◆『間宮林蔵と村上貞助の研究 村上島之允「蝦夷島奇観」の謎の解明の試み(アイヌ絵図と偽書)』 吉原裕 自家版 令和6年 これはなんだか凄い本に出会ってしまったような感じがします。 >>45で『蝦夷島奇観』の東博本は本当に秦檍丸(村上島之允)の自筆なのかという疑問の発端がこの本だったのですが、巷に多数存在する蝦夷島奇観の写本を比較検証し、その中でも年記と筆写(模写)した者の出自が判明している信憑性に足る写本を軸とし、他の写本の各絵図や文章との差異から東博本を蝦夷島奇観の原本(秦自筆)とするには多くの矛盾があるとのことで、それらを取り上げ検証した研究書になります。 蝦夷島奇観の写本はこの本で紹介されたものだけでも20以上あり、そのうちネット上で閲覧できるものも半数ほどあるため当方もそれらを確認しつつ読みました。最も信憑性のあるクナシリ陣営の御備頭だった氏家厚時の筆写本(「氏家本」)、クナシリ通詞第五郎所有本を底本とした某氏筆写本(「通詞本」)(これら2つは内容から同じ底本からの写本だと推測される)、そして松浦弘(武四郎)写本(これも松浦筆かの疑念がある模様)の3つ以外は著者が秦とあっても著者の名を騙ることはいくらでも出来るため、比較の俎上には上げられていません。 そもそも素人感覚でも、写本というからにはオリジナルの原本を遺漏なく忠実に写し取った上、筆写した者の名を明記するべきだとは思うのですが、寛政12年(1800)序の東博本を原本と設定すると、通詞本や氏家本が筆写された安政年間(1850以降)までの50年間は信憑性に足る写本や版行本が存在しないこと、また東博本に忠実な情報量の写本が存在しないこと、東博本の筆跡と重文『東韃地方紀行』『北夷分界余話』(間宮林蔵口述/村上貞助編・文化7年(1810)成立)(秦檍丸は文化5年没)の筆跡が同じことなどから、寛政12年秦檍丸名義の序も疑わしく、東博本『蝦夷島奇観』は後世(明治期以降か)に著されたものという結論に至っています。 ※尚、重文『東韃地方紀行』『北夷分界余話』についても同様に明治期以降に著されたものだという同著者の研究本もありますが、そちらも読み進めている途中です(2026.4.5現在)。 個人的に重文の『東韃〜』『北夷〜』を初めて見た時は、クセの強い流麗な文字の印象が強く、村上貞助はこういう字を書くのか〜と脳内にインプットされていたため東博本蝦夷島奇観の書き文字を見て強い既視感を覚えたのは間違いじゃなかったのかとは思うものの、師弟(養父子)の関係性で書き文字も師匠(養父)に寄せなければならなかったのかと若干考えましたが…そのあたりは著者も冗談交じりに突っ込みを入れておられます。 皆まで言うのはどうかと思いつつも(物語などの創作物ではなく研究書なので、ネタバレの概念は無いと思い備忘として記しておきたい)、では「原」蝦夷島奇観の著者は誰だったのか。様々な検証を経た結果、松前藩の関係者だったのではないか、成立年代も嘉永〜安政年間、通詞本が筆写された安政4年(1857)よりそう遠くない以前という推論を導き出しています。 そして東博本の成立は明治期以降とのことですがこれが事実だとすれば、何者かが何らかの目的で蝦夷島奇観は秦檍丸が著したものという証左を捏造したということになるのでしょうか。 たしかに、アイヌに対して和人化を勧める幕吏の立場で、消え行こうとする異文化を惜しんで著したものに「奇観」というエキセントリックさを彷彿とさせる表題を付けるだろうかという極々個人的な疑問も持っていたもので(注:現代人としての個人の感覚ですが)。 研究書のため、素人でも分かりやすい本では決してありません。参考資料絵図の掲載(転載)は一切なく、全て文章での解説になります。 思うに、権利関係というのもあるかもしれませんが、写真や絵図を要所のみ掲載することで、「切り取り」による際立った印象になりかねないため、可能なら俎上に上げた参考本(写本)の全体を各々見られたし、ということだと勝手に受け取っています。 それでも一応読了はしましたが、比較要素や項目が多岐に亘る上全ての写本を文章含め解読出来ていない(自分の能力も足りない)ため、正直整理と理解はおそらく全てしきれていません。 この本は、著者の一連の偽書関連研究の最終巻(最新巻)であり、またこの辺りの研究は他者の手も含めこれからも進んでいくのだろうと思いますので、もっともこれが真なのか、最終結論になるのかは素人には判断が出来かねるのですが、かなり興味を惹かれるものなので他の巻も入手あるいは閲覧出来たら遡って追ってみたいです(市販はされていないのとそれなりに高価/北海道内の主要図書館には収蔵)。 インターネット上で閲覧できる史料が増えたということもあり、昔に比べこのような研究が比較的しやすくなってきたというのもあるのでしょう。 いやー、それにしても、研究って進むものなのだなと感心すると同時に、今までの(自分の中の)常識が覆るかもしれない怖さも感じています。 そういえば秦檍丸は他にも『陸奥州駅路図』や『東蝦夷地屏風』なども制作しているけれど、特に後者は没年の前年の成立のため、蝦夷島奇観も合わせるとすると相当に筆が速かったことになり…幕吏としての仕事の傍ら果たしてそれだけのものを著すことが可能だったのかという疑問も湧いてきます。 これから村上島之允の紹介的な漫画を描こうと思っていた矢先だったので、タイミングがいいのか悪いのか。 こうなるとこの謎の多い人物について徹底的に調べたくなってきました(出来るかは別として)。 #村上島之允 #間宮林蔵 #村上貞助 いいね ありがとうございます! 2026.4.5(Sun) 21:27:16 メモ,関連本
