全年全月12日の投稿(時系列順)[3件]
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二十間道路桜並木
二十間道路桜並木
最初に訪れた時の失敗が妙に思い出深く、記憶に残り続けて馴染みの名所になる。ここは筆者にとってはそんな場所である。
かつての御料牧場の中央道路に、皇族が視察する際の行啓道路として桜を植樹したのがここの桜並木の始まりである。幅が二十間(1間約1.82m*20=約36m)あったことから二十間道路と呼ばれるようになった。桜はエゾヤマザクラが7割を占め、毎年4月下旬〜5月上旬の満開時には圧巻の桜の並木道となる。本州のソメイヨシノと比べるとヤマザクラは葉も目立ち、またここでは松の木と混在するため、緑とのコントラストを楽しむ形となる。そのため意外と撮影が難しいかもしれないが。
初訪は2007年、桜を目当てに名所に行ったことがないことに気づき、近郊の有名な場所はといえばと静内へクルマを走らせた。
静内と言ったが、この前年に静内町と三石町が合併して新ひだか町となっている。「静内二十間道路」「しずない桜まつり」の呼称が馴染み深いため、未だにこちらのことは静内と呼んでしまう。現在でも字名として呼ばれているため間違いではないのだが。
二十間道路エントランスのトイレ併設の駐車場に停め、そこで咲いていた桜を堪能しつつ、そのまま散歩がてらまつり会場まで行けるかと延々と歩き続け、ついには3km程でようやく会場に着き、結果往復7km程歩いてしまった。当然会場近くには道路脇に駐車スペースが設けられているため、特に歩く必要は無かったのだが、ウォーキング目当てでもなく、しかも足元はミュールという出で立ちの如何にも無鉄砲の無知無謀さであった。当然足は痛み、運動不足もあって体はガタガタ、若さ故(すでにさほど若くもなかったので年甲斐もなく)出来た無茶である。せめてスニーカーだったら問題無かっただろうが、当時は洒落っ気がまだ残っており「ヒールのない靴は靴ではない!」と内心豪語していたのである。
誰しもビギナーの時期はあるとはいえ、今思えば我ながら愚かしい。崩壊寸前の足を引きずり、そのあとレ・コードの湯に寄ってヒーヒー言いつつ湯に浸かり、露天風呂から馬を眺めたことも今や懐かしい。
そんな初の二十間道路は散々であったが、以降GWの予定が空く度に赴くようになった。近年は主に母のリクエストにより筆者がハンドルを握り連れて行くという、ほぼ毎年定番の花見スポットとなっている。
▼2007年5月
問題のミュールウォーキングとなった初訪時。
さくら名所100選の地。静内町だった当時のもの。
日本の道100選の一でもある。エントランス駐車場からこれらの碑を見て、歩き始める。


馬産地のため、周りは厩舎や牧場になる。桜越しに見える馬の姿がのどかだ(事故防止のため柵には近づかないこと)。
かなりの老木に見える。これでも咲き続ける生命力に感嘆する。
緑からピンクのグラデーションは、北国ならではかも知れない。



てくてくと歩きつつ、初めての景色なので夢中になる。

桜を間近でちゃんと見たのも初めてかも知れない。
色褪せた道100選の看板。ほとんどがクルマやバスで通り過ぎるため、歩く人はまず居ないと思われる。

遠目にはスカスカに見えても、密に咲いている木も結構ある。
まつり会場は人が多いので、こうやって歩くとゆっくり堪能出来た。が、距離は長いのでウォーキングしたい方以外にはおすすめはしない。
▼2009年5月
この年は母が行きたがったので、連れて行った。
例年より開花が遅かったようで、まつりはGW明けから5月中旬まで開催されていたようだ。
案の定渋滞だったので、並び待ちで車窓から眺めていた並木。数百m間隔でトイレが設置されていたが、エントランス駐車場の綺麗なトイレもあるため需要は謎だった。現在は板張りされ封鎖されている。
見事な枝振りの木もある。
道100選の看板が綺麗にリニューアルされていた。
▼2018年5月5日
その間何度か訪れた年もあったが、行き慣れるとさほど撮影はしなくなる。
この時には一眼で撮っていたため、例年よりも綺麗に撮りたかった。







ホワイトバランスやソフトフォーカスなど、設定を色々弄って撮影に専念した。
機械のおかげが大きいが、上達はしたのだろうか。
▼2022年5月4日
この時はスマホだけにしている。
この頃の体調のせいか、一眼が重く感じられて、持ち歩くのが地味に苦痛な時期だった。

桜のトンネルの終点地点。まつり露店の終点地点でもある。この先は農場になるため立入禁止。

露店の様子。新型コロナの影響で遠のいた客足も徐々に戻りつつある頃。
油そばだったか、食事用の席が少なく空きがなかったため、車内でいただく。
▼2024年5月1日
今年も訪れた。持っていた単焦点レンズを使いこなそうと、それ縛りで撮ってみた。


色合いがくっきりしている。彩度が強い。
今年は開花が早く、まつりもきっかりGW期間中の開催だった。最終日が5月3日。桜並木どっとこむ の記録によると、ここ数年開花は早まっているようだ(まつりも開花に合わせて開催される)。
今年もクルマに持ち込みで。焼きおにぎり。
つぶ焼き(というかボイル)は実はここに来た時には必ず食べている。何故だか食べたくなる。

エントランス駐車場に立ち寄ってトイレタイム。駐車場に隣接するのは、「桜舞馬公園(オウマイホースパーク)」。歴代の名馬が眠る墓地公園となっている。
そのような名前の公園だったとは、今年初めて知った。Oh!

