2025年8月の投稿(時系列順)[18件]
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2025年8月3日 この範囲を新しい順で読む この範囲をファイルに出力する
知床峠からの羅臼岳
知床峠からの羅臼岳
>>63の翌朝、パーキングのトイレを使うのが憚られたため、知床峠の展望台のトイレを使わせてもらおうと、再び戻ることにした。
途中、パーキング近くに有名な野湯、熊の湯があったが、通り過ぎてから気づいたのと、昨晩夕陽台の湯を利用したのでその時はパスした。この数年後に知床を再訪した時にはしっかり入浴させてもらったが、その件はいずれ別の機会に記したい。
朝8時頃だったが、展望台に着くと既に満車状態で、空いた時を見計らって駐車させてもらった。
トイレはさほど広くなかったが(2006年時)、そこそこ長い峠道では有り難いものだろうと思う。
そして、昨晩は暗くて景色がわからなかったが、朝の明るい視界に広がるのが上の景色、羅臼岳である。
昨日の知床五湖>>62では雲に覆われていて全貌が見えなかったが、ここに来て見事な山容を拝めるとは思わなかった。7月だったが頂上の方と麓にうっすら、残雪があった。
来た方角、羅臼側では海が望めるが、彼方に島影が。国後島である。かなりくっきりと見ることが出来、驚いた。
羅臼岳の裾野はハイマツの海である。
深い緑に見とれてしまう。背後に連なるのは硫黄山までの連山だろう。羅臼岳は日本百名山の一つだそうだ。標高は1,661m。
筆者の体力では登るのは叶わなそうだ。以前は登山も趣味にしたい時期もあったが、最近は遠くから眺めるだけで満足しつつある。
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#山
フレペの滝(乙女の涙)
フレペの滝(乙女の涙)
>>64知床峠の展望台から羅臼へ向かおうとしたが、まだ時間に余裕があるのでウトロ方面に戻り、フレペの滝を見に行くことにした。
知床観光船>>61から見た、断崖を落ちる別名・乙女の涙を陸地から見ることにする。
知床峠と知床五湖〜岩尾別方面への分岐にある自然センターに駐車し、滝へ向かう遊歩道を散策する。
距離的には1km程度、往復2kmで見学時間を入れても1時間程度で戻ることが可能だ(冬期は別)。足元は少なくともスニーカー着用で。ほぼ平坦な道だが例外なくクマ等出没の危険性はあるため、ルールの確認と落ち着いた行動を心がけたい。詳しくは知床自然センターのサイト にて。
以下2006年の記録である。

周りは灌木などで見通しの良い景色が続く。彼方に灯台が見えるが、行けるのだろうか。
振り返って知床連山を眺めつつ。
フレペの滝展望台。この看板はここを含む知床八景と呼ばれる場所に立っていたが、今でもあるのだろうか。
展望台からの眺め。晴天の下では海の色が際立つ。
海上から見るのとはまた違った迫力、スケール感だ。
地形のため、見えるのは滝の上部のみだが、水量と勢いがある。羅臼岳の伏流水が、地中を通って流れ落ちる。何年かかって地表に出てくるのだろう。
深く切れ込んだ入江の海岸線。


カモメが行き交う断崖。すっかり住処である。
遊覧船か、小型船も行き交う。
こちらは、滝の落ちる真上あたり。足元の地中を滝の水が流れていると思うと、ちょっとワクワクする。
灯台が間近に見えてきた。
ナミキソウというらしい。遊歩道のあちこちに見られた。
宇登呂灯台への道。この道は残念ながら立入禁止となっており、灯台へ辿り着くことは出来なかった。
これは北海道ならではの風景かもしれない。
上の写真を見ると閑散としていそうだが、実際は結構人が多く、展望台は順番待ちだったり遊歩道の場所によっては行列が出来たりと、家族連れも多く賑わっていた。暑さと疲れでぐずっていた子供もいたが、雰囲気的には心細さもなく安心ではあった。適度な運動と、雄大な自然を満喫出来た。
