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江戸期の北方探検家で歴史創作。絵・漫画・設定・調べ物などゆるゆるっとな。


全年全月30日の投稿4件]

2025年3月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

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根室市指定文化財(史跡)
寛政の蜂起和人殉難墓碑

 寛政元(一七八九)年五月、和人のアイヌ民族に対する脅迫や非道行為によって追い詰められた結果、国後島と現在の標津町、羅臼町付近のアイヌ民族が和人七十一人を殺害した。この出来事は、「クナシリ・メナシの戦い」と呼ばれ、最終的にノッカマップ(根室市牧の内)で戦いに関わったアイヌ民族三十七人が和人によって処刑された。
 この墓碑は、殺害された和人七十一人の供養のために文化九(一八一二)年に作られたもので、明治四十五年、納沙布岬に近い珸瑤瑁の海中で発見されたという。現地で保存されていたが、昭和四十三年、国後島を臨むこの地に移設された。

○表面
 (梵字)横死七十一人之墓
(意味)
 不慮の死を遂げた七十一人の墓

○裏面
 寛政元年己酉夏五月此地凶悪蝦夷決黨爲賊事起乎不意士庶遇害者總七十一人也姓名記録別在官舎乎茲合葬建石
(意味)
 寛政元年五月に、この地方の凶悪なアイヌが集まり、突然反乱を起こした。偶然居合せた侍や漁民合計七十一人が殺された。その姓名の記録は役所にある。ここに合わせて供養しこの碑を建てる。

○側面
 文化九年歳在壬申四月建
(意味)
 文化九年四月に建てる

 墓碑裏面には、和人の視点からアイヌ民族が不意に襲ってきたとあるが、和人が殺害された原因はアイヌ民族への非道行為が原因であり、石碑の内容と史実は異なる。

指定年月日 昭和四十二年七月二十五日
管理者 根室市教育委員会

※訳文(意味)を原文の直下に移動させる編集を行っております。

2016年に根室方面に行った際に立ち寄り撮影しました。
たまたま前年2015年に、北海道博物館で開催された『夷酋列像』展を観覧したため、ここまで来たなら是非見ておこうと足を運んだものです。
納沙布岬周辺の北方領土関連の施設や碑、モニュメントが建つ中にひっそりと存在します。

処刑されたアイヌ側の慰霊碑なのかと思っていたら、この事件で犠牲になった和人の墓碑をここに設置したものとのこと。
毎年9月には、ここより西側のノッカマップで「ノッカマップイチャルパ」というクナシリ・メナシの戦いの犠牲者(和人・アイヌ両者)を弔う慰霊祭が行われています。ノッカマップは、アイヌ側の37人が処刑された場所になります。
1789年クナシリ・メナシの戦い(根室市ホームページ)

墓碑が海中から発見された理由は不明だそうですが、根室市によると、海上輸送の途中で船が難破し、海中に没したままだったのではないかとのこと。
寛政の蜂起和人殉難墓碑(根室市ホームページ)

墓碑が作られたのが蜂起から23年後、それだけ経っても未だに和人側(直接虐待に関わっていない人も多数いるのでしょうが)が一方的な被害者としての認識だったというのと、アイヌ側に対する表現が露悪的なのが当時の和人側の認識だったという証明でもあるようにも感じます。

併設の詳細な説明板がなければ誤解を招きかねないため、ちゃんと設置されているのは良いことだと思います。

#アイヌ

2025年1月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

◆『伊能忠敬と間宮林蔵の業績』中島武久 ブイツーソリューション/星雲社 2022年

最近欲しい本をチェックしていた時に目に入った本。伊能・間宮関係で新しく発行された本だったので、どのような感じなのか試しに購入してみたものです。研究本というよりはこれらの人物に感銘を受けて執筆したプレゼン本といったところでしょうか。文だけの構成には珍しく横書きのレイアウトです。

間宮の項に関しては、参考書籍が吉村昭の小説>>22になっているので、そちらを読了しているなら特に真新しい情報はありません。というか、著者なりに編成はされてはいるものの若干言い回しを変えている程度のほぼ引用なので、著作権的にどうなのか謎…ちょうど樺太探検の部分をチョイスしているのは、著者が戦前のお生まれだからというのもあるのでしょうか(私も樺太探検の部分は好きですが)。

伊能の項には興味深いものもあって、佐原時代の旗本津田氏との関係や、永沢家との駆け引きなど、面白く読ませてもらいました。ただ私が関係書籍をそれほど読んでいない故なのだろうと思うので、やはり以前に出版された伊能関係の名著に当たるべきかなと。そういうきっかけをくれる種の本かもしれません。

これは、著者というより出版社や発行元への苦言なのですが、誤字が異様に多いのはさすがに辟易しました…1〜2ヵ所程度ならあるあるですが、読み進める度にそこで引っ掛かり、雰囲気も壊してしまっているように感じます。同一人名が次では違う字で表記揺れしていたり、図合船を合図船と誤記(最後までずっとこの表記だった)していたりで、もしや自分が知らないだけでそういう呼びもあるのかと調べ直したりと、余計な作業で読むのを中断させられるのはちょっと…(年末年始に頭抱えながら読んでいた>>21のはこれです)校正、されてます??

同人誌ならともかく、仮にも出版社で発行・販売しているならちゃんと校正入れてほしい。
(出版社名で調べてみると、なんとなく察しな感じではありましたが…本を出版したいという人が相当数いるのはわかるけど、出すからにはちゃんと整えてやってよ)

昨今の商業出版事情も垣間見えてしまって、微妙な気持ちになっています。

#伊能忠敬 #間宮林蔵

関連本

2024年9月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

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そろそろこれを上げておこうかと。以前Twitterやっていた時に上げたもの。最近はMastodonとかでも上げたかな。
描いてて大変だったけど楽しかったキャラ設定。あくまでも人物を借りた個人の創作ということで。

全身描いたのはそれぞれの身長差を確認したかったというのもあるけど、身長についての記録や言い伝え(と推測)があるのはまみりんとイノー先生とコンドウ、そしてたけちゃんだけだと思う。あとはあくまでイメージです。
とくないさんは小柄な感じがする。コンドウは六尺(一尺は約30cm)あったという記録があるのででかいね! 当時だと尚更大男。うん、そんな感じはする。

個人的に一番勝手にウケてるのは、シマ先生とコンドウの関係性かな。シマ先生がコンドウに付いて択捉島へ渡ろうとした時、体調を崩して寝込んだシマ先生をコンドウがおちょくってさっさと置いて行ってしまったということがあって、これは多分シマ先生はコンドウのことが苦手でしょって思った。そんな傲慢なコンドウをとくないさんが嗜める、までがワンセット。
ちなみにまみりんより少し前の年代の話。まみりんのマントみたいなのは郷里に残された(つくばみらいの記念館に展示されている)蝦夷毛布をモデルにしているよ! 樺太探検の時ではなく、蝦夷の測量時に使っていたものらしいけど。

それぞれのキャラをクローズアップしてビジュアル絵としても小話としても描きたいわね…

#間宮林蔵 #伊能忠敬 #松浦武四郎 #村上貞助 #近藤重蔵 #村上島之允 #最上徳内 #今井八九郎 #松田伝十郎

イラスト

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函館山展望台のイノー先生のレリーフ。
函館山を基点として測量を始めたので最初の地、なのだけど、蝦夷地に上陸した時の場所が道南の福島町吉岡であり、そこから函館(箱館)までも測量を行っていることがわかったため、今では開始の地が吉岡となっている。最近銅像も建てられたのは>>4で触れたとおり。

#伊能忠敬