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スイーツから廃墟まで。北の国からお送りする日常ゆるゆる探検。2009年から始めた前ブログの記事を再編、移植しています


全年全月21日の投稿(時系列順)6件]

2024年8月 この範囲を新しい順で読む この範囲をファイルに出力する

小樽雪あかりの路

小樽雪あかりの路

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夜闇に浮かぶランタンや灯篭の明かりには、なんとも言えない風情を感じる。特に冬場の雪景色を彩るアイスキャンドルやワックスボウルの明かりも、薄ぼんやりと極寒の空気と冷え込んだ体を暖めてくれるような、和やかさがある。
今では様々な場所で、冬季のイベントとしてキャンドルを作って灯す風景も増え、さほど珍しいものでもなくなったが、かつては近所でそんな風景を見ると物珍しく、個人宅でやっていたものかは不明だが毎日その場所を通って堪能させてもらったりもした。

小樽は札幌圏ということもあり、当方地元からも距離的に行きやすい観光地のため、子供の頃は見学旅行はじめ、その後も家族や友人などと何度も訪れた場所である。いつの季節に行っても素敵な場所だが、特に「雪あかりの路」は、運河沿い観光エリアを幻想的に灯す冬の風物詩的イベントだ。

公式サイト によると、1999年から始まり、毎年2月に市民の手で開催されており各会場を彩る無数のキャンドルも手作りの市民参加型となっている。子供が作ったであろうものや、図画工作よろしく素朴なデザインのボウルもあったりと、華美さや派手さは無いものの、惹かれるのは正にそういうところなのかもしれないと今あらためて思ったりもする。そんなキャンドルや小さな雪像など、一つ一つ見て歩いていると心も温まり、寒さも忘れることが出来るのだ。

2008年に初めて雪あかりの路を見て、また来たいと思い、翌年2009年は友人と、そしてしばらく間が空いたが2018年にも足を運んだ。
変わらず続いてほしいイベントの一つである。


▼2008年から抜粋

20240820220207-admin.jpgルタオ本店のイルミネーション。
こことは関係ないが、雪あかりの路を見る時はまず初めに、閉店間際のかま栄に寄ってかまぼこを買って食べ歩くのが個人的定番となっている。

202408202202073-admin.jpg紅葉を施したワックスボウル。この淡い光が美しい。

202408202202071-admin.jpg雪洞の中にLOVEの文字と鳥(アヒル?)の小さな雪像。

202408202202072-admin.jpg運河遊歩道沿いにアイスキャンドルやスノーキャンドルが並ぶ。


▼2009年から抜粋

202408202202331-admin.jpgこういうプレートは訪れた日がわかりやすくて記念になる。

20240820220233-admin.jpg雪の山を穿っている。色んな形の雪あかりがある。

202408202202332-admin.jpgこれはじっくり見たくなる。

202408202202333-admin.jpgよく見るととても可愛い雪だるまファミリー。


▼2018年

この年は、当時開催されていた朝里川方面の会場も見たかったので、そちらにも足を運んだ。
運河会場とは少し距離が離れているため普段は両方見るのは難しかったが、その時はまず真っ直ぐ朝里へ向かった。

20240820220251-admin.jpg朝里川に浮かぶ綿帽子の雪あかり。
三脚を使ってみたが、人通りもそこそこあり中々難しかった。

202408202202511-admin.jpgこちらの方が色合いが実際に近いかもしれない。幻想的。

202408202202512-admin.jpgカフェの敷地等あちこちに灯りがある。

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運河会場へ。

例のごとく、かまぼこを食み食みしながら歩いた。
一眼を持ってからは初だったので、ちょっと気合いは入っていた。

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2024082022025111-admin.jpgこれはお気に入りの1枚。レース模様のような欄干も美しい。

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路の端々に温かさが散りばめられている。

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一通り見て帰宅すると、冬道のゆっくり運転でだいたい夜0時近くになってしまうのだが、それでも充実感がある。
いずれ交通機関を利用して泊まりで行くのもいいかも知れない。
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#イベント #河川

道央,小樽

2024年9月 この範囲を新しい順で読む この範囲をファイルに出力する

ジョイランド樽前跡③ シロクマ舎編

ジョイランド樽前跡③ シロクマ舎編

ジョイランド樽前跡② コテージ群編より

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ジョイランドの見どころは、もう一つ、この白熊牧場だった。
開園の1979年にオープンし、登別クマ牧場と並ぶようなシロクマ(ホッキョクグマ)の繁殖基地にすべく、オープン時は30頭飼育されていたようだ。しかし、1985年には飼育数4頭となっており、他へ移動や輸出の可能性もあるが、他動物の大量死もあったことから気候や環境が合わず命を落とした個体もいたものと思われる。

