もなくなったらしく、ピンと来るものがなかったようだ。
ちなみに小学校は市立大沢小学校で、こちらもその後2020年に閉校、跡地は別の施設に転用されているようだ。
この擁壁の存在は筆者も昔からよく覚えているが、ここは昔、防空壕として使われていた場所だったそうだ。母が子供の頃はまだ穴があったらしく、よく中に入って遊んだという。
その後潰され埋められてこのようになり、今は私有地のため柵より内側への立ち入りは出来なくなっている。パイプは、水抜き用だと思われる。よもやガス抜きではないと思うが。
確かに危険ではあるのだが、こういう話を聞くと昭和の時代のおおらかさと逞しさを感じる。
▼2014年5月
これもトッカリショ浜2014年の帰りに、やはり観光道路を通っていたようだ。
今となっては写真の日付を見返して、この時に寄ったのかとやっと思い出せる程度になってきた。
一眼でちょっと気合いを入れて撮ったものだが、特別腕があるとも思わない。
しかしそれなりによく撮れたと思うので、ここからはキャプションなしで載せていく。




















特に最後6枚は、一目で惹かれた廃アパート群。日鉄関係の社宅だと思われる。
鶴ヶ崎中学校の裏手にあったが、前回は存在に気づかなかった。
この時には中学校も既に閉校しており、校舎だけが残っていたと思う。
生活の息遣いがまだ残っているように思われ、近い内に再訪してゆっくり撮りたいと考えていたが、自身の生活に追われあれよあれよと月日が経ってしまい、この3年後、父方の祖母の葬儀の席、参列者との久々の近況報告の中で、母方の親戚からこのアパート群が取り壊されたという話を聞いた。年月は流れ、身内も鬼籍に入ってゆき、気に入った場所も無くなっていく。
こちらは現在、新たに独身寮が建てられ、建物の形状がわずかにかつての面影を残すくらいである。
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#廃 #工場 #古建築
オタモイ遊園地跡と唐門
オタモイ遊園地跡と唐門
2008年の訪問記である。
訪問したこと自体はよく覚えてはいるのだが、何がきっかけで知ったのかはもう覚えていない。ジブリ映画『千と千尋の神隠し』の舞台のモデルでは?ということで話題に上がっていたからだろうか。
当時の小樽の「かま栄」のサイトに、オタモイの往年の写真や来歴が紹介されていて、俄然行ってみたくなったことは覚えている。
※現在はサイトリニューアルなどで既にその記事は無くなっている。
その昔、とある料亭の店主が、「何も無い」といわれた小樽に客を呼び寄せたいと、オタモイ海岸の風光明媚であることを知り、出資の助けも得て一心発起で海岸の断崖上に豪華な宴会場や食堂などの御殿を建設し、一躍観光の目玉となり栄えた場所の跡地である。小樽の街外れ、国定公園に指定されているオタモイ園地に位置する。
ここから海岸近くへ下りていく。
現在地からは幅員の狭い強烈なヘアピンカーブを下っていく。おそらくこの看板は現存しないと思われるが、崖上の唐門の遊歩道も描かれており、遊園地が廃業後もオタモイ地蔵尊への参道として使われていたのだろう。
カーブ部分が赤く塗られているのは、一時通行止めだったこともあるのだろうか。
このカーブが、車両も通行は出来るのだがとにかく狭く、対向車とギリギリ離合出来るかという幅だった。
訪問当時は友人が同行していたのだが、「こんなところでパトカーに出くわしたら怖いねー」などと冗談交じりに話していたら、そのパトカーが前方に現れて凍りついた記憶がある。
特に止められたりすることもなくそのまま徐行で行き違い過ぎ去ったが、常に巡回していたのだろうか。
この頃から立入禁止となってはいたが、そんなこともあり、突破して遊歩道を進む気分にはなれず、無難に遠くから眺めるに留めてしまった。
多分この当時でも参道として使われてはいたと思うが、今思うと勿体ないことをした。
カーブを下りきったところは開けており、何台か休憩中のクルマが駐車していた。そこから眺めた海。曇り空だったのが残念だ。
この看板は今はリニューアルされ現存しない。[当代一を誇った夢の里、
