<?xml version="1.0" encoding="UTF-8"?>
<rss version="2.0">
<channel>
	<title><![CDATA[ 2025年の投稿［20件］ - れきそう 歴史創作ネタLog ]]></title>
	<link>https://yurutan.net/rekisou/</link>
	<description><![CDATA[ 江戸期の北方探検家で歴史創作。絵・漫画・設定・調べ物などゆるゆるっとな。 ]]></description>
	<language>ja</language>
	<copyright>Copyright 2026</copyright>
	<lastBuildDate>Mon, 06 Apr 2026 02:20:02 +0900</lastBuildDate>
	<generator><![CDATA[ <!-- てがろぐ Version: -->Powered by <a href="https://www.nishishi.com/cgi/tegalog/" rel="noreferrer" target="_top">てがろぐ</a> Ver 4.7.0 ]]></generator>
	<!-- BEGIN ENTRIES -->
	<!-- One Entry Data for RSS Feed -->
<item>
	<title><![CDATA[ ◆『伊能忠敬　日本を測量した男』 童門冬二　河出書房新社　2… ]]></title>
	<description><![CDATA[ <span class="decorationC" style="color:#0099cc;"><b class="decorationB">◆『伊能忠敬　日本を測量した男』 童門冬二　河出書房新社　2014年</b></span><br />
<br />
積読をある程度解消したタイミングで、こちらを読んでみようと、読了したので記しておきます。<br />
<br />
一言にいえば、伊能についてのことなら、こちらを真っ先に読んだ方が良かったのではないかと。<br />
童門先生の作品はやはり読みやすく、途中の解説も親切に感じます。<br />
<br />
佐原の名主時代、天文方への弟子入り、蝦夷地測量から日本全土の測量までの大方のあらましが書かれています。物語小説というよりは伊能の全生涯の解説本といった方が適当かもしれません。<br />
残された日記や手紙などから心情の部分も推測して書かれていますが、割と驚いたのが、師である高橋至時と子午線一度を出す時に軽く諍いがあったということ。年下の師といつも和気藹々という訳でもなかったのだなと。<br />
あとは二次測量以降の各藩での悶着やトラブルは何故、どのような行き違いで起こったのかというのも著者の想像も交えつつわかりやすく解説されています。<br />
互いの疑心暗鬼と幕府の無理解、身分制度の弊害の側面が大きいものの、伊能の半ば強引な態度もやはりプライドを持った職人気質の頑固者という一面が見られて、彼のキャラクターがリアリティをもって見えてくるようです。セカンドライフを充実させた中高年の星、時には聖人君子的に見られがちだけど、むしろ酸いも甘いも噛み分けた中高年だからこそ頑固さが際立つのかも。よく、性格的には厳格なパワハラモラハラ気質と言われますが、そんな人間臭さの部分にも触れていて、中々面白かったです。当時の身分制度にも楯突くというのは、感性的には現代人に近いものがあり当時としても革新的というか、厄介な変わり者ではあったのだろうなと。<br />
<br />
だからこそ、あれだけのことを成し遂げられたのでしょうが。<br />
<br />
文章は平易で読みやすく、さすが童門冬二だなと。<br />
若かりし頃に歴史関係の著書をいくつか読んだ記憶があり、親しみやすい文章と、未熟な頭でも理解出来たために著者の名前はよく覚えていました。<br />
そんな童門先生も最近鬼籍に入られてしまい、時代の流れを感じます。<br />
<br />
<a href="https://yurutan.net/rekisou/?tag=%e4%bc%8a%e8%83%bd%e5%bf%a0%e6%95%ac" class="taglink" title="伊能忠敬">#伊能忠敬</a>  -- Posted by shinozakitakato 〔881文字〕 No.41 ]]></description>
	<link>https://yurutan.net/rekisou/?postid=41</link>
	<guid>https://yurutan.net/rekisou/?postid=41</guid>
	<category>review</category>
	<pubDate>Wed, 08 Oct 2025 00:57:04 +0900</pubDate>
</item>
<!-- One Entry Data for RSS Feed -->
<item>
	<title><![CDATA[ 長年使っていたお財布につけていた間宮くんの絵馬ストラップ。 ]]></title>
	<description><![CDATA[ <img class="embeddedimage " width="1000" height="1000" src="https://yurutan.net/rekisou/images/20250903034807-admin.jpg" alt="20250903034807-admin.jpg">長年使っていたお財布につけていた間宮くんの絵馬ストラップ。<br />
さすがに9年もつけていたらこうなりますよねぇ<br />
<br />
何が描かれていたのかわからないくらいになりましたねえ。<br />
右側には「不撓不屈」と書かれていました。<br />
<br />
<img class="embeddedimage " width="1000" height="1000" src="https://yurutan.net/rekisou/images/202509030348071-admin.jpg" alt="202509030348071-admin.jpg">裏側。これは2016年に宗谷岬に行った時に買ったものです。<br />
<br />
<img class="embeddedimage " width="1000" height="1000" src="https://yurutan.net/rekisou/images/202509030348072-admin.jpg" alt="202509030348072-admin.jpg">台紙が可愛かったので取っておいてました。<br />
イラストは、あの「ヒジカタ君」でおなじみの、まうのすけ先生のものです。<br />
ほんわか風味のまみりん、なかなかお見かけしなくて可愛い。<br />
<br />
こっちも新調したいけど、宗谷岬の売店にしか売ってないらしいので、難易度高いですね…今でも売っているのかしら…<br />
もう一種類、違うデザインのもあったのだけど、そっちも買っておけばよかったなあ…<br />
<br />
<a class="url labeledlink" href="https://mstdn.yurutan.net/@shinozakitakato/115122819815798326">mstdn.yurutan.net 2025年8月31日 19:07</a> <br />
<br />
<a href="https://yurutan.net/rekisou/?tag=%e9%96%93%e5%ae%ae%e6%9e%97%e8%94%b5" class="taglink" title="間宮林蔵">#間宮林蔵</a>  -- Posted by shinozakitakato 〔361文字〕 No.40 ]]></description>
	<link>https://yurutan.net/rekisou/?postid=40</link>
	<guid>https://yurutan.net/rekisou/?postid=40</guid>
	<category>zatudan</category>
	<pubDate>Wed, 03 Sep 2025 02:43:26 +0900</pubDate>
</item>
<!-- One Entry Data for RSS Feed -->
<item>
	<title><![CDATA[ 2006年に知床へ旅行に行った際、ひかりごけ目当てに羅臼町の… ]]></title>
	<description><![CDATA[ 2006年に知床へ旅行に行った際、ひかりごけ目当てに羅臼町のマッカウス洞窟へ足を運んだのですが、そこに建っていた石碑と案内板の説明に惹かれました。<br />
<br />
<img class="embeddedimage " width="640" height="480" src="https://yurutan.net/rekisou/images/202508072341265-admin.jpg" alt="202508072341265-admin.jpg">そう、これが松浦武四郎との出会いだったわけです。<br />
当時の筆者は開拓期以前の北海道の歴史については無知で、幕末の時代に蝦夷地まで来てすごい冒険をした人がいたのだなぁと驚きつつこの看板を眺めていました。そしてこの洞窟に宿泊したのかと。クマが魚の骨をバリバリ食べる音って…それは現代人の我々も怖い…<br />
<br />
<img class="embeddedimage " width="640" height="480" src="https://yurutan.net/rekisou/images/202508072341264-admin.jpg" alt="202508072341264-admin.jpg">隣にあった詩碑。大分見づらいですが。<br />
<br />
<q class="decorationQ" style="display:block;">松浦武四郎　野宿の地<br />
<br />
仮寝する窟におふる石小菅　葦し菖蒲と見てこそハねめ<br />
<br />
安政五年五月●日　武四郎</q><br />
上の看板の説明のとおり、これは彼の著作『知床日誌』の中にある詩で、洞窟に野宿したことが書かれていますが、『戊午志礼登古日誌　乾』という日誌には、「チトライ川口（マッカウスから海岸を300ｍ程北上した所）の番屋に泊まった」旨のことが書かれており（参考：『松浦武四郎知床紀行』秋葉實編）、洞窟のことには触れられていません。『戊午〜』は実際の日誌（紀行文）と思われ、『知床日誌』は紀行を元にした作品、と見るべきものなのでしょう。日誌の著作は他にも『石狩日誌』『天塩日誌』『十勝日誌』など多数ありますが、これらは蝦夷地調査を終えてしばらく経ってから著され、広く民衆にも読まれるために潤色（アレンジ）を加えて出版されたものとのこと。<br />
<br />
ですので、実際に泊まったのは番屋の方で、このマッカウス洞窟には泊まっていないようです。<br />
ならクマの件も…？ ガッカリするやらホッとするやら。<br />
<br />
ですがまあ、著名な人物の著作に出てくる洞窟と思えば（洞窟の存在自体は見聞きしたものなのでしょうし）、これも史跡ですから。<br />
それにしてもこういうのは、案内板で馬鹿正直に説明しようとするといささか理屈っぽくなってしまうので悩みどころでしょうね…<br />
