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樽前さんぽ 2009
樽前さんぽ 2009
樽前山の麓には、字名で樽前という地区がある。苫小牧西端の郊外の主に農業地帯の集落である。
山側の奥には樽前ガロー>>2や観音沼、タネト沼など>>3もあり、自然の宝庫でもあるが、人家に近い場所を訪れたことはあまりなかった。
2009年にアート系の展示がこの地区で催されていたため、興味があり訪れてみた。
作業小屋をリノベーションしたギャラリーで、落ち着いた空間に絵画や写真、造形などの作品が展示されていたが、撮影は作家により対応が異なるようだったため、控えた。普段は人も少ない静かな地区だが、この時は入れ替わり立ち替わり観覧客が訪れ、賑わっていた。
現在はNPO法人として活動しているクリエイター集団、樽前arty+ (当時は樽前arty)の造形作家藤沢レオ氏のアトリエが会場となっていた(上の写真は2009年のもので、アトリエ看板は現存していない。現在は事務所が離れにあるようだ)。
この周辺の屋外にも、造形やインスタレーションなどの展示があり、散歩がてら観覧させてもらった。屋外展示も作品の撮影は控えたため、ここでは展示エリアの樽前小学校周辺の風景を掲載する。樽前地区(一部)の散策記事として見てもらえたらと思う。
※一部、景色の中に作品と推測されるものもある。以前のものではあるがもし問題があるなら一報いただきたい。
樽前小学校。大正11年(1922)に覚生(おぽっぷ)尋常小学校樽前特別教授場として創立。平成6年(1994)から苫小牧市の特認校となっている。特認校とは、へき地など自然の豊かな場所への通学を希望する同じ自治体の児童・生徒を受け入れる学校のこと。
令和7年度の児童数は30名程だが、この当時の児童数は不明ながらも広いグラウンドと校舎もそれなりに大きい。正門も整えられ、へき地の学校としては立派なものだと思う。近年は校舎も新しくなったようだ。
学校の隣には、樽前の樽前山神社がある。なんのこっちゃかもしれないが、樽前山神社は山頂の奥宮>>93と、苫小牧市内3ヶ所に設けられている。高丘の総鎮守と、宮前町の錦岡樽前山神社、ここ字樽前の神社になる。錦岡樽前山神社の前身樽前権現に円空仏(由来はこちら )が祀られていたため、明治期の神仏分離で一時廃止され、新たに創建されたのが総鎮守樽前山神社だといわれる(初め矢代町に建てられ、のちに高丘に移転)。こちらの樽前の神社に関してはざっと調べても詳細が出てこない。苫小牧では大正期に「コイノボリ大火」があったため、詳細の歴史的資料が焼失したために不明なことが多々あるらしい。そのためそれぞれの樽前山神社の関係性はわからない。
この鳥居の奥も展示コースになっていた。
気持ちのいい散策路が続く。
シイタケ栽培の場所に出た。昔、小学生の頃に樽前しいたけ園という場所を見学したことがある。もしやここが?と思ったが、見学のしいたけ園は別の場所で、どうやら樽前小学校でシイタケ栽培を行っているようだった。学校の行事として毎年行われているらしい。
こちらはもちろんシイタケではなく。謎のキノコ類。ニカワタケに似ているがキノコの同定は難しいので深入りは避ける。
樽前小学校の正門に並ぶベンチ。謎なのはこのバス停の名前。王子正門通は当然ここではない。もしかしたらアートの一環だったのかもしれないが。
ちなみに王子とは王子製紙工場>>69のことだが、時折SNSなどで王子専用道路がネタにされる度にああ、普通はそう思うよなと地元民は再認識することになる。
何かを描いたのかもしれないイガグリ。今眺めていて気付いたが、方位マークを表したものだったのだろうか。もしくはたまたまそう見えるだけだろうか。イガは地面に固定されていないようだったので、これもアートだったとしたなら、あまり人の来ない郊外ならではのものだと思う。
この手のアートは、観覧者の行動も試されているようにも感じる。
足を運ぶ観覧客は皆落ち着いたちゃんとした方達だったのだ。でなければ、あっという間に散らされているだろう。
この頃は筆者も絵を描いたりと、アートに興味があり色々な催しに足を運んだが、次第に自分の根幹とは異質に感じて今ではほぼ関心の外になってしまった。
様々な行動をするに従った結果、自分と縁遠くなれば、そのようなものだとも思う。
ただ誰しも表現することはいつの時代も自由であって欲しいと願っている。
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#イベント #神社
旧住友赤平炭鉱 立坑櫓
旧住友赤平炭鉱 立坑櫓
住友赤平炭鉱は1938年(昭和13)に開鉱、閉山は1994年(平成6)と、比較的近年まで稼働していた新しい炭鉱の部類である。
そのためか、炭鉱を象徴する立坑櫓の建物がほぼ操業当時の状態で残り、現在ではガイダンス施設も新設され、立坑ヤード内も施設の開館日は見学可能となっている。
日本遺産「炭鉄港 」の構成文化財として登録もされており、北海道産業遺産群の中でも有名なスポットだ。
筆者の初見は2009年で、その時既に立坑櫓の存在を知った上で訪れたが、外観だけでも実物を間近に見るとその大きさに圧倒された。操業時には「住友赤平立坑」のネオン文字が掲げられていたようだが、この時点では既に取り外されていた。
時間的に夕刻を過ぎていたため、まともに撮影出来ずにその場を後にしたが、有志が開催している「赤平TANtanまつり」で炭鉱関連の施設内見学が出来るということで、翌々年の2011年に再訪し、これまた内部の圧倒的な空間と操業当時の様子に思いを馳せつつ堪能させてもらった。
▼2011年10月
看板の背景写真に、掲げられていたネオン文字が確認できる。
見学時間まで余裕があったので、建物の周りを見てみる。こちらは道路に面した一角で、見学参加者の集合場所だった。右側建物奥のシャッターから出入りした。

