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◆『六つの村を越えて髭をなびかせる者』 西條奈加 PHP研究所 2022年
著名な時代作家さんが書かれる最上徳内の小説です。中々取り上げられることのない人物を書いて下さるのはとても嬉しいです。作者の方、北海道出身だったのですね。
この作品では主に、徳内が蝦夷地探索中に同行させたアイヌの少年フリゥーエンやアッケシの長イコトイら、また上司青島俊蔵らとの交流に焦点を当てています。クナシリ・メナシの戦いについても描かれますが、あくまで徳内の足跡と視点に沿っているため、乱の凄惨さ(目の当たりにはしていない)よりも、松前藩の差配の欠陥による飛騨屋商人の横暴と、それによりアイヌたちが置かれた不幸な境遇に心を痛める様子が重点的に書かれています。
かなりの松前憎しで物語は展開していきます(まあそうなるでしょうが)。実際当時の松前の場所請負制等のアイヌ政策には色々思うところはありますが、一応注意したいのは、徳内はあくまでも幕府側の人間であり(後の時代の松浦武四郎などに関してもですが)、幕府側にも良かれ悪しかれ思惑あっての蝦夷地政策ではあったということを念頭に置く必要はあるかと思います。その辺りは当書の最後の方でも、幕府側の自分(徳内)たちが動くことが本当にアイヌのためになるのか、和語を覚えさせ農業を奨励することが、結局は彼ら独自の文化を捨てさせることになり和人寄りの同化政策になってしまうのではないかと思い悩む様も書かれていたりします。これは作者本人の煩悶でもあるのでしょうし、北海道の歴史を齧った者(和人)なら必ず突き当たる悩みなのではないでしょうか。そのようなのっぴきならない想いは、当時懸命に探索に回り当事者に触れた末端の役人にもあったのだろうと思います。
(個人的にも昨今の開き直るような歴史修正(改竄)主義の同化政策正当化や、特にマイノリティ側がマジョリティ側に寄せる発言を聞くやいなやマジョリティ側がそれに甘えて正当化する風潮には疑問を持っています)
特に田沼から松平へ変わる幕府政治に翻弄された結果の青島俊蔵の末路は、何度関連書籍を読んでも辛いものがあります。主要人物との交流と心情をきっちり表現されている中、特に青島と徳内との関係性が、理想的な上司と部下の温かみのあるものに描かれているので、尚更です(『風雲児たち』の仲良しこよし関係を彷彿とさせる)。情のある者が理不尽に追いやられるのは、今の世も変わらないような気がします。
現地に赴くことで血の通った声が聞けるものの、どこまで情をかけるべきなのかという匙加減、またある意味では間者として見られるという意識の狭間でどう動くべきかというスリリングな展開も見られます。
当書に書かれているのは蝦夷地渡海3回目までで、実際はこの先も徳内の北方探索はまだまだ続くのですが、この人物を物語として切り取って編集、構成するには功績が多すぎてやはり難しそうです。エピソードが度々前後したりと進行を把握するのに少々手間取ることがありましたが、それぞれの人物がいい味を出していて良かったです。イタクニップやフルウ、イコトイ、ツキノエ、シラヌカの馬吉さん、上役の山口鉄五郎、音羽塾の鈴木彦助、小人目付の常磐屋笠原などなど、また松前藩の浅利も小憎たらしい悪人として味わい深かった(笑)キャラ立ちしている人物とのやりとりはやはり面白く読み進めることが出来ました。
そして徳内の容貌を「里芋に黒豆を張りつけたような」というのには妙に納得してしまいました。肖像画もそうですがやはり『風雲児たち』が目に浮かぶ…
#最上徳内 #アイヌ
著名な時代作家さんが書かれる最上徳内の小説です。中々取り上げられることのない人物を書いて下さるのはとても嬉しいです。作者の方、北海道出身だったのですね。
