タグ「最上徳内」を含む投稿[8件]
◆最上徳内とイジュヨ


イジュヨの名はイジュヨゾフといい、遭難してウルップ島に来たものの、彼いわく仲間割れをして他のサスノスコイ、ニケタと3人でエトロフ島へ逃れてきた、ということのようですが、1775年にロシア商事の植民団がウルップ島ワニナウに上陸し居住を始め、1779年に千島地震で大津波が発生、彼らが乗ってきた船ナタリア号が内陸まで押し上げられ、しばらく奥地に廃船として残されていたらしく、イジュヨもこの船に乗ってやってきたようで、植民団の一員だったと思われるため※書きに記しています。この植民団は1782年に撤退し、1784年にはイジュヨはカローミンらと共にウルップ島に再上陸、ここで仲間割れしてイジュヨら3人がエトロフ島へやってきたのが1785年。同じ年にカローミンはワニナウ植民団跡地に碑を建てています。
徳内はのちにその廃船やカローミンの碑、植民団の居住跡も確認しているらしく、このあたりも探検要素の濃いエピソードでワクワクします。
当時においてはそんな能天気な話でもないといわれればまあそうなのですが。
最近やっと『蝦夷草紙』(時事通信社S40年出版)を入手したので、いずれじっくり読んでみたいと思います。
こちらはNDLでも閲覧出来るし、なんなら地元の図書館にも蔵書はあるのですが…やっぱり本の形で手元に置いて好きな時に手に取りたいんですよね。
※2025.4.15 画像差し替えしました(違和感あったためコマ内の人物の肌を塗りました)。
#最上徳内


イジュヨの名はイジュヨゾフといい、遭難してウルップ島に来たものの、彼いわく仲間割れをして他のサスノスコイ、ニケタと3人でエトロフ島へ逃れてきた、ということのようですが、1775年にロシア商事の植民団がウルップ島ワニナウに上陸し居住を始め、1779年に千島地震で大津波が発生、彼らが乗ってきた船ナタリア号が内陸まで押し上げられ、しばらく奥地に廃船として残されていたらしく、イジュヨもこの船に乗ってやってきたようで、植民団の一員だったと思われるため※書きに記しています。この植民団は1782年に撤退し、1784年にはイジュヨはカローミンらと共にウルップ島に再上陸、ここで仲間割れしてイジュヨら3人がエトロフ島へやってきたのが1785年。同じ年にカローミンはワニナウ植民団跡地に碑を建てています。
徳内はのちにその廃船やカローミンの碑、植民団の居住跡も確認しているらしく、このあたりも探検要素の濃いエピソードでワクワクします。
当時においてはそんな能天気な話でもないといわれればまあそうなのですが。
最近やっと『蝦夷草紙』(時事通信社S40年出版)を入手したので、いずれじっくり読んでみたいと思います。
こちらはNDLでも閲覧出来るし、なんなら地元の図書館にも蔵書はあるのですが…やっぱり本の形で手元に置いて好きな時に手に取りたいんですよね。
※2025.4.15 画像差し替えしました(違和感あったためコマ内の人物の肌を塗りました)。
#最上徳内
◆『六つの村を越えて髭をなびかせる者』 西條奈加 PHP研究所 2022年
著名な時代作家さんが書かれる最上徳内の小説です。中々取り上げられることのない人物を書いて下さるのはとても嬉しいです。作者の方、北海道出身だったのですね。
この作品では主に、徳内が蝦夷地探索中に同行させたアイヌの少年フリゥーエンやアッケシの長イコトイら、また上司青島俊蔵らとの交流に焦点を当てています。クナシリ・メナシの戦いについても描かれますが、あくまで徳内の足跡と視点に沿っているため、乱の凄惨さ(目の当たりにはしていない)よりも、松前藩の差配の欠陥による飛騨屋商人の横暴と、それによりアイヌたちが置かれた不幸な境遇に心を痛める様子が重点的に書かれています。