これはなんだか凄い本に出会ってしまったような感じがします。
>>45で『蝦夷島奇観』の東博本は本当に秦檍丸(村上島之允)の自筆なのかという疑問の発端がこの本だったのですが、巷に多数存在する蝦夷島奇観の写本を比較検証し、その中でも年記と筆写(模写)した者の出自が判明している信憑性に足る写本を軸とし、他の写本の各絵図や文章との差異から東博本を蝦夷島奇観の原本(秦自筆)とするには多くの矛盾があるとのことで、それらを取り上げ検証した研究書になります。
蝦夷島奇観の写本はこの本で紹介されたものだけでも20以上あり、そのうちネット上で閲覧できるものも半数ほどあるため当方もそれらを確認しつつ読みました。最も信憑性のあるクナシリ陣営の御備頭だった氏家厚時の筆写本(「氏家本」)、クナシリ通詞第五郎所有本を底本とした某氏筆写本(「通詞本」)(これら2つは内容から同じ底本からの写本だと推測される)、そして松浦弘(武四郎)写本(これも松浦筆かの疑念がある模様)の3つ以外は著者が秦とあっても著者の名を騙ることはいくらでも出来るため、比較の俎上には上げられていません。
そもそも素人感覚でも、写本というからにはオリジナルの原本を遺漏なく忠実に写し取った上、筆写した者の名を明記するべきだとは思うのですが、寛政12年(1800)序の東博本を原本と設定すると、通詞本や氏家本が筆写された安政年間(1850以降)までの50年間は信憑性に足る写本や版行本が存在しないこと、また東博本に忠実な情報量の写本が存在しないこと、東博本の筆跡と重文『東韃地方紀行』『北夷分界余話』(間宮林蔵口述/村上貞助編・文化7年(1810)成立)(秦檍丸は文化5年没)の筆跡が同じことなどから、寛政12年秦檍丸名義の序も疑わしく、東博本『蝦夷島奇観』は後世(明治期以降か)に著されたものという結論に至っています。
※尚、重文『東韃地方紀行』『北夷分界余話』についても同様に明治期以降に著されたものだという同著者の研究本もありますが、そちらも読み進めている途中です(2026.4.5現在)。
個人的に重文の『東韃〜』『北夷〜』を初めて見た時は、クセの強い流麗な文字の印象が強く、村上貞助はこういう字を書くのか〜と脳内にインプットされていたため東博本蝦夷島奇観の書き文字を見て強い既視感を覚えたのは間違いじゃなかったのかとは思うものの、師弟(養父子)の関係性で書き文字も師匠(養父)に寄せなければならなかったのかと若干考えましたが…そのあたりは著者も冗談交じりに突っ込みを入れておられます。
皆まで言うのはどうかと思いつつも(物語などの創作物ではなく研究書なので、ネタバレの概念は無いと思い備忘として記しておきたい)、では「原」蝦夷島奇観の著者は誰だったのか。様々な検証を経た結果、松前藩の関係者だったのではないか、成立年代も嘉永〜安政年間、通詞本が筆写された安政4年(1857)よりそう遠くない以前という推論を導き出しています。
そして東博本の成立は明治期以降とのことですがこれが事実だとすれば、何者かが何らかの目的で蝦夷島奇観は秦檍丸が著したものという証左を捏造したということになるのでしょうか。
たしかに、アイヌに対して和人化を勧める幕吏の立場で、消え行こうとする異文化を惜しんで著したものに「奇観」というエキセントリックさを彷彿とさせる表題を付けるだろうかという極々個人的な疑問も持っていたもので(注:現代人としての個人の感覚ですが)。
研究書のため、素人でも分かりやすい本では決してありません。参考資料絵図の掲載(転載)は一切なく、全て文章での解説になります。
思うに、権利関係というのもあるかもしれませんが、写真や絵図を要所のみ掲載することで、「切り取り」による際立った印象になりかねないため、可能なら俎上に上げた参考本(写本)の全体を各々見られたし、ということだと勝手に受け取っています。
それでも一応読了はしましたが、比較要素や項目が多岐に亘る上全ての写本を文章含め解読出来ていない(自分の能力も足りない)ため、正直整理と理解はおそらく全てしきれていません。
この本は、著者の一連の偽書関連研究の最終巻(最新巻)であり、またこの辺りの研究は他者の手も含めこれからも進んでいくのだろうと思いますので、もっともこれが真なのか、最終結論になるのかは素人には判断が出来かねるのですが、かなり興味を惹かれるものなので他の巻も入手あるいは閲覧出来たら遡って追ってみたいです(市販はされていないのとそれなりに高価/北海道内の主要図書館には収蔵)。
インターネット上で閲覧できる史料が増えたということもあり、昔に比べこのような研究が比較的しやすくなってきたというのもあるのでしょう。
いやー、それにしても、研究って進むものなのだなと感心すると同時に、今までの(自分の中の)常識が覆るかもしれない怖さも感じています。
そういえば秦檍丸は他にも『陸奥州駅路図』や『東蝦夷地屏風』なども制作しているけれど、特に後者は没年の前年の成立のため、蝦夷島奇観も合わせるとすると相当に筆が速かったことになり…幕吏としての仕事の傍ら果たしてそれだけのものを著すことが可能だったのかという疑問も湧いてきます。
これから村上島之允の紹介的な漫画を描こうと思っていた矢先だったので、タイミングがいいのか悪いのか。
こうなるとこの謎の多い人物について徹底的に調べたくなってきました(出来るかは別として)。
#村上島之允 #間宮林蔵 #村上貞助