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アルテピアッツァ美唄
アルテピアッツァ美唄アルテピアッツァ美唄は、美唄市と同市出身の国際的彫刻家である安田侃氏が創立した彫刻美術館である。廃校となった美唄市立栄小学校の体育館と校舎をアートスペースとして再生し、野外にも彫刻を展示している芸術公園となっている。
1991年から体育館の改修を始め、翌1992年にはアルテピアッツァ美唄としてオープン、のちに校舎の改修やギャラリーとしての整備等を経て、カフェスペースやワークスペースも設け、休日には多くの人が訪れる評価の高いスポットとなっている。2016年には正式名を「安田侃彫刻美術館 アルテピアッツァ美唄」として登録博物館(美術館)となった。
かつては炭鉱街の小学校だった、味わいのある木造校舎と体育館、広々とした芝生広場に調和の取れた彫刻、子供も楽しめる水場や森林の散策コース等、美しい景色の中思い思いに楽しめるこの施設は、駐車料金も入場料も無料であるため、気軽に立ち寄ることが出来るが、施設維持のための寄附を募っている。グッズの購入もしくはカフェ利用もおすすめだ。
「カフェアルテ」ではドリンクと軽食を提供しており、窓から眺める景色も品良く素敵だ。そんな景色を前に静かにゆったり出来るコーヒータイムは格別だろう。
安田侃彫刻美術館 アルテピアッツァ美唄
▼2009年6月
芝生広場に佇む木造校舎。最盛期では1,000人以上の児童が在籍していた。
端の一角は幼稚園として使われていた。小学校と併設されていた幼稚園は、小学校閉校後もそのまま運営されていたようだが、2020年に閉園している。
離れにある体育館棟。手前の彫刻と同型のものはJR札幌駅にも設置されている。
とてもシンプルな造形なのだが、見慣れると他の場所で出会っても不思議と氏の作品だとわかる。
丘の上の『天翔』という作品。
巣箱のような時計。
大理石の白が眩しい水の広場。
森の中を散策出来る小道もある。
ルート上に作品が点在しているので、探しながら歩くのも楽しい。
自然観察をしながら森林浴も。
このような枕木の階段がところどころに。ちょっとした探索気分も味わえる。
自然も豊かな素敵な美術館だ。
▼2013年2月
冬季のアルテピアッツァ。
雪原にぽつんと佇む木造校舎も独特の味わいがある。
冬も訪れる人がそれなりにあるようで、彫刻へのアプローチも出来上がっている。
体育館と、彫刻が点在しているのが見渡せる。
校舎や体育館のギャラリーは冬季でも見学出来る。
冬空の下、夕日を浴びる彫刻が何かを語りかけてくれそうな感じがする。
どの季節に訪れても、素敵な景色を見せてくれるのだろう。
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体育館棟、校舎棟内部へ
#公園 #古建築 #文化施設 #花
苫小牧・ふるさと海岸
苫小牧・ふるさと海岸>>9でふるさと海岸に触れたので調べてみると、こちらもウォーキングコースとして歩きやすくなっていることがわかったため、旧苫小牧川>>33と続けて散歩してみた。>>9は有明町近辺の海だったが、ふるさと海岸はそれより東側、港寄りの高砂・汐見町地区になる。
天気も、晴天とまで行かずとも風はなく波は穏やかで、ゆったりとした散歩が出来た。遠い記憶の荒い海の風景とは違い、しかし砂浜は残されて「遊べる海」となっていた。
右側の水路は吐水口。旧苫小牧川の遊歩道終点から吐水口脇の踏み跡を抜けるとこちらに出る。ふるさと海岸の西側終点になる。
護岸ブロックに石畳の遊歩道が1kmほど、東側の駐車場まで続く。
途中に半円形のテラス状に張り出した広場(写真・遊歩道右側奥)が2ヶ所ほどある。ベンチ等も特に無い広場だが、見晴らし台のような感じだろうか。
砂浜と人工リーフ。漂着ゴミはほぼ皆無だった。
流木は申し訳程度に。
護岸ブロックに岩場のようなものを設けている。渓流のような造形を意識しているのだろうか。
砂浜では火を起こしてBBQも出来るらしいが、片付けの不備などマナーの悪さも問題となっている。
海への張り出し部分。面白そうだと思ったら…
立ち入ることが出来なかった。なんのためのエリアなのだろう…波が荒い時などはわかるのだが。
護岸ブロックの曲線が美しい。こういうブロックがあるのかとちょっと感心した、
従来型(?)の三角波消しブロックの残骸。この型もレトロで味わい深い。
まだぽつぽつとハマナスが咲いていた。
秋めく景色。