かなりの松前憎しで物語は展開していきます(まあそうなるでしょうが)。実際当時の松前の場所請負制等のアイヌ政策には色々思うところはありますが、一応注意したいのは、徳内はあくまでも幕府側の人間であり(後の時代の松浦武四郎などに関してもですが)、幕府側にも良かれ悪しかれ思惑あっての蝦夷地政策ではあったということを念頭に置く必要はあるかと思います。その辺りは当書の最後の方でも、幕府側の自分(徳内)たちが動くことが本当にアイヌのためになるのか、和語を覚えさせ農業を奨励することが、結局は彼ら独自の文化を捨てさせることになり和人寄りの同化政策になってしまうのではないかと思い悩む様も書かれていたりします。これは作者本人の煩悶でもあるのでしょうし、北海道の歴史を齧った者(和人)なら必ず突き当たる悩みなのではないでしょうか。そのようなのっぴきならない想いは、当時懸命に探索に回り当事者に触れた末端の役人にもあったのだろうと思います。
(個人的にも昨今の開き直るような歴史修正(改竄)主義の同化政策正当化や、特にマイノリティ側がマジョリティ側に寄せる発言を聞くやいなやマジョリティ側がそれに甘えて正当化する風潮には疑問を持っています)
特に田沼から松平へ変わる幕府政治に翻弄された結果の青島俊蔵の末路は、何度関連書籍を読んでも辛いものがあります。主要人物との交流と心情をきっちり表現されている中、特に青島と徳内との関係性が、理想的な上司と部下の温かみのあるものに描かれているので、尚更です(『風雲児たち』の仲良しこよし関係を彷彿とさせる)。情のある者が理不尽に追いやられるのは、今の世も変わらないような気がします。
現地に赴くことで血の通った声が聞けるものの、どこまで情をかけるべきなのかという匙加減、またある意味では間者として見られるという意識の狭間でどう動くべきかというスリリングな展開も見られます。
当書に書かれているのは蝦夷地渡海3回目までで、実際はこの先も徳内の北方探索はまだまだ続くのですが、この人物を物語として切り取って編集、構成するには功績が多すぎてやはり難しそうです。エピソードが度々前後したりと進行を把握するのに少々手間取ることがありましたが、それぞれの人物がいい味を出していて良かったです。イタクニップやフルウ、イコトイ、ツキノエ、シラヌカの馬吉さん、上役の山口鉄五郎、音羽塾の鈴木彦助、小人目付の常磐屋笠原などなど、また松前藩の浅利も小憎たらしい悪人として味わい深かった(笑)キャラ立ちしている人物とのやりとりはやはり面白く読み進めることが出来ました。
そして徳内の容貌を「里芋に黒豆を張りつけたような」というのには妙に納得してしまいました。肖像画もそうですがやはり『風雲児たち』が目に浮かぶ…
#最上徳内 #アイヌ
著名な時代作家さんが書かれる最上徳内の小説です。中々取り上げられることのない人物を書いて下さるのはとても嬉しいです。作者の方、北海道出身だったのですね。
この作品では主に、徳内が蝦夷地探索中に同行させたアイヌの少年フリゥーエンやアッケシの長イコトイら、また上司青島俊蔵らとの交流に焦点を当てています。クナシリ・メナシの戦いについても描かれますが、あくまで徳内の足跡と視点に沿っているため、乱の凄惨さ(目の当たりにはしていない)よりも、松前藩の差配の欠陥による飛騨屋商人の横暴と、それによりアイヌたちが置かれた不幸な境遇に心を痛める様子が重点的に書かれています。