脇の門からお邪魔して、櫓を正面から。左側は事務所棟。
ぐるっと裏の方に回ってみる。
傍には殉職者の慰霊碑があった。見学時間に集合場所へ向かうと、家族連れなども含めかなりの人が集まっていた。
当時から関心の高さが窺われた。
シャッターが開けられ、内部に入ると従業員の繰込所と思われる一室になり、そこでヘルメットを着用しガイドの説明を聞いた上で立坑ヤード内へ。
ガイドはこちらで働いていた元炭鉱マンの三上氏である。今日に至るまでガイドを務められている。立坑の仕組みやエピソードなど、軽妙かつ分かりやすく興味深い話を色々聞かせていただいた。
櫓の真下、立坑坑口へ下ろすゴンドラの柱部分。櫓の上部に滑車(ヘッドシープ)があり、巻き上げ機でワイヤーケーブルを制御し昇降させる。
柵の奥に昇降口があり、石炭を積んだ炭車を上げ下ろししていた。
炭車。黄色い方はバケットが傾き石炭の積み替えが容易になった新型のもの。
石炭を運び出す炭車のレール。そういえばこちらの原炭置き場や選炭場も近くにあったと思うのだがどの辺りだったのだろう。名残でもあるのだろうか。
一対の信号室の片方。
天井が高く、壮大な空間となっている。
人員を運ぶ立坑エレベーター、こちらは順番に箱に載せてもらい鉱員の気分を体感。一つの箱に6人×3列で定員18人で載っていたらしく、これも実際に見学者18人ずつ乗り込んで再現。
なかなかの詰め込み状態で、毎秒約6m、最高深度約600mまで昇降していたという。
これが4段構造になっているため、最大定員72名まで一度に運べるものだった。
斜坑で使われていた坑内人車の内部。鉱員の移動に使用されていた。元々坑内にあるべきものだが、こちらに移して展示されている。体の大きな人だと膝が前方の仕切りにつっかえそうだ。
信号室の内部。近代の炭鉱労働は機械技術的側面も強いことを教えてくれる。(正面の映り込みは筆者)
椅子の座布団に働く人の血の通った部分が垣間見える。玖保キリコのキャラクター懐かしすぎる…
閉山当時のカレンダーが掛かったまま。時の経過を感じる。
作業階段を上階へ。ケーブルを巻き取る動力滑車(ケーペプーリ)。さすがに大きい。