駐車場近くまで来た。このようなモザイク画が遊歩道上に点々と施されていて、行く人の目を楽しませる。
浜辺の草むらは原生花園の趣があり、これも都市部の自然の風景である。
地元にもかかわらず特に期待するものもなかった海が、知らない間に整っていて感慨深かった。そして新しい散歩コースを開拓することとなった。
以下はおまけ。
帰路につく途中の文化公園。かなり歩いて疲れかけていたので、これを見た時は「回復の泉!!」と心の中で叫んだ。すっかり気分はRPGである。
真面目にいい休憩になった。ちゃんと噴水が作動しているとは、憩いの場所の役割を果たしている。予算の問題か、または時期的なこともあるのか、設備があっても作動させ(られ)なくなる場所も多いので…
帰路中間地点で腹ごしらえ。行く先ところどころに飲食店があるのは本当に有り難いと思う。最近意識して歩くようになってからは、特にそう感じるようになった。
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#飲食 #公園 #海 #遊歩道 #花
函館・元町方面と坂さんぽ
函館・元町方面と坂さんぽ小樽、室蘭、そして函館など、坂の街に対する憧れがある。
生まれ育ちが平地の街だからというのもあるが、立体的に展開する街並みに人の活動や暮らしの息吹をより近く感じるような気がする。この斜面をよく拓いたな、という驚嘆もある。
しかしそんな感慨は、平地の少ない土地に産業が出来、そこに人が集まればそうせざるを得なかったという事情が土台にあって成立する。特にそう古くない時代に安住の地や新天地をもとめて流れ着いた人々の多い北国の歴史上、そのような性質が色濃い。
坂の街の暮らしの実際は、やはり行き来に大変骨が折れ、特にクルマを持たない世帯や高齢者、また冬期の積雪や凍結ともなれば危険を伴う。筆者の親戚が室蘭の坂の街住まいなのだが、以前そのようなことを漏らしていたのを聞いた。
憧れというものは所詮無いものねだりではあるのだが、それを承知でもやはり視界に立ちはだかったり、眼下に広がる街並みの景色には惹かれてしまう。
函館はその地形から港湾都市や要塞都市として開かれたが、そんな歴史要素が色濃い元町周辺は、傾斜を利用した景観が言うまでもなく美しい。
▼2009年5月
小さい写真は、おそらくコンデジの電池切れで苦し紛れにケータイ(当時はスマホではない)で撮影したものだろう(掲載は撮影順ではない)。
函館の街をちゃんと見て歩いたのはこれが最初だったが、電池切れになるまで歩き回ったということは楽しいものであったのだろう。自分ごとではあるのだが、とても何よりである。
元町公園から眺める旧函館区公会堂。バックに函館山。
公会堂のバルコニーから望む街と港。
入館料必要。筆者は利用していないが貸衣装で撮影も出来る。内部も見学したが生憎写真が残っていない。
前日の夜に訪れていた。ライトアップがされており色合いも把握出来た。
パステル調だが洋館らしい大胆な配色。最近補修されたらしく、この当時より色が濃い目になった感じがする。
明治40年の大火で区民の集会所も焼失したため、地元の豪商相馬氏が大金を寄付し、1910年(明治43)に建てられた。
豪奢で装飾のディテールも細かい。このすぐそばに旧相馬家住宅も残されている。
基坂は元町公園正面から延びる坂。里数を測るための里程元標が立ったことからこの名がついた。
ここから東に進み、坂を見ていく。
「チャチャ」はアイヌ語で老爺の意味。おじいさんのように体を曲げて登るような急坂からついた名。
左側に見えるのは聖ヨハネ教会。
日本最古のコンクリート電柱。
四角柱(四角錐?)の珍しい電柱。1923年(大正12)建築。
おなじみハセスト。
やきとり弁当は有名だけど、クルマで来てしまうと食べるための駐車場所に悩むのでなかなか手を出せない。
新島襄の銅像。
ここから小舟を漕ぎ出してアメリカの商船に乗り込み、密出国に成功しのちに同志社大学の創始者となった。
鎖国の時代に外の世界に関心を持って飛び出した偉人は多い。
旧函館どつく。
この赤白のクレーンは「ゴライアスクレーン」といい、この翌月に撤去されてしまったらしい。
▼2019年5月
市立函館博物館で見たかった展示が開催されていたため訪れた。ちなみに展示は『描かれたアイヌ』。和人の手により描かれてきたアイヌ民族を主題にした絵画作品の展示であった。
せっかくここまで来たので、久々に街歩きと決め込んだ。
初めて訪れた函館公園。「こどものくに」の日本最古の観覧車は小ぶりで可愛いかった。とても懐かしさを感じる遊園地で、多くの子供連れで賑わっていた。