かなりの松前憎しで物語は展開していきます(まあそうなるでしょうが)。実際当時の松前の場所請負制等のアイヌ政策には色々思うところはありますが、一応注意したいのは、徳内はあくまでも幕府側の人間であり(後の時代の松浦武四郎などに関してもですが)、幕府側にも良かれ悪しかれ思惑あっての蝦夷地政策ではあったということを念頭に置く必要はあるかと思います。その辺りは当書の最後の方でも、幕府側の自分(徳内)たちが動くことが本当にアイヌのためになるのか、和語を覚えさせ農業を奨励することが、結局は彼ら独自の文化を捨てさせることになり和人寄りの同化政策になってしまうのではないかと思い悩む様も書かれていたりします。これは作者本人の煩悶でもあるのでしょうし、北海道の歴史を齧った者(和人)なら必ず突き当たる悩みなのではないでしょうか。そのようなのっぴきならない想いは、当時懸命に探索に回り当事者に触れた末端の役人にもあったのだろうと思います。
(個人的にも昨今の開き直るような歴史修正(改竄)主義の同化政策正当化や、特にマイノリティ側がマジョリティ側に寄せる発言を聞くやいなやマジョリティ側がそれに甘えて正当化する風潮には疑問を持っています)
特に田沼から松平へ変わる幕府政治に翻弄された結果の青島俊蔵の末路は、何度関連書籍を読んでも辛いものがあります。主要人物との交流と心情をきっちり表現されている中、特に青島と徳内との関係性が、理想的な上司と部下の温かみのあるものに描かれているので、尚更です(『風雲児たち』の仲良しこよし関係を彷彿とさせる)。情のある者が理不尽に追いやられるのは、今の世も変わらないような気がします。
現地に赴くことで血の通った声が聞けるものの、どこまで情をかけるべきなのかという匙加減、またある意味では間者として見られるという意識の狭間でどう動くべきかというスリリングな展開も見られます。
当書に書かれているのは蝦夷地渡海3回目までで、実際はこの先も徳内の北方探索はまだまだ続くのですが、この人物を物語として切り取って編集、構成するには功績が多すぎてやはり難しそうです。エピソードが度々前後したりと進行を把握するのに少々手間取ることがありましたが、それぞれの人物がいい味を出していて良かったです。イタクニップやフルウ、イコトイ、ツキノエ、シラヌカの馬吉さん、上役の山口鉄五郎、音羽塾の鈴木彦助、小人目付の常磐屋笠原などなど、また松前藩の浅利も小憎たらしい悪人として味わい深かった(笑)キャラ立ちしている人物とのやりとりはやはり面白く読み進めることが出来ました。
そして徳内の容貌を「里芋に黒豆を張りつけたような」というのには妙に納得してしまいました。肖像画もそうですがやはり『風雲児たち』が目に浮かぶ…
#最上徳内 #アイヌ
◆『北冥の白虹(オーロラ)』 乾浩 新人物往来社 2003年
最上徳内の全生涯について描かれた小説です。とはいえ、やはり業績が豊富なので、晩年のシーボルトとの交流などは大まかに駆け足になってしまっていますが、9度の蝦夷地渡海をメインに、資料に基づいてみっちり描かれています。蝦夷地探査に関わった人物はこの時代にも沢山いて、まあ山のように役職や人名が出てきます。ある程度、ロシアの南下政策や寛政蝦夷蜂起(クナシリ・メナシの戦い)などの予備知識を入れておかないと、スムーズに読み進めることは難しいかもしれませんが、巻末に参考資料一覧があり、淡々とした史実の記録の中にも冒険譚的に人物を活写しようという意欲が感じられる作品になっています。
とても唸らされたのは、近藤重蔵に対する心情なのですが、役目に燃えるあまり脱落した部下を置いてさっさと先へ進んでしまう近藤はその傲慢さもあって周りからの評判が良くなかったものの、徳内にはそのような悪口を叩く部下たちの意識が低く見え、むしろ自分が近藤を支えなければとの意欲に燃えたというのがかなり印象的でした。松前藩の圧政に虐げられるアイヌたちには情を寄せる徳内でも、武士の身分に甘んじながら、理不尽とはいえ上役に不平不満を垂れる部下たちの姿は見苦しいものだったというのになるほどなと思ったら、その後の探索では自分の上役になる松平忠明とやりあったりと、おやおや?となる場面もあるのですが、一貫しているのは、アイヌに対する上役の対応の良し悪しの部分なのかなと。近藤は「大日本恵登呂府」の標柱に、和人のみならずアイヌ従者の名(和名に改名されてはいたが)も書き入れ、自分に付いてきた者は区別なく証人として取り上げたというのは近藤の業績の中でも有名な話です(もっとも、当初はアイヌ従者の間でも強引な近藤に不満を持っており、そこを徳内が近藤を取りなしつつ隊の調和を図っていたといわれている)。