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#花 #滝 #遊歩道
羅臼海岸の野湯
羅臼海岸の野湯
>>65フレペの滝を見たあと、いよいよ羅臼側へ。
昨晩から何度往復したのだろう、知床峠>>64を再度横断し、羅臼の海岸沿いを北上した。ひかりごけの洞窟を見たかったのだが、なんとなく走っていると見落としてスルーしてしまったため、それならこのまま果てまで走ろうと上の写真の位置まで来た。
相泊(あいどまり)という地区で、漁港を通り過ぎるとクルマが進める地点はここで終了。ここから先は浜辺に漁業関係の番屋や小屋が並ぶ。海岸トレッキングで徒歩で向かう人もいるらしい。
ウトロ側だとクルマで入れるスポットは、カムイワッカ湯の滝より先の知床大橋までだが(時期による)、緯度的にはこちらの方が北側、奥地となる。
橋を渡った地点でUターンし、来た道を戻る。以下2006年の記録である。
先程の相泊漁港の方向を眺める。
ここは相泊温泉の駐車スペース。温泉が何処にあるかというと…
浜に降りた下に、こんなブルーシートの囲いがある。この囲いの中に湯船があるらしい。一応男女の仕切りはあるようだが、海側からは見えてしまうようだ。
入浴するつもりはなかったので覗きに行くのも控えたが、浜辺に湧く露天風呂で、湯温は熱め。海が時化ると海水を被ったり玉砂利で湯船が埋まって使えなくなるため、地元漁師の方が常に整備・管理をしているとのこと。
無料で入浴できるが先の理由で入れないこともあり、入浴期間は夏季のみで限定的だと思われる。場合によっては囲いも無い本当の露天(野天)風呂となり、通行人に見られることになりそうだ。
元々地域住民のための温泉なので、利用するならそのつもりで臨む必要がある。
目の前が海なのに、直ぐ側では熱い湯が湧くとはなんとも不思議。
漁業関係の番屋や小屋、住宅が点在する。漁師町の色が濃く、自然環境と人の営みが融合した生々しさが感じられる。観光客に媚びない強さというか、ある意味これも自然の姿。どちらが良い悪いではないが、ウトロ側の、雄大で美しい自然を前面に出したイメージとは対照的で、大変興味深い。
しばらく進むと海岸に海とは違う質の水溜りが。これも温泉だろうか。
駐車スペースの外れには温泉の歌碑がある。
こちらも海辺の露天風呂。瀬石(セセキ)温泉である。地元漁師の方が管理している。
湯船は2つほどあるようだが、入浴できるのはこの右側のみのようだ。混浴温泉である。こちらも相泊と同様、熱い湯だが、満潮時には海水で埋まってしまう。ここは囲いが一切無いため、入浴の心理的ハードルは一気に上がる。しかし360°の海と陸、空とのパノラマの中の湯浴みは素晴らしいものだろうと思う。
無料となっているが個人所有の温泉のため、管理者に断った上、お気持ちを渡して入浴するのがよいだろう。
濱澤水産/瀬石温泉
『北の国から2002 遺言』のロケ地として使用されたことでも有名な温泉だ。
当時はこのような野趣あふれる温泉が大変めずらしく、全国的にも注目を浴びたものと思われる。
改めて、険しい地形だ。限られた平地に道と生活の場が開かれている。
向こうに国後島が見える。泊山になるのだろうか。遥かクナシリに白夜は明ける。左側にはオッカバケ漁港の灯台。
この辺りの代表的な海産物は昆布、鮭、ウニとのこと。
『熊の入った家』ネタではなく、本当のことである。40年ほど前にこの家にヒグマが侵入、家財や食料品を荒らされた。住人家族が就寝中だったがそれに気付き全員2階に避難、幸い死傷者はなかったが1時間ほど居座られ恐怖の時間を味あわされたという。現場には空になった酒の一升瓶が転がっており、クマがラッパ飲みしたのではと言われている。
隣に同名の民宿があり、許可を得れば家の内部を見学出来るそうだ。
本当に熊が入った家
上の写真は2006年時だが、今はこれより老朽しているかもしれない。
