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三階滝公園と甘露法水
三階滝公園と甘露法水
伊達市大滝区(旧大滝村)にある定番の観光地、三階滝。観光バスも立ち寄る有名どころで、特にアウトドアの準備を要せず気軽に散策路の橋の上から見ることの出来る滝である。落差10m程度と小規模だが、すぐ近くで見られるため人気のスポットだ。
滝の形は特徴的で、三段形状の滝は各地にあれど、写真などで滝の姿を見れば大体この三階滝とわかるような形だと思う。
筆者にとっては近郊のスポットのため以前から馴染みの深い場所だが、ちゃんと撮影したのは2006年が初めてだった。
当時は画素数の荒い携帯電話のカメラ(写メなどとも呼ばれていたが、これは登録商標である)も使用していたが、コンデジも持ち始めたのがこの時期だったため、何処でも目にした景色をすべて写真に収めたいくらい外出や撮影に夢中だった。従来のフィルムカメラだと現像に出さなければならなかったが、その必要がないデジタルカメラはやはり画期的で魅力的だったのだ。
▼2006年9月

三階滝公園。滝はよく知っているが公園部分をじっくり見たことがなかったため、大きな池や水路、散策路も整備されていたのは初めて知った。覚えていなかったというべきか。
池の水は水路を経て、三階滝川へ注ぐ。川の名が滝の名由来とは、なんとも珍妙な感じがする。地名も元は徳舜瞥(とくしゅんべつ)村だったが、三階滝があることから大滝村と改称したのだとか。この川を下れば滝になるが、駐車場側へ戻って展望スペースとなっている橋の方へ進む。

こちらが三階滝。橋から見えるのは2段目までで、3段目は橋の陰になり見えづらい。二股に分かれたりと流れが特徴的。水量も多く飛沫も浴びれる勢いだ。


紅葉の季節だととても美しいのだろう。
橋を渡りきっても道は続くが、こちらは旧道の名残だ。昔は橋も車で渡れて、国道まで繋がっていたらしい。この当時には既に駐車場から奥は車両通行止めで、歩行者専用道路となっていた。
旧道を少し歩いてみたら、滝より下流の流れを望める場所があったが…
路肩が崩れており、道の先はバリケードで塞がれていた。徒歩でも危なそうなので引き返す。
途中にあった「甘露法水」の湧水場。ご利益もありそうだが人が多く、待機列を作っていたためこの時は横目に通り過ぎた。


橋の上から、下流側。
橋の下は、ゴツゴツとした岩の渓流となっている。それなりに高さもあって険しい地形だ。観光地整備がなければ、それなりに秘境だったのではないだろうか。
▼2008年4月
近くを通りがかったため寄ってみたが、午前9時頃だったのとまだオフシーズンだったのか、他に人の姿は無かった。これが滝見の橋。駐車場側に向かって、滝は左側になる。
時期的に草木が邪魔しなかったからか、フレームにまとまった形で撮れた。川上から、3段目まで綺麗に収まっているのではないだろうか。
春先とはいえ、まだ寒々しい雰囲気だった。これから新緑の季節を迎える。▼2013年8月
別の場所に行った帰りに見た虹。こんな綺麗なアーチは滅多に見ない。外側にもうっすら副虹が見える。くっきり見える方は主虹というらしい。
近くまで来たので、寄ってみた。とはいっても夕方17時を回っていたのと、雨模様だったためかまたもや他に人がいない。駐車場も空っぽだった。観光シーズンの夏場で有名どころでも、時間帯と天候でこんなに違うのか…
展望スペースを独り占め。
この頃にはデジタル一眼を入手していたため、絞り調整でこんな写真も撮れた(流水の表現)。
色んな場所で持て囃されているマイナスイオン。結局科学的根拠はあったのだろうか。普通に、水飛沫を浴びると納涼的に気持ちがいい、で良いと思うのだ…


無人の甘露法水。いつも水汲みの人で賑わっていたがこの時はそれすらも無かった。ので、この機会にちょこっといただいてみるが、冷たくてまろやかさがあった。このまろやかさが甘味を感じさせるのだろうか。「三八〇米余の金脈から流出し」とある。昭和13年、三階滝に徳竜金山が操業開始しているが、甘露法水のこの洞窟は形状からして金山の坑道だったのだろう。
現在、飲用する場合は煮沸するようにとの注意看板がある。エキノコックス症などのリスクは北海道民なら承知の上、自己責任で汲んでいるとは思うが、オーバーツーリズムの問題もあるこんにち仕方のないことなのかもしれない。実際煮沸するとなるとその場で飲みたい人はもちろん、大量に汲む場合も手間が余分にかかるのでここまで来る意味は薄れそうだ。
その場で飲むなら浄水器も役立つらしいが、よほどの湧水マニアでもない限り、それだけの手間と費用をかけるかどうか。