オタモイ遊園地跡]
〈オタモイ〉
地名は、アイヌ語のオタモイ(砂の入り江の意)に由来する。
現在、小樽唯一のカタカナ表示の町名。
オタモイ海岸は、市の北部にあり、高島岬から塩谷湾までの約10kmに及ぶ海岸の一部で、付近には赤岩山(371m)など標高200m前後の急峻な崖と奇岩が連なっている。一帯は昭和38年ニセコ積丹小樽海岸国定公園に指定され、祝津・赤岩海岸とともに雄大な景観を誇り、訪れる人々を魅了している。
かつて、この景勝地に大リゾート基地が存在した。昭和初期、隆盛を誇った割烹「蛇の目」(花園1)の店主加藤秋太郎は小樽には見所がないという知人の言葉に奮起し、名所探勝の日々にあけくれる。そして、ついに、古来白蛇の谷と呼ばれたこの地を探し当て、昭和11年「夢の里オタモイ遊園地」を完成させた。
その規模は当代一を誇り、ブランコ、すべり台、相撲場等の遊園施設のほか、龍宮閣や辨天食堂といった宴会場や食堂を設けた。特に京都の清水寺を凌ぐといわれた龍宮閣は、切り立った岩と紺碧の海に囲まれ、まるで龍宮城のお伽の世界のようだったという。
最盛期には一日数千人の人々で賑わったこの施設も戦争が始まると贅沢とみなされ客足が遠のき、戦後、これからという昭和27年5月営業再開を目前に控えながら焼失した。
現在、遊園地の跡を偲ばせるものは断崖の上に残った龍宮閣の礎石と遊歩道トンネルの部分だけである。
また、オタモイには神威岬(積丹半島)が女人禁制の頃の悲恋にまつわる子授け地蔵尊の伝説があり、今でも多くの人々に信仰されている。
看板によると、現在地のこの駐車スペースに辨天食堂があったらしい。
リニューアルされた看板では説明文は少々簡略化され、地蔵尊については触れられていない。
この道を辿れば、あの唐門のトンネルへ繋がる。
唐門の奥にうっすら見える赤い柵、あれが龍宮閣のあった断崖になる。入り江に張り出すような崖の上に造られたそうだ。その更に先に、オタモイ地蔵尊の社があるが、守り人の方が近年亡くなられたことで堂の存続、また移設かの間で揺れているらしい。そのような中、昨年は例大祭も行われたという情報もある。
歴史的には遊園地よりも古い由来を持つ場所になるようだ。
道は整備されておらず、普通の遊歩道を想定して行くと進むのが躊躇われるような道だ。
道の脇に中華風の階段と欄干が残されている。階段は藪に埋もれてかろうじてわかる程度だが、これを発見しただけでも心が躍った。最近某有名企業がここオタモイを観光地として再開発する計画が浮上したが、やはりなと思っていた通り、資金面で開発中止となった。
現代の安全基準では、崩落が続く海岸の開発と維持には膨大な費用がかかるだろうと思われる。それだけの費用対効果が見込めなければ早々に放棄することになる。テーマパークも余程世界観がしっかり作り込まれていなければ、客の入りは一見で終わってしまう。
とはいえ、本当に現役当時のオタモイの賑わいとあの遊歩道が再現されたなら、ぜひ足を運んでみたかったとは思う。
いや、それとも昔の賑わいは昔のものとして、幻としておく方が良いのかもしれないが。
開業時から降雪や地滑りの事故はあったようだが、衰退の一因に戦争があるのが、なんとも言えない虚しさを覚える(直接の原因は失火)。
駐車スペースの片隅に湧き水があった。
クルマでヘアピンを戻り、道の脇に階段が延びていたので辿ってみる。
赤岩山を経由して、水族館方面へ抜ける遊歩道が延びる。興味はあるが、長距離を歩く準備はしていなかったのでパスした。
目的はこちらなので、上っていく。
街を見下ろせる高台に、あの唐門が設置されていた。
元々海岸の入口に建立されていたもので、こちらに移設されたものらしい。
ここから見えたのは海か崖か、はたまたお伽の世界だったのか。
色剥げがあるが、概ねまだ綺麗な方だと思う。移設時に修復されたのかもしれない。
街を望む。何事もなく現実の世界に戻れそうだ。畳む
#廃 #古建築 #海 #遊歩道 #湧水
旧落合会館(栄町映画劇場)
旧落合会館(栄町映画劇場)
旧東明駅舎>>82やアルテピアッツァ美唄>>43>>44からほど遠くない場所に、若干派手目な色合いの建物がある。