白熊牧場跡は、レストラン跡や駐車場跡からは離れた位置にひっそりと残されていた。以前は営業当時の様子が窺えるシロクマの畜舎棟も残っていたようだが、2019年4月の探訪時には既に建物は無く、どうやら解体されてしまったようだ。火災による延焼は免れているが、焼けたレストランや温泉棟の解体後にこちらもあえなく解体となったらしい。残っていたのは、畜舎の壁、アオコにまみれた人工池と擁壁、コンクリート製の岩山くらいであった。

2024092120050413-admin.jpg奥の方に長く伸びた施設だったようだ。

20240921200504-admin.jpg壁と岩山。

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202409212005044-admin.jpg壊しにくい部位のみ残して全て解体した感じになっていた。

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202409212005042-admin.jpg当時の面影はかろうじて、池と擁壁だけが残してくれている。

202409212005043-admin.jpgシロクマの遊び場だったのかも知れない。

202409212005047-admin.jpg池はさすがにもう少し水位があったと思われる。

202409212005048-admin.jpgアオコの中に、浮き玉らしきものが浮かんでいた。クマの玩具だったのではないだろうか。

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2024092120050410-admin.jpgところどころに岩山を設けてそれなりに自然の造形を表していたのだろう。

2024092120050411-admin.jpgしかし、ここに30頭は厳しそうだ…

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202409212005323-admin.jpg見物客用のトイレだろうか。

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202409212005326-admin.jpg魚眼で全体を捉える。

202409212005327-admin.jpg頭数が少なければ快適だったかも知れないが、牧場とするにはどうだったろう。畜舎の具体的な広さも今となってはわからないが。

202409212005328-admin.jpg畜舎より手前の岩山。

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ほぼ更地に近い状態だったので生々しさはさほど感じられなかったが、来歴を知ると、生き物で商売をすることの難しさと業の深さを感じずにはいられない。当時はまだ比較的動物に対する福祉の概念や生命倫理が緩かったとはいえ。



当時、此処で犠牲になった動物たちの碑もあると聞き、探してみた。
これでこちらの探索は締めにしようと思った。


2024092120053211-admin.jpgシロクマ舎から遠くない場所、駐車場跡の片隅に鎮座する獣魂碑。裏側には平成3年の建立と、当時の経営会社の名が記されていた。

驚くことに、色褪せていない真新しい造花が献花されていた。お参りが時折あるのだろうか。

2024092120053212-admin.jpg造花の陰から、一匹のクモが姿を見せた。生命は、姿を変えつつ継承するのだろうか。

年月は流れ、世代も変わればここに動物園があったことも人々の記憶から忘れ去られるのかも知れないが。同じ轍を踏むことの無いよう、心霊云々関係なしにどういったことが起こったのかは知っておくべきだろう。

せめて動物たちの眠りが安らかであることを祈りたい。
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ジョイランド樽前跡①
ジョイランド樽前跡② コテージ群編

#廃

道央,苫小牧

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元町トーチカ

元町トーチカ

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トーチカとは、軍事施設の一つで、小型の要塞、掩体壕であり、語源はロシア語(точка)である。多くは、銃口を外に向けるために開けられた銃眼以外は壁に囲われ、兵士が内部に隠れ防御出来るコンクリート製の建造物となっている。

北海道では太平洋岸に点在し、現在も勇払や十勝、釧路、根室に残っているが、所有者が明確でなく事実上放置されたままにある。

太平洋戦争の末期、米軍は戦争の早期終結を目指すため、北海道を占領後に本州侵攻の拠点とする計画を立てていたが、気象条件によりこれらは実行されなかった。一方旧日本軍は、十勝や道東方面の防御を強化し、その沿岸にトーチカを多数配備した。

苫小牧にも勇払方面にかけて多数のトーチカが配備されたが、現在残っているのは3基程であり、緑ヶ丘公園、植苗、元町にそれぞれ現存する。しかし緑ヶ丘公園のものはほぼ埋没しており、かろうじてコンクリ製の遺構の一部が確認出来る程度である。

