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北竜町ひまわりの里
北竜町ひまわりの里
初訪は2006年だが、2013年7月に再訪した時のものを主に上げる。
北竜町ひまわりの里の「ひまわりまつり」は、毎年7月中旬から8月中旬に開催される。見時は8月上旬のようだが、2013年は7月29日に訪れたところ、写真の通りにかなりの満開で見応えがあった。まつり期間は観光センターで食事の提供があったり、ひまわりの里内ではひまわり迷路やアイガモ牧場、ぐるっと巡回するトラクター観覧車など、子供から大人まで楽しめる様々な催しが行われる。
北竜町ひまわりの里は発祥が1979年と、それなりに歴史がある。農協職員が視察先の旧ユーゴスラビアのひまわり畑に触発され、町で栽培を始めたのが始まりで、ひまわりまつりは1987年に初開催された。ひまわり油製造や、ひまわりブランドを冠した減農薬米「ひまわりライス」の生産などを経て、年々作付面積を増やし、現在では約23haに200万本という、日本最大級のひまわり畑となった。また、街の外灯もひまわりモチーフの装飾だったり、施設にひまわりの名が付いていたりと、すっかり町の顔となっている。
一面の花畑は惹かれる風景の一つだが、ヒマワリという花に関しては、素朴だが存在感が大きいだけにピークを過ぎた辺りの外見がとても物悲しく、子供時代の「過ぎゆく夏休み」のような切なさも感じる。そんなヒマワリの海は力強い生命力と壮大な郷愁という相反する要素が同居する風景でもあると思う。毎年見に行きたいような、行きたくないような、複雑な感情が絡み合う。
しかし一旦その中に身を投じれば、只々圧倒されつつ夢中でファインダーを覗くことになるのだが。






2006年に訪れた時にはダチョウ牧場があったが、2013年もあった。




2006年時のダチョウの写真があったので上げておく。
当時100円で餌やり体験が出来たので、興味があったのでさせてもらった。






まつりの期間だけ幌延から移送して飼育展示されていたようで、元々ここで飼われていたわけではなくヒマワリとの関係性も特に無さそうだった。
現在はまつりのマップにもプログラムにもダチョウ牧場の記載はないため(昨年までは2つの迷路の内の1つに「ダチョウ迷路」という名が付いていたが)、ダチョウ牧場は過去の催しとなってしまったようだ。
アイガモ牧場の方は2006年にも見たが、現在も続いている。







様々な色合いのものがあって興味深いが、真っ赤や黒に近い赤さのものは燃える炎のようで、よりサンフラワーと呼ぶに相応しい。










「夏休み」というものに会いたくなったら、また来よう。
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#イベント #鳥類 #花
二十間道路桜並木
二十間道路桜並木
最初に訪れた時の失敗が妙に思い出深く、記憶に残り続けて馴染みの名所になる。ここは筆者にとってはそんな場所である。
かつての御料牧場の中央道路に、皇族が視察する際の行啓道路として桜を植樹したのがここの桜並木の始まりである。幅が二十間(1間約1.82m*20=約36m)あったことから二十間道路と呼ばれるようになった。桜はエゾヤマザクラが7割を占め、毎年4月下旬〜5月上旬の満開時には圧巻の桜の並木道となる。本州のソメイヨシノと比べるとヤマザクラは葉も目立ち、またここでは松の木と混在するため、緑とのコントラストを楽しむ形となる。そのため意外と撮影が難しいかもしれないが。
初訪は2007年、桜を目当てに名所に行ったことがないことに気づき、近郊の有名な場所はといえばと静内へクルマを走らせた。
静内と言ったが、この前年に静内町と三石町が合併して新ひだか町となっている。「静内二十間道路」「しずない桜まつり」の呼称が馴染み深いため、未だにこちらのことは静内と呼んでしまう。現在でも字名として呼ばれているため間違いではないのだが。
二十間道路エントランスのトイレ併設の駐車場に停め、そこで咲いていた桜を堪能しつつ、そのまま散歩がてらまつり会場まで行けるかと延々と歩き続け、ついには3km程でようやく会場に着き、結果往復7km程歩いてしまった。当然会場近くには道路脇に駐車スペースが設けられているため、特に歩く必要は無かったのだが、ウォーキング目当てでもなく、しかも足元はミュールという出で立ちの如何にも無鉄砲の無知無謀さであった。当然足は痛み、運動不足もあって体はガタガタ、若さ故(すでにさほど若くもなかったので年甲斐もなく)出来た無茶である。せめてスニーカーだったら問題無かっただろうが、当時は洒落っ気がまだ残っており「ヒールのない靴は靴ではない!」と内心豪語していたのである。
誰しもビギナーの時期はあるとはいえ、今思えば我ながら愚かしい。崩壊寸前の足を引きずり、そのあとレ・コードの湯に寄ってヒーヒー言いつつ湯に浸かり、露天風呂から馬を眺めたことも今や懐かしい。
そんな初の二十間道路は散々であったが、以降GWの予定が空く度に赴くようになった。近年は主に母のリクエストにより筆者がハンドルを握り連れて行くという、ほぼ毎年定番の花見スポットとなっている。
▼2007年5月
問題のミュールウォーキングとなった初訪時。


