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スイーツから廃墟まで。北の国からお送りする日常ゆるゆる探検。2009年から始めた前ブログの記事を再編、移植しています


全年全月21日の投稿6件]

2026年4月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

甘味処さくら(閉店)

甘味処さくら(閉店)

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かつてグランドホテルニュー王子の1階で営業していた和風系甘味の喫茶店、こちらもかなり以前に閉店してしまったが、写真が残っていたのでアップしておこうと思う。
こちらの甘味処はメニューの彩りが豊かで写真映えもしたので、なんとなく仕舞っておくのは勿体なく。写真そのものの出来栄えではなく、メニューや器が素敵だったということなのだが。


▼2009年10月

自分の生活上、ホテルの飲食店を利用する機会などめったにないのだが、この時は縁あってホテル内のイベントスペースでハンドメイド系の販売イベントへの出店をご一緒させてもらい、隣の甘味処も気になったものの閉店が17時と早かったため、お店のご厚意で注文の品をイベントスペースまで出前よろしく運んでいただいた。
お陰様でイベント中に持ち場を離れずにいただくことが出来た。

20260419224441-admin.jpgおそらく看板メニューだった白玉クリームあんみつ。
温かいほうじ茶と、お漬物がついていて気遣いが嬉しい。
お茶またはコーヒーなどメニューによって出される飲み物が違ったらしい。

202604192244411-admin.jpgこういった餡ベースの和の甘味をいただける場所が案外少ないので、貴重だったなと思う。

202604192244412-admin.jpg器にうさぎと桜。お店の名前に合っていて可愛い。

202604192244413-admin.jpg箸置きならぬ匙置き?お団子なのもところどころこだわりというか、洒落ていて目も楽しませてくれる。


▼2010年2月

翌年再訪。今度はちゃんと店内でいただきたいと、お昼時に入店。

20260419224457-admin.jpgブランチメニューもあったので、そちらを注文してみた。
パンとサラダ、ミニサイズのデザート付き。

202604192244571-admin.jpgパンはバゲット、プレーンとトマト風味の2種。
温かかったので出来たてだったのかもしれない。

202604192244572-admin.jpgプレートにはベビーリーフとサーモン、モッツァレラとオリーブオイル、レモン。おしゃれ。
パンにトッピングしたり、オイルをつけていただいた。

ホテルの関係でサーモンはもしかして王子サーモンのものだったのでは…とても美味しかった。

202604192244573-admin.jpgミニ白玉あんみつ。餡がちゃんと入っている。

202604192244574-admin.jpgやっぱり単品で甘味もいただきたく、抹茶クリームぜんざいを追加注文。ちゃんとほうじ茶とお漬物もついてきた。お口直しに美味しくいただける。
器がやっぱり素敵。なんだかとても贅沢。というか当時はよく食べたものだ…若かった。

202604192244575-admin.jpg冷たいお抹茶と白玉、アイス。下には餡が沈んでいるので混ぜていただく。

202604192244576-admin.jpgそして今回の匙置きはうさぎ。いちいち可愛いな…

器にまでこだわりを見せてくれるお店は今やなかなか見つからない。
訪れるたびに目を楽しませてくれるという意味でも思い出深いお店だった。
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#飲食

道央,苫小牧

2026年1月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

樽前さんぽ 2009

樽前さんぽ 2009

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樽前山の麓には、字名で樽前という地区がある。苫小牧西端の郊外の主に農業地帯の集落である。
山側の奥には樽前ガロー>>2や観音沼、タネト沼など>>3もあり、自然の宝庫でもあるが、人家に近い場所を訪れたことはあまりなかった。

2009年にアート系の展示がこの地区で催されていたため、興味があり訪れてみた。
作業小屋をリノベーションしたギャラリーで、落ち着いた空間に絵画や写真、造形などの作品が展示されていたが、撮影は作家により対応が異なるようだったため、控えた。普段は人も少ない静かな地区だが、この時は入れ替わり立ち替わり観覧客が訪れ、賑わっていた。

現在はNPO法人として活動しているクリエイター集団、樽前arty+ (当時は樽前arty)の造形作家藤沢レオ氏のアトリエが会場となっていた(上の写真は2009年のもので、アトリエ看板は現存していない。現在は事務所が離れにあるようだ)。