護国神社坂。背後に神社と大鳥居がある。
二十間坂。この先に五島軒本店、更に行くと左手側に最古のコンクリート電柱がある。
市電通り。企業の建物だが、素敵なレトロ感。
もう一つの目的は、北方民族資料館だった。
旧日本銀行函館支店の建物を利用した北方民族関連の展示施設だが見応えは凄い。児玉コレクションには思うところはあるが…
蝦夷錦の実物が見れたのは個人的に嬉しかった。写真はロビーで歓迎してくれるコロポックル。
元町公園横の坂。元町周辺にとって函館山はランドマークである。
洒落たカラフルさが目に楽しい家屋。
函館の坂でもっとも有名であろう場所。八幡坂の天辺から。
「チャーミーグリーン」と言って分かってくれる方も少なくなってきただろうか。
海の見える坂の風景は、やはりなんとも言えない風情がある。
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#公園 #古建築 #文化施設
五稜郭公園
五稜郭公園言わずと知れた、北海道を代表する史跡及び観光地である。
函館には何度か訪れているものの、ここをちゃんと歩いたのは2009年が初めてだった。
もっとも、筆者は幕末という時代に正直あまり明るくなく、そちらも勉強せねばと思いつつ何故か大きく興味を惹かれること無く今日まで投げ出したままである。
ちゃんと知識と理解があれば本当の意味で楽しめる場所なのだろうが、先の通りなので無難に景色を楽しむ散策という程度の記録でご勘弁願いたい。
▼2009年5月
当然、高所から眺めなければその形状は掴めないので、まず五稜郭タワーに上って見る。
とはいえ、現在はGoogleMapで手軽に見れるようにはなったが。
タワーは子供の頃にも上った記憶があるのだが、現在のタワーは2006年に新築されているらしいので当時は旧タワーの方だったようだ。
築3年程度だけあって綺麗な建物だった。
この辺がギリギリ星型を把握できる感じだろうか。
中程の大きな倉庫のようなものは、2009年当時は箱館奉行所の復元工事を行っており、その囲いである。
展望室の土方歳三像。やはり載せたくなる佳き佇まいだ(笑)
箱館戦争の舞台だが、元々は幕府の北方警備および蝦夷地統治のために建築されたものである。
石組みが絶妙だ。
桜には遅かったが、藤棚は満開だった。
貸しボートがあったとは…!
外周を1周出来るらしいが中々の運動になりそうだ。
箱館奉行所の囲い。突如現れるビルのようなミスマッチな趣だが、翌年2010年に完成して囲いは取り払われた。
石に番号が振ってある。石組みの際、番号順でなければ綺麗に組めないのだろう。
かろうじてここだけ桜が咲いていた。遅咲きの木なのだろうか。
上りたくなる階段。当然上った。
明治以降は郭内外の建物は解体等で消失したが、ここ兵糧庫だけは残された。老朽化のため復元されている。
箱館戦争で実際に使われたとみられる大筒。左はブラッケリー砲、右がクルップ砲。
五稜郭の設計者、武田斐三郎の顕彰碑。
美しい五芒星の稜郭だが、蘭学を修めていたということで測量技術もこの頃は高度なものになっていたのだろう。
お顔の部分だけ光沢があるのは、撫でると頭が良くなるという謂れがあるからで、修学旅行生などももれなく触れていくからだそうで。
方形に剪定されたツツジと、円形に整った植え込みが可愛い。
▼2021年5月
上記から10年あまり経った。
この時の目的は個人的な調べ物のために函館市中央図書館を訪れたが、五稜郭がすぐ側なので散策をかねて立ち寄った。復元済みの箱館奉行所も見たかった。
渋めの趣な瓦葺きの屋敷と、太鼓櫓が特徴的。完成から10年経つが真新しさを保っている。
千鳥破風と鬼瓦がまぶしい。
入館料は500円だった。木の香りが濃い日本家屋。
襖を開け放った大広間は圧巻。掛け軸の座敷や詰め所に当時の役人の勤務を想像する。
歴史資料のパネル展示もある。役人の名簿に見覚えある人物の名前 を見つけたりと、個人的にも興味深かった。
残念なのは、太鼓櫓に上ることが出来なかったことだろうか。おそらく消防法の兼ね合いだろう。
太鼓の背後が梯子階段になるのだろうが、傾斜が厳しそうだ。
こうして見るとかなりの高さに感じる。高所恐怖症だとそもそも上れなさそう。
櫓上から港湾を見渡したり、時刻を知らせたりしたが、箱館戦争時には標的にされたりもしたらしい。
管理事務所棟と枝垂れ桜。
またもや満開の時期は外したが、ここの枝垂れは時期だった。
散ってしまった桜の木。