競馬やお馬さん自体に詳しいわけではないのだが、やはりこういう場所は神妙になる。
単焦点の雰囲気が、気に入りつつある。こうして見ると、撮影(方法)の変遷を見ているようで、我ながら興味深い。
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#花 #イベント #飲食 #公園
2026年1月 この範囲を新しい順で読む この範囲をファイルに出力する
道道919と鉄の街の眺望
道道919と鉄の街の眺望
トッカリショ>>87から、道道919号中央東線(観光道路)を辿ってみた。
初訪の2009年時点では、何処まで延びているのか不明のままだったので、ギリギリ離合出来る程度の細道がクネクネと続き、スリリングな冒険のような心持ちで辿った。交通量は決して多くはないが、国道に下りるよりもこちらを抜けた方が早いのか、たまに結構なスピードで向かってくるクルマもありこれには冷や冷やさせられた。
それでも時折木々が開けた場所から見渡せる街の景色に圧倒されたり、坂の街ならではの立体的な眺望と工場の風景が大変印象的な絶景ポイントでもあった。
幼少時に慣れ親しんでいた街のすぐそばにこのような道があったとは、只々驚きつつクルマを走らせた。
▼2009年8月
崖上の稜線に沿って走る道のため、かなり入り組む形でカーブが多い。御前水町、大沢町、みゆき町、輪西町の上方を走る形になり、それぞれの地区へ下りる横道もいくつかある。これは大沢町へ下りる分岐だが、この観光道路の最頂部になるようだ。
右側の長屋のような建物は、今ではすっかり倒壊してしまったようだ。
以下、この分岐点から眺める景色になる。ここが最も良い眺望のポイントになるらしい。
日鉄工場群。製鉄業の街は戦争需要で栄えたが、戦後は落ち込み、地区により寂れた場所もある。昔ながらの味わいのあった建物も撤去されたり倒壊したりと、近年特に変化が著しいが、近代の歴史の趣もまだまだ感じられる街だ。
白鳥大橋も望める。この立体感よ。
製鉄系の工場群なので、鉄分要素は抜群だ。渋みがあって圧巻。
国道と新道。クジラ半島を望む。これらの景色がパノラマ状態で見渡せる。
これより先に行くと、木々の中、ポツポツと道沿いに民家が現れるようになる。
やがてイタンキ浜近く、潮見公園のあたりまで下ると、左手に長大な古い建物が見えた。
病院か、学校か…? 気になって建物の近くまでお邪魔してみると、それは母の母校、室蘭市立鶴ヶ崎中学校だった。
ここまで入ってきてしまって良かったんだろうか…しかし、母も同乗していたものの、ここに来るまで気づかなかったとは。
母曰く、かつての通学路と別の道から来たのと、こんなに古びているとは思わず、別の何かの施設かと思った、らしい。
言ってはなんだが、確かに、道路からだと廃病院…っぽく見えて、ちょっと不気味ではあったのだが。
不気味なのにわざわざ近づいてみる我らも我ら、似たもの親子なのか…
母が通っていたのは昭和40年頃、その頃は旧校舎で外観も違っていたらしく、無理もないだろう。
L字型の校舎だが、横に長く、近くでは全景が撮れない。
L字の向こう側。教室数がやけに多い。母の時代だと1学年に10クラス以上はあったということから、その頃に改築したマンモス校の名残なのだろう。この時は既に空き教室も多かったのではないだろうか。
この鶴ヶ崎中学校は、その後、2011年に市立東中学校と統合し市立翔陽中学校となり、閉校している。現在は取り壊され、更地になってしまった。
そんな母の思い出話しに花が咲き、では小学校の方もなどとちょっと寄り道してみたが、そちらは学校そのものは健在だったものの校舎が変わっていたりグラウンドが移動していたりとまったく見る影もなくなったらしく、ピンと来るものがなかったようだ。
ちなみに小学校は市立大沢小学校で、こちらもその後2020年に閉校、跡地は別の施設に転用されているようだ。
この擁壁の存在は筆者も昔からよく覚えているが、ここは昔、防空壕として使われていた場所だったそうだ。母が子供の頃はまだ穴があったらしく、よく中に入って遊んだという。
その後潰され埋められてこのようになり、今は私有地のため柵より内側への立ち入りは出来なくなっている。パイプは、水抜き用だと思われる。よもやガス抜きではないと思うが。
確かに危険ではあるのだが、こういう話を聞くと昭和の時代のおおらかさと逞しさを感じる。
▼2014年5月
これもトッカリショ浜2014年の帰りに、やはり観光道路を通っていたようだ。
今となっては写真の日付を見返して、この時に寄ったのかとやっと思い出せる程度になってきた。
一眼でちょっと気合いを入れて撮ったものだが、特別腕があるとも思わない。
しかしそれなりによく撮れたと思うので、ここからはキャプションなしで載せていく。




