ちなみに近藤に置いていかれた部下の一人が村上島之允なのですが、徳内の村上に対する同情の念もなるほどな、と思いました。絶対村上は近藤のことが嫌いだろうと思っている自分の次元が低く恥ずかしいです…(苦笑)考え改めるべきか
作者の近藤に対する思い入れが強いのか、好意的に書かれているのが興味深いのですが、同じ作者の小説で近藤を主人公にしたものがあり、以前読んで面白かったのでいずれ再読して紹介しようと思います。
北辺の択捉島やウルップ島の自然の豊かさに一個人として感激しつつも、ロシアや諸外国の手が伸びる前にいち早く開発するべきという役人としての使命感の狭間で懊悩する様子も度々描かれ、そうだよそういうことなんだよなと。資源開発と自然保護は相性がとことん悪い。
国か、人々の生活か、環境か…イジュヨとのエピソードにしろ、世の中の様々な課題が包括されている作品にも感じられました。
#最上徳内 #近藤重蔵
最上徳内の全生涯について描かれた小説です。とはいえ、やはり業績が豊富なので、晩年のシーボルトとの交流などは大まかに駆け足になってしまっていますが、9度の蝦夷地渡海をメインに、資料に基づいてみっちり描かれています。蝦夷地探査に関わった人物はこの時代にも沢山いて、まあ山のように役職や人名が出てきます。ある程度、ロシアの南下政策や寛政蝦夷蜂起(クナシリ・メナシの戦い)などの予備知識を入れておかないと、スムーズに読み進めることは難しいかもしれませんが、巻末に参考資料一覧があり、淡々とした史実の記録の中にも冒険譚的に人物を活写しようという意欲が感じられる作品になっています。
とても唸らされたのは、近藤重蔵に対する心情なのですが、役目に燃えるあまり脱落した部下を置いてさっさと先へ進んでしまう近藤はその傲慢さもあって周りからの評判が良くなかったものの、徳内にはそのような悪口を叩く部下たちの意識が低く見え、むしろ自分が近藤を支えなければとの意欲に燃えたというのがかなり印象的でした。松前藩の圧政に虐げられるアイヌたちには情を寄せる徳内でも、武士の身分に甘んじながら、理不尽とはいえ上役に不平不満を垂れる部下たちの姿は見苦しいものだったというのになるほどなと思ったら、その後の探索では自分の上役になる松平忠明とやりあったりと、おやおや?となる場面もあるのですが、一貫しているのは、アイヌに対する上役の対応の良し悪しの部分なのかなと。近藤は「大日本恵登呂府」の標柱に、和人のみならずアイヌ従者の名(和名に改名されてはいたが)も書き入れ、自分に付いてきた者は区別なく証人として取り上げたというのは近藤の業績の中でも有名な話です(もっとも、当初はアイヌ従者の間でも強引な近藤に不満を持っており、そこを徳内が近藤を取りなしつつ隊の調和を図っていたといわれている)。
ちなみに近藤に置いていかれた部下の一人が村上島之允なのですが、徳内の村上に対する同情の念もなるほどな、と思いました。絶対村上は近藤のことが嫌いだろうと思っている自分の次元が低く恥ずかしいです…(苦笑)考え改めるべきか
作者の近藤に対する思い入れが強いのか、好意的に書かれているのが興味深いのですが、同じ作者の小説で近藤を主人公にしたものがあり、以前読んで面白かったのでいずれ再読して紹介しようと思います。
北辺の択捉島やウルップ島の自然の豊かさに一個人として感激しつつも、ロシアや諸外国の手が伸びる前にいち早く開発するべきという役人としての使命感の狭間で懊悩する様子も度々描かれ、そうだよそういうことなんだよなと。資源開発と自然保護は相性がとことん悪い。
