2025年8月の投稿[18件](3ページ目)
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2025年8月10日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
王子製紙苫小牧工場周辺さんぽ(旧道側)
王子製紙苫小牧工場周辺さんぽ(旧道側)
普段はクルマ移動の人間なのだが、ここ数年春から秋にかけては休日に意識して歩くことにしている。とはいえ、目的地で折り返す往復は嫌気が差すため、往路はバスで、復路はウォーキングよろしく徒歩で帰って来るというパターンが多いが。
最近は夏が酷暑のため無理せず、気が向いた時のみなのだが…
2023年と2024年の5月に、昔から馴染み深いランドマークだった王子製紙の工場近くを散歩した。
徒歩でなければなかなか味わえない景色だと思う。
▼2023年5月
まずは腹ごしらえ。コメダ珈琲店が地元に来た時は嬉しくてかなりの頻度で利用していた。当時は夜遅くまで営業しており程よく居心地も良く、積読本を消化したい目的もあった。コロナ禍を境に営業時間が短縮されてしまい、滅多に足を運べなくなったのと、ここのメニューのボリュームを完食出来る自信が最近はめっきり無くなってしまったというのもあり。
この時はピザトーストを久々にガッツリ食べたい強い意志が湧いたため足を運び、帰り道は歩こうと考えた。
西若葉門横から見える赤煉瓦の建物。変電所で大正期の建築らしい。そういえば三笠の幌内炭鉱の変電所も煉瓦造りで同時期の建築だったな、と思い出す。この建物は、小学生の頃に写生会でほぼこの位置にクラス全員陣取って、描いたことがある。懐かしい。炭鉱のことはまあまあ縁があったので結構調べて勉強したが、地元のこちらのことは意外と知らない。身内や親戚、友人など周りに製紙業関係者が居れば身近に感じられたのかもしれないが、不思議と誰一人として繋がりがあるという人に会ったことがない。住んでいた地区の違いか、身内の職業など特に話す必要がないといわれればそうなのだが。
余談だが、かなり以前に短期間ここの構内への配送の仕事をしていたことがある。工場など、関係者以外立入禁止という場所へ入る仕事は、ここに限らず妙な高揚感と独特のアウェー感がある。
踏切を渡って線路沿いを歩く。踏切の手前の線路沿いは旧道と呼ばれていた。国道が整備される前のメイン通りだったと聞く。
紅白の巨大煙突。そして(写真には無いが)樽前山は、予てより市を象徴する風景である。
送木水路。線路の下を潜って構内へ伸びる。紙の元となるパルプの原料の材木はこの水路に投入され、工場内へと流され運ばれる。水路を遡った道路を挟んだ向かい(北側)は木場町といい、その名の通り材木の保管場所となる。昔は材木を運ぶのも人力で、苫小牧銘菓「よいとまけ」の名はその労働の際の掛け声が由来である。
JR北海道苫小牧運転所。
JR苫小牧駅の構内にある「苫小牧構内神社」。一般人・乗客は立ち入れず、駅北口の自転車置き場越しに、社殿の背面を見ることが出来る。正面は駅の改札を抜けホームからズームで見るしかないと思われる。
JR駅構内にある道内唯一の神社「苫小牧構内神社」の社殿が、十月二十二日の例大祭までに改修されることになった。苫小牧駅の線路脇にある高さ約二メートルの小社殿で、道内最大の貨物駅だった半世紀前 、作業中の事故が相次ぎ、安全祈願のため一九六三年に建立されたが、老朽化が進んでいた。 神社は敷地面積約三十平方メートルで、一般の乗客は入れない。高さ約五十センチのコンクリートの土台の上に、約一・五メートルの社殿が立つ。木材の腐食が激しくなってきたため、JR北海道が改修を決めた。 同社などによると、一九五〇年代の苫小牧駅には王子製紙苫小牧工場で加工する丸太が道内各地から運ばれてきた。青函連絡船で届いた生活必需物資を旭川や日高など方面別に振り分ける役割も担い、駅職員は現 在の十六倍の約四百人もいた。 しかし、連結・切り離し作業を急いだ職員が貨車にはねられる事故が多発。毎年のように死者が出たため、旧国鉄が神社を建てた。以後毎年、「鉄道の日」の十月十四日前後に例大祭が行われる。少なくともJR誕生の八 七年以降、死亡事故は起きていないという。
(「駅見守り45年 老朽化で社殿改修へ JR苫小牧「構内神社」」 2008年9月7日 北海道新聞) ※中川木材産業株式会社 木材、木工ニュースアーカイブより
この構内神社を最近知り、散歩の途中で探してみようと通ってみたら案外近くにあり、今まで気づかなかったのが不思議なくらいだった。
地元の人ほど地元を知らないとは、自分に限ればまったく当たっていると思う。
▼2024年5月
この時もコメダ珈琲店に行き、近くのホームセンターに寄ってからのスタート。そのホームセンターに隣接する形で、この空き地と説明板があった。