<br />
<small class="decorationS">※このパターンは、拙著同人誌<a class="url labeledlink" href="https://shinozakitakato.booth.pm/items/4601275">『希望と洞窟と石垣山』</a> に記したのと同じですね〜。武四郎が泊まったと云われる別の洞窟の実際的なことを書いています。まあそういうことです。洞窟に泊まるシチュエーション好きかよ。まあワクワクするよね。</small><br />
<br />
それはともかく、自分にとってここは&quot;北海道の名付け親&quot;松浦武四郎のことを知った思い入れの深い場所になります（他にも登山家、古物蒐集家の顔がある）。<br />
これをきっかけに、関連書籍を読んだり（彼自身の著作は膨大なので…さすがに全ては無理ですが）して関心を持ち、そして今に至ります。北方探検家に興味を持った源流が、彼を知ったことだったと思います。もう20年近くになるとは…色々な人物に寄り道してまだすべての著作を読めていない。本格的にハマってしまったら沼一直線なのでしょうね…<br />
<br />
ただこの思い出深いマッカウス洞窟も、崩落の危険のため今はもう見ることが出来ません。<br />
上の石碑と案内板は、かろうじて洞窟の囲いの外にあるようで通行止め地点から徒歩で入れば見られるようなのですが…<br />
<br />
<img class="embeddedimage " width="640" height="480" src="https://yurutan.net/rekisou/images/202508072341261-admin.jpg" alt="202508072341261-admin.jpg"><br />
<img class="embeddedimage " width="640" height="480" src="https://yurutan.net/rekisou/images/20250807234126-admin.jpg" alt="20250807234126-admin.jpg"><br />
<img class="embeddedimage " width="640" height="480" src="https://yurutan.net/rekisou/images/202508072341262-admin.jpg" alt="202508072341262-admin.jpg"><br />
<img class="embeddedimage " width="640" height="480" src="https://yurutan.net/rekisou/images/202508072341263-admin.jpg" alt="202508072341263-admin.jpg"><br />
雰囲気だけでも…（ひかりごけは柵の内側に自生していました。詳しくは<a class="url labeledlink" href="https://yurutan.net/yurutan/?postid=67">こちら</a> へ）<br />
<br />
※『知床日誌』の本文と訳文は、奈良女子大学学術情報センターの所蔵資料<a class="url labeledlink" href="https://www.nara-wu.ac.jp/aic/gdb/nwugdb/edokiko/k024/kaidai.html">『知床日誌』</a> を参考にさせていただきました。<br />
<br />
<a href="https://yurutan.net/rekisou/?tag=%e6%9d%be%e6%b5%a6%e6%ad%a6%e5%9b%9b%e9%83%8e" class="taglink" title="松浦武四郎">#松浦武四郎</a>  -- Posted by shinozakitakato 〔1360文字〕 No.39 ]]></description>
	<link>https://yurutan.net/rekisou/?postid=39</link>
	<guid>https://yurutan.net/rekisou/?postid=39</guid>
	<category>memo travel</category>
	<pubDate>Fri, 08 Aug 2025 04:27:46 +0900</pubDate>
</item>
<!-- One Entry Data for RSS Feed -->
<item>
	<title><![CDATA[ 当コンテンツ『ゆるたん。』ブログのこの記事 を纏めていて、羅… ]]></title>
	<description><![CDATA[ 当コンテンツ『ゆるたん。』ブログの<a class="url labeledlink" href="https://yurutan.net/yurutan/?postid=66">この記事</a> を纏めていて、羅臼の海岸から国後島が見える写真があり、そのシルエットが山のように見えるため山岳としての名前があるのかと調べてみると、泊山（とまりやま）という名前で、別名Golovninというらしい。<br />
<br />
ん？<br />
<br />
んんん…？？？<br />
<br />
Golovnin？<br />
<br />
<em class="decorationE">ゴロヴニン！！！</em><br />
<br />
あああ、あのゴローニンのことですね！？<br />
<br />
あのゴローニン事件の、まみりんとバチバチした、あの人ですね！（雑）<br />
<br />
ヴァシーリー・ゴローヴニン（日本語表記だと表記揺れの多い人ですが）はロシアの軍人で、ディアナ号での世界一周調査の途中、その数年前に発生した文化露寇の影響で警戒中の日本側に拿捕、身柄を拘束され箱館や松前に幽閉されていた人です。途中で脱走を試みるも連れ戻され、のちにロシア側のリコルドに拿捕された高田屋嘉兵衛が交渉の結果、互いに身柄を交換で帰還を果たしたという、波乱の人でもあります。<br />
<br />
日本での幽閉生活中に『日本幽囚記』を記し、日本での出来事や会った人々、日本の習慣習俗などに触れていますが、概ね日本人のことは好意的に見られていたらしく、日本語訳も出版されているものを読むと中々面白かったりします。日本ではロシア語がほとんど通じなかったため、会話は同行していた千島アイヌがアイヌ語に訳し、それを日本人のアイヌ語通辞が日本語に訳すという2段階通訳で意思疎通をしたといわれ、その後接見した日本役人にロシア語を教えることになったが、アイヌ語通辞の上原熊次郎は老齢だからか覚えが悪く、村上貞助はとても優秀だった旨のことが記されていたり。ゴロちゃん辛口で上原さんが気の毒。<br />
<br />
中でも間宮林蔵とのエピソードが面白すぎで、絶対印象悪いはずの人に数行費やして色々書かれているのは不思議。何度も通い詰めてきて測量法を聞き出そうとしてくるも事情があって教えられずにいるとブチギレられて、日本の軍船を差し向けるぞと恐喝してきたり（それならロシア側でもその何倍もの数で迎え撃つぞと反論してる）、自分の樺太探検の話を自慢気に延々と話す（なんだコイツは）などとまあ実にしつこい（病みそう）。と感じの悪さオンパレードなのに、悪いことばかりでもなく彼の話には未知の情報もあったり他色々と興味深い話もしたよと何故かフォローが入ったり。実は好いてんのかよ。良くも悪くも印象に残った人物なんでしょうが、両者負けず劣らず知的好奇心旺盛で勉強家、方向性は同じでも自国の立場があるために完全には親密になれなかったんだろうなあという感じもします。<br />
<br />
で、国後の泊山に何故彼の名が付いているのか。日本に捕まる前に国後島を訪れているらしく、その時にこの山を記したことで付いたのだろうか。土地や地形に人名を付すのは西欧にはよくあるけれど、日本では地名を人が名乗る（名字・姓）ことが多いなとふと思った。<br />
<br />
間宮海峡も間宮自身や日本側が付けた訳ではなくシーボルトの紹介で呼ばれた名（マミヤノセト）だったわけだし、ロシア側ではネヴェリスコイ海峡だし（間宮が探検したあとに大型船舶で初めて通過した人物の名）。今はタタール海峡が国際的な名称になっているけれど。<br />
<br />
うーん、とりとめがなくなってしまった。<br />
<br />
<img class="embeddedimage nolisted" width="640" height="480" src="https://yurutan.net/rekisou/images/20250804020208-admin.jpg" alt="20250804020208-admin.jpg"><br />
羅臼オッカバケ港付近から見た国後。<br />
多分あれが泊山(Golovnin)なのかなあ。近くて遠い、思わぬところで発見した知っている人。<br />
<br />
<a href="https://yurutan.net/rekisou/?tag=%e9%96%93%e5%ae%ae%e6%9e%97%e8%94%b5" class="taglink" title="間宮林蔵">#間宮林蔵</a> <a href="https://yurutan.net/rekisou/?tag=%e6%9d%91%e4%b8%8a%e8%b2%9e%e5%8a%a9" class="taglink" title="村上貞助">#村上貞助</a> <a href="https://yurutan.net/rekisou/?tag=%e3%82%b4%e3%83%ad%e3%83%b4%e3%83%8b%e3%83%b3" class="taglink" title="ゴロヴニン">#ゴロヴニン</a> -- Posted by shinozakitakato 〔1420文字〕 No.38 ]]></description>
	<link>https://yurutan.net/rekisou/?postid=38</link>
	<guid>https://yurutan.net/rekisou/?postid=38</guid>
	<category>memo</category>
	<pubDate>Mon, 04 Aug 2025 02:02:08 +0900</pubDate>
</item>
<!-- One Entry Data for RSS Feed -->
<item>
	<title><![CDATA[ 6月の北海道COMITIA21合わせに新刊を作ったのですが、… ]]></title>
	<description><![CDATA[ 6月の北海道COMITIA21合わせに新刊を作ったのですが、ちょうどこのブログで小幌海岸<a href="https://yurutan.net/rekisou/?postid=31" class="postidlink">&gt;&gt;31</a>を出したので、小幌駅の探索レポとして発行すべく色々調べていましたら、最寄りの岩屋観音絡みで興味深いことが判明したのでここに記しておこうと思います。<br />
<br />
<img class="embeddedimage " width="750" height="1000" src="https://yurutan.net/rekisou/images/20250713174037-admin.jpg" alt="20250713174037-admin.jpg"><br />