この作品では主に、徳内が蝦夷地探索中に同行させたアイヌの少年フリゥーエンやアッケシの長イコトイら、また上司青島俊蔵らとの交流に焦点を当てています。クナシリ・メナシの戦いについても描かれますが、あくまで徳内の足跡と視点に沿っているため、乱の凄惨さ(目の当たりにはしていない)よりも、松前藩の差配の欠陥による飛騨屋商人の横暴と、それによりアイヌたちが置かれた不幸な境遇に心を痛める様子が重点的に書かれています。
かなりの松前憎しで物語は展開していきます(まあそうなるでしょうが)。実際当時の松前の場所請負制等のアイヌ政策には色々思うところはありますが、一応注意したいのは、徳内はあくまでも幕府側の人間であり(後の時代の松浦武四郎などに関してもですが)、幕府側にも良かれ悪しかれ思惑あっての蝦夷地政策ではあったということを念頭に置く必要はあるかと思います。その辺りは当書の最後の方でも、幕府側の自分(徳内)たちが動くことが本当にアイヌのためになるのか、和語を覚えさせ農業を奨励することが、結局は彼ら独自の文化を捨てさせることになり和人寄りの同化政策になってしまうのではないかと思い悩む様も書かれていたりします。これは作者本人の煩悶でもあるのでしょうし、北海道の歴史を齧った者(和人)なら必ず突き当たる悩みなのではないでしょうか。そのようなのっぴきならない想いは、当時懸命に探索に回り当事者に触れた末端の役人にもあったのだろうと思います。
(個人的にも昨今の開き直るような歴史修正(改竄)主義の同化政策正当化や、特にマイノリティ側がマジョリティ側に寄せる発言を聞くやいなやマジョリティ側がそれに甘えて正当化する風潮には疑問を持っています)
特に田沼から松平へ変わる幕府政治に翻弄された結果の青島俊蔵の末路は、何度関連書籍を読んでも辛いものがあります。主要人物との交流と心情をきっちり表現されている中、特に青島と徳内との関係性が、理想的な上司と部下の温かみのあるものに描かれているので、尚更です(『風雲児たち』の仲良しこよし関係を彷彿とさせる)。情のある者が理不尽に追いやられるのは、今の世も変わらないような気がします。
現地に赴くことで血の通った声が聞けるものの、どこまで情をかけるべきなのかという匙加減、またある意味では間者として見られるという意識の狭間でどう動くべきかというスリリングな展開も見られます。
当書に書かれているのは蝦夷地渡海3回目までで、実際はこの先も徳内の北方探索はまだまだ続くのですが、この人物を物語として切り取って編集、構成するには功績が多すぎてやはり難しそうです。エピソードが度々前後したりと進行を把握するのに少々手間取ることがありましたが、それぞれの人物がいい味を出していて良かったです。イタクニップやフルウ、イコトイ、ツキノエ、シラヌカの馬吉さん、上役の山口鉄五郎、音羽塾の鈴木彦助、小人目付の常磐屋笠原などなど、また松前藩の浅利も小憎たらしい悪人として味わい深かった(笑)キャラ立ちしている人物とのやりとりはやはり面白く読み進めることが出来ました。
そして徳内の容貌を「里芋に黒豆を張りつけたような」というのには妙に納得してしまいました。肖像画もそうですがやはり『風雲児たち』が目に浮かぶ…
#最上徳内 #アイヌ

あけましておめでとうございます。
明けてしまいましたね、最近の1年はあっという間に感じます。
こちら歴創ブログでのご挨拶になりますが、今年もよろしくお願いいたします。
年表作りを継続していて、参考本の誤字や間違いの多さにキーキー言いながらの年越しでした。嫌な年越しだな…
年賀状は既に出していないのでSNS向けにはと思いつつ、こんな状況なので今年は年賀絵もろくに描いていないのですが、過去に描いたものをこの機会にアップします。
2021年のものですね…今のこちらのトップバナーの絵になります。雰囲気よいですね(自画自賛)。
火鉢囲んで師弟が一同に会している画なんて創作でしかお目にかかれません(そもそも年代も違う)。その通りエゾの冬はこれでは凌げませんが…松前の人たちはあくまで和人の生活様式にこだわった?ようだけど、よくやってこれたな…
右側の、犬の毛皮持ってる人は八九郎さんのつもりだったのですが、なんか怪しい毛皮商人っぽくて笑えます。