特に最後6枚は、一目で惹かれた廃アパート群。日鉄関係の社宅だと思われる。
鶴ヶ崎中学校の裏手にあったが、前回は存在に気づかなかった。
この時には中学校も既に閉校しており、校舎だけが残っていたと思う。
生活の息遣いがまだ残っているように思われ、近い内に再訪してゆっくり撮りたいと考えていたが、自身の生活に追われあれよあれよと月日が経ってしまい、この3年後、父方の祖母の葬儀の席、参列者との久々の近況報告の中で、母方の親戚からこのアパート群が取り壊されたという話を聞いた。年月は流れ、身内も鬼籍に入ってゆき、気に入った場所も無くなっていく。
こちらは現在、新たに独身寮が建てられ、建物の形状がわずかにかつての面影を残すくらいである。
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#廃 #工場 #古建築
樽前ガロー
樽前ガロー苫小牧市西部の郊外にある景勝地。長らく市内に居住しているなら一度は聞いたことのある場所なのではないだろうか。
東部にはウトナイ湖>>14があり、そちらでは以前から観光ホテルやボウリング場等(双方現存しない)が建ち、現在ではラムサール条約に登録されたり道の駅が開設されたりと観光の拠点となっているが、こちらの樽前地区に関しては、一時期樽前ハイランド等の遊園地が賑わったものの、撤退後は他に大きな開発の手が加わらず、樽前山の麓、点在する沼地やこのような特徴的な景観ポイントを残すのみである。
樽前ガローは、樽前山などの支笏火山の溶岩を川の流れが浸食して形成された幅狭の渓谷である。「ガロー」とは、両岸が切り立った崖になっている場所を指し、東北方言ともアイヌ語とも言われているが詳細は不明。
筆者は2006年にふと思い立って足を運んだが、下調べも不十分だったため見所がいまいち分からず、樽前川上流側の古いガロー橋から眺めるに留まっていた。
これは個人的な子供の頃の記憶だが、親の会社の親睦会だったか数家族と連れ立って樽前ハイランドを訪れたことがある。その帰りに深い渓谷の下に降りて、皆でザリガニを捕ったことがあるのだが、その渓谷がどこだったのか、親に聞いても分からず、ずっと気にかかっていた。当時のハイランドの周辺にそういった地形は樽前ガロー以外に見当たらないので、ガローのどの辺りだろうとよくよく調べると、もう少し下流側に駐車スペースと別に橋があり、崖下に降りられるポイントがいくつかあった。
長靴やカメラ等を準備し、危険も承知の上できちんとした形で再訪したのは2020年夏。ようやく記憶の景色に辿り着くことが出来た。
しかし奇しくもその後、岩盤崩落の危険のため、下に降りることは禁止となってしまったようだ。支笏湖の苔の洞門>>100しかり、樽前山>>93の溶岩ドーム内側しかり、自然現象が理由で一度立入禁止になるとほぼ解禁されることはない。
素晴らしい自然景観の場所なので、末永く保たれて欲しいが、そこに身を置いて楽しむことが出来なくなるのは甚だ残念でもある。
瀬戸際のタイミングであの頃の記憶に再会出来たのだと思えば、大変幸運だったと言うべきだろうか。
▼2006年5月
ここだけ見ると降りて遊べるような場所ではない。
時々汲みに来る人がいるようで、現在はもっと汲み口が整備されているらしい。
▼2007年7月
▼2009年1月
▼2014年9月
この時に初めて駐車スペースと下流側の樽前ガロー橋の存在を知った。
写真が何故かこれしか見当たらないので、準備不足を悟って程々に撤退したのだろうと思う。
ちなみにこの頃にはコンデジを卒業し、デジイチ持ちで撮るようになっていた。
▼2020年8月
最も知られているであろう降り口から降りたが、ロープが設置してある崖となっていた。
個人的には危険度はそこそこだったが、散歩気分で降りられる場所ではないことは確か。
今でもザリガニはいるのだろうか…
向こう岸に行きたくもあったが、水量と流れもそれなりにあるので無理しないでおいた。
結構な高さがあるので、撮影に夢中になると危ない。
それくらいの魅力のある景色だった。
願いは叶ったので今後そこまで足を運ぶことはないだろうが、貴重な景色を堪能出来、満足している。
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#河川 #湧水