巻上機。施工に携わった安川電機の銘がある。
施設の傷みが少ないため、通電すれば今でも動かせるとのこと。
消火設備の記録板。こちらも閉山時まで記録され続けたもの。
住友赤平は、大きな事故が少なく優秀な炭鉱だったといわれている。
立坑の建設は1963年(昭和38)、それからこの時点で50年近く経過しているが、かなり堅牢に作られているのか目立った傷みもなく、今日まで残るものになっているのもまた凄いと思う。
▼2012年10月
翌2012年は、赤間炭鉱のズリ山に登った後にTANtanまつりに滑り込み、立坑櫓のライトアップ待ちで撮影したものである。
2011年時にもライトアップは見ているのだが、肝心のそちらの写真は写りが稚拙だったため、残っていない。
曇り気味だったが、日暮れの空の色が何とも言えない渋い色合いで良かった。
櫓部分のアップ。シルエットになるとクールで格好いい。
逆側から。ここの立坑施設はアングルが限られるため、地味に撮影が難しいかもしれない。
立坑前の事務所と道路。このあとにライトアップ点灯、昨年に続き赤平名物のがんがん鍋(豚汁ベースのモツ鍋)をいただいた。
▼2013年10月
更に翌年も、まつりに合わせて訪れた。3年連続で同じ場所に行くというのは個人的には珍しいことだと思う。
この間にカメラも一眼に新調したこともあり、新たに撮影に行きたい思いもあった。
とはいえ拙いものではあるが、画像のみ淡々と上げていくことにする。


この時も、内部見学に参加し、再びケージ18人乗り体験をさせてもらった。数百メートルの地下では太陽光がそもそも届かないので、ライトなしで目が慣れるということは決してない、というお話を改めて聞いて過酷な環境だったということを再確認。
でも、ネズミはちょろちょろと動き回っていたというのも聞き、ヒトと動物の能力の違いにも驚く。餌の調達は可能だったのだろうか。






バケットが片方に傾斜し、石炭を移し替える様子の写真が展示されている。



立坑の設計図。仕組みが簡易的にわかるようになっている。
ケーブルを通した天井の穴。
この年もライトアップがあり、やっと撮れた一枚。この夜は立坑の壁面を利用して、プロジェクターで炭鉱の歴史の映像を流しており、思わず見入ってしまった。
おまけに。この年は会場にもキャンドルが灯され、幻想的な雰囲気を醸し出していた。▼2018年11月
しばらくご無沙汰だったが、2016年に立坑や関連施設が住石マテリアルズから赤平市に譲渡されたのを機に周辺整備が進み、2018年には炭鉱ガイダンス施設が新設されていた。
この年のTANtanまつりでは施設駐車場がイベント会場となり、屋台の出店や著名人ゲストが呼ばれて大変な賑わいだった。
筆者自身はこの年に入院・手術を経験したため、リハビリと称して久々に遠出をして来たのがこちらだった。そのため立坑見学は遠慮してガイダンス施設の見学と、軽く立坑の撮影だけに止めた。
人が多かったため、写真は厳選した。



遺産保存への道筋を(初訪以前から動きはあったため途中からだが)辿っているようで、余所者の一見学者に過ぎないがとても感慨深くもある。
現在ではガイダンス施設の開館日に有料で立坑内部のガイド付き見学が可能になっている。とはいえガイド料も非常にお値打ち設定だと思うので、利用して損はないはずだ。
炭鉱や産業遺産に関心のある方にはぜひおすすめしたい。
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#炭鉱 #古建築 #碑 #イベント #文化施設
北竜町ひまわりの里
北竜町ひまわりの里
初訪は2006年だが、2013年7月に再訪した時のものを主に上げる。
北竜町ひまわりの里の「ひまわりまつり」は、毎年7月中旬から8月中旬に開催される。見時は8月上旬のようだが、2013年は7月29日に訪れたところ、写真の通りにかなりの満開で見応えがあった。まつり期間は観光センターで食事の提供があったり、ひまわりの里内ではひまわり迷路やアイガモ牧場、ぐるっと巡回するトラクター観覧車など、子供から大人まで楽しめる様々な催しが行われる。
北竜町ひまわりの里は発祥が1979年と、それなりに歴史がある。農協職員が視察先の旧ユーゴスラビアのひまわり畑に触発され、町で栽培を始めたのが始まりで、ひまわりまつりは1987年に初開催された。ひまわり油製造や、ひまわりブランドを冠した減農薬米「ひまわりライス」の生産などを経て、年々作付面積を増やし、現在では約23haに200万本という、日本最大級のひまわり畑となった。また、街の外灯もひまわりモチーフの装飾だったり、施設にひまわりの名が付いていたりと、すっかり町の顔となっている。
一面の花畑は惹かれる風景の一つだが、ヒマワリという花に関しては、素朴だが存在感が大きいだけにピークを過ぎた辺りの外見がとても物悲しく、子供時代の「過ぎゆく夏休み」のような切なさも感じる。そんなヒマワリの海は力強い生命力と壮大な郷愁という相反する要素が同居する風景でもあると思う。毎年見に行きたいような、行きたくないような、複雑な感情が絡み合う。
しかし一旦その中に身を投じれば、只々圧倒されつつ夢中でファインダーを覗くことになるのだが。