極寒の地で身につける毛皮は、冬眠動物であるクマよりイヌの方がいい(撥水効果がある)という話もよく聞きますね、私は吉村昭の『間宮林蔵』で初めて知り、ほほう!となったものです。原典あったら紐解いてみたいな。
松前藩士の今井八九郎(間宮の弟子)には、樺太調査の時に子グマを2頭ほど連れて湯たんぽ代わりに懐に入れて就寝し、子グマが成長してしまったときには〆てその毛皮を身につけたとかいうワイルドなエピソードが残っています。
前の年代(蝦夷地第一次幕領期)の警備では、津軽藩や会津藩で多数の死者を出していることもあり、寒冷地での駐留はそれだけ大変な任務だったのだと思います。
ゆるりとした冬を過ごせた時が彼らにもあったらいいなぁ。
#間宮林蔵 #伊能忠敬 #村上島之允 #アイヌ #村上貞助 #今井八九郎

「いい夫婦の日」ということで。
この2人を夫婦としていいのか不明だけど、出すにはいいタイミングかなと。
まみりんとアシメノコさんです。
描いたのは一昨年くらい?だけど、割と真剣に描きたかったものですね。
吉村小説を最初に読んで、後書きで交際相手のアイヌ女性の言い伝えがあったとあり(執筆当時は、信ぴょう性に欠けるので作品中には採用しなかったとある)、次に探検家髙橋大輔氏の著作を読んだのですがその辺りが詳しく書かれていたので俄然興味を惹かれました。
松浦武四郎の記録には、和人とアイヌ間の権力の不均衡や酷使、性的トラブルなど厳しい状況が記されているので、対等に親交、交際などがあったのだろうかとは思うのですが、上の2人のことを記したのもまた彼であり…しかしそこには糾弾も非難もなく非公開という形でひそやかに関係者には語り継がれたようなのを窺うと、哀しくも美しい関係性だったのかもしれないなと思ったりしています。
「蝦夷地の測量が出来たのは彼女の尽力あってのことなので、後々まで語り継いで欲しい」と、間宮が晩年に故郷の縁の人に話していたという言い伝えもある、らしい。
#間宮林蔵 #アイヌ

こちらはミチノエキクエスト1巻 の裏表紙裏に描いたもの。
先程のまみりんたけちゃんよりも先に描いたものです。
道の駅本の本文がエッセイとちょっとしたカットで構成されていたためか、おまけ的なページで真面目な絵が描きたくなるらしい。
アイヌの着物(晴れ着)はアイウシとモレウが文様の基礎、になると思いますが、癖が出てパターン化しそうなので色々なバリエーションを見たいなとか。
それにしても先人の手作業の細やかさよ…!
思えばこの頃から、北方の歴史ネタで何かを描きたい願望があったのかも知れないですね。
#アイヌ
※訳文(意味)を原文の直下に移動させる編集を行っております。
2016年に根室方面に行った際に立ち寄り撮影しました。
たまたま前年2015年に、北海道博物館で開催された『夷酋列像』展を観覧したため、ここまで来たなら是非見ておこうと足を運んだものです。
納沙布岬周辺の北方領土関連の施設や碑、モニュメントが建つ中にひっそりと存在します。
処刑されたアイヌ側の慰霊碑なのかと思っていたら、この事件で犠牲になった和人の墓碑をここに設置したものとのこと。
毎年9月には、ここより西側のノッカマップで「ノッカマップイチャルパ」というクナシリ・メナシの戦いの犠牲者(和人・アイヌ両者)を弔う慰霊祭が行われています。ノッカマップは、アイヌ側の37人が処刑された場所になります。
1789年クナシリ・メナシの戦い(根室市ホームページ)
墓碑が海中から発見された理由は不明だそうですが、根室市によると、海上輸送の途中で船が難破し、海中に没したままだったのではないかとのこと。
寛政の蜂起和人殉難墓碑(根室市ホームページ)
墓碑が作られたのが蜂起から23年後、それだけ経っても未だに和人側(直接虐待に関わっていない人も多数いるのでしょうが)が一方的な被害者としての認識だったというのと、アイヌ側に対する表現が露悪的なのが当時の和人側の認識だったという証明でもあるようにも感じます。
併設の詳細な説明板がなければ誤解を招きかねないため、ちゃんと設置されているのは良いことだと思います。
#アイヌ