説明の写真のとおり、この狭く細長い区画は校地の一部で、現在のホームセンターと隣のスーパーなどの区画が全体の跡地になるだろう。実は筆者の母校の隣の校区になり、聞き馴染みはかなりあった。もっとも、青臭い縄張り意識なのか屈折した地域愛がそうさせるのか、田舎の中学生などは近隣の学校の生徒とはいがみ合うものでもあったため、よほどのことが無い限りは他所の校舎を訪れることも無かったのだが。
それでも、都市部で自分が知っている学校が廃校になるとは思わず、このような碑(昔は石碑が多かったが)を見ると寂寞の思いもある。
構内の変電所の赤煉瓦はずっと健在だ。いつまで残ってくれるだろうか。



息づく工場と、代謝を繰り返す自分と街の景色を眺めつつ、帰途についた。
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#工場 #飲食 #古建築 #碑 #鉄道 #神社
2025年8月7日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
食事処 松尾
食事処 松尾
>>67念願のひかりごけも見ることが出来、お昼を回ったのでそろそろ帰路にと思ったものの現地知床らしい食事を何一つ取っておらず、妙に名残惜しかったため、何処か近くに食堂があればと羅臼漁港周辺を彷徨いていると見つけた食事処の看板。クルマが多く停まっているスペースの奥に建物があり、お昼時というのもあって繁盛しているようだった。
地元民向けのお店かもと若干躊躇したが、ここを逃すともう他に食事できる場所は無いのではないかと思い(2006年当時はまだスマホも無く、今ほどネット環境や情報も充実していなかった)意を決して入店した。
先客が地元民か観光客かの区別は付きづらかったが、すべて小上がりの席が満席に近い状態で埋まっており、店員も忙しなく動いていたためあまりこちらを注視されず若干のアウェー感ではあった。入ってしまった以上は腹を決めて奥のギリギリ空いている小上がりに座り、メニューを眺めるとタラバガニラーメンが真っ先に目に入った。当然、安価ではなかったが、せっかくここまで来たなら奮発しようと注文してみた。
それなりに待つだろうとゆったり構えたかったが、昨夜に覚えた胃腸の痛み>>63が復活してしまった。お店のお手洗いを借りている間に注文のラーメンが来ていたので席に戻り、いただくことにした。
写真のとおり、豪快にタラバの足が殻ごとぶつ切りで投入されている。実に漁師町の食事らしい。ベースは塩で、麺は柔めだった。スープはあっさりめだったがカニの味を引き立たせるためなのかもしれない。カニで出汁を取られていたのかはわからない。
申し訳ないことに当時は胃痛のせいできちんと味わっていただくことが出来ず、勿体ないことをした。カニはさすが美味しかったが、完食は出来なかった覚えがある。暑さもあってダレていたのかもしれない(2025年現在の暑さに比べれば遥かにマシだったろうが)。胃を庇いつつゆっくり食べていたら満席状態だった店内が疎らになってきたので、程々にして切り上げお会計を済ませ、出ることにした。もっと健康体だったらと悔やまれてならない。
今現在ならそのような事態になることはほぼ無くなったので、あの時のリベンジを果たしたいところだが、現在も変わらず営業しているのかがわからない。情報では休業となっているが、昨年訪問したレビューもあることから、季節営業なのかもしれない。メニューは大分変わっているようで同じカニラーメンがあるかも不明。もし再訪出来ることがあれば、やはり魚介メニューを選んでみたい。
2006年の知床旅行は、これにて。
その後も知床は道の駅ラリーなどで再訪しているので、またのち追々上げていこうと思う。
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#飲食
2025年8月5日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
マッカウス洞窟とひかりごけ
マッカウス洞窟とひかりごけ
>>66羅臼の海沿いを羅臼漁港近くまで注視しつつ戻ると、やっと山側に駐車スペースのある窪んだ場所を発見。
そこがヒカリゴケで有名な「マッカウス洞窟」である。
このマッカウス洞窟だが、岩盤崩落の恐れのため2013年から立入禁止となっている。
そして、同じく2013年にマッカウス洞窟を迂回するように内陸側に「マッカウストンネル」が開通している。
当記事は2006年のものだが、その後かなり経ってからマップでこの周辺を見ていた時にトンネルの新設を確認して、驚いた記憶がある。