エントランス駐車場からこれらの碑を見て、歩き始める。



桜越しに見える馬の姿がのどかだ(事故防止のため柵には近づかないこと)。















が、距離は長いのでウォーキングしたい方以外にはおすすめはしない。
▼2009年5月
この年は母が行きたがったので、連れて行った。
例年より開花が遅かったようで、まつりはGW明けから5月中旬まで開催されていたようだ。

数百m間隔でトイレが設置されていたが、エントランス駐車場の綺麗なトイレもあるため需要は謎だった。現在は板張りされ封鎖されている。



▼2018年5月5日
その間何度か訪れた年もあったが、行き慣れるとさほど撮影はしなくなる。
この時には一眼で撮っていたため、例年よりも綺麗に撮りたかった。







ホワイトバランスやソフトフォーカスなど、設定を色々弄って撮影に専念した。
機械のおかげが大きいが、上達はしたのだろうか。
▼2022年5月4日
この時はスマホだけにしている。
この頃の体調のせいか、一眼が重く感じられて、持ち歩くのが地味に苦痛な時期だった。


この先は農場になるため立入禁止。





▼2024年5月1日
今年も訪れた。持っていた単焦点レンズを使いこなそうと、それ縛りで撮ってみた。




桜並木どっとこむ の記録によると、ここ数年開花は早まっているようだ(まつりも開花に合わせて開催される)。





駐車場に隣接するのは、「桜舞馬公園(オウマイホースパーク)」。歴代の名馬が眠る墓地公園となっている。
そのような名前の公園だったとは、今年初めて知った。Oh!




こうして見ると、撮影(方法)の変遷を見ているようで、我ながら興味深い。
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#花 #イベント #飲食 #公園
小樽雪あかりの路
小樽雪あかりの路
夜闇に浮かぶランタンや灯篭の明かりには、なんとも言えない風情を感じる。特に冬場の雪景色を彩るアイスキャンドルやワックスボウルの明かりも、薄ぼんやりと極寒の空気と冷え込んだ体を暖めてくれるような、和やかさがある。
今では様々な場所で、冬季のイベントとしてキャンドルを作って灯す風景も増え、さほど珍しいものでもなくなったが、かつては近所でそんな風景を見ると物珍しく、個人宅でやっていたものかは不明だが毎日その場所を通って堪能させてもらったりもした。
小樽は札幌圏ということもあり、当方地元からも距離的に行きやすい観光地のため、子供の頃は見学旅行はじめ、その後も家族や友人などと何度も訪れた場所である。いつの季節に行っても素敵な場所だが、特に「雪あかりの路」は、運河沿い観光エリアを幻想的に灯す冬の風物詩的イベントだ。
公式サイト によると、1999年から始まり、毎年2月に市民の手で開催されており各会場を彩る無数のキャンドルも手作りの市民参加型となっている。子供が作ったであろうものや、図画工作よろしく素朴なデザインのボウルもあったりと、華美さや派手さは無いものの、惹かれるのは正にそういうところなのかもしれないと今あらためて思ったりもする。そんなキャンドルや小さな雪像など、一つ一つ見て歩いていると心も温まり、寒さも忘れることが出来るのだ。
2008年に初めて雪あかりの路を見て、また来たいと思い、翌年2009年は友人と、そしてしばらく間が空いたが2018年にも足を運んだ。
変わらず続いてほしいイベントの一つである。
▼2008年から抜粋

こことは関係ないが、雪あかりの路を見る時はまず初めに、閉店間際のかま栄に寄ってかまぼこを買って食べ歩くのが個人的定番となっている。



▼2009年から抜粋




▼2018年
この年は、当時開催されていた朝里川方面の会場も見たかったので、そちらにも足を運んだ。
運河会場とは少し距離が離れているため普段は両方見るのは難しかったが、その時はまず真っ直ぐ朝里へ向かった。