ここでは元町の浜近くに現存するものを取り上げる。この元町トーチカも以前のブログにコメントで情報を頂き、初めて戦跡の存在を知って2009年に訪れたものである。

202410210111491-admin.jpg住宅地から海へ向かう小道沿いに、カマボコ型の建造物が見える。

202410210111496-admin.jpgかなり古びたコンクリート製で、上部は風雨による侵食か削られている。

202410210111492-admin.jpg側面に出入り口と思われる板張りがあり、開閉は出来ず内部も確認は出来ない。

202410210111494-admin.jpg銃眼は海に向けて開けられているはずだが、その知識に乏しかったため撮り損ねてしまった。

202410210111495-admin.jpgすぐ隣には携帯電話の中継局がある。

202410210111497-admin.jpg遠く彼方には船影が見える。これがもし軍艦だったらと思うと、緊張が走る。
当時の兵士の姿に想いを馳せる。

202410210111493-admin.jpg直ぐ側の海沿いの遊歩道。ここで気軽に散歩が出来るということは幸せなことだと思う。

時の流れにより戦争を語り継ぐ人々は年々減る一方だが、せめて戦跡という形でも記憶を留めつつ、平和を祈りたい。
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#廃 #海 #遊歩道 #戦跡

道央,苫小牧

2025年8月 この範囲を新しい順で読む この範囲をファイルに出力する

三池8トン有線電車

三池8トン有線電車

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2009年、炭鉱の痕跡を探すべく、今度は芦別へ。
市立図書館の敷地に、炭鉱関係の電車が保存されているということで、立ち寄ってみた。

現在も変わらず保存されているが、塗装し直したらしくこの2009年当時よりも綺麗になっている。

202508210319444-admin.jpg前庭の隅に、ひっそりと保存されている電車と、この看板。

 昭和28(1953)年4月、福岡県の三井三池製作所で製作され、約30年間にわたり三井芦別炭鉱の坑内で働いてきました。 小型ながら、90馬力を有し炭車30両以上をけん引することができます。
 石炭産業の最盛期には、三井芦別炭鉱で37台の同型列車が活躍していましたが、採掘区域の深部化に伴い、運搬の主力がバッテリー電車やベルトコンベヤーに移ったため、昭和57年には3台を残すのみとなりました。
 平成4(1992)年9月、三井芦別炭鉱が閉山したため、芦別ではこの1台しか見られなくなりました。

 平成8(1996)年5月
 芦別市教育委員会

炭鉱の列車といえば、精炭された石炭を出荷するために積載したSL列車などが思いつくが、ここに保存されているのは掘り出したばかりの石炭を坑外へ運び出す坑内列車のことである。筆者は鉄道に明るくないのだが大まかに説明すると、斜坑内に架線し集電して動く有線電車で、都市部の路面電車と同様の仕組みとなる。

202508210319441-admin.jpgこちらはトロッコの頭部?だろうか。今はこの場所には現存していないようだ。その横には連結された茶色い炭車が見え、それに石炭が積まれ坑内を走っていた。

蜘蛛の巣が張っていて、この当時はあまり注目もされていないようだった。

202508210319442-admin.jpg三井マークが付された有線電車。パンタグラフが取り付けられている、架空電車線(架線集電)方式の電車だ。高さは子供の背丈くらいか、小ぶりの電車だがこの大きさ(小ささ)で炭車30両以上をけん引出来たとは驚きだ。
坑内を掘り進むにつれ深部化が進み、立坑掘削くらいになると運炭は無線化してバッテリー式機関車(バッテリーロコ)やベルトコンベアーに取って代わられるようになり、有線電車は姿を消した。

植え込みがすぐ隣にあり、枝が覆い隠す形になっていたため正面を撮ることは出来なかった。

202508210319443-admin.jpgこちらは坑員を運ぶ人車になる。1つの乗降口に付き4人乗り(2人座席が向かい合わせに配置されている)×3列で、1両に付き12人乗りになるのだろう。大の大人が向かい合わせに膝を突き合わせて乗ることを考えると、決して内部は広くない。

雨天の上、蜘蛛の巣に警戒しつつ(とても苦手)だったのでじっくり見ることが出来ず、またこれ以降再訪はしていない。
近くを訪れることがあれば、再整備されたこの列車を間近でもう一度見てみたいと思う。
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#炭鉱 #鉄道

道央,芦別

2026年1月 この範囲を新しい順で読む この範囲をファイルに出力する

樽前さんぽ 2009

樽前さんぽ 2009

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樽前山の麓には、字名で樽前という地区がある。苫小牧西端の郊外の主に農業地帯の集落である。
山側の奥には樽前ガロー>>2や観音沼、タネト沼など>>3もあり、自然の宝庫でもあるが、人家に近い場所を訪れたことはあまりなかった。

