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あけましておめでとうございます。
明けてしまいましたね、最近の1年はあっという間に感じます。
こちら歴創ブログでのご挨拶になりますが、今年もよろしくお願いいたします。
年表作りを継続していて、参考本の誤字や間違いの多さにキーキー言いながらの年越しでした。嫌な年越しだな…
年賀状は既に出していないのでSNS向けにはと思いつつ、こんな状況なので今年は年賀絵もろくに描いていないのですが、過去に描いたものをこの機会にアップします。
2021年のものですね…今のこちらのトップバナーの絵になります。雰囲気よいですね(自画自賛)。
火鉢囲んで師弟が一同に会している画なんて創作でしかお目にかかれません(そもそも年代も違う)。その通りエゾの冬はこれでは凌げませんが…松前の人たちはあくまで和人の生活様式にこだわった?ようだけど、よくやってこれたな…
右側の、犬の毛皮持ってる人は八九郎さんのつもりだったのですが、なんか怪しい毛皮商人っぽくて笑えます。
極寒の地で身につける毛皮は、冬眠動物であるクマよりイヌの方がいい(撥水効果がある)という話もよく聞きますね、私は吉村昭の『間宮林蔵』で初めて知り、ほほう!となったものです。原典あったら紐解いてみたいな。
松前藩士の今井八九郎(間宮の弟子)には、樺太調査の時に子グマを2頭ほど連れて湯たんぽ代わりに懐に入れて就寝し、子グマが成長してしまったときには〆てその毛皮を身につけたとかいうワイルドなエピソードが残っています。
前の年代(蝦夷地第一次幕領期)の警備では、津軽藩や会津藩で多数の死者を出していることもあり、寒冷地での駐留はそれだけ大変な任務だったのだと思います。
ゆるりとした冬を過ごせた時が彼らにもあったらいいなぁ。
#間宮林蔵 #伊能忠敬 #村上島之允 #アイヌ #村上貞助 #今井八九郎


そろそろこれを上げておこうかと。以前Twitterやっていた時に上げたもの。最近はMastodonとかでも上げたかな。
描いてて大変だったけど楽しかったキャラ設定。あくまでも人物を借りた個人の創作ということで。
全身描いたのはそれぞれの身長差を確認したかったというのもあるけど、身長についての記録や言い伝え(と推測)があるのはまみりんとイノー先生とコンドウ、そしてたけちゃんだけだと思う。あとはあくまでイメージです。
とくないさんは小柄な感じがする。コンドウは六尺(一尺は約30cm)あったという記録があるのででかいね! 当時だと尚更大男。うん、そんな感じはする。
個人的に一番勝手にウケてるのは、シマ先生とコンドウの関係性かな。シマ先生がコンドウに付いて択捉島へ渡ろうとした時、体調を崩して寝込んだシマ先生をコンドウがおちょくってさっさと置いて行ってしまったということがあって、これは多分シマ先生はコンドウのことが苦手でしょって思った。そんな傲慢なコンドウをとくないさんが嗜める、までがワンセット。
ちなみにまみりんより少し前の年代の話。まみりんのマントみたいなのは郷里に残された(つくばみらいの記念館に展示されている)蝦夷毛布をモデルにしているよ! 樺太探検の時ではなく、蝦夷の測量時に使っていたものらしいけど。
それぞれのキャラをクローズアップしてビジュアル絵としても小話としても描きたいわね…
#間宮林蔵 #伊能忠敬 #松浦武四郎 #村上貞助 #近藤重蔵 #村上島之允 #最上徳内 #今井八九郎 #松田伝十郎

拙著ミチノエキクエスト5巻 の裏表紙裏に描いたもの。
アイヌ民族の人たちも入れたなら、こちらも歴史創作に入れてもいいかな…ウィルタ民族とトナカイです。
ウィルタはオロッコとも呼ばれ、これはアイヌ側からの他称です。
知床にはオロンコ岩があり、由来はオロッコ族から来ているようですがウィルタのことかは不明。
このトナカイ、今見ると角が体に対して貧弱でバランス良くないような気がする(自己批評)。
間宮の北夷分界余話では、トナカイの角を「其角枝多く突々たり」と記録されていたけれど、挿絵も鹿に灌木の枝が生えているみたいになっていて、頑張って描いているな…と。しかもその挿絵、間宮の口述を記した同僚の村上貞助が描いているんですよね…実物を見ていない人間が見た人の話を聞いて描いている。見たことある者(私)でさえ難しいのに、それは苦戦しますよな…。写真もまだ無い時代のこと、後年実物も見れたわけでもないので、答え合わせも出来なんだ。
間宮自身は描いていないけど、人物や動物絵は不得手だったのかしら。地図は描いているし地形もラフ描きみたいのが残っているんですけど(高橋作左衛門宛の手紙など)。
民族衣装はどういった質感や作りになっているのか興味深い。
博物館の在り方(特にコレクション方法の賛否)は館により様々な評価がありますが、実物を見ることが出来るのは貴重なことではあります。
#間宮林蔵 #村上貞助 #ウィルタ
ん?