夕闇も押し迫ってきた。この時間帯はやはり山間部では"逢魔が時"だ。そろそろここを離れよう。

燃える夕闇の色。恐ろしくも美しい。畳む
#公園 #滝 #河川 #湧水 #鉱山
小清水原生花園
小清水原生花園
2006年7月、知床方面へのドライブの途中に立ち寄った。
この時、自らの運転で道東方面に行くのは初めてだった。
既に記憶が曖昧なのだが、前日の晩22時頃に出発して温根湯の道の駅で就寝したのが午前3時、午前8時に再出発し途中で仮眠しようとこちらに寄ったようだ。
今ならばまとまった仮眠を取ることを考えてもう少し早めに家を出るなどの行動をするのだが…まあこういうトライアル・アンド・エラーを重ねて慣れていくものなのだなぁと過去を振り返りつつ実感している。
仮眠のために寄ったつもりが、夏の暑い午前中でエアコン必須だったが、アイドリングしっぱなしにするのも気が引け結局眠るのは程々にせっかくなので散策をしてみることにした。園内は現在とさほど変わりは無さそうだが、一応、2006年時の記録ということで。
線路を渡って入園したところで、ちょうど駅に一両列車が入ってきた。JR釧網本線の原生花園駅が目の前にある。
この駅はGW頃から10月頃までの季節営業なのだそうだ。小さく可愛らしい建物で、大草原の小さな「駅」の趣がある。偶然入ってきた列車と合わせておとぎの国の風景のよう。これを見れただけでももう感無量だ。

向こうはオホーツク海。
向こうは濤沸湖。湖畔には野生の馬もいるらしい。人の手が入った花壇とは違い、天然の植生地なので派手な華やかさはないが、よく見るとぽつぽつと咲いているのが見られる。
浜の方へ降りてみる。
白い花はマルバトウキ(丸葉当帰)。セリ科になる。最近話題になっている外来種バイカルハナウド(ジャイアント・ホグウィード)も同じくセリ科の植物。
オオハナウドやエゾニュウもセリ科で、花の付き方がどれも似ているため見分けが付きづらいが、それら在来種の背丈はそれほど高くはない。
セリ科の植物自体はどこでも見かけるものなので、過度に神経質にならず且つむやみに野草に触らないことも必要かと思う。
エゾカワラナデシコ(蝦夷河原撫子)。夏場でも足元を見て歩くと意外と鮮やかなのが咲いている。
これは、開花前のエゾノシシウドか…?(セリ科の同定に自信はない)浜辺で楽しむ人々の姿は叙情的でもある。



やはりハマナスの季節だ。
ヒロハクサフジ(広葉草藤)。
浜へ。素足で歩いてみたら、めちゃくちゃ熱くて慌ててミュールを履き直した。それにしても色々と旅行ドライブ素人だったな…今なら無難にスニーカー履く。怪我の危険性もあるので…
気温が涼しければ浜辺で素足は気持ちいいけどね…

