全年全月8日の投稿[3件]
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2024年10月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
旧苫小牧川遊歩道
旧苫小牧川遊歩道
苫小牧の沼>>3や海>>9の記事を書く過程で調べ物をしていたら、そういえば旧苫小牧川が遊歩道になっていたことを思い出し、またそこからふるさと海岸に出られることも判明したため、先日ウォーキングがてら行ってみた。
王子製紙の南西、三条通の旧三条橋(廃川となったので既に橋の体ではないが)から、ふるさと海岸へ出る吐水口近辺までの全長1kmをまず歩いてみた。
このコースはかつての苫小牧川で、王子製紙の排水先だった。子供の頃、国道を通る際に橋から川の様子が見れたが、当然水質は良くなく、物心ついた頃にはすでに枯れ川になっていた。しばらくすると整地された上、石畳や外灯が取り付けられ、遊歩道に変わっていた。
このような遊歩道に興味があるため、いつか歩いてみたいとは思っていた。
旧三条橋から入り、少し進んだところ。右側の車道と並行して伸びている。蛇行しているのはかつての川の形に忠実に整地したからだろうか。
民家が近くで種が飛ばされるのだろうか、アサガオが道端におはようございます。
橋近くでは石畳が敷かれている。高低差が川の跡らしくなってきた。
橋の下をくぐる。橋は苫小牧橋で、国道36号線(235号と重複)である。ここを子供の頃クルマに乗せられて通る度に、川に目をやっていた。
くぐって振り返る。内部の天井には電灯が点り、大きなクモが巣を張っていた。
こういう交差する階段など、立体的な道にグッと来る。右側へ横断するためだけの通路なのだが。真っ直ぐ石畳を進む。
石畳が切れ、未舗装路へ。
終点まであと少し。
この辺が終点になる。ここまで来ると遊歩道というより踏み跡のようだが、ベンチが設置されており、終点近くに集中して洋燈風の外灯もある。行き当たりは海へ注ぐ吐水口だが、工場用水を浄化の上、暗渠を設けて流しているのだろうか。あるいは高砂町の浄水場の排水なのかも知れない。
苫小牧川(かつて有珠川と呼ばれていた場所)も、40年程前までは汚染が酷いヘドロ川で、小学生の頃、橋の上から見えた投棄された自転車やリヤカーのようなガラクタが黄土色に変色して何年も同じ場所にあったのを強烈に覚えているが、いつしか河川工事ですっかり綺麗に整地され、水質もかなり改善された。
街も変わっていくが、環境も良い方向に変わっていくのは喜ばしいことだ。
ふるさと海岸>>34へ出てみる。
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#橋梁 #遊歩道 #廃
2024年9月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
京花樓 大丸札幌店(閉店)
京花樓 大丸札幌店(閉店)
以前行ったことのあるお店は、10年も経てば既に閉店しているパターンが多くなっている。こちらもかつては大丸の8Fで営業していた中国料理のお店だが、2022年までは営業していたらしい。
尚、東札幌のラソラにも同経営の「京花楼」があり、大丸店と同じくあんかけ焼きそばもメニューにはあるが、麺は平麺ではないようだ。
訪れたのは2009年、札幌駅周辺を訪れた時にたまたま利用したお店だが、美味しかったので同じ年に再訪した。
あんかけ麺が看板メニューのようだったが、特にサーモンとモッツァレラのサラダが気に入ったので、再び注文して堪能した。
件のサラダ。これが美味しかった。下に揚げた餃子の皮が敷いてあって、絶妙な食感。
あんかけパリパリ焼きそば。皿うどん的な食感が好きだったので、筆者はこちらを選んだ。
友人が注文した海鮮たっぷりあんかけ焼きそば。
再訪は8月。おそらく季節限定の冷やし中華を。
窓際の席だった。茶器とタイル模様のような窓ガラスのビルが洒落ている。ランチや複数名で賑わう雰囲気の店だったが、設えも本場らしく価格もリーズナブルだったと思う。
あのサラダは他店舗のメニューにも無いようだが、美味しかったものは記録しておきたい。
まあ、作ろうと思えば作れそうなメニューではあるのだが、特徴的な盛り付けなどはお店で味わいたい類のものである。
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#飲食
山荘前の廃リフト
山荘前の廃リフト積丹半島の婦美という地区に、「山荘前」というバス停があり、そのすぐ傍に謎のケーブルリフトがある。
周囲は草木に覆われて錆つき、一目で今は使用されていない廃リフトだと判るが、バス停からは奥に延びる廃道然とした道があり、おそらくこの奥が例の山荘へと続くのだろうなと思った。
のちに調べてみると、以前「チニカ山荘」と呼ばれた宿泊施設があり、2004年の台風で休業後そのまま廃墟化しているということだった。
山荘へはバス停からの山道を大回りで1.5km程進まなければならず、リフトはその山荘へのショートカットとして使われていた、と思われたが、調べてみるとどうも更に以前のスキー場のものという話もあり、昔の空中写真も見てみると他にアプローチできる道もあったようで、山荘用に使われていたものでもないような感じもしているが真相は如何に。
▼2008年4月
ロープウェー?ケーブルカー?この箱が動くのではなく、機械室か制御室的なものだろうか。「日本ケーブル株式会社」の銘板が見える。
クルマから降りて撮影していたら、天気雨が降ってきた。
▼2014年8月
前回の初訪のあとに調べて山荘の存在を知り、いつか廃山荘にもリベンジしてみたいとは思っていたが、この頃になると廃墟に対する情熱は薄れ、さほど興味は惹かれなくなった。既に探索している先達もおられ、少し検索すればすぐにどんな状況かがわかったため、リスクを冒してまでもという気持ちになっていた。山荘の利用者だったという方もちらほら見受けられ、人によっては思い出の場所でもあったのだ。
この日は夏の晴天で、雲ひとつない青空に錆色のリフトが映えていた。
このリフトがどのような使われ方をされていたのかが気になり、色々調べ直したが、当時の写真は見つからなかった。
代わりに、1968年に発行された雑誌の対談記事に、山荘の開業がこの年の昭和43年(1968)、道開発センターという会社が建設し、当時の積丹の観光目玉として期待された施設だったという記述を見つけた。そして、積丹岳にスキー場を作れば山荘により利用客の便も良くなるだろう、また、ロープウェー(おそらくスキーリフト用)も誘致したいなどの当時の社長の意気込みも語られており、もしかしたらこのリフトはその構想の先鞭だったのかもしれない。先に記した古いスキー場については触れられておらず、存在したかはわからない。
謎だったものが解明したと思われたが、また謎に戻ってしまったような感じがする。
参考:国立国会図書館デジタルコレクションより『北海評論』23(7)
その後積丹岳にスキー場が出来たという情報はなく、理想通りの開発は出来なかったと思われる。
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#廃