んんん…???
Golovnin?
ゴロヴニン!!!
あああ、あのゴローニンのことですね!?
あのゴローニン事件の、まみりんとバチバチした、あの人ですね!(雑)
ヴァシーリー・ゴローヴニン(日本語表記だと表記揺れの多い人ですが)はロシアの軍人で、ディアナ号での世界一周調査の途中、その数年前に発生した文化露寇の影響で警戒中の日本側に拿捕、身柄を拘束され箱館や松前に幽閉されていた人です。途中で脱走を試みるも連れ戻され、のちにロシア側のリコルドに拿捕された高田屋嘉兵衛が交渉の結果、互いに身柄を交換で帰還を果たしたという、波乱の人でもあります。
日本での幽閉生活中に『日本幽囚記』を記し、日本での出来事や会った人々、日本の習慣習俗などに触れていますが、概ね日本人のことは好意的に見られていたらしく、日本語訳も出版されているものを読むと中々面白かったりします。日本ではロシア語がほとんど通じなかったため、会話は同行していた千島アイヌがアイヌ語に訳し、それを日本人のアイヌ語通辞が日本語に訳すという2段階通訳で意思疎通をしたといわれ、その後接見した日本役人にロシア語を教えることになったが、アイヌ語通辞の上原熊次郎は老齢だからか覚えが悪く、村上貞助はとても優秀だった旨のことが記されていたり。ゴロちゃん辛口で上原さんが気の毒。
中でも間宮林蔵とのエピソードが面白すぎで、絶対印象悪いはずの人に数行費やして色々書かれているのは不思議。何度も通い詰めてきて測量法を聞き出そうとしてくるも事情があって教えられずにいるとブチギレられて、日本の軍船を差し向けるぞと恐喝してきたり(それならロシア側でもその何倍もの数で迎え撃つぞと反論してる)、自分の樺太探検の話を自慢気に延々と話す(なんだコイツは)などとまあ実にしつこい(病みそう)。と感じの悪さオンパレードなのに、悪いことばかりでもなく彼の話には未知の情報もあったり他色々と興味深い話もしたよと何故かフォローが入ったり。実は好いてんのかよ。良くも悪くも印象に残った人物なんでしょうが、両者負けず劣らず知的好奇心旺盛で勉強家、方向性は同じでも自国の立場があるために完全には親密になれなかったんだろうなあという感じもします。
で、国後の泊山に何故彼の名が付いているのか。日本に捕まる前に国後島を訪れているらしく、その時にこの山を記したことで付いたのだろうか。土地や地形に人名を付すのは西欧にはよくあるけれど、日本では地名を人が名乗る(名字・姓)ことが多いなとふと思った。
間宮海峡も間宮自身や日本側が付けた訳ではなくシーボルトの紹介で呼ばれた名(マミヤノセト)だったわけだし、ロシア側ではネヴェリスコイ海峡だし(間宮が探検したあとに大型船舶で初めて通過した人物の名)。今はタタール海峡が国際的な名称になっているけれど。
うーん、とりとめがなくなってしまった。
羅臼オッカバケ港付近から見た国後。
多分あれが泊山(Golovnin)なのかなあ。近くて遠い、思わぬところで発見した知っている人。
#間宮林蔵 #村上貞助 #ゴロヴニン