2009年にアート系の展示がこの地区で催されていたため、興味があり訪れてみた。
作業小屋をリノベーションしたギャラリーで、落ち着いた空間に絵画や写真、造形などの作品が展示されていたが、撮影は作家により対応が異なるようだったため、控えた。普段は人も少ない静かな地区だが、この時は入れ替わり立ち替わり観覧客が訪れ、賑わっていた。

現在はNPO法人として活動しているクリエイター集団、樽前arty+ (当時は樽前arty)の造形作家藤沢レオ氏のアトリエが会場となっていた(上の写真は2009年のもので、アトリエ看板は現存していない。現在は事務所が離れにあるようだ)。

この周辺の屋外にも、造形やインスタレーションなどの展示があり、散歩がてら観覧させてもらった。屋外展示も作品の撮影は控えたため、ここでは展示エリアの樽前小学校周辺の風景を掲載する。樽前地区(一部)の散策記事として見てもらえたらと思う。
※一部、景色の中に作品と推測されるものもある。以前のものではあるがもし問題があるなら一報いただきたい。


202601210207411-admin.jpg樽前小学校。大正11年(1922)に覚生(おぽっぷ)尋常小学校樽前特別教授場として創立。平成6年(1994)から苫小牧市の特認校となっている。特認校とは、へき地など自然の豊かな場所への通学を希望する同じ自治体の児童・生徒を受け入れる学校のこと。

20260121020741-admin.jpg令和7年度の児童数は30名程だが、この当時の児童数は不明ながらも広いグラウンドと校舎もそれなりに大きい。正門も整えられ、へき地の学校としては立派なものだと思う。
近年は校舎も新しくなったようだ。

202601210207412-admin.jpg学校の隣には、樽前の樽前山神社がある。なんのこっちゃかもしれないが、樽前山神社は山頂の奥宮>>93と、苫小牧市内3ヶ所に設けられている。高丘の総鎮守と、宮前町の錦岡樽前山神社、ここ字樽前の神社になる。錦岡樽前山神社の前身樽前権現に円空仏(由来はこちら )が祀られていたため、明治期の神仏分離で一時廃止され、新たに創建されたのが総鎮守樽前山神社だといわれる(初め矢代町に建てられ、のちに高丘に移転)。

こちらの樽前の神社に関してはざっと調べても詳細が出てこない。苫小牧では大正期に「コイノボリ大火」があったため、詳細の歴史的資料が焼失したために不明なことが多々あるらしい。そのためそれぞれの樽前山神社の関係性はわからない。

この鳥居の奥も展示コースになっていた。

202601210207413-admin.jpg気持ちのいい散策路が続く。

202601210207414-admin.jpgシイタケ栽培の場所に出た。昔、小学生の頃に樽前しいたけ園という場所を見学したことがある。もしやここが?と思ったが、見学のしいたけ園は別の場所で、どうやら樽前小学校でシイタケ栽培を行っているようだった。学校の行事として毎年行われているらしい。

202601210207415-admin.jpgこちらはもちろんシイタケではなく。
謎のキノコ類。ニカワタケに似ているがキノコの同定は難しいので深入りは避ける。

202601210207416-admin.jpg樽前小学校の正門に並ぶベンチ。謎なのはこのバス停の名前。王子正門通は当然ここではない。
もしかしたらアートの一環だったのかもしれないが。

ちなみに王子とは王子製紙工場>>69のことだが、時折SNSなどで王子専用道路がネタにされる度にああ、普通はそう思うよなと地元民は再認識することになる。

202601210207417-admin.jpg何かを描いたのかもしれないイガグリ。

今眺めていて気付いたが、方位マークを表したものだったのだろうか。もしくはたまたまそう見えるだけだろうか。イガは地面に固定されていないようだったので、これもアートだったとしたなら、あまり人の来ない郊外ならではのものだと思う。

この手のアートは、観覧者の行動も試されているようにも感じる。
足を運ぶ観覧客は皆落ち着いたちゃんとした方達だったのだ。でなければ、あっという間に散らされているだろう。

この頃は筆者も絵を描いたりと、アートに興味があり色々な催しに足を運んだが、次第に自分の根幹とは異質に感じて今ではほぼ関心の外になってしまった。
様々な行動をするに従った結果、自分と縁遠くなれば、そのようなものだとも思う。

ただ誰しも表現することはいつの時代も自由であって欲しいと願っている。
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#イベント #神社

道央,苫小牧