三脚を使ってみたが、人通りもそこそこあり中々難しかった。



運河会場へ。
例のごとく、かまぼこを食み食みしながら歩いた。
一眼を持ってからは初だったので、ちょっと気合いは入っていた。










路の端々に温かさが散りばめられている。

一通り見て帰宅すると、冬道のゆっくり運転でだいたい夜0時近くになってしまうのだが、それでも充実感がある。
いずれ交通機関を利用して泊まりで行くのもいいかも知れない。
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#イベント #河川
旧住友赤平炭鉱 立坑櫓
旧住友赤平炭鉱 立坑櫓住友赤平炭鉱は1938年(昭和13)に開鉱、閉山は1994年(平成6)と、比較的近年まで稼働していた新しい炭鉱の部類である。
そのためか、炭鉱を象徴する立坑櫓の建物がほぼ操業当時の状態で残り、現在ではガイダンス施設も新設され、立坑ヤード内も施設の開館日は見学可能となっている。
日本遺産「炭鉄港 」の構成文化財として登録もされており、北海道産業遺産群の中でも有名なスポットだ。
筆者の初見は2009年で、その時既に立坑櫓の存在を知った上で訪れたが、外観だけでも実物を間近に見るとその大きさに圧倒された。操業時には「住友赤平立坑」のネオン文字が掲げられていたようだが、この時点では既に取り外されていた。
時間的に夕刻を過ぎていたため、まともに撮影出来ずにその場を後にしたが、有志が開催している「赤平TANtanまつり」で炭鉱関連の施設内見学が出来るということで、翌々年の2011年に再訪し、これまた内部の圧倒的な空間と操業当時の様子に思いを馳せつつ堪能させてもらった。
▼2011年10月
こちらは道路に面した一角で、見学参加者の集合場所だった。右側建物奥のシャッターから出入りした。
見学時間に集合場所へ向かうと、家族連れなども含めかなりの人が集まっていた。
当時から関心の高さが窺われた。
シャッターが開けられ、内部に入ると従業員の繰込所と思われる一室になり、そこでヘルメットを着用しガイドの説明を聞いた上で立坑ヤード内へ。
ガイドはこちらで働いていた元炭鉱マンの三上氏である。今日に至るまでガイドを務められている。立坑の仕組みやエピソードなど、軽妙かつ分かりやすく興味深い話を色々聞かせていただいた。
櫓の上部に滑車(ヘッドシープ)があり、巻き上げ機でワイヤーケーブルを制御し昇降させる。
そういえばこちらの原炭置き場や選炭場も近くにあったと思うのだがどの辺りだったのだろう。名残でもあるのだろうか。
一つの箱に6人×3列で定員18人で載っていたらしく、これも実際に見学者18人ずつ乗り込んで再現。
なかなかの詰め込み状態で、毎秒約6m、最高深度約600mまで昇降していたという。
これが4段構造になっているため、最大定員72名まで一度に運べるものだった。
元々坑内にあるべきものだが、こちらに移して展示されている。体の大きな人だと膝が前方の仕切りにつっかえそうだ。
(正面の映り込みは筆者)
玖保キリコのキャラクター懐かしすぎる…
さすがに大きい。
立坑の建設は1963年(昭和38)、それからこの時点で50年近く経過しているが、かなり堅牢に作られているのか目立った傷みもなく、今日まで残るものになっているのもまた凄いと思う。
▼2012年10月
翌2012年は、赤間炭鉱のズリ山に登った後にTANtanまつりに滑り込み、立坑櫓のライトアップ待ちで撮影したものである。
2011年時にもライトアップは見ているのだが、肝心のそちらの写真は写りが稚拙だったため、残っていない。
このあとにライトアップ点灯、昨年に続き赤平名物のがんがん鍋(豚汁ベースのモツ鍋)をいただいた。
▼2013年10月
更に翌年も、まつりに合わせて訪れた。3年連続で同じ場所に行くというのは個人的には珍しいことだと思う。
この間にカメラも一眼に新調したこともあり、新たに撮影に行きたい思いもあった。
とはいえ拙いものではあるが、画像のみ淡々と上げていくことにする。
数百メートルの地下では太陽光がそもそも届かないので、ライトなしで目が慣れるということは決してない、というお話を改めて聞いて過酷な環境だったということを再確認。
でも、ネズミはちょろちょろと動き回っていたというのも聞き、ヒトと動物の能力の違いにも驚く。餌の調達は可能だったのだろうか。
この夜は立坑の壁面を利用して、プロジェクターで炭鉱の歴史の映像を流しており、思わず見入ってしまった。
▼2018年11月
しばらくご無沙汰だったが、2016年に立坑や関連施設が住石マテリアルズから赤平市に譲渡されたのを機に周辺整備が進み、2018年には炭鉱ガイダンス施設が新設されていた。
この年のTANtanまつりでは施設駐車場がイベント会場となり、屋台の出店や著名人ゲストが呼ばれて大変な賑わいだった。
筆者自身はこの年に入院・手術を経験したため、リハビリと称して久々に遠出をして来たのがこちらだった。そのため立坑見学は遠慮してガイダンス施設の見学と、軽く立坑の撮影だけに止めた。
人が多かったため、写真は厳選した。
遺産保存への道筋を(初訪以前から動きはあったため途中からだが)辿っているようで、余所者の一見学者に過ぎないがとても感慨深くもある。
現在ではガイダンス施設の開館日に有料で立坑内部のガイド付き見学が可能になっている。とはいえガイド料も非常にお値打ち設定だと思うので、利用して損はないはずだ。
炭鉱や産業遺産に関心のある方にはぜひおすすめしたい。
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#炭鉱 #廃 #古建築 #碑 #イベント #文化施設