こちらも、炭鉱時代の映画館だった場所である。
通称「落合会館」といい、落合町にあるためそう呼ばれていたようだ。
このアングルしか撮っていないため分かりづらいが、奥行きがそこそこあり、定員800人を収容できたといわれている(※後述参照)。
2009年に撮影したが、この当時から民間企業の所有となっており、現在も敷地内は立入禁止となっている。
外観のみ拝見させてもらった。
外壁の配色もなかなかのものだが、この前衛アート的なデザインにも注目だ。外壁も色褪せているため全体像がどうだったのか、いつ頃描かれたものかは不明だが、昭和の景気の良かった時代なら割と自由度も高く、飛び抜けたものも多かったのかもしれない。
この旧落合会館は、消えた映画館の記憶 美唄市の項 によると、栄町映画劇場/栄町会館 とあるのがそれと思われる。
開館が1960年頃で、1961年の名簿では三菱鉱業の経営だったらしく、定員は500とある。上で800人と書いたが、これも筆者が探訪当時に伝え聞いていた情報で、今となっては出所が何処だったかはわからない。当時参考にさせてもらったサイトの多くは閉鎖となり、確認のしようがない。口伝からだとしたなら尾鰭もつきそうなのでまあ、あるある案件だろう。
閉館は1965年頃とあり、この頃にはあの我路映劇>>49に経営が移っている。この年(昭和40)は三菱美唄炭鉱が三菱鉱業から分社して美唄炭礦株式会社の経営に変わった年である。炭鉱の衰退と共に閉館となり、4〜5年程度の営業だったようだ。
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#炭鉱 #廃 #古建築 #文化施設
旧東明駅舎と4110形機関車
旧東明駅舎と4110形機関車
美唄市街地からアルテピアッツァ>>43>>44へ向かう途中に、旧三菱鉱業美唄鉄道の「東明駅」の駅舎が残されている。
そしてこの駅舎と一緒に、炭鉱時代に活躍した「4110形式十輪連結タンク機関車2号」が保存されている。
機関車は美唄市の指定文化財となっており、近年では駅舎と共に「炭鉄港」の構成文化財に指定されている。
ここに挙げた写真は2009年と2019年のものである。
その後、これらの保全のためのクラウドファンディングも行われ、更に見学しやすく綺麗に整備されたようだ(筆者も寄附しているのだが、その後訪れる機会がなく成果を確認出来ずに年月を経てしまっている)。
▼2009年7月
この年の前月にアルテピアッツァや炭鉱メモリアル森林公園>>46等に向かう時に通った道だったのだが、その時は気づかず通り過ぎていた。後で知って>>80の帰り道に寄ってみた。まったく古びていない、この時から綺麗に保たれていた駅舎。当時は個人的に廃墟趣味の方が強くあったため、本音を言えば綺麗すぎて物足りない感があった。
それからかなり年月が経ち、炭鉱遺産の機運が盛り上がって今も変わらず残されているのを見ると、これは素晴らしいことだったのだと考え直さざるを得ない。
裏手のホーム側。駅だった面影がはっきりとある。駅舎の内部には入れなかったが、見た限りは劣化もなく塗装も定期的にされていたのか、汚れも見当たらなかった。花壇もあり、ちょうど花も咲いていたのが人の手が入っている証拠だ。
傍らには蒸気機関車が展示されている。こちらも見る限り綺麗だ。
説明板はかなり年季が入っていた。美唄鉄道の勾配路線と、大量の石炭の運搬に耐えるための力強い十輪「E型」機関車で、当時は多く作られたが現在はここでしか見られないものだそうだ。
三菱造船がドイツの4100形を基に製造、閉山までの50年超を走り続けた機関車である。
かつての路線は、サイクリングロードとなり、傍らにはプラットホームの跡も残っている。▼2019年5月
その間も駅舎前の道はしばしば通っており、駅舎の姿は目にしていたのだが、10年経って再訪。間近で見ても変わらず綺麗だ。この時も駅舎内の入口は固く閉ざされた状態だったが。
窓も目隠しされているので、内部を窺うことは出来ない。
機関車も変わらず綺麗。2号車の「2」が眩しい。ただそれなりに傷みはあったようで、このあとクラファンが行われている。