2006年に訪れた時にはダチョウ牧場があったが、2013年もあった。
ダチョウもヒマワリを眺めているのだろうか。
二重まぶたのせいか、目が綺麗だと思う。
同じ個体かはわからないが、どことなく2006年に見た時より大人しい。
正面顔は滑稽な感じだが、心を鷲掴みにされそうだ。2006年時のダチョウの写真があったので上げておく。
当時100円で餌やり体験が出来たので、興味があったのでさせてもらった。

オスは体の羽毛が黒く、くちばしが赤い。

こちらはメス。結構ガッツガツいっている。
割と仲が良さそうだった。オス1頭メス2頭くらいで飼育されていた。まつりの期間だけ幌延から移送して飼育展示されていたようで、元々ここで飼われていたわけではなくヒマワリとの関係性も特に無さそうだった。
現在はまつりのマップにもプログラムにもダチョウ牧場の記載はないため(昨年までは2つの迷路の内の1つに「ダチョウ迷路」という名が付いていたが)、ダチョウ牧場は過去の催しとなってしまったようだ。
アイガモ牧場の方は2006年にも見たが、現在も続いている。




しばらく観察していると、大変社会性のある生態のように感じる。愛らしいが妙に生活感がある。
地元の中学生が栽培しているという、世界のひまわりのコーナー。様々な色合いのものがあって興味深いが、真っ赤や黒に近い赤さのものは燃える炎のようで、よりサンフラワーと呼ぶに相応しい。
ヒマワリの蕾はこんな感じ。

なかなか壮観である。
「ひまわり号」を添えておとぎの国のような風景。

整列して栽培されているのがわかる図。

「夏休み」というものに会いたくなったら、また来よう。
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#イベント #公園 #鳥類 #花
二十間道路桜並木
二十間道路桜並木
最初に訪れた時の失敗が妙に思い出深く、記憶に残り続けて馴染みの名所になる。ここは筆者にとってはそんな場所である。
かつての御料牧場の中央道路に、皇族が視察する際の行啓道路として桜を植樹したのがここの桜並木の始まりである。幅が二十間(1間約1.82m*20=約36m)あったことから二十間道路と呼ばれるようになった。桜はエゾヤマザクラが7割を占め、毎年4月下旬〜5月上旬の満開時には圧巻の桜の並木道となる。本州のソメイヨシノと比べるとヤマザクラは葉も目立ち、またここでは松の木と混在するため、緑とのコントラストを楽しむ形となる。そのため意外と撮影が難しいかもしれないが。
初訪は2007年、桜を目当てに名所に行ったことがないことに気づき、近郊の有名な場所はといえばと静内へクルマを走らせた。
静内と言ったが、この前年に静内町と三石町が合併して新ひだか町となっている。「静内二十間道路」「しずない桜まつり」の呼称が馴染み深いため、未だにこちらのことは静内と呼んでしまう。現在でも字名として呼ばれているため間違いではないのだが。
二十間道路エントランスのトイレ併設の駐車場に停め、そこで咲いていた桜を堪能しつつ、そのまま散歩がてらまつり会場まで行けるかと延々と歩き続け、ついには3km程でようやく会場に着き、結果往復7km程歩いてしまった。当然会場近くには道路脇に駐車スペースが設けられているため、特に歩く必要は無かったのだが、ウォーキング目当てでもなく、しかも足元はミュールという出で立ちの如何にも無鉄砲の無知無謀さであった。当然足は痛み、運動不足もあって体はガタガタ、若さ故(すでにさほど若くもなかったので年甲斐もなく)出来た無茶である。せめてスニーカーだったら問題無かっただろうが、当時は洒落っ気がまだ残っており「ヒールのない靴は靴ではない!」と内心豪語していたのである。
誰しもビギナーの時期はあるとはいえ、今思えば我ながら愚かしい。崩壊寸前の足を引きずり、そのあとレ・コードの湯に寄ってヒーヒー言いつつ湯に浸かり、露天風呂から馬を眺めたことも今や懐かしい。
そんな初の二十間道路は散々であったが、以降GWの予定が空く度に赴くようになった。近年は主に母のリクエストにより筆者がハンドルを握り連れて行くという、ほぼ毎年定番の花見スポットとなっている。
▼2007年5月
問題のミュールウォーキングとなった初訪時。
さくら名所100選の地。静内町だった当時のもの。
日本の道100選の一でもある。エントランス駐車場からこれらの碑を見て、歩き始める。