国か、人々の生活か、環境か…イジュヨとのエピソードにしろ、世の中の様々な課題が包括されている作品にも感じられました。
#最上徳内 #近藤重蔵
◆人物叢書『最上徳内』(新装版) 島谷良吉 吉川弘文館 平成元年(原版は昭和52年発行)
人物にスポットを当てて知りたい場合はやはり人物叢書シリーズが良いのでしょうね。
徳内さん関連を復習して再読したので、上げておきます。
初読からは大分経つのですが、吉村昭の『間宮林蔵』>>22では、気難しい大先輩のように書かれていたものの、かなりの北方のエキスパートでもあったということなら是非知っておきたい人物だと思い、こちらを手に取りました。同時期に読んでいたみなもと太郎『風雲児たち』でも最上徳内がクローズアップされており業績は大まかに把握していたこともあって、本書も研究書でも結構面白くて一気に読了した記憶があります。
先日年表を作りながら再読したのですが、著者の熱意が感じられる筆致で、研究書としては血が通っておりまた興味深く読みました。著者は徳内さんの妻おふでさん側の島谷家の縁者の方らしく(そもそも徳内とおふではそれぞれ祖父・曽祖父が兄弟という親戚関係)、それ故の敬愛の念も感じられます。
本文内容の徳内の業績については、このブログでも度々記したので割愛します。
一つこれはえぐいなと思ったのが、遠山景晋に付いて蝦夷地巡見した際に江差の神社に松前章広が奉納した「降福孔夷」の額を「降福紅夷」と読み(くずし字だったためそうとも読めた)、松前藩がロシア側に傾いていると解釈して問題視した件は思わず「国家安康かよ!」と叫びたくなりました(笑)。遠山は、それは詩経の一句だからこじつけは良くないと諌めたものの、結果俎上に上がってこれが松前上地(蝦夷地全域の幕府直轄)の決め手になったというのは、中々の策士振りだなあと。
松前藩のアイヌに対する差配や対露警備もろくになってなかったため、常に上地の機会を幕府側に窺われていたということなのでしょうが。ここに清い人情家というばかりではない徳内の姿が垣間見られてそこも興味深くもあります。それならシーボルトに地図を渡した件も本心はわからないわけで…
この精力的な行動を見ていると、本当は樺太の北部にも行きたかったんだろうな、なんなら島か半島かも自分が見極めたかったんだろうなと思ったりします。間宮などの若手にちょっと嫉妬する黒徳内さんもいたのかもとか。それはそれでなんだか人間臭くていいな。
#最上徳内
人物にスポットを当てて知りたい場合はやはり人物叢書シリーズが良いのでしょうね。
徳内さん関連を復習して再読したので、上げておきます。
初読からは大分経つのですが、吉村昭の『間宮林蔵』>>22では、気難しい大先輩のように書かれていたものの、かなりの北方のエキスパートでもあったということなら是非知っておきたい人物だと思い、こちらを手に取りました。同時期に読んでいたみなもと太郎『風雲児たち』でも最上徳内がクローズアップされており業績は大まかに把握していたこともあって、本書も研究書でも結構面白くて一気に読了した記憶があります。
先日年表を作りながら再読したのですが、著者の熱意が感じられる筆致で、研究書としては血が通っておりまた興味深く読みました。著者は徳内さんの妻おふでさん側の島谷家の縁者の方らしく(そもそも徳内とおふではそれぞれ祖父・曽祖父が兄弟という親戚関係)、それ故の敬愛の念も感じられます。
本文内容の徳内の業績については、このブログでも度々記したので割愛します。
一つこれはえぐいなと思ったのが、遠山景晋に付いて蝦夷地巡見した際に江差の神社に松前章広が奉納した「降福孔夷」の額を「降福紅夷」と読み(くずし字だったためそうとも読めた)、松前藩がロシア側に傾いていると解釈して問題視した件は思わず「国家安康かよ!」と叫びたくなりました(笑)。遠山は、それは詩経の一句だからこじつけは良くないと諌めたものの、結果俎上に上がってこれが松前上地(蝦夷地全域の幕府直轄)の決め手になったというのは、中々の策士振りだなあと。