小幌駅へは2015年に、国道脇から林道へ入り徒歩で訪れているのですが、途中降りる浜に小幌洞窟があり、その中に「岩屋観音」が祀られています。<br />
上の写真がその小幌洞窟なのですが、鳥居も相まって凄い雰囲気です。こちらは今でも漁師の守り神として、毎年祭礼が行われています。<br />
<br />
<img class="embeddedimage " width="1000" height="667" src="https://yurutan.net/rekisou/images/20250713180947-admin.jpg" alt="20250713180947-admin.jpg">この岩屋観音、あの円空仏が祀られていることで有名です。こちらに祀られているのは「首なし観音」と呼ばれる（修復された）仏像になります。<br />
<br />
<img class="embeddedimage " width="1000" height="667" src="https://yurutan.net/rekisou/images/202507131740371-admin.jpg" alt="202507131740371-admin.jpg">入口の鳥居。岩壁の隙間に押しつぶされそうな場所に祀られています。神仏習合の祠になります。<br />
<br />
<img class="embeddedimage " width="1000" height="667" src="https://yurutan.net/rekisou/images/202507131740372-admin.jpg" alt="202507131740372-admin.jpg"><br />
<img class="embeddedimage " width="1000" height="667" src="https://yurutan.net/rekisou/images/202507131740373-admin.jpg" alt="202507131740373-admin.jpg">内部は外から見るよりもそこそこ広く、その昔円空上人がここに籠もって仏像を彫ったのだとか。<br />
両脇にあるのは仏像のレプリカで、本物の首なし観音はお堂の奥にあるのか普段は窺うことは出来ません。<br />
<br />
と、ここまでは予てから知っていた事柄ですが、実はここで円空上人が彫って安置した仏像は首なし観音の他に4体あったらしく、その4体は北海道内の各地に送られ、今でも祀られている寺社がある、ということを知りました。<br />
<br />
円空は1666年（寛文6）蝦夷地に渡り、渡島半島の数カ所で仏像を彫っては安置しています。洞爺湖の近く有珠山にも登り、下山後この小幌海岸に立ち寄り仏像を彫って安置しましたが、有珠山より奥（東側）へは進めなかったため、仏像の背中にはそれぞれ未踏の地名（祀るべく地、山）を彫り、計5体をその場に安置したといわれています。<br />
<br />
時は下って1791年（寛政3）、民俗学者の菅江真澄が小幌洞窟で5体の円空仏を発見し、そのうち1体は朽ちていて背中の文字も判別出来なかったとあることから、これが逸話のクマに襲われた首なし観音と思われます。<br />
<br />
更にその後、残り4体はその背銘通りにそれぞれの地に送られることになるのですが、それを命じ手配したのがあの松田伝十郎（当時は仁三郎）だったのです。松田がエトモ（室蘭）に勤務していた際<a href="https://yurutan.net/rekisou/?postid=29" class="postidlink">&gt;&gt;29</a>、小幌洞窟を巡検し発見した4体の円空仏の背銘を確認し（朽ちた仏像には言及していない）、その通りに各所へ送って安置するのがよいとの判断を下したようです。<br />
<br />
4体はそれぞれ有珠奥の院（洞爺湖観音島）、タルマエ（苫小牧）、クスリ（釧路）、ユウバリ（夕張岳が見える？千歳方面）に送られ、有珠奥の院の仏像は現在は有珠善光寺に、タルマエは錦岡樽前山神社、クスリは釧路市厳島神社に今も安置されています。有珠善光寺の仏像は現在北海道の有形文化財に指定されていますが、それに至るまでには紆余曲折があり…<br />
<small class="decorationS">（詳しくは拙新刊『<a class="url labeledlink" href="https://shinozakitakato.booth.pm/items/7067840">徒歩で来た。小幌への道</a> 』の後書きと年表に記しましたので、ご興味ある方はご覧いただけますと幸いです…）<br />
</small><br />
<img class="embeddedimage " width="1000" height="667" src="https://yurutan.net/rekisou/images/202507131740374-admin.jpg" alt="202507131740374-admin.jpg"><br />
<br />
ここでも松田伝十郎の名を見るとは思いませんでした。小幌の洞窟はそれまではどちらかというと小幌駅とセットのイメージだったので（そのつもりで駅を訪れた）、別ルートで知っている歴史人物に繋がるという意外性が。しかし円空はそれより昔の人物で、後世の人々の信仰の対象でもあったことを思えばまあ、色々繋がるものなんでしょうね。円空仏を彫ったのもそれを各地に送ったのも（和人が信仰している）仏の教えを広めたいという思惑も当然あったのでしょうし。<br />
今回大変興味深い新刊づくりとなりました。これからもそんな繋がりを沢山知ることになるのでしょう。<br />
<br />
このために、何処にも扱いがなく入手を諦めていた松田の『北夷談』の現代語訳を、某所で発見し漸く手に入れることが出来たのも嬉しい出来事でした。<br />
<br />
<a href="https://yurutan.net/rekisou/?tag=%e6%9d%be%e7%94%b0%e4%bc%9d%e5%8d%81%e9%83%8e" class="taglink" title="松田伝十郎">#松田伝十郎</a> <a href="https://yurutan.net/rekisou/?tag=%e5%86%86%e7%a9%ba" class="taglink" title="円空">#円空</a><br />
 -- Posted by shinozakitakato 〔1583文字〕 No.37 ]]></description>
	<link>https://yurutan.net/rekisou/?postid=37</link>
	<guid>https://yurutan.net/rekisou/?postid=37</guid>
	<category>memo travel</category>
	<pubDate>Sun, 13 Jul 2025 19:20:29 +0900</pubDate>
</item>
<!-- One Entry Data for RSS Feed -->
<item>
	<title><![CDATA[ ◆最上徳内とイジュヨ ]]></title>
	<description><![CDATA[ ◆最上徳内とイジュヨ<br />
<br />
<img class="embeddedimage " width="704" height="1000" src="https://yurutan.net/rekisou/images/20250415002410-admin.jpg" alt="20250415002410-admin.jpg"><br />
<img class="embeddedimage " width="709" height="1000" src="https://yurutan.net/rekisou/images/202504150024101-admin.jpg" alt="202504150024101-admin.jpg"><br />
<br />
イジュヨの名はイジュヨゾフといい、遭難してウルップ島に来たものの、彼いわく仲間割れをして他のサスノスコイ、ニケタと3人でエトロフ島へ逃れてきた、ということのようですが、1775年にロシア商事の植民団がウルップ島ワニナウに上陸し居住を始め、1779年に千島地震で大津波が発生、彼らが乗ってきた船ナタリア号が内陸まで押し上げられ、しばらく奥地に廃船として残されていたらしく、イジュヨもこの船に乗ってやってきたようで、植民団の一員だったと思われるため※書きに記しています。この植民団は1782年に撤退し、1784年にはイジュヨはカローミンらと共にウルップ島に再上陸、ここで仲間割れしてイジュヨら3人がエトロフ島へやってきたのが1785年。同じ年にカローミンはワニナウ植民団跡地に碑を建てています。<br />
徳内はのちにその廃船やカローミンの碑、植民団の居住跡も確認しているらしく、このあたりも探検要素の濃いエピソードでワクワクします。<br />
当時においてはそんな能天気な話でもないといわれればまあそうなのですが。<br />
<br />
<br />
最近やっと『蝦夷草紙』（時事通信社S40年出版）を入手したので、いずれじっくり読んでみたいと思います。<br />
こちらはNDLでも閲覧出来るし、なんなら地元の図書館にも蔵書はあるのですが…やっぱり本の形で手元に置いて好きな時に手に取りたいんですよね。<br />
<br />
※2025.4.15 画像差し替えしました（違和感あったためコマ内の人物の肌を塗りました）。<br />
<br />
<a href="https://yurutan.net/rekisou/?tag=%e6%9c%80%e4%b8%8a%e5%be%b3%e5%86%85" class="taglink" title="最上徳内">#最上徳内</a>  -- Posted by shinozakitakato 〔641文字〕 No.36 ]]></description>
	<link>https://yurutan.net/rekisou/?postid=36</link>
	<guid>https://yurutan.net/rekisou/?postid=36</guid>
	<category>comic</category>
	<pubDate>Mon, 14 Apr 2025 02:14:53 +0900</pubDate>
</item>
<!-- One Entry Data for RSS Feed -->
<item>
	<title><![CDATA[ No.35 ]]></title>
	<description><![CDATA[ <img class="embeddedimage nolisted" width="1000" height="662" src="https://yurutan.net/rekisou/images/20250330162357-admin.jpg" alt="20250330162357-admin.jpg"><br />
<q class="decorationQ" style="display:block;">根室市指定文化財（史跡）<br />
寛政の蜂起和人殉難墓碑<br />
<br />
