タグ「村上島之允」を含む投稿[4件]
タグの人物名、あだ名だとぱっと見分かりづらいので、実名にしました。
検索避けも意識していたんですが、そもそもRSS公開しているのであんまり意味ないんですよね…笑
ここは、推し人物の小ネタとか妄想を垂れ流す程度の場所であります。そんな真面目じゃないです。
タグを直していたらやっぱり変換でつまづくのがシマ先生。「允」の字が「じょう」で出てくれない(音読み「イン」で出る)。辞書登録するべきかなと思いつつ、「丞」の字を使っている資料もあるので、これはどうしましょうね。
意味的には両方共、"たすける"的なものなので、どちらも間違いではないのだろうし、武士の名乗りとして多い字だけど、便宜上統一はしておきたいので、多くの小説や資料で用いられている「允」を当方では使うことにします。
村上島之允(しまのじょう)は、私の中では「表記ゆれ大王」の異名を持っています。先のように島之丞と表記するものもあり。
昔当時なら旧字の「嶋之丞」もあったように記憶している(嶋の方が当時は正なのでしょうが)。あと「志摩之丞」とか。
伊勢の神職の出身で、そちらの方の別名が秦檍丸(はたのあわきまる)というのですが、この表記も読みもまあ、資料により統一しない。表記は他に「檍麿」「檍磨呂」「檍麻呂」、読みも他に「あわきまろ」「あわぎまろ」「あおきまる」「あおきまろ」など。
島之允も「しまのすけ」とか、また第三者が村上檍丸と呼んでいる資料もあったりで、何通りあるねん!と突っ込みたくなる(笑)
とはいえ、彼の著作絵図の自筆署名には「檍丸」と表記されているので、そちらが正規なのだろうと。
昔の人、他人の名前の表記や読みが意外とアバウトなので、こういう現象が起こりがちなのかな。
幼名や諱とか、また通称とかフリーダムに幾つも持っていたりコロコロ変えたりもあっただろうしな…聞き取りや発音の揺れも影響したのかもしれない。
「檍」は日本書紀に「あわ(は)き」と読む植物(神木?)として登場するらしく、どんな木なのか詳細は不明らしい。園芸種のアオキとも異なるそう。これは神職の出らしい命名だなと思います。
#村上島之允
検索避けも意識していたんですが、そもそもRSS公開しているのであんまり意味ないんですよね…笑
ここは、推し人物の小ネタとか妄想を垂れ流す程度の場所であります。そんな真面目じゃないです。
タグを直していたらやっぱり変換でつまづくのがシマ先生。「允」の字が「じょう」で出てくれない(音読み「イン」で出る)。辞書登録するべきかなと思いつつ、「丞」の字を使っている資料もあるので、これはどうしましょうね。
意味的には両方共、"たすける"的なものなので、どちらも間違いではないのだろうし、武士の名乗りとして多い字だけど、便宜上統一はしておきたいので、多くの小説や資料で用いられている「允」を当方では使うことにします。
村上島之允(しまのじょう)は、私の中では「表記ゆれ大王」の異名を持っています。先のように島之丞と表記するものもあり。
昔当時なら旧字の「嶋之丞」もあったように記憶している(嶋の方が当時は正なのでしょうが)。あと「志摩之丞」とか。
伊勢の神職の出身で、そちらの方の別名が秦檍丸(はたのあわきまる)というのですが、この表記も読みもまあ、資料により統一しない。表記は他に「檍麿」「檍磨呂」「檍麻呂」、読みも他に「あわきまろ」「あわぎまろ」「あおきまる」「あおきまろ」など。
島之允も「しまのすけ」とか、また第三者が村上檍丸と呼んでいる資料もあったりで、何通りあるねん!と突っ込みたくなる(笑)
とはいえ、彼の著作絵図の自筆署名には「檍丸」と表記されているので、そちらが正規なのだろうと。
昔の人、他人の名前の表記や読みが意外とアバウトなので、こういう現象が起こりがちなのかな。