洞窟のある場所は元々時化の影響を受けやすかったことからトンネルを掘る計画は以前からあったようで、貴重なヒカリゴケの自生地である洞窟に影響の無いようかなり考慮した工法(ウォータータイト工法 )で施工されたらしい。しかし洞窟は一時期岩盤剥離の恐れもあり一部立入禁止となっていたところ、岩盤内部に亀裂が発見され、トンネル開通の同年に全面立入禁止となった。現在は洞窟部分は完全に囲われ近づけなくなっている。トンネル工事との因果関係は不明。
ヒカリゴケそのものは現在、羅臼町郷土資料館 で人工培養されているものを見ることが出来るようだ。
このような看板が立っているくらい、整備はされていた。訪れる人はまばらだったが、この前後に2組程出入りがあった。
何処から見ても光ってみえる訳ではなく、ポイントがある。柵越しに見る形になる。

横方向に長く、天井は低い。
柵の奥に、苔が広がっているが…
ヒカリゴケと、他にも数種類の苔が自生しているらしい。
この角度だとよくわからないのだが…
見る場所を変えると、色の変わる場所が現れる。
薄暗く撮るのが難しかったが、この蛍光塗料を散らしたような黄緑が、おそらくそれなのだろう。看板には4地点で自生しているとあったが、見落としなのかこれ以外の場所には見つけることが出来なかった。
洞内は完全に日陰となり、とても涼しい。
天井にも何らかの草が生えていた。水分を多く含んでいるのだろうか。だとしたら岩盤はさほど強固ではないのかもしれない。



前庭的な場所には、池が設けられていた。水は温かった。
上を見上げると、中々の断崖である。
そしてマッカウス洞窟は、こんな場所でもあった。筆者が松浦武四郎を知ったのは、これがきっかけだったのだ。開拓期以前の北海道(蝦夷地)の歴史をまだろくに知らなかった頃だった。幕末の時代に蝦夷地をこのような冒険の旅をした人がいたのかという驚きがあり、たちまち興味を持った。
※追記:詳しくはこちら
それから色々な探検家を知り、郷土史等も含め現在の趣味や関心事となっている。
この16年後、亀の歩みなりに武四郎の郷里の松阪を訪れる ことになろうとはさすがに当時はまだ知る由もない。
武四郎が詠んだ詩の碑。Googleのレビュー投稿を見てみると、これらの看板と碑はかろうじて立入禁止の柵外にあるように見える。徒歩では近くまで行けそうなので、碑だけでも見たいという武四郎フリークの方は行ってみる価値はあるのかもしれない。が、肝心の洞窟が外観ごと拝めないのでは意味が無さそうだが…
個人的には、ヒカリゴケもまあ良かったが、興味を持った人物の史跡という点で印象深くまた思い出の場所でもある。


危険を理由に一度立入禁止となると、今後解除される見込みはほぼ無いだろう。自然現象であり致し方なしだが、色々と惜しい。
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#碑 #洞窟
2025年8月3日 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
羅臼海岸の野湯
羅臼海岸の野湯
>>65フレペの滝を見たあと、いよいよ羅臼側へ。
昨晩から何度往復したのだろう、知床峠>>64を再度横断し、羅臼の海岸沿いを北上した。ひかりごけの洞窟を見たかったのだが、なんとなく走っていると見落としてスルーしてしまったため、それならこのまま果てまで走ろうと上の写真の位置まで来た。
相泊(あいどまり)という地区で、漁港を通り過ぎるとクルマが進める地点はここで終了。ここから先は浜辺に漁業関係の番屋や小屋が並ぶ。海岸トレッキングで徒歩で向かう人もいるらしい。
ウトロ側だとクルマで入れるスポットは、カムイワッカ湯の滝より先の知床大橋までだが(時期による)、緯度的にはこちらの方が北側、奥地となる。
橋を渡った地点でUターンし、来た道を戻る。以下2006年の記録である。
先程の相泊漁港の方向を眺める。
ここは相泊温泉の駐車スペース。温泉が何処にあるかというと…
浜に降りた下に、こんなブルーシートの囲いがある。この囲いの中に湯船があるらしい。一応男女の仕切りはあるようだが、海側からは見えてしまうようだ。
入浴するつもりはなかったので覗きに行くのも控えたが、浜辺に湧く露天風呂で、湯温は熱め。海が時化ると海水を被ったり玉砂利で湯船が埋まって使えなくなるため、地元漁師の方が常に整備・管理をしているとのこと。
無料で入浴できるが先の理由で入れないこともあり、入浴期間は夏季のみで限定的だと思われる。場合によっては囲いも無い本当の露天(野天)風呂となり、通行人に見られることになりそうだ。
元々地域住民のための温泉なので、利用するならそのつもりで臨む必要がある。
目の前が海なのに、直ぐ側では熱い湯が湧くとはなんとも不思議。