　寛政元（一七八九）年五月、和人のアイヌ民族に対する脅迫や非道行為によって追い詰められた結果、国後島と現在の標津町、羅臼町付近のアイヌ民族が和人七十一人を殺害した。この出来事は、「クナシリ・メナシの戦い」と呼ばれ、最終的にノッカマップ（根室市牧の内）で戦いに関わったアイヌ民族三十七人が和人によって処刑された。<br />
　この墓碑は、殺害された和人七十一人の供養のために文化九（一八一二）年に作られたもので、明治四十五年、納沙布岬に近い珸瑤瑁の海中で発見されたという。現地で保存されていたが、昭和四十三年、国後島を臨むこの地に移設された。<br />
<br />
○表面<br />
　（梵字）横死七十一人之墓<br />
（意味）<br />
　不慮の死を遂げた七十一人の墓<br />
<br />
○裏面<br />
　寛政元年己酉夏五月此地凶悪蝦夷決黨爲賊事起乎不意士庶遇害者總七十一人也姓名記録別在官舎乎茲合葬建石<br />
（意味）<br />
　寛政元年五月に、この地方の凶悪なアイヌが集まり、突然反乱を起こした。偶然居合せた侍や漁民合計七十一人が殺された。その姓名の記録は役所にある。ここに合わせて供養しこの碑を建てる。<br />
<br />
○側面<br />
　文化九年歳在壬申四月建<br />
（意味）<br />
　文化九年四月に建てる<br />
<br />
　墓碑裏面には、和人の視点からアイヌ民族が不意に襲ってきたとあるが、和人が殺害された原因はアイヌ民族への非道行為が原因であり、石碑の内容と史実は異なる。<br />
<br />
指定年月日　昭和四十二年七月二十五日<br />
管理者　根室市教育委員会</q><br />
※訳文（意味）を原文の直下に移動させる編集を行っております。<br />
<br />
2016年に根室方面に行った際に立ち寄り撮影しました。<br />
たまたま前年2015年に、北海道博物館で開催された『夷酋列像』展を観覧したため、ここまで来たなら是非見ておこうと足を運んだものです。<br />
納沙布岬周辺の北方領土関連の施設や碑、モニュメントが建つ中にひっそりと存在します。<br />
<br />
処刑されたアイヌ側の慰霊碑なのかと思っていたら、この事件で犠牲になった和人の墓碑をここに設置したものとのこと。<br />
毎年9月には、ここより西側のノッカマップで「ノッカマップイチャルパ」というクナシリ・メナシの戦いの犠牲者（和人・アイヌ両者）を弔う慰霊祭が行われています。ノッカマップは、アイヌ側の37人が処刑された場所になります。<br />
<a class="url labeledlink" href="https://www.city.nemuro.hokkaido.jp/lifeinfo/kakuka/kyoikuiinkai/kyoikushiryokan/siryoukann/rekishinitsuite/tatakai/4719.html">1789年クナシリ・メナシの戦い（根室市ホームページ）</a> <br />
<br />
墓碑が海中から発見された理由は不明だそうですが、根室市によると、海上輸送の途中で船が難破し、海中に没したままだったのではないかとのこと。<br />
<a class="url labeledlink" href="https://www.city.nemuro.hokkaido.jp/lifeinfo/kakuka/kyoikuiinkai/kyoikushiryokan/siryoukann/shisekihyochu/6699.html">寛政の蜂起和人殉難墓碑（根室市ホームページ）</a> <br />
<br />
墓碑が作られたのが蜂起から23年後、それだけ経っても未だに和人側（直接虐待に関わっていない人も多数いるのでしょうが）が一方的な被害者としての認識だったというのと、アイヌ側に対する表現が露悪的なのが当時の和人側の認識だったという証明でもあるようにも感じます。<br />
<br />
併設の詳細な説明板がなければ誤解を招きかねないため、ちゃんと設置されているのは良いことだと思います。<br />
<br />
<a href="https://yurutan.net/rekisou/?tag=%e3%82%a2%e3%82%a4%e3%83%8c" class="taglink" title="アイヌ">#アイヌ</a>  -- Posted by shinozakitakato 〔1275文字〕 No.35 ]]></description>
	<link>https://yurutan.net/rekisou/?postid=35</link>
	<guid>https://yurutan.net/rekisou/?postid=35</guid>
	<category>travel</category>
	<pubDate>Sun, 30 Mar 2025 16:23:57 +0900</pubDate>
</item>
<!-- One Entry Data for RSS Feed -->
<item>
	<title><![CDATA[ ◆『六つの村を越えて髭をなびかせる者』 西條奈加　PHP研究… ]]></title>
	<description><![CDATA[ <span class="decorationC" style="color:#0099cc;"><b class="decorationB">◆『六つの村を越えて髭をなびかせる者』 西條奈加　PHP研究所　2022年</b></span><br />
<br />
著名な時代作家さんが書かれる最上徳内の小説です。中々取り上げられることのない人物を書いて下さるのはとても嬉しいです。作者の方、北海道出身だったのですね。<br />
<br />
この作品では主に、徳内が蝦夷地探索中に同行させたアイヌの少年フリゥーエンやアッケシの長イコトイら、また上司青島俊蔵らとの交流に焦点を当てています。クナシリ・メナシの戦いについても描かれますが、あくまで徳内の足跡と視点に沿っているため、乱の凄惨さ（目の当たりにはしていない）よりも、松前藩の差配の欠陥による飛騨屋商人の横暴と、それによりアイヌたちが置かれた不幸な境遇に心を痛める様子が重点的に書かれています。<br />
<br />
かなりの松前憎しで物語は展開していきます（まあそうなるでしょうが）。実際当時の松前の場所請負制等のアイヌ政策には色々思うところはありますが、一応注意したいのは、徳内はあくまでも幕府側の人間であり（後の時代の松浦武四郎などに関してもですが）、幕府側にも良かれ悪しかれ思惑あっての蝦夷地政策ではあったということを念頭に置く必要はあるかと思います。その辺りは当書の最後の方でも、幕府側の自分（徳内）たちが動くことが本当にアイヌのためになるのか、和語を覚えさせ農業を奨励することが、結局は彼ら独自の文化を捨てさせることになり和人寄りの同化政策になってしまうのではないかと思い悩む様も書かれていたりします。これは作者本人の煩悶でもあるのでしょうし、北海道の歴史を齧った者（和人）なら必ず突き当たる悩みなのではないでしょうか。そのようなのっぴきならない想いは、当時懸命に探索に回り当事者に触れた末端の役人にもあったのだろうと思います。<br />
<br />
（個人的にも昨今の開き直るような歴史修正（改竄）主義の同化政策正当化や、特にマイノリティ側がマジョリティ側に寄せる発言を聞くやいなやマジョリティ側がそれに甘えて正当化する風潮には疑問を持っています）<br />
<br />
特に田沼から松平へ変わる幕府政治に翻弄された結果の青島俊蔵の末路は、何度関連書籍を読んでも辛いものがあります。主要人物との交流と心情をきっちり表現されている中、特に青島と徳内との関係性が、理想的な上司と部下の温かみのあるものに描かれているので、尚更です（『風雲児たち』の仲良しこよし関係を彷彿とさせる）。情のある者が理不尽に追いやられるのは、今の世も変わらないような気がします。<br />
<br />
現地に赴くことで血の通った声が聞けるものの、どこまで情をかけるべきなのかという匙加減、またある意味では間者として見られるという意識の狭間でどう動くべきかというスリリングな展開も見られます。<br />
<br />
当書に書かれているのは蝦夷地渡海3回目までで、実際はこの先も徳内の北方探索はまだまだ続くのですが、この人物を物語として切り取って編集、構成するには功績が多すぎてやはり難しそうです。エピソードが度々前後したりと進行を把握するのに少々手間取ることがありましたが、それぞれの人物がいい味を出していて良かったです。イタクニップやフルウ、イコトイ、ツキノエ、シラヌカの馬吉さん、上役の山口鉄五郎、音羽塾の鈴木彦助、小人目付の常磐屋笠原などなど、また松前藩の浅利も小憎たらしい悪人として味わい深かった（笑）キャラ立ちしている人物とのやりとりはやはり面白く読み進めることが出来ました。<br />
<br />
そして徳内の容貌を「里芋に黒豆を張りつけたような」というのには妙に納得してしまいました。肖像画もそうですがやはり『風雲児たち』が目に浮かぶ…<br />
<br />
<a href="https://yurutan.net/rekisou/?tag=%e6%9c%80%e4%b8%8a%e5%be%b3%e5%86%85" class="taglink" title="最上徳内">#最上徳内</a> <a href="https://yurutan.net/rekisou/?tag=%e3%82%a2%e3%82%a4%e3%83%8c" class="taglink" title="アイヌ">#アイヌ</a> <br />
 -- Posted by shinozakitakato 〔1494文字〕 No.34 ]]></description>
	<link>https://yurutan.net/rekisou/?postid=34</link>
	<guid>https://yurutan.net/rekisou/?postid=34</guid>
	<category>review</category>
	<pubDate>Fri, 28 Mar 2025 02:47:13 +0900</pubDate>
</item>
<!-- One Entry Data for RSS Feed -->
<item>
	<title><![CDATA[ ◆『北冥の白虹（オーロラ）』 乾浩　新人物往来社　2003年 ]]></title>
	<description><![CDATA[ <span class="decorationC" style="color:#0099cc;"><b class="decorationB">◆『北冥の白虹（オーロラ）』 乾浩　新人物往来社　2003年</b></span><br />
<br />
最上徳内の全生涯について描かれた小説です。とはいえ、やはり業績が豊富なので、晩年のシーボルトとの交流などは大まかに駆け足になってしまっていますが、9度の蝦夷地渡海をメインに、資料に基づいてみっちり描かれています。蝦夷地探査に関わった人物はこの時代にも沢山いて、まあ山のように役職や人名が出てきます。ある程度、ロシアの南下政策や寛政蝦夷蜂起（クナシリ・メナシの戦い）などの予備知識を入れておかないと、スムーズに読み進めることは難しいかもしれませんが、巻末に参考資料一覧があり、淡々とした史実の記録の中にも冒険譚的に人物を活写しようという意欲が感じられる作品になっています。<br />
<br />