幼名や諱とか、また通称とかフリーダムに幾つも持っていたりコロコロ変えたりもあっただろうしな…聞き取りや発音の揺れも影響したのかもしれない。
「檍」は日本書紀に「あわ(は)き」と読む植物(神木?)として登場するらしく、どんな木なのか詳細は不明らしい。園芸種のアオキとも異なるそう。これは神職の出らしい命名だなと思います。
#村上島之允


そろそろこれを上げておこうかと。以前Twitterやっていた時に上げたもの。最近はMastodonとかでも上げたかな。
描いてて大変だったけど楽しかったキャラ設定。あくまでも人物を借りた個人の創作ということで。
全身描いたのはそれぞれの身長差を確認したかったというのもあるけど、身長についての記録や言い伝え(と推測)があるのはまみりんとイノー先生とコンドウ、そしてたけちゃんだけだと思う。あとはあくまでイメージです。
とくないさんは小柄な感じがする。コンドウは六尺(一尺は約30cm)あったという記録があるのででかいね! 当時だと尚更大男。うん、そんな感じはする。
個人的に一番勝手にウケてるのは、シマ先生とコンドウの関係性かな。シマ先生がコンドウに付いて択捉島へ渡ろうとした時、体調を崩して寝込んだシマ先生をコンドウがおちょくってさっさと置いて行ってしまったということがあって、これは多分シマ先生はコンドウのことが苦手でしょって思った。そんな傲慢なコンドウをとくないさんが嗜める、までがワンセット。
ちなみにまみりんより少し前の年代の話。まみりんのマントみたいなのは郷里に残された(つくばみらいの記念館に展示されている)蝦夷毛布をモデルにしているよ! 樺太探検の時ではなく、蝦夷の測量時に使っていたものらしいけど。
それぞれのキャラをクローズアップしてビジュアル絵としても小話としても描きたいわね…
#間宮林蔵 #伊能忠敬 #松浦武四郎 #村上貞助 #近藤重蔵 #村上島之允 #最上徳内 #今井八九郎 #松田伝十郎
あけましておめでとうございます。
明けてしまいましたね、最近の1年はあっという間に感じます。
こちら歴創ブログでのご挨拶になりますが、今年もよろしくお願いいたします。
年表作りを継続していて、参考本の誤字や間違いの多さにキーキー言いながらの年越しでした。嫌な年越しだな…
年賀状は既に出していないのでSNS向けにはと思いつつ、こんな状況なので今年は年賀絵もろくに描いていないのですが、過去に描いたものをこの機会にアップします。
2021年のものですね…今のこちらのトップバナーの絵になります。雰囲気よいですね(自画自賛)。
火鉢囲んで師弟が一同に会している画なんて創作でしかお目にかかれません(そもそも年代も違う)。その通りエゾの冬はこれでは凌げませんが…松前の人たちはあくまで和人の生活様式にこだわった?ようだけど、よくやってこれたな…
右側の、犬の毛皮持ってる人は八九郎さんのつもりだったのですが、なんか怪しい毛皮商人っぽくて笑えます。
極寒の地で身につける毛皮は、冬眠動物であるクマよりイヌの方がいい(撥水効果がある)という話もよく聞きますね、私は吉村昭の『間宮林蔵』で初めて知り、ほほう!となったものです。原典あったら紐解いてみたいな。
松前藩士の今井八九郎(間宮の弟子)には、樺太調査の時に子グマを2頭ほど連れて湯たんぽ代わりに懐に入れて就寝し、子グマが成長してしまったときには〆てその毛皮を身につけたとかいうワイルドなエピソードが残っています。
前の年代(蝦夷地第一次幕領期)の警備では、津軽藩や会津藩で多数の死者を出していることもあり、寒冷地での駐留はそれだけ大変な任務だったのだと思います。
ゆるりとした冬を過ごせた時が彼らにもあったらいいなぁ。
#間宮林蔵 #伊能忠敬 #村上島之允 #アイヌ #村上貞助 #今井八九郎