漁業関係の番屋や小屋、住宅が点在する。漁師町の色が濃く、自然環境と人の営みが融合した生々しさが感じられる。観光客に媚びない強さというか、ある意味これも自然の姿。どちらが良い悪いではないが、ウトロ側の、雄大で美しい自然を前面に出したイメージとは対照的で、大変興味深い。
しばらく進むと海岸に海とは違う質の水溜りが。これも温泉だろうか。
駐車スペースの外れには温泉の歌碑がある。
こちらも海辺の露天風呂。瀬石(セセキ)温泉である。地元漁師の方が管理している。
湯船は2つほどあるようだが、入浴できるのはこの右側のみのようだ。混浴温泉である。こちらも相泊と同様、熱い湯だが、満潮時には海水で埋まってしまう。ここは囲いが一切無いため、入浴の心理的ハードルは一気に上がる。しかし360°の海と陸、空とのパノラマの中の湯浴みは素晴らしいものだろうと思う。
無料となっているが個人所有の温泉のため、管理者に断った上、お気持ちを渡して入浴するのがよいだろう。
濱澤水産/瀬石温泉
『北の国から2002 遺言』のロケ地として使用されたことでも有名な温泉だ。
当時はこのような野趣あふれる温泉が大変めずらしく、全国的にも注目を浴びたものと思われる。
改めて、険しい地形だ。限られた平地に道と生活の場が開かれている。
向こうに国後島が見える。泊山になるのだろうか。遥かクナシリに白夜は明ける。左側にはオッカバケ漁港の灯台。
この辺りの代表的な海産物は昆布、鮭、ウニとのこと。
『熊の入った家』ネタではなく、本当のことである。40年ほど前にこの家にヒグマが侵入、家財や食料品を荒らされた。住人家族が就寝中だったがそれに気付き全員2階に避難、幸い死傷者はなかったが1時間ほど居座られ恐怖の時間を味あわされたという。現場には空になった酒の一升瓶が転がっており、クマがラッパ飲みしたのではと言われている。
隣に同名の民宿があり、許可を得れば家の内部を見学出来るそうだ。
本当に熊が入った家
上の写真は2006年時だが、今はこれより老朽しているかもしれない。
熊害事件は開拓時には三毛別事件などもあり多発していた印象だが、その後はワンゲル部事件の他は死傷事件はあまり聞かなかった。現在また頻発しており、しかも死亡事件が多い。東北地方では、比較的大人しいと言われていたツキノワグマですら、である。
椿事ではなくなりつつあるのがとても怖い。
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#海 #温泉
ルンビニフードカフェ苫小牧店
ルンビニフードカフェ苫小牧店2023年に初訪。出先帰りにスタバ末広店に寄ろうとしていたのだが、その向かいのお店が気になり調べてみると本格カレーのお店だったため、これはぜひナンカレーをいただきたいと喜び勇んで入店。
エスニック系のBGMが流れていて雰囲気があるものの、店内はスッキリと明るい。カウンター席も2列(全8席ほど)あって互いに背中合わせのため、1人でも入りやすいのは嬉しい。
平日限定のランチセットがリーズナブルで量的にもちょうど良さそうだったため、バターチキンカリーのBセットを注文(写真上)。初めてのお店だったので用心し辛さは中辛にした記憶。ナンはほんのり甘くて優しいお味。
個人的な体質で本格カレーはスパイスの相性が合わないとお腹がゆるくなる危険性があるのだけど、こちらのカレーはまったく問題なく、バターのコクもあり美味くいただけた。辛口でもいけそうだ。
公式サイト によるとシェフはネパール人で、2021年に千歳のアークス内で営業していたルンビニグループの店舗が独立してこちらに移転オープンしたとのこと。
車で来店の場合は、駐車スペースが店舗向かって左側面と、右側には60mほど離れた場所にあるため、指定以外の場所に停めないよう注意。この時は離れの方に停めて入店。
14時過ぎで時間的に空いていたからか、テーブル席に案内してくれた。
この日は日曜でランチメニューが無かったため、ルンビニセットを注文。
エビカリーとチキンチーズカリー、ライスとナンという欲張りセットだ。辛さを指定した記憶が曖昧だが結局中辛にしたのだったか。食べきれるかな…
セットドリンクはアイスチャイを選んだのだが、この日は3月3日のひな祭りということで、いちごラッシーもサービスで付けてくれた。嬉しい。
※2024年当時のサービスになります。
けどチャイも飲めるかな…(笑)チャイの代わりにそっちでもよかったけど、セットだしそうなるとサービスにならないですもんね…
特にエビカリー(丸い器の方)が好みだった。それぞれ小分けの器で食べやすいものの、カリーが見た目よりボリュームがあり完食する頃には満腹。
いちごラッシーも美味しかった。次回はラッシーにしたい。
大満足のランチだった。これからもリピートしたいお気に入りのお店だったりする。
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#飲食