とても唸らされたのは、近藤重蔵に対する心情なのですが、役目に燃えるあまり脱落した部下を置いてさっさと先へ進んでしまう近藤はその傲慢さもあって周りからの評判が良くなかったものの、徳内にはそのような悪口を叩く部下たちの意識が低く見え、むしろ自分が近藤を支えなければとの意欲に燃えたというのがかなり印象的でした。松前藩の圧政に虐げられるアイヌたちには情を寄せる徳内でも、武士の身分に甘んじながら、理不尽とはいえ上役に不平不満を垂れる部下たちの姿は見苦しいものだったというのになるほどなと思ったら、その後の探索では自分の上役になる松平忠明とやりあったりと、おやおや？となる場面もあるのですが、一貫しているのは、アイヌに対する上役の対応の良し悪しの部分なのかなと。近藤は「大日本恵登呂府」の標柱に、和人のみならずアイヌ従者の名（和名に改名されてはいたが）も書き入れ、自分に付いてきた者は区別なく証人として取り上げたというのは近藤の業績の中でも有名な話です（もっとも、当初はアイヌ従者の間でも強引な近藤に不満を持っており、そこを徳内が近藤を取りなしつつ隊の調和を図っていたといわれている）。<br />
<br />
ちなみに近藤に置いていかれた部下の一人が村上島之允なのですが、徳内の村上に対する同情の念もなるほどな、と思いました。絶対村上は近藤のことが嫌いだろうと思っている自分の次元が低く恥ずかしいです…（苦笑）考え改めるべきか<br />
<br />
作者の近藤に対する思い入れが強いのか、好意的に書かれているのが興味深いのですが、同じ作者の小説で近藤を主人公にしたものがあり、以前読んで面白かったのでいずれ再読して紹介しようと思います。<br />
<br />
北辺の択捉島やウルップ島の自然の豊かさに一個人として感激しつつも、ロシアや諸外国の手が伸びる前にいち早く開発するべきという役人としての使命感の狭間で懊悩する様子も度々描かれ、そうだよそういうことなんだよなと。資源開発と自然保護は相性がとことん悪い。<br />
国か、人々の生活か、環境か…イジュヨとのエピソードにしろ、世の中の様々な課題が包括されている作品にも感じられました。<br />
<br />
<a href="https://yurutan.net/rekisou/?tag=%e6%9c%80%e4%b8%8a%e5%be%b3%e5%86%85" class="taglink" title="最上徳内">#最上徳内</a> <a href="https://yurutan.net/rekisou/?tag=%e8%bf%91%e8%97%a4%e9%87%8d%e8%94%b5" class="taglink" title="近藤重蔵">#近藤重蔵</a> &nbsp; -- Posted by shinozakitakato 〔1213文字〕 No.33 ]]></description>
	<link>https://yurutan.net/rekisou/?postid=33</link>
	<guid>https://yurutan.net/rekisou/?postid=33</guid>
	<category>review</category>
	<pubDate>Fri, 07 Mar 2025 02:07:22 +0900</pubDate>
</item>
<!-- One Entry Data for RSS Feed -->
<item>
	<title><![CDATA[ 室蘭市本輪西の「伊能橋」。 ]]></title>
	<description><![CDATA[ <img class="embeddedimage " width="1000" height="662" src="https://yurutan.net/rekisou/images/20250228011557-admin.jpg" alt="20250228011557-admin.jpg">室蘭市本輪西の「伊能橋」。<br />
伊能忠敬が蝦夷地測量の時、この本輪西川を渡ったことから名付けられたそうです。<br />
<br />
室蘭市史に記載されている伝承だそうですが、測量ルートや元々の橋の位置、橋の名称の歴史など近年の研究により、疑わしいとの話も上がっているようで。研究が進んでいることの証なのでしょうね。<br />
<br />
<img class="embeddedimage " width="1000" height="662" src="https://yurutan.net/rekisou/images/202502280115571-admin.jpg" alt="202502280115571-admin.jpg">古くからの街の片隅の風景は味わいがある。川と桜の風景は個人的に大好物です。<br />
<br />
<img class="embeddedimage " width="1000" height="662" src="https://yurutan.net/rekisou/images/202502280115572-admin.jpg" alt="202502280115572-admin.jpg">掲示されている案内板。文字が見えづらいのは反射ではなく、何故か本当に消えていた。<br />
訪問は2019年。落書きなのか、色褪せなのか…<br />
Googleマップで確認すると、2023年時点では修復されているようですが。<br />
<br />
<q class="decorationQ" style="display:block;">　その昔、伊能忠敬がここを渡ったので命名されたといわれている。<br />
　五十歳をすぎてから日本全国を測量して歩いた伊能忠敬は蝦夷地の測量のため簡単な測量機械を持って助手など五人とともに江戸を出発した。<br />
　寛政十二年(一八OO)六月、室蘭に到着し、陸地の測量を行いながら東へ向かうこととなり、このとき小学校の沢道を通り、現神社下の道を八丁平へ向うため、本輪西川を渡ったとされている。<br />
　室蘭市</q><br />
余談ですが、「小学校の沢道を通り」とあるのは、本輪西川沿いにあった旧本輪西小学校のことでしょうか。明治の時代の開校ですが2016年に閉校となり、今はソーラーパネルが立ち並ぶ土地となっています。<br />
2014年にドライブで近辺に立ち寄った時には、まだ現役の校舎を確認していたのですが、それから程なくして閉校の話を聞いたので、寂しさと共に時代の流れを感じます。<br />
<br />
<img class="embeddedimage " width="1000" height="662" src="https://yurutan.net/rekisou/images/202502280115573-admin.jpg" alt="202502280115573-admin.jpg">すぐそばのバス停。由来の信憑性はともかく、史跡的な名前のバス停はなかなかグッと来ます…<br />
<br />
<a href="https://yurutan.net/rekisou/?tag=%e4%bc%8a%e8%83%bd%e5%bf%a0%e6%95%ac" class="taglink" title="伊能忠敬">#伊能忠敬</a>  -- Posted by shinozakitakato 〔713文字〕 No.32 ]]></description>
	<link>https://yurutan.net/rekisou/?postid=32</link>
	<guid>https://yurutan.net/rekisou/?postid=32</guid>
	<category>travel</category>
	<pubDate>Fri, 28 Feb 2025 01:17:03 +0900</pubDate>
</item>
<!-- One Entry Data for RSS Feed -->
<item>
	<title><![CDATA[ No.31 ]]></title>
	<description><![CDATA[ <img class="embeddedimage nolisted" width="750" height="1000" src="https://yurutan.net/rekisou/images/20250223230346-admin.jpg" alt="20250223230346-admin.jpg"><br />
<a href="https://yurutan.net/rekisou/?postid=29" class="postidlink">&gt;&gt;29</a>の漫画に描いた小幌海岸です。礼文華山道の代替として険しい地形だとわかってくださればと。<br />
実際山道（旧国道と共に江戸期からの古道も残っています）に行って取材したいですね…この海岸より少し内陸側に通された道なので、この風景とはまた違う眺めになるかと思います。<br />
昨今はクマの出没が怖くて、以前はよく行っていたこのような場所ですら行く気になれません。いつかいつか…<br />
<br />
ここは秘境駅として有名な小幌駅の近くになります。2015年に訪問しました。少し海側へ分け入<del class="decorationD">ると、文太郎浜という海岸へ降りる急勾配の階段があり、その</del><b class="decorationB">った</b>近辺で撮影しています。駅へは現国道脇から入って踏み跡を辿って訪問したため体力が消耗していたので、海岸には降りていません。<br />
ちなみにこの時は円空仏が納められている岩屋観音の洞窟海岸の方に立ち寄りました。<br />
<br />
<small class="decorationS">訂正（2025.6.19）：写真に見える浜は美利加（ぴりか）浜といい、文太郎浜はこの地点の背後、駅から緩やかな勾配を降りた場所にあります。</small><br />
<br />
この礼文華の海岸は、伊能も間宮も測量出来ていないほどの難所です。伊能は礼文華山道を通ったので海岸は未測量、その後の間宮の測量でも難所と言われる海岸は測量できず、ここ礼文華も未測量地の一つです。伊能の測量日記では礼文華を「霧深海辺三里ほど行て新道峠にかかる大難所なり」と記しています。<br />
礼文華山道に関しては後に松浦武四郎やイザベラ・バードも通行していることで有名ですね。<br />
<br />
そういうのを知ると、探索したくなってしまいますな…<br />
<br />
<a href="https://yurutan.net/rekisou/?tag=%e4%bc%8a%e8%83%bd%e5%bf%a0%e6%95%ac" class="taglink" title="伊能忠敬">#伊能忠敬</a> -- Posted by shinozakitakato 〔651文字〕 No.31 ]]></description>
	<link>https://yurutan.net/rekisou/?postid=31</link>
	<guid>https://yurutan.net/rekisou/?postid=31</guid>
	<category>travel</category>
	<pubDate>Sun, 23 Feb 2025 23:03:46 +0900</pubDate>
</item>
<!-- One Entry Data for RSS Feed -->
<item>
	<title><![CDATA[ ◆『猛き黄金の国 伊能忠敬』上下巻 本宮ひろ志　集英社 ヤン… ]]></title>