この周辺の屋外にも、造形やインスタレーションなどの展示があり、散歩がてら観覧させてもらった。屋外展示も作品の撮影は控えたため、ここでは展示エリアの樽前小学校周辺の風景を掲載する。樽前地区(一部)の散策記事として見てもらえたらと思う。
※一部、景色の中に作品と推測されるものもある。以前のものではあるがもし問題があるなら一報いただきたい。


202601210207411-admin.jpg樽前小学校。大正11年(1922)に覚生(おぽっぷ)尋常小学校樽前特別教授場として創立。平成6年(1994)から苫小牧市の特認校となっている。特認校とは、へき地など自然の豊かな場所への通学を希望する同じ自治体の児童・生徒を受け入れる学校のこと。

20260121020741-admin.jpg令和7年度の児童数は30名程だが、この当時の児童数は不明ながらも広いグラウンドと校舎もそれなりに大きい。正門も整えられ、へき地の学校としては立派なものだと思う。
近年は校舎も新しくなったようだ。

202601210207412-admin.jpg学校の隣には、樽前の樽前山神社がある。なんのこっちゃかもしれないが、樽前山神社は山頂の奥宮>>93と、苫小牧市内3ヶ所に設けられている。高丘の総鎮守と、宮前町の錦岡樽前山神社、ここ字樽前の神社になる。錦岡樽前山神社の前身樽前権現に円空仏(由来はこちら )が祀られていたため、明治期の神仏分離で一時廃止され、新たに創建されたのが総鎮守樽前山神社だといわれる(初め矢代町に建てられ、のちに高丘に移転)。

こちらの樽前の神社に関してはざっと調べても詳細が出てこない。苫小牧では大正期に「コイノボリ大火」があったため、詳細の歴史的資料が焼失したために不明なことが多々あるらしい。そのためそれぞれの樽前山神社の関係性はわからない。

この鳥居の奥も展示コースになっていた。

202601210207413-admin.jpg気持ちのいい散策路が続く。

202601210207414-admin.jpgシイタケ栽培の場所に出た。昔、小学生の頃に樽前しいたけ園という場所を見学したことがある。もしやここが?と思ったが、見学のしいたけ園は別の場所で、どうやら樽前小学校でシイタケ栽培を行っているようだった。学校の行事として毎年行われているらしい。

202601210207415-admin.jpgこちらはもちろんシイタケではなく。
謎のキノコ類。ニカワタケに似ているがキノコの同定は難しいので深入りは避ける。

202601210207416-admin.jpg樽前小学校の正門に並ぶベンチ。謎なのはこのバス停の名前。王子正門通は当然ここではない。
もしかしたらアートの一環だったのかもしれないが。

ちなみに王子とは王子製紙工場>>69のことだが、時折SNSなどで王子専用道路がネタにされる度にああ、普通はそう思うよなと地元民は再認識することになる。

202601210207417-admin.jpg何かを描いたのかもしれないイガグリ。

今眺めていて気付いたが、方位マークを表したものだったのだろうか。もしくはたまたまそう見えるだけだろうか。イガは地面に固定されていないようだったので、これもアートだったとしたなら、あまり人の来ない郊外ならではのものだと思う。

この手のアートは、観覧者の行動も試されているようにも感じる。
足を運ぶ観覧客は皆落ち着いたちゃんとした方達だったのだ。でなければ、あっという間に散らされているだろう。

この頃は筆者も絵を描いたりと、アートに興味があり色々な催しに足を運んだが、次第に自分の根幹とは異質に感じて今ではほぼ関心の外になってしまった。
様々な行動をするに従った結果、自分と縁遠くなれば、そのようなものだとも思う。

ただ誰しも表現することはいつの時代も自由であって欲しいと願っている。
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#イベント #神社

道央,苫小牧

2025年8月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

三池8トン有線電車

三池8トン有線電車

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2009年、炭鉱の痕跡を探すべく、今度は芦別へ。
市立図書館の敷地に、炭鉱関係の電車が保存されているということで、立ち寄ってみた。