この辺りの砂浜は鳴り砂らしい。歩いてみたもののあまり実感がなかったが。


駅の並びにあるインフォメーションセンターでお土産や軽食が販売されていたので、はまなすソフトなるものをいただいた。
割とよくあるご当地ソフト。薄ピンクっぽい色+ほんのりバラ系フレーバーのほぼバニラソフト。普通に食べられるものだったが今もあるのだろうか。
原生花園の見時は6〜7月だそうだ。
5月には植生を回復させるための「火入れ 」が行われているとのこと。
無料で立ち寄れるので、息抜きにも訪れてみてほしい。
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#公園 #花 #海 #鉄道
旧赤間炭鉱ズリ山階段
旧赤間炭鉱ズリ山階段
「ズリ山」とは、掘り出した石炭を選別するときに出た屑石を堆積した山のことである。炭鉱施設や遺構近くに円錐状のこんもりとした山があれば、それはズリ山だった可能性が高い。ちなみに、九州地方の炭鉱では「ボタ山」と呼ばれている。
赤平の旧赤間炭鉱のズリ山は炭鉱遺産として保全されており、「日本一のズリ山階段」として777段の段数を誇る。階段は上りやすく整備され、頂上までほぼ一直線のルートだが、実際上ってみると中々きつい。筆者の場合は上りは休憩を入れて約30分ほどだったが、下りは下りでとにかく膝に来るので、時間に余裕を持って挑むのが良いだろう。
季節によって眺めは変わると思うが、苦労しただけの達成感はあるかと思う。
近年はヒグマの目撃情報のため立ち入り制限の時期もあったようだ。念の為クマ避け鈴等対策もした方が良いかもしれない。
2009年に登ろうと訪れたものの、美唄や歌志内など色々回ってここまで来た時には18時近くになってしまったため断念。2012年10月にようやく登ることが出来た。その記録になる。バックに見えるのが赤間の選炭工場跡。昼を越して夕方近かったためか逆光になってしまった。
階段までの道。薄暗いとちょっと不気味。現在だともう少し雰囲気が変わっているかもしれないが。
登り口。ここからスタート。
段差が揃っていて上りやすいが、勾配はそこそこ急なので100段を越えるともう息が切れてくる。段毎の柱には、全国から公募したプレートの名付け親の名前が記されている。
振り返って見たところ。秋口だったがまだ緑が茂って暖かかった。暑くも寒くもなく丁度良い時季だったかもしれない。
途中、いくつか休憩スペースがある。200段程上って休憩。ベンチがあるのは有り難い。
眺望と言うにはまだもう一息。夏場だと草木が生い茂って見えづらいかもしれない。屑石の人工山でも、年月が経つと自然の山に変わっていくようだ。
ポコポコと。ホコリタケか、シバフタケか…あらゆる所で見かけるキノコだ。
大分眺望らしくなってきた。
頂上が見えているような気がするがまだあと200段近くある。横に見えるパイプのようなものは、「あかびら火まつり」で灯される火文字である。炭鉱斜陽期に街の灯を消すまいと、京都の大文字焼きにヒントを得たものだそうだ。

もう少し、もう少し…
ラストスパート、あと70段。
頂上に到着!公園らしい広場になっている。ここからパノラマビューを堪能する。

かつての炭住らしき赤と青の屋根の住宅が見える。空知川のほとりのヤマの街というのがよくわかる。右側奥、彼方に見える白い線状のものは芦別大観音。
イルムケップ山方面を望む。駅前の直線道路は赤平中心部の特徴だと思う。
市役所方面。すぐ裏手に空知川が見える。
色づき始めた秋のヤマの街の眺望を堪能できた。畳む
#炭鉱 #公園 #山
炭鉱メモリアル森林公園(旧三菱美唄炭鉱跡)
炭鉱メモリアル森林公園(旧三菱美唄炭鉱跡)
炭鉱遺産に興味を持ち、初めて訪れた場所がこちらの炭鉱メモリアル森林公園である。
元々は三菱美唄炭鉱の跡地で、1対2基の立坑櫓と、それらを操作する開閉所、原炭ポケット、そして封鎖された通洞坑が残されている。これらは炭鉱閉山後に美唄市へ譲渡され、遺産として公園整備されて残っている。施設群は外観のみだが自由に訪れ見学することが出来る。
あくまで森林公園なので、季節によって見やすさは変わる。今まで春、夏、秋と探訪したが、原炭ポケットや坑口などは夏は草木に埋もれて全景を見れないこともある。そんな状態でも自然に還る廃墟美的な魅力があるが、遺産として見物するならやはり春か秋だろう。
▼2009年6月
初探訪。市街地からはかなり離れた山間部の森林地帯になる。空知地方の炭山は内陸部のため、閉山し街も消えれば元の深山に戻る。奥に見えるのは原炭ポケット。三井美唄二坑>>45のものに比べて形も異なれば規模も大きい。
横に目をやれば2つの赤い櫓が見える。芝刈りの跡が見られるので、最低限公園としての整備はされている。
当時は公園の案内図があった。こちらは現存しない看板だ。
ビルのような大きさの原炭ポケット。北海道に現存するものでは最大級のものだそうだ。この規模の建造物が草木に埋もれているのもまた圧巻ではある。


立坑櫓の横にある開閉所の建物。電気系統を制御、操作する場所だったが、設備は撤去され内部は空の状態である。普段は立ち入ることは出来ない。
すぐ横に設置してある看板。
炭鉱現役時の写真が掲載されている。原炭ポケット、三菱のスリーダイヤの建物、当時の炭鉱駅だった常盤台駅など。右写真にはかろうじて立坑櫓らしき姿も見える。張り巡らされたベルトコンベアの建物など、この山間部がこんなに開けていたのかと只々驚く。
立坑櫓から道なりに奥へ進むと、コンクリ製の物体が木々の間から覗く。
2連の坑口「通洞坑」である。左側には三菱のスリーダイヤが掲げられている。▼2011年6月
何故かまた6月に来ていたらしい。
立坑はそれぞれ上風坑、下風坑と呼ばれていた。人員の出入りと排気は上風坑から行われていたらしい。入気は下風坑からか。櫓は操業当時は緑色だったようだが、新築当時は赤色だったため元の色に戻し塗り替えたらしい。森の中では不自然なほどだが、それくらいの色でなければこの場所の存在をアピール出来ないかもしれない。