	<description><![CDATA[ <span class="decorationC" style="color:#0099cc;"><b class="decorationB">◆『猛き黄金の国 伊能忠敬』上下巻 本宮ひろ志　集英社 ヤングジャンプコミックスGJ　2021年</b></span><br />
<br />
あの本宮先生が伊能忠敬を描くのか…それは熱いな！と思いつつ読了。よく考えたら『サラリーマン金太郎』をはじめ働く人にスポットを当てた名作が多いので、地道に働き続けた伊能の生涯を描くにはもってこいだろうなとちょっと納得しました。絵もずっしり安定感とコマ割りや台詞もハイテンションながらもテンポがあって、やっぱりプロ作家さんの作品は感情移入しやすく面白い。<br />
※『猛き黄金の国』では岩崎弥太郎の生涯を描いており、以降はこのタイトルを冠し時代を問わず日本の偉人を描くシリーズものとなっています。<br />
<br />
しかし伊能の全生涯をこの上下巻（約400ページ）で描ききるのは至難の業…上巻と下巻の半分くらいまでは若き日の商人としての活躍が描かれ、あとの残りでやっと天文方に弟子入り、測量地図作りがぐっと凝縮して描かれています。漫画なので演出などの脚色もあるにはあるものの、エンタメとして見れば致し方なしですね。例えば間宮林蔵の伊能への師事と蝦夷地測量、樺太行きの時系列は全く逆です、実際は樺太が先。あとミチさんとの新婚当時の関係性は以前の伝承を踏襲しているのかな、とか。<br />
描き手の訴えたいことは何となく分かるので、それを前面に出すために必要だったのかもな、と思うことにします。<br />
<br />
個人的には、息子の秀蔵との関係性が良好に描かれていてほっこりしました。実際は第六次測量まで助手として同行しながら途中で帰され、最終的に破門されています。後継ぎの景敬と比べると冷淡な扱いだったらしく…また娘のイネさんの勘当も描かれておらずその辺りは平和な伊能家でした。<br />
忠敬という人は、身内に対してもかなり厳格で気難しく、今で言う結構なパワハラモラハラ気質だったのはまあ有名です。それくらいでなければ大事は成し遂げられないというのも理解は出来ますが。<br />
それらのプライベートも描き出したらもういくらページがあっても足りませんね…！<br />
<br />
間宮の描かれ方にやっぱり笑ってしまう、絶対上品に描かれることのない人だな。<br />
あと高橋至時先生がメガネ君なのはちょっとかわいい（笑・思わず自分も影響受けてしまった）<br />
<br />
学習漫画とかもそうですが、こういう歴史系の人物漫画を描かれる方はプロアマ問わず尊敬しますね。<br />
当時の服装とか、背景とかさあ…！！（色々敵わないことを悟った叫び）<br />
<br />
<a href="https://yurutan.net/rekisou/?tag=%e4%bc%8a%e8%83%bd%e5%bf%a0%e6%95%ac" class="taglink" title="伊能忠敬">#伊能忠敬</a>  -- Posted by shinozakitakato 〔1014文字〕 No.30 ]]></description>
	<link>https://yurutan.net/rekisou/?postid=30</link>
	<guid>https://yurutan.net/rekisou/?postid=30</guid>
	<category>review</category>
	<pubDate>Sun, 23 Feb 2025 17:56:18 +0900</pubDate>
</item>
<!-- One Entry Data for RSS Feed -->
<item>
	<title><![CDATA[ ◆伊能忠敬の第一次測量、東蝦夷地の行程エピソード ]]></title>
	<description><![CDATA[ ◆伊能忠敬の第一次測量、東蝦夷地の行程エピソード<br />
<br />
<img class="embeddedimage " width="707" height="1000" src="https://yurutan.net/rekisou/images/20250222022846-admin.jpg" alt="20250222022846-admin.jpg"><br />
<br />
<img class="embeddedimage " width="705" height="1000" src="https://yurutan.net/rekisou/images/202502220228461-admin.jpg" alt="202502220228461-admin.jpg"><br />
<br />
松田さん家にも宿泊されていたというのを測量日記を見返して初めて知りました。<br />
日記には泊まった場所と家主の名前が記されていて、念の為松田伝十郎関係の本も確認したら、この当時エトモ（室蘭・絵鞆方面）に在勤していたらしく、そして当時は仁三郎を名乗っていたので、これは間宮と樺太に同行したあの松田さんでしょう、と。<br />
意外な繋がり（もっとも、伊能と松田が会ったのはこれきりのように思いますが）があって面白い。<br />
<br />
<a href="https://yurutan.net/rekisou/?tag=%e4%bc%8a%e8%83%bd%e5%bf%a0%e6%95%ac" class="taglink" title="伊能忠敬">#伊能忠敬</a> <a href="https://yurutan.net/rekisou/?tag=%e6%9d%be%e7%94%b0%e4%bc%9d%e5%8d%81%e9%83%8e" class="taglink" title="松田伝十郎">#松田伝十郎</a>  -- Posted by shinozakitakato 〔244文字〕 No.29 ]]></description>
	<link>https://yurutan.net/rekisou/?postid=29</link>
	<guid>https://yurutan.net/rekisou/?postid=29</guid>
	<category>comic</category>
	<pubDate>Sat, 22 Feb 2025 02:31:33 +0900</pubDate>
</item>
<!-- One Entry Data for RSS Feed -->
<item>
	<title><![CDATA[ No.28 ]]></title>
	<description><![CDATA[ <img class="embeddedimage nolisted" width="3024" height="3024" src="https://yurutan.net/rekisou/images/20250213034914-admin.jpg" alt="20250213034914-admin.jpg"><br />
ショート漫画を描き始めてますが、プレゼンぽいものなので説明文が長くなりがちです。<br />
ネームの段階で手書きで字を入れると、整わなくて紙面を字で埋め尽くすことになりかねないので、基本デジタルで文字入れしてます。<br />
それでもそこそこ描き込まないと進まないネーム…あとで大幅に手直しになったらどうするのだろうね（笑）<br />
デジ絵はそういうときまあ対応しやすいと思うので、文明の利器の使い勝手に期待！<br />
<br />
当初モノクロで描こうと思っていたけど、作りたい本がカラーイラストも載せたいので、となると本文フルカラー印刷になるため、いっそ全カラーでとなってます。どっちが楽なのかな…<br />
<br />
いつか普通にモノクロでストーリー漫画も描きたいな…<br />
<br />
 -- Posted by shinozakitakato 〔307文字〕 No.28 ]]></description>
	<link>https://yurutan.net/rekisou/?postid=28</link>
	<guid>https://yurutan.net/rekisou/?postid=28</guid>
	<category>zatudan</category>
	<pubDate>Thu, 13 Feb 2025 03:49:14 +0900</pubDate>
</item>
<!-- One Entry Data for RSS Feed -->
<item>
	<title><![CDATA[ ◆人物叢書『最上徳内』（新装版） 島谷良吉　吉川弘文館 平成… ]]></title>
	<description><![CDATA[ <span class="decorationC" style="color:#0099cc;"><b class="decorationB">◆人物叢書『最上徳内』（新装版） 島谷良吉　吉川弘文館 平成元年（原版は昭和52年発行）</b></span><br />
<br />
人物にスポットを当てて知りたい場合はやはり人物叢書シリーズが良いのでしょうね。<br />
徳内さん関連を復習して再読したので、上げておきます。<br />
<br />
初読からは大分経つのですが、吉村昭の『間宮林蔵』<a href="https://yurutan.net/rekisou/?postid=22" class="postidlink">&gt;&gt;22</a>では、気難しい大先輩のように書かれていたものの、かなりの北方のエキスパートでもあったということなら是非知っておきたい人物だと思い、こちらを手に取りました。同時期に読んでいたみなもと太郎『風雲児たち』でも最上徳内がクローズアップされており業績は大まかに把握していたこともあって、本書も研究書でも結構面白くて一気に読了した記憶があります。<br />
<br />
先日年表を作りながら再読したのですが、著者の熱意が感じられる筆致で、研究書としては血が通っておりまた興味深く読みました。著者は徳内さんの妻おふでさん側の島谷家の縁者の方らしく（そもそも徳内とおふではそれぞれ祖父・曽祖父が兄弟という親戚関係）、それ故の敬愛の念も感じられます。<br />
<br />
本文内容の徳内の業績については、このブログでも度々記したので割愛します。<br />
<br />
一つこれはえぐいなと思ったのが、遠山景晋に付いて蝦夷地巡見した際に江差の神社に松前章広が奉納した「降福孔夷」の額を「降福紅夷」と読み（くずし字だったためそうとも読めた）、松前藩がロシア側に傾いていると解釈して問題視した件は思わず「国家安康かよ！」と叫びたくなりました（笑）。遠山は、それは詩経の一句だからこじつけは良くないと諌めたものの、結果俎上に上がってこれが松前上地（蝦夷地全域の幕府直轄）の決め手になったというのは、中々の策士振りだなあと。<br />
松前藩のアイヌに対する差配や対露警備もろくになってなかったため、常に上地の機会を幕府側に窺われていたということなのでしょうが。ここに清い人情家というばかりではない徳内の姿が垣間見られてそこも興味深くもあります。それならシーボルトに地図を渡した件も本心はわからないわけで…<br />
<br />
この精力的な行動を見ていると、本当は樺太の北部にも行きたかったんだろうな、なんなら島か半島かも自分が見極めたかったんだろうなと思ったりします。間宮などの若手にちょっと嫉妬する黒徳内さんもいたのかもとか。それはそれでなんだか人間臭くていいな。<br />