現在も変わらず保存されているが、塗装し直したらしくこの2009年当時よりも綺麗になっている。

202508210319444-admin.jpg前庭の隅に、ひっそりと保存されている電車と、この看板。

 昭和28(1953)年4月、福岡県の三井三池製作所で製作され、約30年間にわたり三井芦別炭鉱の坑内で働いてきました。 小型ながら、90馬力を有し炭車30両以上をけん引することができます。
 石炭産業の最盛期には、三井芦別炭鉱で37台の同型列車が活躍していましたが、採掘区域の深部化に伴い、運搬の主力がバッテリー電車やベルトコンベヤーに移ったため、昭和57年には3台を残すのみとなりました。
 平成4(1992)年9月、三井芦別炭鉱が閉山したため、芦別ではこの1台しか見られなくなりました。

 平成8(1996)年5月
 芦別市教育委員会

炭鉱の列車といえば、精炭された石炭を出荷するために積載したSL列車などが思いつくが、ここに保存されているのは掘り出したばかりの石炭を坑外へ運び出す坑内列車のことである。筆者は鉄道に明るくないのだが大まかに説明すると、斜坑内に架線し集電して動く有線電車で、都市部の路面電車と同様の仕組みとなる。

202508210319441-admin.jpgこちらはトロッコの頭部?だろうか。今はこの場所には現存していないようだ。その横には連結された茶色い炭車が見え、それに石炭が積まれ坑内を走っていた。

蜘蛛の巣が張っていて、この当時はあまり注目もされていないようだった。

202508210319442-admin.jpg三井マークが付された有線電車。パンタグラフが取り付けられている、架空電車線(架線集電)方式の電車だ。高さは子供の背丈くらいか、小ぶりの電車だがこの大きさ(小ささ)で炭車30両以上をけん引出来たとは驚きだ。
坑内を掘り進むにつれ深部化が進み、立坑掘削くらいになると運炭は無線化してバッテリー式機関車(バッテリーロコ)やベルトコンベアーに取って代わられるようになり、有線電車は姿を消した。

植え込みがすぐ隣にあり、枝が覆い隠す形になっていたため正面を撮ることは出来なかった。

202508210319443-admin.jpgこちらは坑員を運ぶ人車になる。1つの乗降口に付き4人乗り(2人座席が向かい合わせに配置されている)×3列で、1両に付き12人乗りになるのだろう。大の大人が向かい合わせに膝を突き合わせて乗ることを考えると、決して内部は広くない。

雨天の上、蜘蛛の巣に警戒しつつ(とても苦手)だったのでじっくり見ることが出来ず、またこれ以降再訪はしていない。
近くを訪れることがあれば、再整備されたこの列車を間近でもう一度見てみたいと思う。
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#炭鉱 #鉄道

道央,芦別

2024年10月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

元町トーチカ

元町トーチカ

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トーチカとは、軍事施設の一つで、小型の要塞、掩体壕であり、語源はロシア語(точка)である。多くは、銃口を外に向けるために開けられた銃眼以外は壁に囲われ、兵士が内部に隠れ防御出来るコンクリート製の建造物となっている。

北海道では太平洋岸に点在し、現在も勇払や十勝、釧路、根室に残っているが、所有者が明確でなく事実上放置されたままにある。

太平洋戦争の末期、米軍は戦争の早期終結を目指すため、北海道を占領後に本州侵攻の拠点とする計画を立てていたが、気象条件によりこれらは実行されなかった。一方旧日本軍は、十勝や道東方面の防御を強化し、その沿岸にトーチカを多数配備した。

苫小牧にも勇払方面にかけて多数のトーチカが配備されたが、現在残っているのは3基程であり、緑ヶ丘公園、植苗、元町にそれぞれ現存する。しかし緑ヶ丘公園のものはほぼ埋没しており、かろうじてコンクリ製の遺構の一部が確認出来る程度である。

