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江戸期の北方探検家で歴史創作。絵・漫画・設定・調べ物などゆるゆるっとな。


2025年8月4日の投稿(時系列順)1件]

当コンテンツ『ゆるたん。』ブログのこの記事 を纏めていて、羅臼の海岸から国後島が見える写真があり、そのシルエットが山のように見えるため山岳としての名前があるのかと調べてみると、泊山(とまりやま)という名前で、別名Golovninというらしい。

ん?

んんん…???

Golovnin?

ゴロヴニン!!!

あああ、あのゴローニンのことですね!?

あのゴローニン事件の、まみりんとバチバチした、あの人ですね!(雑)

ヴァシーリー・ゴローヴニン(日本語表記だと表記揺れの多い人ですが)はロシアの軍人で、ディアナ号での世界一周調査の途中、その数年前に発生した文化露寇の影響で警戒中の日本側に拿捕、身柄を拘束され箱館や松前に幽閉されていた人です。途中で脱走を試みるも連れ戻され、のちにロシア側のリコルドに拿捕された高田屋嘉兵衛が交渉の結果、互いに身柄を交換で帰還を果たしたという、波乱の人でもあります。

日本での幽閉生活中に『日本幽囚記』を記し、日本での出来事や会った人々、日本の習慣習俗などに触れていますが、概ね日本人のことは好意的に見られていたらしく、日本語訳も出版されているものを読むと中々面白かったりします。日本ではロシア語がほとんど通じなかったため、会話は同行していた千島アイヌがアイヌ語に訳し、それを日本人のアイヌ語通辞が日本語に訳すという2段階通訳で意思疎通をしたといわれ、その後接見した日本役人にロシア語を教えることになったが、アイヌ語通辞の上原熊次郎は老齢だからか覚えが悪く、村上貞助はとても優秀だった旨のことが記されていたり。ゴロちゃん辛口で上原さんが気の毒。

中でも間宮林蔵とのエピソードが面白すぎで、絶対印象悪いはずの人に数行費やして色々書かれているのは不思議。何度も通い詰めてきて測量法を聞き出そうとしてくるも事情があって教えられずにいるとブチギレられて、日本の軍船を差し向けるぞと恐喝してきたり(それならロシア側でもその何倍もの数で迎え撃つぞと反論してる)、自分の樺太探検の話を自慢気に延々と話す(なんだコイツは)などとまあ実にしつこい(病みそう)。と感じの悪さオンパレードなのに、悪いことばかりでもなく彼の話には未知の情報もあったり他色々と興味深い話もしたよと何故かフォローが入ったり。実は好いてんのかよ。良くも悪くも印象に残った人物なんでしょうが、両者負けず劣らず知的好奇心旺盛で勉強家、方向性は同じでも自国の立場があるために完全には親密になれなかったんだろうなあという感じもします。

で、国後の泊山に何故彼の名が付いているのか。日本に捕まる前に国後島を訪れているらしく、その時にこの山を記したことで付いたのだろうか。土地や地形に人名を付すのは西欧にはよくあるけれど、日本では地名を人が名乗る(名字・姓)ことが多いなとふと思った。

間宮海峡も間宮自身や日本側が付けた訳ではなくシーボルトの紹介で呼ばれた名(マミヤノセト)だったわけだし、ロシア側ではネヴェリスコイ海峡だし(間宮が探検したあとに大型船舶で初めて通過した人物の名)。今はタタール海峡が国際的な名称になっているけれど。

うーん、とりとめがなくなってしまった。

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羅臼オッカバケ港付近から見た国後。
多分あれが泊山(Golovnin)なのかなあ。近くて遠い、思わぬところで発見した知っている人。

#間宮林蔵 #村上貞助 #ゴロヴニン

メモ