その代わり、行く先々に見事な松が見れた。樹齢150年はあるらしい。手入れはされているが見るからに歴史を感じる。
ぐるっと道なりに歩き、そのまま一周しようとしたら石垣工事のために通行止め。タワー方面に向かいたいので引き返すしかないが、あの石に振られた番号が役立つのかな、と思ったり。
満開の時期だと桜のトンネルになりそう。タイミングが難しいものだ。
お堀にはカモの姿もあった。
やっとタワー側へ出て、お昼にした。
「あじさい」でラーメンをと思ったが、店内階段で行列が出来ていたので隣の「ラッキーピエロ」にした。
やはりラッピは函館に来たら食べてしまう。
一周歩き倒すつもりだったが、なかなか広いのと通行止めもあって踏破出来なかった。
北海道史の大舞台となった場所だが、今では観光客も地元民も訪れる歴史と憩いの場所になっている。
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#公園 #花 #碑 #古建築 #飲食
炭鉱メモリアル森林公園(旧三菱美唄炭鉱跡)
炭鉱メモリアル森林公園(旧三菱美唄炭鉱跡)炭鉱遺産に興味を持ち、初めて訪れた場所がこちらの炭鉱メモリアル森林公園である。
元々は三菱美唄炭鉱の跡地で、1対2基の立坑櫓と、それらを操作する開閉所、原炭ポケット、そして封鎖された通洞坑が残されている。これらは炭鉱閉山後に美唄市へ譲渡され、遺産として公園整備されて残っている。施設群は外観のみだが自由に訪れ見学することが出来る。
あくまで森林公園なので、季節によって見やすさは変わる。今まで春、夏、秋と探訪したが、原炭ポケットや坑口などは夏は草木に埋もれて全景を見れないこともある。そんな状態でも自然に還る廃墟美的な魅力があるが、遺産として見物するならやはり春か秋だろう。
▼2009年6月
初探訪。市街地からはかなり離れた山間部の森林地帯になる。空知地方の炭山は内陸部のため、閉山し街も消えれば元の深山に戻る。
奥に見えるのは原炭ポケット。三井美唄二坑>>45のものに比べて形も異なれば規模も大きい。
横に目をやれば2つの赤い櫓が見える。
芝刈りの跡が見られるので、最低限公園としての整備はされている。
当時は公園の案内図があった。こちらは現存しない看板だ。
ビルのような大きさの原炭ポケット。北海道に現存するものでは最大級のものだそうだ。
この規模の建造物が草木に埋もれているのもまた圧巻ではある。
立坑櫓の横にある開閉所の建物。電気系統を制御、操作する場所だったが、設備は撤去され内部は空の状態である。普段は立ち入ることは出来ない。
すぐ横に設置してある看板。
炭鉱現役時の写真が掲載されている。
原炭ポケット、三菱のスリーダイヤの建物、当時の炭鉱駅だった常盤台駅など。右写真にはかろうじて立坑櫓らしき姿も見える。張り巡らされたベルトコンベアの建物など、この山間部がこんなに開けていたのかと只々驚く。
立坑櫓から道なりに奥へ進むと、コンクリ製の物体が木々の間から覗く。
2連の坑口「通洞坑」である。左側には三菱のスリーダイヤが掲げられている。
▼2011年6月
何故かまた6月に来ていたらしい。
立坑はそれぞれ上風坑、下風坑と呼ばれていた。人員の出入りと排気は上風坑から行われていたらしい。入気は下風坑からか。
櫓は操業当時は緑色だったようだが、新築当時は赤色だったため元の色に戻し塗り替えたらしい。森の中では不自然なほどだが、それくらいの色でなければこの場所の存在をアピール出来ないかもしれない。
原炭ポケットは、以前よりも更に緑に埋もれているように感じた。
▼2019年5月
春に来たのは初めてだ。晴れていたこともあって青い空に櫓の朱が映える。見通しも良い。
市で建てられた新しい看板。実は2011年時点で既に掲げられていた。写真も交えてわかりやすくなっている。
原炭ポケットの足元が見えている。石垣のようなものもあったとは知らなかった。
公園内には桜の木もあったのだ。咲いているのを見て初めて知った。
写真下に上部分しか写っていないが、立坑櫓のふもとには安田侃作品の黒い『妙夢』(札幌駅にある白い彫刻と同型)が設置されており、より公園らしくなっていた。
春の日差しを浴びて気高く立ち続ける。滑車(ヘッドシーブ)部分もよく見える。
こぶしの花も咲いていた。意外と花の名所なのかも知れない。
通洞坑も全体がはっきりと見えた。三菱マークも健在だ。
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#公園 #花 #廃 #古建築 #炭鉱