馬産地のため、周りは厩舎や牧場になる。桜越しに見える馬の姿がのどかだ(事故防止のため柵には近づかないこと)。
かなりの老木に見える。これでも咲き続ける生命力に感嘆する。
緑からピンクのグラデーションは、北国ならではかも知れない。



てくてくと歩きつつ、初めての景色なので夢中になる。

桜を間近でちゃんと見たのも初めてかも知れない。
色褪せた道100選の看板。ほとんどがクルマやバスで通り過ぎるため、歩く人はまず居ないと思われる。

遠目にはスカスカに見えても、密に咲いている木も結構ある。
まつり会場は人が多いので、こうやって歩くとゆっくり堪能出来た。が、距離は長いのでウォーキングしたい方以外にはおすすめはしない。
▼2009年5月
この年は母が行きたがったので、連れて行った。
例年より開花が遅かったようで、まつりはGW明けから5月中旬まで開催されていたようだ。
案の定渋滞だったので、並び待ちで車窓から眺めていた並木。数百m間隔でトイレが設置されていたが、エントランス駐車場の綺麗なトイレもあるため需要は謎だった。現在は板張りされ封鎖されている。
見事な枝振りの木もある。
道100選の看板が綺麗にリニューアルされていた。
▼2018年5月5日
その間何度か訪れた年もあったが、行き慣れるとさほど撮影はしなくなる。
この時には一眼で撮っていたため、例年よりも綺麗に撮りたかった。







ホワイトバランスやソフトフォーカスなど、設定を色々弄って撮影に専念した。
機械のおかげが大きいが、上達はしたのだろうか。
▼2022年5月4日
この時はスマホだけにしている。
この頃の体調のせいか、一眼が重く感じられて、持ち歩くのが地味に苦痛な時期だった。

桜のトンネルの終点地点。まつり露店の終点地点でもある。この先は農場になるため立入禁止。

露店の様子。新型コロナの影響で遠のいた客足も徐々に戻りつつある頃。
油そばだったか、食事用の席が少なく空きがなかったため、車内でいただく。
▼2024年5月1日
今年も訪れた。持っていた単焦点レンズを使いこなそうと、それ縛りで撮ってみた。


色合いがくっきりしている。彩度が強い。
今年は開花が早く、まつりもきっかりGW期間中の開催だった。最終日が5月3日。桜並木どっとこむ の記録によると、ここ数年開花は早まっているようだ(まつりも開花に合わせて開催される)。
今年もクルマに持ち込みで。焼きおにぎり。
つぶ焼き(というかボイル)は実はここに来た時には必ず食べている。何故だか食べたくなる。

エントランス駐車場に立ち寄ってトイレタイム。駐車場に隣接するのは、「桜舞馬公園(オウマイホースパーク)」。歴代の名馬が眠る墓地公園となっている。
そのような名前の公園だったとは、今年初めて知った。Oh!