原炭ポケットは、以前よりも更に緑に埋もれているように感じた。▼2019年5月
春に来たのは初めてだ。晴れていたこともあって青い空に櫓の朱が映える。見通しも良い。
市で建てられた新しい看板。実は2011年時点で既に掲げられていた。写真も交えてわかりやすくなっている。
原炭ポケットの足元が見えている。石垣のようなものもあったとは知らなかった。
公園内には桜の木もあったのだ。咲いているのを見て初めて知った。
写真下に上部分しか写っていないが、立坑櫓のふもとには安田侃作品の黒い『妙夢』(札幌駅にある白い彫刻と同型)が設置されており、より公園らしくなっていた。

春の日差しを浴びて気高く立ち続ける。滑車(ヘッドシーブ)部分もよく見える。
こぶしの花も咲いていた。意外と花の名所なのかも知れない。
通洞坑も全体がはっきりと見えた。三菱マークも健在だ。畳む
#公園 #花 #廃 #古建築 #炭鉱
トーテムポールの丘(三階滝公園)
トーテムポールの丘(三階滝公園)>>72三階滝公園を散策していた時に見つけた、エスニック調の木彫。2006年の記録である。
1989年、旧大滝村の時に姉妹提携したカナダのレイク・カウチン村(現在は町)との友好の印として、カナダ木材を輸入し、建設されたのがこのトーテムポール群とのこと。作られたポールは大滝区内の優徳友情公園と三階滝公園に設置されたとあるが、前者の友情公園は今も存在するものの詳細情報はネット上にはほぼ出てこない。三階滝駐車場の道路を挟んだ向かい側も公園地で丘になっており、そちらにも多くのポールが設置されているとのことなので立ち寄ってみた。
Googleのストリートビューだと見当たらないため、現在は撤去されているものと思われる。
トーテムポールは北米大陸の北西海岸部の先住民(カナダではファーストネーションズと呼ばれる)が作っていたもので、近年は各地で類似のものや独自のものが作られているが、発祥は先のアラスカ、カナダ、アメリカ北部のインディアン(この呼びは今では差別的とされているが、当人らの中には堂々と自称する人もいるそう)である。ポールは神仏像のような信仰の対象ではなく、部族それぞれの氏族にまつわる神話や伝説、生活の出来事などを人や動物の形に表現した「家紋」のようなもの、だという。一族の家系や精神史を表示する意味合いもあるのかもしれないが、現代日本に住む我々には完全に理解するのは難しそうだ。しかし、日本でも盆や正月等の年中行事や冠婚葬祭等何らかのイベントや式典を行うことを考えると通じるものはあるのかもしれない。刻まれた人や動物たちのデフォルメもどこか漫画的で、親しみやすい感じがする。
個人的なトーテムポールのイメージが、郊外の学校や昔の観光施設、アイヌコタンなどにも同様のものがあり、それらは彩色が施されていない木の地色という認識だったため、着色されているのが意外だったが実はこれが正式なものだとは、初めて知った。もしかすると自分が目にしたものも色落ちして古びたものだった可能性もあるが。
この公園内に立っているものは模倣やレプリカではなく本場の本物で、看板の説明には木材をカナダから輸入して作ったとあることから制作者もカナダから来訪したのだと思われるが、その辺りの詳しい説明が無かったのは残念だ。
それぞれ表情に独特な愛嬌がある。説明するようなものではないのかもしれないが、どんな動物でどういった意味があるのか、解説が欲しいところだ。
マップに最近の写真が投稿されているのを見ると、これらのポールも大分年季が入って色落ちしつつあるものも増えているようだ。それはそれで味わい深いが思えばこの訪問から20年、設置されてからだと30年以上経つのだ。トーテムポールは修復や新調するものではなく、建てたらあとは朽ちようが倒れようが自然に任せるものらしい。この丘のポール群もそのようにして自然に還っていくのかもしれない。
滝見の際に散策しつつ異文化に触れてみるのも、面白いと思う。
※以下のサイトを参考にさせていただきました。
・FIRSTNATIONS /カナダインディアンの文化
・なぜ作られたのか? アメリカ先住民の謎多き「トーテムポール」の世界 (サライ)
上のサイトによると「はずかしめのポール」というものもあるらしくウワーッ!となった。これはキビシイね!
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#公園 #文化施設