ここでは元町の浜近くに現存するものを取り上げる。この元町トーチカも以前のブログにコメントで情報を頂き、初めて戦跡の存在を知って2009年に訪れたものである。

202410210111491-admin.jpg住宅地から海へ向かう小道沿いに、カマボコ型の建造物が見える。

202410210111496-admin.jpgかなり古びたコンクリート製で、上部は風雨による侵食か削られている。

202410210111492-admin.jpg側面に出入り口と思われる板張りがあり、開閉は出来ず内部も確認は出来ない。

202410210111494-admin.jpg銃眼は海に向けて開けられているはずだが、その知識に乏しかったため撮り損ねてしまった。

202410210111495-admin.jpgすぐ隣には携帯電話の中継局がある。

202410210111497-admin.jpg遠く彼方には船影が見える。これがもし軍艦だったらと思うと、緊張が走る。
当時の兵士の姿に想いを馳せる。

202410210111493-admin.jpg直ぐ側の海沿いの遊歩道。ここで気軽に散歩が出来るということは幸せなことだと思う。

時の流れにより戦争を語り継ぐ人々は年々減る一方だが、せめて戦跡という形でも記憶を留めつつ、平和を祈りたい。
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#廃 #海 #遊歩道 #戦跡

道央,苫小牧

2024年9月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

ジョイランド樽前跡③ シロクマ舎編

ジョイランド樽前跡③ シロクマ舎編

ジョイランド樽前跡② コテージ群編より

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ジョイランドの見どころは、もう一つ、この白熊牧場だった。
開園の1979年にオープンし、登別クマ牧場と並ぶようなシロクマ(ホッキョクグマ)の繁殖基地にすべく、オープン時は30頭飼育されていたようだ。しかし、1985年には飼育数4頭となっており、他へ移動や輸出の可能性もあるが、他動物の大量死もあったことから気候や環境が合わず命を落とした個体もいたものと思われる。

白熊牧場跡は、レストラン跡や駐車場跡からは離れた位置にひっそりと残されていた。以前は営業当時の様子が窺えるシロクマの畜舎棟も残っていたようだが、2019年4月の探訪時には既に建物は無く、どうやら解体されてしまったようだ。火災による延焼は免れているが、焼けたレストランや温泉棟の解体後にこちらもあえなく解体となったらしい。残っていたのは、畜舎の壁、アオコにまみれた人工池と擁壁、コンクリート製の岩山くらいであった。

2024092120050413-admin.jpg奥の方に長く伸びた施設だったようだ。

20240921200504-admin.jpg壁と岩山。

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202409212005044-admin.jpg壊しにくい部位のみ残して全て解体した感じになっていた。

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202409212005042-admin.jpg当時の面影はかろうじて、池と擁壁だけが残してくれている。

202409212005043-admin.jpgシロクマの遊び場だったのかも知れない。

202409212005047-admin.jpg池はさすがにもう少し水位があったと思われる。

202409212005048-admin.jpgアオコの中に、浮き玉らしきものが浮かんでいた。クマの玩具だったのではないだろうか。

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2024092120050410-admin.jpgところどころに岩山を設けてそれなりに自然の造形を表していたのだろう。

2024092120050411-admin.jpgしかし、ここに30頭は厳しそうだ…

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202409212005323-admin.jpg見物客用のトイレだろうか。

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202409212005326-admin.jpg魚眼で全体を捉える。

202409212005327-admin.jpg頭数が少なければ快適だったかも知れないが、牧場とするにはどうだったろう。畜舎の具体的な広さも今となってはわからないが。

202409212005328-admin.jpg畜舎より手前の岩山。

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ほぼ更地に近い状態だったので生々しさはさほど感じられなかったが、来歴を知ると、生き物で商売をすることの難しさと業の深さを感じずにはいられない。当時はまだ比較的動物に対する福祉の概念や生命倫理が緩かったとはいえ。



当時、此処で犠牲になった動物たちの碑もあると聞き、探してみた。
これでこちらの探索は締めにしようと思った。


2024092120053211-admin.jpgシロクマ舎から遠くない場所、駐車場跡の片隅に鎮座する獣魂碑。裏側には平成3年の建立と、当時の経営会社の名が記されていた。

驚くことに、色褪せていない真新しい造花が献花されていた。お参りが時折あるのだろうか。

2024092120053212-admin.jpg造花の陰から、一匹のクモが姿を見せた。生命は、姿を変えつつ継承するのだろうか。

年月は流れ、世代も変わればここに動物園があったことも人々の記憶から忘れ去られるのかも知れないが。同じ轍を踏むことの無いよう、心霊云々関係なしにどういったことが起こったのかは知っておくべきだろう。

せめて動物たちの眠りが安らかであることを祈りたい。
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ジョイランド樽前跡①
ジョイランド樽前跡② コテージ群編

#廃

道央,苫小牧