<br />
<a href="https://yurutan.net/rekisou/?tag=%e6%9c%80%e4%b8%8a%e5%be%b3%e5%86%85" class="taglink" title="最上徳内">#最上徳内</a>  -- Posted by shinozakitakato 〔977文字〕 No.26 ]]></description>
	<link>https://yurutan.net/rekisou/?postid=26</link>
	<guid>https://yurutan.net/rekisou/?postid=26</guid>
	<category>review</category>
	<pubDate>Fri, 31 Jan 2025 04:36:41 +0900</pubDate>
</item>
<!-- One Entry Data for RSS Feed -->
<item>
	<title><![CDATA[ ◆『伊能忠敬と間宮林蔵の業績』中島武久　ブイツーソリューショ… ]]></title>
	<description><![CDATA[ <span class="decorationC" style="color:#0099cc;"><b class="decorationB">◆『伊能忠敬と間宮林蔵の業績』中島武久　ブイツーソリューション／星雲社 2022年</b></span><br />
<br />
最近欲しい本をチェックしていた時に目に入った本。伊能・間宮関係で新しく発行された本だったので、どのような感じなのか試しに購入してみたものです。研究本というよりはこれらの人物に感銘を受けて執筆したプレゼン本といったところでしょうか。文だけの構成には珍しく横書きのレイアウトです。<br />
<br />
間宮の項に関しては、参考書籍が吉村昭の小説<a href="https://yurutan.net/rekisou/?postid=22" class="postidlink">&gt;&gt;22</a>になっているので、そちらを読了しているなら特に真新しい情報はありません。というか、著者なりに編成はされてはいるものの若干言い回しを変えている程度のほぼ引用なので、著作権的にどうなのか謎…ちょうど樺太探検の部分をチョイスしているのは、著者が戦前のお生まれだからというのもあるのでしょうか（私も樺太探検の部分は好きですが）。<br />
<br />
伊能の項には興味深いものもあって、佐原時代の旗本津田氏との関係や、永沢家との駆け引きなど、面白く読ませてもらいました。ただ私が関係書籍をそれほど読んでいない故なのだろうと思うので、やはり以前に出版された伊能関係の名著に当たるべきかなと。そういうきっかけをくれる種の本かもしれません。<br />
<br />
これは、著者というより出版社や発行元への苦言なのですが、誤字が異様に多いのはさすがに辟易しました…１〜２ヵ所程度ならあるあるですが、読み進める度にそこで引っ掛かり、雰囲気も壊してしまっているように感じます。同一人名が次では違う字で表記揺れしていたり、図合船を合図船と誤記（最後までずっとこの表記だった）していたりで、もしや自分が知らないだけでそういう呼びもあるのかと調べ直したりと、余計な作業で読むのを中断させられるのはちょっと…（年末年始に頭抱えながら読んでいた<a href="https://yurutan.net/rekisou/?postid=21" class="postidlink">&gt;&gt;21</a>のはこれです）校正、されてます？？<br />
<br />
同人誌ならともかく、仮にも出版社で発行・販売しているならちゃんと校正入れてほしい。<br />
（出版社名で調べてみると、なんとなく察しな感じではありましたが…本を出版したいという人が相当数いるのはわかるけど、出すからにはちゃんと整えてやってよ）<br />
<br />
昨今の商業出版事情も垣間見えてしまって、微妙な気持ちになっています。<br />
<br />
<a href="https://yurutan.net/rekisou/?tag=%e4%bc%8a%e8%83%bd%e5%bf%a0%e6%95%ac" class="taglink" title="伊能忠敬">#伊能忠敬</a> <a href="https://yurutan.net/rekisou/?tag=%e9%96%93%e5%ae%ae%e6%9e%97%e8%94%b5" class="taglink" title="間宮林蔵">#間宮林蔵</a>  -- Posted by shinozakitakato 〔935文字〕 No.25 ]]></description>
	<link>https://yurutan.net/rekisou/?postid=25</link>
	<guid>https://yurutan.net/rekisou/?postid=25</guid>
	<category>review</category>
	<pubDate>Thu, 30 Jan 2025 03:04:09 +0900</pubDate>
</item>
<!-- One Entry Data for RSS Feed -->
<item>
	<title><![CDATA[ ◆日本史リブレット人057『伊能忠敬』星埜由尚 山川出版社 … ]]></title>
	<description><![CDATA[ <span class="decorationC" style="color:#0099cc;"><b class="decorationB">◆日本史リブレット人057『伊能忠敬』星埜由尚 山川出版社 2010年</b></span><br />
<br />
伊能忠敬についての本、有名すぎる人物のせいか未だに何を読むべきかがわかっていません。<br />
童門冬二の本<a href="https://yurutan.net/rekisou/?postid=41" class="postidlink">&gt;&gt;41</a>や、大谷亮吉、保柳睦美ほか各先生方の研究本もあるのは知っているのですが。<br />
ネット上に伊能研究会のサイトもあり、会報誌などの内容も公開されているため、最新の情報が掴めるのでそちらにガッツリとお世話になりっぱなしで来てしまった感があり、なんだか申し訳なさもあったりします（非会員です…）。<br />
<br />
著者は伊能研究会に携わっている方なので、信用出来る良い本だと思います。<br />
手始めに知りたいというならば、個人的にも日本史リブレットシリーズはとても重宝しています。<br />
文章の中に出てくる人物や事象の解説が上部にあり、わかりやすいです。<br />
<br />
不明点にぶつかった時に、研究会のサイトと共に折に触れて参考書的に引かせてもらっている本です。<br />
<br />
<br />
<br />
余談ですがそういえば、小説『四千万歩の男』も読みたいと思いつつもすっかり購入を忘れていた…<br />
伊能忠敬に関しては、史実に基づいた学習（研究）本が読みたかったので、所詮フィクションだろうからと、後回しにしていたので。<br />
しばらく積読になるだろうけど、そろそろ購入しておこうかな…<br />
<br />
<a href="https://yurutan.net/rekisou/?tag=%e4%bc%8a%e8%83%bd%e5%bf%a0%e6%95%ac" class="taglink" title="伊能忠敬">#伊能忠敬</a>  -- Posted by shinozakitakato 〔544文字〕 No.24 ]]></description>
	<link>https://yurutan.net/rekisou/?postid=24</link>
	<guid>https://yurutan.net/rekisou/?postid=24</guid>
	<category>review</category>
	<pubDate>Wed, 29 Jan 2025 04:06:49 +0900</pubDate>
</item>
<!-- One Entry Data for RSS Feed -->
<item>
	<title><![CDATA[ No.23 ]]></title>
	<description><![CDATA[ <img class="embeddedimage " width="707" height="1000" src="https://yurutan.net/rekisou/images/20250127033558-admin.jpg" alt="20250127033558-admin.jpg"><br />
<br />
徳内さん。やっぱり印象深いのはイジュヨとのすれ違いですかね…<br />
エトロフ島調査で出会ったロシア人イジュヨらに退去を促しつつも、ロシア語を教わったり互いの国情を交換したりと、友情も深めていくものの、その数年後に再度エトロフ島へ向かうも、到着した2日前にイジュヨは既に島を退去しており、すれ違いに。<br />
一説には、イジュヨらは、エトロフに向かって来ているのが徳内ではなく他の役人だと思い込み慌てて退去したとも言われており、またこの間に徳内さんも普請役に昇進したために以前より自由に動けず、後を追うのが遅れたという事情もあるらしく。<br />
<br />
徳内さんが握りしめているのは、イジュヨからもらったパスポートです。<br />
エトロフからウルップ、更にその先カムチャッカまで、広い世界への関心を持つ徳内さんに、ロシア側に捕まってもこれがあれば大丈夫と渡してくれたもの。これがあればどこへでも行けると、『風雲児たち』でも描かれたシーンは印象的です。<br />
<br />
花はチシマザクラ。鳥は、善知鳥（ウトウ）といいます。北海道の離島や北方領土方面に多く生息しているのですが、この剥製を持ち帰って堀田老中へ贈り、他文化人の関心を引いたりもしていた模様。<br />
地図は彼の報告書『蝦夷国風俗人情之沙汰付図』を参考に、エゾからカラフト、クナシリ、エトロフ方面になります。<br />
<br />
イジュヨとの出会いからエトロフ再渡島までの間にも、松前藩に追い出されたり、自身の婚姻や、上司の青島に連座し投獄され（これは理不尽案件ですが）、妻が江戸まで追いかけてくるなどなど、波乱とエピソードも豊富な御仁です。全生涯で9度、蝦夷地に渡島して調査し、その後も八王子で製蠟の指導や論語の再編等の執筆活動も精力的にこなすなど、この方の辞書に休息などという言葉はあったのだろうかという活動ぶり。晩年は平田篤胤と深い交流があったようです。<br />
<br />
シーボルトに間宮の地図を渡したのも彼…25年間の出版禁止の約束を取り付けた（それを守ったシーボルトも誠実）のは賢明だなぁと。<br />
<br />
復習で色々読み返しましたが、改めてなかなか面白かったです。<br />
<br />
<a href="https://yurutan.net/rekisou/?tag=%e6%9c%80%e4%b8%8a%e5%be%b3%e5%86%85" class="taglink" title="最上徳内">#最上徳内</a>  -- Posted by shinozakitakato 〔875文字〕 No.23 ]]></description>
	<link>https://yurutan.net/rekisou/?postid=23</link>