あの説明板はさすがに新調されていた。横書きで見やすくなった。機関車の仕様など、詳しい人には興味深いだろうと思う。
三菱鉱業美唄鉄道は、元々は石狩石炭株式会社が敷設した軽便鉄道が始まりであった。
三菱美唄炭鉱の始まりは、鉱区の所有者黒柳氏と、同地に進出した石狩石炭の間に係争が起こったことに遡る。黒柳側が勝訴したものの、弁護士飯田氏への報酬支払が滞ったため、鉱区の所有は飯田に移り、飯田美唄炭鉱として1913年(大正2)に操業を始めた。敗訴側の石狩石炭は鉄道を敷設し、飯田に譲渡したことで炭鉱経営が進んだが、資金調達のため販売権を委ねていた三菱に買収され、1915年(大正4)に三菱美唄炭鉱、及び三菱美唄鉄道となった。前年に第一次世界大戦が開戦したこともあり、その三菱が景気需要に乗る思惑もあったとされる。
こちらの注意看板は錆びついたまま放置されている。サイクリングロードは、我路キャンプ場の方まで伸びているようだが、途中道が荒れ通行止めになっているため通行する人はほぼ居ないと思われる。
荒れた道とプラットホーム跡、自転車専用道路の標識が物悲しさを誘う。鉄道の路線跡は、サイクリングロード跡にもなりつつある。
現在、駅舎は炭鉄港の催しの一環で定期的に内部公開が行われているらしい。
東明駅舎一般公開・2号機関車の見学サポート(美唄市)
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#炭鉱 #鉄道 #古建築
丸山遠見望楼(閉鎖)
丸山遠見望楼(閉鎖)支笏湖へ向かう道沿い、左手林道分岐にかつて「口無沼」>>3と「丸山遠見望楼」を示す看板が立っていた。
現在は望楼が老朽化のため立ち入ることが出来ず、そのせいか看板も撤去され林道ゲートも通年閉まっておりそちらへ進むことは出来ないようだが、2008年時は看板が健在でほぼゲートも開いていたため高い確率で沼と望楼へクルマを走らせることが出来た。
林道を南下すると口無沼へ、北上すると望楼へ辿り着く。「丸山」はこの地区の字名であり、望楼のある場所はひときわ小高い丘になっており、遠く樽前山>>93や恵庭岳などの山岳や広大な森林を一望出来るため「遠見」、望楼に関しては明治期に建てられた簡易的な見張りやぐらが始まりだったそうだ。それからは森林の管理のため使用されていたということらしい。一般にも解放されていたが、2019年に階段部分が倒壊したらしく、以来立入禁止となっている。
この望楼が昔から気になっており、2008年に訪れることが出来た。もっとも、これが最初で最後の訪問になってしまったのが残念だが。
クルマが息絶え絶えのように辿り着いた頂上の駐車場から見た景色。
階段は結構怖かった。それなりにしっかりした作りではあったが複数名いっぺんに登るとぐらつくような感じがして、同行者が1階づつ上りきってからゆっくり上った。なので登っている途中の撮影は余裕がなく、していない。階段の隙間から下が見えるので、カメラを構える姿勢を取るのが不安だったのだ。
こちらは苫東と千歳方面。
ここでは見えないが山の向こうに支笏湖がある。
紙の原料の木材を伐り出し工場まで運んだ森林鉄道だが、温泉があった支笏湖方面へ行き来する旅客も便乗させたという。安全の保証は無かったが、幸い事故も起こらずに済んだらしい。車もまだ一般には普及しておらず、道路が開かれる以前のことである。
望楼の最上階の屋内には四方にそれぞれ見える山や景色の絵図も掲げられていた。
屋内はそれほど広くないため、あまりうろうろすると階段から落ちそうだったので、そちらの写真も撮らずに終わった。広角レンズがあればよかったのだが。
Googleマップは有り難い。様々な写真を撮ってくれている方が沢山おられる。こういうのは貴重な記録だなと最近はつくづく思う。
後からカメラを手にした人が来たりと、それなりに知られたスポットだったようだ。
今振り返ると、無くすのは惜しく思えるスポットだ。
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#林道 #古建築 #鉄道 #山