競馬やお馬さん自体に詳しいわけではないのだが、やはりこういう場所は神妙になる。
単焦点の雰囲気が、気に入りつつある。こうして見ると、撮影(方法)の変遷を見ているようで、我ながら興味深い。
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#花 #イベント #飲食 #公園
幌内布引アートプロジェクト(2009年)
幌内布引アートプロジェクト(2009年)三笠市幌内の山中に、旧幌内炭鉱の支坑だった布引坑の跡地がある。
その炭鉱跡地を利用したアートやインスタレーションの展示イベントが2009年に開催されており、訪れた時の記録である。
主催はNPO法人炭鉱の記憶推進事業団 で、炭鉱跡地でのアートプロジェクトは2004年の赤平から定期的に開催されており、他には奔別や夕張でも開催された経歴がある。2020年以降は中断しているようだが、アートプロジェクト以外にも「炭鉄港」関連の取り組みや街歩きイベント、奔別炭鉱跡地の見学等が現在も催されている。
炭鉱跡に興味を持ってから、関連イベントへの参加はこれが初めてだった。三笠の炭鉱跡では奔別が有名で当時既に知ってはいたが、こちらの布引アートプロジェクトも周りで話題に上がっており、知人にも足を運ぶ人が多かった。
期間中は土日のみ、幌内炭鉱景観公園前の特設受付所から1日5便、布引跡地へのスタッフ送迎の車が運行しており、この時間に合わせるため奔別は素通りして真っ直ぐ現地に向かった。
合法的に廃墟や遺構が見られるという点でも貴重な催しであり、ちょっとした探検気分も味わえる、当時の自分のようなビギナーにも面白いイベントだった。
※以下、展示物の説明等は「そらち炭鉱の記憶アートプロジェクト」内の過去のアートプロジェクトの記録 、幌内布引アートプロジェクトの報告書PDFを参考にさせていただいた。
エントランスとなっているポイントで出迎えるアート作品。
坑夫が必ず身につけていた手ぬぐいを数列に亘って並べてフラッグのように掛け、観覧者を迎え入れる道しるべのようになっている。
この小屋ではその日使う分の量が保管されており、有資格者がここから取り出してから入坑していたという。
こちらが立坑櫓の巻き上げ室で、布引坑跡のメイン遺構となる。大正末期の建築になるらしい。
窓にはステンドグラスのようにカラフルなアクリル板が嵌めてあるが、これはアート作品としてのアレンジである。
ここで働いてきた先人と、炭鉱で栄えた時代を讃える聖堂に見立てたものだそうだ。
巻き上げ機も撤去され、それらが設置されていた台座や基礎には針金で作られた動物たちのオブジェも展示されていたが、人が多くじっくり見ることが出来なかったため、撮影はしていない。
坑夫たちが一服してから捜検(火気持込の取締り)を受け、すぐ入坑出来る位置関係になる。
時の経過と物語を想起させる表現となっている。
この当時はよくわからず見学していたが、巻上室の傍には立坑の跡もあるとわかったのはだいぶ後になってから。密閉された穴にはガス抜き管がある、なども。
見返して、立坑跡の写真あった!と一人で盛り上がっている。
この苔むし具合にまた気分が上がる。
風の流れを視覚化したものだそうだが、内部から観覧することを前提としていると後で知って、ちょっと勿体ないことをした。
ここから風洞の内部に入っていく。
この風洞は、坑内の汚れた空気を排気するためのトンネルであった。
これも今見ると貴重なものに思える。
厳密に言えばこのあとも携帯電話のカメラ(当時はまだスマホは無くガラケー)で苦し紛れに撮ったは撮ったのだが、やはり日暮れに差し掛かっていたこともあり画質が良くなく、のちにデータ整理の時に処分してしまったようで、見当たらなかった。
そのため、この時の写真はここまで。
携帯カメラのシャッター音をパシャパシャ響かせつつ復路を辿っていると、駐車場の方でタイムアップを知らせる(多分)クラクションが鳴り出したので、急ぎ足で戻ることになった。
山中に眠る、この規模の遺構を初めて見学することが出来、主催の方やアーティスト、スタッフの方に只々感謝だった。
帰りの車内で、ドライバーのスタッフの方と他の産業遺産、特に室蘭の工場やタウシュベツ川橋梁の話で盛り上がったのもいい思い出だ。
やはり、炭鉱遺構界隈、好みや興味の場所が被るらしい。
この布引坑跡については、翌年2010年以降何度か再訪しているので、別記事でそちらも上げようと思う。
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#廃 #古建築 #炭鉱 #イベント