	<guid>https://yurutan.net/rekisou/?postid=23</guid>
	<category>illust</category>
	<pubDate>Mon, 27 Jan 2025 23:58:26 +0900</pubDate>
</item>
<!-- One Entry Data for RSS Feed -->
<item>
	<title><![CDATA[ そろそろ、このカテゴリを始動させるべきかなと。関連本のレビュ… ]]></title>
	<description><![CDATA[ そろそろ、このカテゴリを始動させるべきかなと。関連本のレビュー的なものをいつかやりたいと思ってました。<br />
小説などの創作作品から研究本まで、ぼちぼち上げていきます。<br />
<br />
<br />
<span class="decorationC" style="color:#0099cc;"><b class="decorationB">◆新装版『間宮林蔵』吉村昭　講談社 2011年（原版は1987年発行）</b></span><br />
<br />
やはり最初に挙げるのはこちらでしょうか。小説ですが、資料に忠実に基づいた作品です。<br />
2015年に初読し、これで江戸期の蝦夷地探検家に興味を持ち始めたのでした。<br />
<br />
お前の歴史創作と北方探検家って何なのよ？と聞かれたら、とりあえずこれを読め！と叩きつけるでしょう。私自身がここから始まっていますので。<br />
分かち合えたら僕と握手！合わなければごきげんよう！（やけっぱち）<br />
<br />
予てから北海道の歴史に関心はあったため、その流れで『熊嵐』『赤い人』などいくつか読んでおり、吉村作品にハマりつつあったので他にも読みたくて『高熱隧道』（これは北海道の話ではないが）を書店で探したものの見当たらず、代わりに目に飛び込んできたのがこれでした。間宮って海峡の？樺太探険だっけ？時代はいつ（明治あたりだと思ってた）？なんなら間宮海峡の位置もよくわからない（宗谷海峡の別名だと思ってた）というくらい、それまでは本当に無知だった自分がもはや懐かしい…というか恥ずかしい（笑笑）<br />
戦前の教育では偉人のカテゴリーに入っていたようですが、自分の年代ではすでに学校では習っていなかったので（教育方針や地域性もあるのかもしれない）、仕方ないといえば仕方ない。北海道とは関係ないかもしれないけど、お勉強として読んでおこうくらいの気持ちで手に取ったものです。<br />
<br />
それが、予想に反して、とても面白かった。探検（冒険）モノだからというのもあるけれど、ロシアとの緊張、異民族の生活、世界情勢等、当時の時代背景からがっつりと、本当に勉強になった。人物の一代記なのである程度順を追っていてわかりやすく、この作家特有の淡々とした筆致が逆に場面や心情の人間臭い生々しさを描き出していて、思わず物語に没入してしまいました。巻頭に間宮の樺太図の写しがあるので、これを見ながら読み進めると距離感や位置がわかって良いです。北海道各地にも植林や測量などで関わっているためガッツリ縁はあります。<br />
<br />
もちろん、樺太や北方領土の歴史はこれ以前にも以後にもあり、関わった人物もまだまだ多くいるので間宮の活躍がすべてではありません。<br />
<br />
<br />
それにしても、間宮本人のアクの強さよ…！文化露寇のフヴォストフ事件に巻き込まれるところから物語が始まるのですが、周りが撤退を決める中、自分は交戦を主張したという証文を書けと上司に迫ったり（それ、あの時代でありなの！？）、樺太探検で同行した松田伝十郎に、もう一度海峡の見える場所まで連れて行けとせがんだり、ゴローニンとバチバチやり合ったり…上司や外国人にも堂々と立ち向かう姿は印象的（史実です）。ただそれらの言動も心情的には理解できるので、作家の表現の巧みさもあるのかもしれない。<br />
ここでは全体的に間宮は人間臭くも真面目なキャラとして描かれているので、感情移入しやすくハマる要素はあるのだろう。<br />
伊能忠敬とは師弟関係だったというのもこれで知って、すごく意外…！と驚いたり。<br />
<br />
奉行所からの処分を待つ心情や、異民族からの襲撃、探検中の凍傷や野に分け入る描写は、もうそれだけでこちらも胃が痛むほど。特に野に入る場面の表現、「糠蚊の群れに包まれる」は、『赤い人』でも同じような表現があったと記憶しているけれど、これは実際にそういう経験をしなければ書けない表現なので、信用に値します。そう、ヤブ蚊には、襲われるのではなく、包まれるのです…（経験あり）<br />
<br />
協力を仰ぎ（報酬は一応あっただろうが）、同行したアイヌの人々の労苦、異域の生活や風俗、交易の生き生き（殺伐と？）した姿も一読に値します。<br />
<br />
シーボルトとは面識がなかった前提で書かれていますが、後の研究では会っていたことが判明しているため、このあたりはあくまで創作として見る必要はあるでしょう。<br />
<br />
白状すれば、自分も、読み始めた時は幕府の役職（時代劇なども詳しくないので聞き慣れなかった）や時代背景などの理解が難しく、10ページくらい読んで1ヶ月程放置していたのですが（汗）、気を取り直して続きを読み出すと、樺太行きあたりから俄然面白くなってスラスラ読み進め、後半は暗雲が立ち込める展開に切なくなりつつも一気に読了しました。気がついたら相当この間宮に入れ込んでいて、しばらくは関連の本や情報を漁りまくっていたりと、まあハマりました。あれから10年経つんですね…<br />
<br />
もうこれってドラクエでは？江戸後期ロールプレイングの世界を堪能出来る1冊です（多分）。<br />
<br />
<a href="https://yurutan.net/rekisou/?tag=%e9%96%93%e5%ae%ae%e6%9e%97%e8%94%b5" class="taglink" title="間宮林蔵">#間宮林蔵</a>  -- Posted by shinozakitakato 〔1955文字〕 No.22 ]]></description>
	<link>https://yurutan.net/rekisou/?postid=22</link>
	<guid>https://yurutan.net/rekisou/?postid=22</guid>
	<category>review</category>
	<pubDate>Sat, 11 Jan 2025 04:07:11 +0900</pubDate>
</item>
<!-- One Entry Data for RSS Feed -->
<item>
	<title><![CDATA[ No.21 ]]></title>
	<description><![CDATA[ <img class="embeddedimage nolisted" width="1000" height="731" src="https://yurutan.net/rekisou/images/20250101173123-admin.jpg" alt="20250101173123-admin.jpg"><br />
あけましておめでとうございます。<br />
明けてしまいましたね、最近の1年はあっという間に感じます。<br />
こちら歴創ブログでのご挨拶になりますが、今年もよろしくお願いいたします。<br />
年表作りを継続していて、参考本の誤字や間違いの多さにキーキー言いながらの年越しでした。嫌な年越しだな…<br />
<br />
年賀状は既に出していないのでSNS向けにはと思いつつ、こんな状況なので今年は年賀絵もろくに描いていないのですが、過去に描いたものをこの機会にアップします。<br />
2021年のものですね…今のこちらのトップバナーの絵になります。雰囲気よいですね（自画自賛）。<br />
火鉢囲んで師弟が一同に会している画なんて創作でしかお目にかかれません（そもそも年代も違う）。その通りエゾの冬はこれでは凌げませんが…松前の人たちはあくまで和人の生活様式にこだわった？ようだけど、よくやってこれたな…<br />
<br />
右側の、犬の毛皮持ってる人は八九郎さんのつもりだったのですが、なんか怪しい毛皮商人っぽくて笑えます。<br />
極寒の地で身につける毛皮は、冬眠動物であるクマよりイヌの方がいい（撥水効果がある）という話もよく聞きますね、私は吉村昭の『間宮林蔵』で初めて知り、ほほう！となったものです。原典あったら紐解いてみたいな。<br />
<br />
松前藩士の今井八九郎（間宮の弟子）には、樺太調査の時に子グマを2頭ほど連れて湯たんぽ代わりに懐に入れて就寝し、子グマが成長してしまったときには〆てその毛皮を身につけたとかいうワイルドなエピソードが残っています。<br />
<br />
前の年代（蝦夷地第一次幕領期）の警備では、津軽藩や会津藩で多数の死者を出していることもあり、寒冷地での駐留はそれだけ大変な任務だったのだと思います。<br />
<br />
ゆるりとした冬を過ごせた時が彼らにもあったらいいなぁ。<br />
<br />
<a href="https://yurutan.net/rekisou/?tag=%e9%96%93%e5%ae%ae%e6%9e%97%e8%94%b5" class="taglink" title="間宮林蔵">#間宮林蔵</a> <a href="https://yurutan.net/rekisou/?tag=%e4%bc%8a%e8%83%bd%e5%bf%a0%e6%95%ac" class="taglink" title="伊能忠敬">#伊能忠敬</a> <a href="https://yurutan.net/rekisou/?tag=%e6%9d%91%e4%b8%8a%e5%b3%b6%e4%b9%8b%e5%85%81" class="taglink" title="村上島之允">#村上島之允</a> <a href="https://yurutan.net/rekisou/?tag=%e3%82%a2%e3%82%a4%e3%83%8c" class="taglink" title="アイヌ">#アイヌ</a> <a href="https://yurutan.net/rekisou/?tag=%e6%9d%91%e4%b8%8a%e8%b2%9e%e5%8a%a9" class="taglink" title="村上貞助">#村上貞助</a> <a href="https://yurutan.net/rekisou/?tag=%e4%bb%8a%e4%ba%95%e5%85%ab%e4%b9%9d%e9%83%8e" class="taglink" title="今井八九郎">#今井八九郎</a>  -- Posted by shinozakitakato 〔776文字〕 No.21 ]]></description>
	<link>https://yurutan.net/rekisou/?postid=21</link>
	<guid>https://yurutan.net/rekisou/?postid=21</guid>
	<category>illust</category>
	<pubDate>Wed, 01 Jan 2025 17:31:23 +0900</pubDate>
</item>

	<!-- END ENTRIES -->
</channel>
</rss>