熊害事件は開拓時には三毛別事件などもあり多発していた印象だが、その後はワンゲル部事件の他は死傷事件はあまり聞かなかった。現在また頻発しており、しかも死亡事件が多い。東北地方では、比較的大人しいと言われていたツキノワグマですら、である。
椿事ではなくなりつつあるのがとても怖い。
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#海 #温泉
2025年8月5日 この範囲を新しい順で読む この範囲をファイルに出力する
マッカウス洞窟とひかりごけ
マッカウス洞窟とひかりごけ
>>66羅臼の海沿いを羅臼漁港近くまで注視しつつ戻ると、やっと山側に駐車スペースのある窪んだ場所を発見。
そこがヒカリゴケで有名な「マッカウス洞窟」である。
このマッカウス洞窟だが、岩盤崩落の恐れのため2013年から立入禁止となっている。
そして、同じく2013年にマッカウス洞窟を迂回するように内陸側に「マッカウストンネル」が開通している。
当記事は2006年のものだが、その後かなり経ってからマップでこの周辺を見ていた時にトンネルの新設を確認して、驚いた記憶がある。
洞窟のある場所は元々時化の影響を受けやすかったことからトンネルを掘る計画は以前からあったようで、貴重なヒカリゴケの自生地である洞窟に影響の無いようかなり考慮した工法(ウォータータイト工法 )で施工されたらしい。しかし洞窟は一時期岩盤剥離の恐れもあり一部立入禁止となっていたところ、岩盤内部に亀裂が発見され、トンネル開通の同年に全面立入禁止となった。現在は洞窟部分は完全に囲われ近づけなくなっている。トンネル工事との因果関係は不明。
ヒカリゴケそのものは現在、羅臼町郷土資料館 で人工培養されているものを見ることが出来るようだ。
このような看板が立っているくらい、整備はされていた。訪れる人はまばらだったが、この前後に2組程出入りがあった。
何処から見ても光ってみえる訳ではなく、ポイントがある。柵越しに見る形になる。

横方向に長く、天井は低い。
柵の奥に、苔が広がっているが…
ヒカリゴケと、他にも数種類の苔が自生しているらしい。
この角度だとよくわからないのだが…
見る場所を変えると、色の変わる場所が現れる。
薄暗く撮るのが難しかったが、この蛍光塗料を散らしたような黄緑が、おそらくそれなのだろう。看板には4地点で自生しているとあったが、見落としなのかこれ以外の場所には見つけることが出来なかった。
洞内は完全に日陰となり、とても涼しい。
天井にも何らかの草が生えていた。水分を多く含んでいるのだろうか。だとしたら岩盤はさほど強固ではないのかもしれない。



前庭的な場所には、池が設けられていた。水は温かった。
上を見上げると、中々の断崖である。
そしてマッカウス洞窟は、こんな場所でもあった。筆者が松浦武四郎を知ったのは、これがきっかけだったのだ。開拓期以前の北海道(蝦夷地)の歴史をまだろくに知らなかった頃だった。幕末の時代に蝦夷地をこのような冒険の旅をした人がいたのかという驚きがあり、たちまち興味を持った。
※追記:詳しくはこちら
それから色々な探検家を知り、郷土史等も含め現在の趣味や関心事となっている。
この16年後、亀の歩みなりに武四郎の郷里の松阪を訪れる ことになろうとはさすがに当時はまだ知る由もない。
武四郎が詠んだ詩の碑。Googleのレビュー投稿を見てみると、これらの看板と碑はかろうじて立入禁止の柵外にあるように見える。徒歩では近くまで行けそうなので、碑だけでも見たいという武四郎フリークの方は行ってみる価値はあるのかもしれない。が、肝心の洞窟が外観ごと拝めないのでは意味が無さそうだが…
個人的には、ヒカリゴケもまあ良かったが、興味を持った人物の史跡という点で印象深くまた思い出の場所でもある。


危険を理由に一度立入禁止となると、今後解除される見込みはほぼ無いだろう。自然現象であり致し方なしだが、色々と惜しい。
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#碑 #洞窟