松前藩のアイヌに対する差配や対露警備もろくになってなかったため、常に上地の機会を幕府側に窺われていたということなのでしょうが。ここに清い人情家というばかりではない徳内の姿が垣間見られてそこも興味深くもあります。それならシーボルトに地図を渡した件も本心はわからないわけで…
この精力的な行動を見ていると、本当は樺太の北部にも行きたかったんだろうな、なんなら島か半島かも自分が見極めたかったんだろうなと思ったりします。間宮などの若手にちょっと嫉妬する黒徳内さんもいたのかもとか。それはそれでなんだか人間臭くていいな。
#最上徳内
>>36の後半に記した時事通信社の『蝦夷草紙』を読了しました。出版は1965年なので60年前のものになりますが、おそらくこれが最も原書を解読出来る近道になるのかと思われます。
構成は「蝦夷草紙上巻」「蝦夷草紙下巻」「蝦夷草紙後篇」とそれらの解説、巻末に最上徳内略伝を掲載しています。巻頭によると、底本については、上下巻は東京大学史料編纂所 所蔵の近藤重蔵旧蔵本『正斎遺書』中の最上徳内自筆本、後篇は大友喜作氏校訂の『北門叢書』所収のものとあります。上下巻の徳内自筆本(近藤重蔵関係資料)といわれるものは編纂所のサイトから検索で閲覧可能です。徳内が自筆の本を近藤重蔵に贈ったものといわれており、平成4年度に重要文化財に指定されています。
上巻は松前や蝦夷地の風土や蝦夷(アイヌ)の習慣等について、下巻はエトロフやウルップ、カラフトの風土や各所の現地人や赤人(ロシア人)などから得た情報が記されており、天明5年(1785)から寛政元年(1789)の蝦夷地調査での見聞を記録したものになります。寛政元年にはあの寛政蝦夷蜂起(クナシリ・メナシの戦い)があったため、その発端についても記されています(「嫉妬の深き事」注釈が詳しい)。
翌年、政変により巡見隊の上司青島俊蔵に連座し入牢の身となり、保釈後に師の本多利明宅にて執筆した『蝦夷国風俗人情之沙汰』の改訂版がこの蝦夷草紙とされているようです。
また後篇については、下巻での書き漏らし(イジュヨらとのことは後篇に記されている)を含め再編し、更にその後寛政11年(1799)までの蝦夷地巡見での見聞について記されています。寛政10年(1798)は、徳内が近藤重蔵隊に付いてエトロフまで渡海し日本国の標柱を建てた年になり、それからロシアの南下や松前とアイヌの現状、カラフトへ及ぶ満洲の影響などを痛感し、蝦夷地の開発を強く意識しつつも、幕府の蝦夷地上地に伴う急速なアイヌの和人化などには抵抗を示す心情も見えます。ついには上司松平忠明と山道開発の件で衝突し免職となり、最後の章(「世間取沙汰の事」)には判読不明な文字が多々あるものの(文字の乱雑さか原本の虫損かは不明)、かえってそれが上のやり方に対する激しい憤りの心情が現れているようにも感じられます。
各段落毎に編者の注釈があるので、わかりやすいと思います。原文も比較的読みやすい方だとは思うのですが、現代文の解説や注釈無しに全て理解するにはやはり難しいので(少なくとも自分のレベルでは)、今では研究も進み内容も古くなっている部分がある(かもしれない)とはいえこういう本の存在は有り難いものです。
色々な作品で見知った最上徳内の業績の原典に触れられるという、今となっては貴重な本かもしれません。
巻末の最上徳内の略伝については、もう少し後に出版された人物叢書>>26と合わせて読むのがいいのかとは思いますが、蝦夷地での業績を知るためだけでもこれで十分過ぎるほどのページ数となっています。
#最上徳内 #近藤重蔵