ウトロ夕陽台の湯と夕暮れ
ウトロ夕陽台の湯と夕暮れ>>62知床五湖のあと、ちょうど夕暮れを見るのによい時間なのではないかと、あらかじめチェックしていたウトロの夕陽台展望台に向かおうとしたのだが、どうもキャンプ場の奥に位置するらしく、駐車場も無料なのか有料なのかがわからず、もしやキャンプ客しか行けない場所なのかと思い込み、諦めてしまった。今では図々しく停めて歩いていくところだが(実際キャンプ場入口には停めることが出来る)、当時は小心者ゆえ勝手のわからない場所に飛び込んでいくことが出来なかったのである。今では考えられないが…そんな2006年時の記録である。
2022年から、国立公園や国定公園内でのヒグマへの接近や餌やりは、違法行為となっている。
他の野生動物に対しても、同様の行為は規制対象となるので、注意されたい。
上の写真はズームで撮ったものだが、それでも距離的には近い方かもしれない。
以前のこととはいえ、車内からの撮影も渋滞や事故を引き起こす原因になるので、走行に注意しつつ程々にしたいと思う。
上記のとおり、展望台を断念し、近くにあった夕陽台の湯で入浴することに決めた。
露天も数名入れば満員という大きさだったが、夕陽、とまではいかずとも暮れかけの空を堪能出来た。木々が遮るので見晴らしが良いわけではないが、ウトロ港の海を望むことが出来る。
泉質は、ナトリウム-塩化物・炭酸水素塩泉(等張性弱アルカリ性高温泉)。
上がって浴室を出たところで、ポツポツとキャンプ客と思われる人が入ってきた。
やはりキャンプ客が多く利用する浴場らしい。
周辺で食事を取ろうとしたのだが、観光客御用達のお店はほとんどが19時には店じまいをしてしまい、出遅れてしまった。
当時はウトロ市街にはコンビニはなく、ここで途方に暮れることになる。
そして車中泊でと決めていたので、その駐車場所も決めなければならなかった。
今ではコンビニも道の駅もあり、とても便利になって有り難い一方、やはり自然遺産とは…というジレンマが湧く。
実に勝手なものだ。
そのまま成り行きで、知床峠を走り、翌日行くつもりだった羅臼側へ。そこでようやくコンビニを見つけ、車内で急ぎ食事を取るものの、当時は体調にすぐれないことが多く胃痛を覚えてしまった。そして駐車場所もかなり悩んだ記憶がある。羅臼の道の駅は駐車場もさほど広くないため満車状態、知床峠の駐車場も妙に落ち着かず、今思えばもっとも落ち着かないのではないかと思われる、峠羅臼側入口の湯の沢というパーキングに停めることにした。灯りもほぼ無いに等しく、設置されているトイレも衛生的にどうなのか。クマも出そうな雰囲気だった。
そして極めつけは道路を挟んだ向かいに、あの「知床観光ホテル」があった。昭和に建てられた老舗ホテルで、廃校のような外観だったため界隈では有名な場所だったが、2006年当時はまだ営業していたらしい。設備は老朽化していたが、安価で温泉は好評だったという。後年は観光玄人やライダー向けだったようだが、2010年に廃業し、今では更地になってしまった。翌朝明るくなってから気づいたくらい、ホテルの灯りも点いていたのかわからずまるで存在を感じられなかった。
そんなホテルのすぐ側で車中泊していたとは、今となっては少し勿体ない感じもするが、当時はまだ明確な廃墟趣味は無く、如何にもという場所に単独で泊まるのは無料か有料かわからない場所に入り込むよりももっと怖かった、のだろう。どう見ても不気味な外観ではあった。
そもそも当時は車中泊ビギナーで、就寝する時につけるべきカーテンやシェードなどの目隠しがなく、それが何処へ行っても落ち着かない原因だったのではと思う。何度でも言うが今では考えられない。
誰もがビギナーの時期はあったさと、恥ずかしながらも懐かしく思う。
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#温泉 #海